スュン、公使に会い、シャワーを見て驚く。
1、コスタゴン
馬車は、夕暮れの都市を走った。
城壁を
四階建ての大きな建物だった。
「今われわれが見ているのは、南門。人間の商人やサミアの官僚の出入りに使われる。まあ、お客さん用の玄関口ね」
オリーヴィアの言葉にスュンが頷く。初めてこの公使館に入ったとき、スュンとヴェルクゴンもこの入口を使った。
「この他に、
「かしこまりました」
馬車は、大きな館の周囲をぐるりと半周するかたちで北門へ移動する。
「当たり前の話だけど……エルフ公使館のために働く種族にはエルフと人間の二種類がある」
車内でオリーヴィアが説明を始めた。
「人間は、さらに三種類に分けられる」
そう言って、数をかぞえるように、右手の人差し指を立てて見せた。
「第一に、ペーターのような『御者』……彼らはエルフに絶対服従するよう精神を『調整』されているから一番信用できる。ひと通りの暗殺術も身に着けているし、色々と使い勝手が良いわ」
そして二本目の指を立てる。
「第二に、かつてのリトマンのような、裏社会で我々の手足となって諜報活動をする『協力者』……まあ人間にとっては『
そして三本目。
「第三に、合法的に求人をして雇い入れた、まっとうな『現地職員』……主に、事務員、身の回りの
馬車が、北門に
門の両側に剣士が一人ずつ立っていた。筋骨たくましい大男だ。身長はどちらも百九十セ・レテム以上はあるだろう。
後部座席の窓からオリーヴィアが
門の中へ馬車ごと乗り入れると、そこは、広い殺風景な庭だった。
灰色の敷石が地面を
木のまわりにベンチが幾つか置いてあった。
「さあ、
庭の敷石の上にエルフたちが降り立つと、ペーターは馬車の扉を閉め、東の建物へ馬をゆっくりと歩かせて行った。
オリーヴィアが説明する。
「公使館は、この庭の三方を囲むようして建つ三つの建物から成っている。南側に立つ南館、または本館とも呼ぶけれど、公使館の主要な業務のほとんどはこの本館で行われる。それから西館は、いわば『居住区』。公使館のエルフ全員と、人間の現地職員の一部が寝泊まりする職員宿舎。……東館は、一階と二階が吹き抜けになっていて、公使館所有の魔法機械馬車を何台も格納してある。三階以上は、資料室やら実験室やらその他もろもろ。どの建物も四階建てで、一階二階が『人間の階』で、三階四階が『エルフの階』になっている。エルフの階はドアノブから何から全て純金・純銀製、人間の階は鉄や銅などの卑金属を使っているという違い。私に付いて来なさい。公使閣下にご挨拶をしなければ」
南側に建つ本館に入り、大きな折り返し階段を最上階の四階まで
各階の階段付近には必ず二人一組で人間の剣士が立っている。
公使の執務室は、南館の四階中央だった。
中に入る。
黒々とした立派な書き物
この館の主、コスタゴン公使だ。
ルストゥアゴンと同じ「ライト・エルフ」の一族。大長老ルストゥアゴンよりも若く、二十五歳で
大きな耳さえなければ、人間社会で重い荷物を運ぶ肉体労働者といっても通用するだろう。
「クラスィーヴァヤの森への一時帰国を終え、ただいま戻りました」
オリーヴィアがエルフ式の挨拶をする。
あわててスュンも
「ごくろうさん」
公使は、挨拶のしぐさを返すでもなく、
青灰色の瞳が動いて、視線がスュンの顔に向けられた。
「これが……」
「はい。先日、
「公使館で働くことをお許し頂きありがとうございます。ご期待に沿うよう全力を尽くします」
「あ、そう。がんばりなさい」
「は、はい」
「ところでスュン、確か報告書には十七歳と書いてあったが、間違いないかね?」
「はい。十七歳です。今年、正式に長老会から『成人』として認めて頂きました」
「君の現在の能力評価だが……これから私が言う通りで間違いないかね?
