スュンとオリーヴィア、辺境の村で茶を飲む。
1、スュン
大森林の中を
道の両側に広がる放牧地に点々と羊の群れが見える。
前方、馬車の進行方向に視線を移すと、遠くに
(……『戻って』来てしまった。人間の住む、領域に)
スュンは、視線を隣に座る上司に向けた。
「オリーヴィア様」
「なに? スュン」
「あの……人間の村が近づいています。擬態魔法を使って、人間に化けなくても良いのでしょうか?」
「誰が見てもエルフ専用の特注馬車に乗っているのに、人間に化けるも何も無いでしょう」
オリーヴィアがニヤリと笑う。
「我々はクラスィーヴァヤの正式なエルフ代表として、これから人間の
「そ、そうですね。愚かな質問でした。申し訳ありません」
「それにしても、きれいな景色ねぇ」
窓の外に視線を戻して、年上のエルフが
「クラスィーヴァヤの森に帰るたびに、
スュンは窓の外を見る。
青い空、流れる雲、降り注ぐ太陽の光、緑の大地。
視界を
たしかに、
クラスィーヴァヤの森から人間の村へ向かう一本道を、機械式馬車が走る。
村が、少しずつ少しずつ大きくなって行く。
「あの村で……メッツァラヤ村で一休みしましょう。少し喉が渇いたわ。それに手も洗っておきたいしね。ペーター、村へ入ったら、リトマンの店へ向かってちょうだい」
「かしこまりました」
2、リトマン
小さな辺境の村にしては、あか抜けた店構えだった。手入れも掃除も行き届いて、店主の几帳面さが良く表れている。
「リトマンの喫茶店」
小さな木の看板が入口の上に掛かっていた。
その入口の前にエルフの女ふたりだけで立つ。御者のペーターは、馬車の中で彼女たちの帰りをじっと待っている。
「スュン、開けてみなさい」
扉の横で、オリーヴィアが言った。
スュンの手元を見つめている。
試されているのだと分かった。
「はい」
言われた通り扉の前へ立って、取っ手を
自分でも不自然だと思うくらいにゆっくりと手首を回した。それに合わせて魔法の力で取っ手を回転させる。
扉が開いた。ほっと息を
「緊張しすぎだって」
上司が言った。
「形状は色々だけど、扉なんてどれも原理は『訓練小屋』と同じなんだから、もう少し
「申し訳ありません」
スュンの横を通ってオリーヴィアが店内に入る。
中は思ったより狭い。
奥のカウンターに人間の老人が一人。
毛一本生えていない、つるりとした
寿命の短い人間族の中では、
しかし、しゃんと伸びた背筋といい、身のこなしといい、顔から受ける印象ほど肉体は衰えていないのだと、スュンは
「いらっしゃい……ああ、これは、これは、オリーヴィア様でしたか。美しいお姿は、いつまでも変わりませんな。この老いた両目にも視力が
「変なお世辞は良いから。ああ、リトマン、紹介するわ。彼女はスュン。私の、まあ、付き人みたいな
「一番も何も、この小さな村に喫茶店はここ一軒だけじゃありませんか……スュン様、お初にお目にかかります。よろしくお願いします」
カウンターの老人は、意外にも、左手を胸の前に
その事に少し驚きながら、スュンもエルフ式の
「ハーブ茶を二つ」
オリーヴィアが店主の正面のカウンター席に座って言った。
「さあ、スュンも座りなさい」
自分の隣の席を、ポンポン、と手のひらで
言われる通り、スュンがその席に座る。
店主が「かしこまりました」と言って、手際よく茶を
「ところで、リトマン」
「何か、面白い話は無いかしら? 人間たちの間で、最近、
「
老人は、カウンターの向こうでティーカップを並べながら考え込む
「……ああ、そうそう。つい二日ほど前、村にやって来た行商人の男が面白いことを言うておりましたわ。都市国家サミアで、最近、変な噂が立ち始めたと」
「ほう?」
「オリーヴィア様は、確か、サミアの公立博物館に公開展示されている『ある彫像』に大変ご興味を示されていましたなぁ? 三千年前の神殿の遺跡から出土したという『グリフォンの像』に」