その一、
その二、
その三、
その四、
その五、浮遊魔法は、ひととおり修得しているが、一度に持ち上げられる重量は、自分自身を含めて二人分の体重を少し超える
その六、魔法を使って斬撃力を増加させる剣術を取得した『魔法剣女』
その七、金属を
以上。……なのだが」
コスタゴンは書類も見ずにスュンの顔を見つめたまま、すらすらと彼女の能力を列挙してみせた。
「これで、間違いないかね?」
「はい」
「フムン……」
机の向こうの公使は「大丈夫なのかね?」とでも言いたそうな目で、オリーヴィアに視線を移した。
公使の部下である
「たしかにスュンの魔法は未熟ですが、まだ若いだけあって、われわれ年長のエルフとは違った視点や発想を持っています。いや、年齢がどうこうというより、彼女自身の持って生まれた個性として、ものの考え方に他のエルフには無い『何か』が有るような気がします。私は、そこを『買って』います」
「他のエルフには無い考え方、か……まあ良い。オリーヴィア、その少女については、お前の好きにするが良い。ただし、分かっているとは思うが……『自己中毒の魔法』だけは、しっかり教えておけよ」
「わかりました」
2、オリーヴィア
公使の執務室を出たあと、廊下を歩きながらオリーヴィアがスュンに言った。
「この公使館には十九人のエルフが居て、全員、この敷地内で寝泊まりしている」
「十九人? たった十九人ですか?」
「そう。スュンが来たから、今日からは一人増えて二十人。それ以外は全員、雇われた人間の職員よ。エルフ公使館といっても、数としては圧倒的に人間の方が多い。彼らを管理するのが我々エルフの仕事という訳。
「……あの……先ほどコスタゴン様がおっしゃっていた『自己中毒の魔法』というのは……」
「ああ。あれ、か」
オリーヴィアの顔が固くなる。
「本来、外へ発散させるべき攻撃魔法を自分の体内に作用させ、体の内側から自分自身の体組織を破壊する。つまり……『自決用の魔法』というわけ。敵に
「自決用の魔法……!」
「場合によっては死んだ方がましなくらい悲惨な状況もありうるからね。エルフ側の情報が外に漏れる危険性もあるし。万が一のため、ここに居るエルフは全員修得しているわ」
廊下を歩きながら、女上司は淡々とスュンに説明した。
三階に降り、南館の端の部屋の前で止まる。
「今日から、ここが、あなたの仕事場よ。まあ、見習いのうちは、この部屋を使って一人で仕事をすることも無いでしょうけれど」
オリーヴィアが扉を開けて見せた。
スュンが
「次は、西館へ……宿舎へ案内します。付いていらっしゃい」
本館と西館を
四人掛けのテーブルが何脚も置いてある広い部屋に案内される。
数人のエルフが、切った果物をつまんだり、お茶を飲んだりしている。
「ここがエルフ専用の食堂。人間の料理人がエルフのために朝、昼、晩と食事を作ってくれる。前もって頼んでおけば『訓練用の料理』も作ってくれるわ」
「訓練用の、料理……ですか?」
「つまり、普段
「獣の肉を食べるのですか?」
「場合によっては。最初は
「うう……」
「ちょうど夕食
3、スュン
この公使館に務めている他のエルフを紹介され、果物とハーブ茶の夕食を
森の家よりは、ずっと小さい。しかし必要最小限の家具は備え付けてあるし、
「スュン、ちょっとこっちへ来てみなさい」
奥にある二つの扉のうちの一つを開いて、オリーヴィアが呼ぶ。
スュンが行ってみると、天井、壁、床、上下左右全てに陶器製のタイルがびっしり貼られた小部屋だった。
壁から金の取っ手のようなものが二つ
天井近くには、やっぱり金製の、下向きに首をたらした
「この取っ手を、こうして回すと……」
突然、天井近くに生えた下向きの
すぐに取っ手を逆に回して水を止める。
「ここは『
「シャ……シャワー・ルーム」
「来るとき馬車の窓から見上げた『空中水路』を思い出して」
「……はい」
「あそこからここまで金属製の
「……」
「
「は、はい」
「それから……」
いったん、シャワー室を出て、今度は
「こっちが、お手洗い」
洗面室の中には洗面台と便器があったが、井戸から水を
「原理は同じよ。この鎖を引くと」
陶器製の便器の中に、勢いよく水が流れる。
「……と、いうわけ。用を足したあと鎖を引いて水を流すことで、常に便器を清潔に保てる」
オリーヴィアの説明を一通り聞き終えて、ベッドのある部屋へ戻った。
「じゃあ、今日のところは、これで終わりにしましょう。あの水時計は」
そういって、部屋の
「ペーターが人間の
「わかりました」
「……じゃあ……」
オリーヴィアを見送るためにスュンが廊下に出ると、そこにペーターが立っていた。
両手にスュンとオリーヴィアの手荷物を持っている。
「あ、ありがとう」
いつから、この男は部屋の前に立っていたのだろうか。ノックもせずに。
スュンは自分のスーツケースを受け取る。
ペーターは、もうひとつのスーツケースを持って、オリーヴィアの後ろに付いて歩きだした。
扉を閉め、小さな書き物
中から
そのままバタンとベッドの上に体を投げ出す。
シーツも布団も枕も清潔そのものだ。これも『人間の
「たいしたものだ……ここでは全てが組織立っているのだな。命令系統と上下関係がしっかりと確立されているのだ。その結果として、ひねれば出てくるシャワーのお湯や、
人間の街に来た初日に、もう、森の暮らしを
森では長老会の通達があったとき以外、自由気ままに暮らすことが出来た。
これからは、そういう訳には行かない。
ふと、シャワー室に通じる扉を見る。
立ち上がって
「会いたくて、たまらないぞ」
自分自身の体に指を這わせながら一人
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