それを聞いて、エルフの女の、エメラルド色の瞳が鋭い光を帯びる。
「ええ。まあね。その博物館に展示してある『グリフォンの像』が、どうかしたの?」
「近頃サミアの住人たちの間に妙な噂が立っておりましてな。そのグリフォンの像が『動いた』と」
「動いた?」
「噂ですよ。あくまで噂です。しかも、それが非常に微妙な話でして……数日前に比べて、首の角度がほんの
「うーむ……」
しばらく
「面白い話を聞かせてもらったわ。リトマン。やっぱり、経験豊かなご老人のお話は、ひと味ちがうわね」
「ご冗談を。お忘れですか? 私は、年下ですよ」
言いながら、エルフの出した銀貨を
「ああ、そうだった。初めてあなたと出会った時のことは、今でも思い出すわよ。ほんと、
「勘弁してください」
老いた店主が苦笑する。
「ちょっと失礼」
オリーヴィアが立ちあがって手洗いへ向かう。
「スュンも、できる時にしておいたほうが良いわよ。これから都市国家サミアまで、馬車の旅はまだまだ続くのだから。途中で我慢できなくなったら、大変よ」
3、都市国家
オリーヴィアの後、言われたとおりスュンも手洗いへ行った。
その後、二人でハーブ茶を飲んで店を出る。
店の前に路上駐車していた馬車からペーターがサッと降りてきて、馬車の扉を開けた。
二人のエルフが後部座席に乗ったのを確認して、扉を閉め、自分も御者席に乗り込んで発車させる。
「あの老人は何者ですか?」
馬車の中でスュンが尋ねた。
「もと『協力者』……つまり、裏の世界で金で雇われて、エルフのために情報収集をしていた人間……『情報屋』よ。まあ、だいぶ前に引退してるけど。我々エルフへの貢献度が高かったから『退職金』は
「店内でお茶を飲んでいる間に、客は一人も来ませんでしたね。我々以外は」
「商売なんて、本当はどっちでも良いんでしょ。人間の年寄ひとり
「グリフォンの像というのは、何でしょうか」
「それは、おいおい、説明してあげるわ」
二人が話している間も、馬車は田舎道を都市国家サミアへ向かって走る。
牛や羊が草を
小さな
結局、都市国家の外周を守る城壁に到着したのは、午後遅く、太陽が西の地平線に沈む一時間前の事だった。
ペーターが城門で治安衛兵に通行手形を見せる。
衛兵は、
銀の機械馬に引かれた豪華な黒塗りのエルフ専用車が、ゆっくりと城門をくぐって都市国家内に入る。
(人間が造った……
サミアに来るのは二度目。
馬車が
数え切れないほどの、人、人、人。
夕暮れの赤く染まった光が建物の窓にギラッと反射して、車内から見上げるスュンの目を射た。
思わず目を細めて顔をそむける。
オリーヴィアが反対側の窓から都市の建物群を見上げて
「私は、人間の
道の両側には、四階から五階建ての建物がびっしりと並んでいた。
こうして道路を走る車内にいると、まるで、奇怪な岩の並んだ谷底を走っているような感じがする。
「全部、石造りなんですね」
スュンが上司に
「建物のこと? これだけ高い密度でびっしり建っていると、一番
「あれは何でしょうか……あの、空中を走る棒状のものは」
初めてサミアに来た時から気になっていた物だった。
いまは、見上げる形だが、浮遊魔法を使って空から都市国家に侵入した時には見下ろす格好だった。
都市の中心点から放射状に延び
「あれは『空中上水道』……縦半レテム横半レテムの四角断面で、中は空洞の『水道管』よ。それを柱で支えて、五階建ての建物のさらに一レテム上の空中を、都市の中心から城壁近くまで網の目のように
「水道管……ですか?」
「水道管というのはね、文字通り水を運ぶ
「
「それが案外、便利なのよ。スュンも
「いつでも……水が、出る?」
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