エルフの少女、怪物を探して屋根に上り、音を聞いて居場所を知る。

1、デモンズの番頭


「番頭さま、番頭さま……」

 調理場の陰から食堂をこっそり覗きながら、若い女給がささやいた。

「あのエルフのお二人、お茶を一杯ずつ注文したきり、もう、かれこれ二時間以上ほとんど話もせずにジッと座っているだけですよ……」

 それを聞いた番頭が、振り返って水時計みずどけいの水面の目盛を確認する。

「そうだな。だが、我々には、どうすることも出来ん。放っておけ。あのまま夜の閉店時間まで座ったままでも、文句の一つも言えんよ。何しろ、相手は偉大なる魔法種族エルフ様様さまさま……だからな」

「でも……もうお昼近いし……だんだん、お客様も入ってきているし……今日は、なんだか混みそうな予感がするんですよね」

「私に、どうしろというのだ? 魔法を自在に操る種族に『昼食時で混んできたから、ハーブ茶二杯でいつまでも粘られても困ります』とでも言って追い払えと? いったい、どんなたたりが有るかも知れんのだぞ? うう、くわばら、くわばら」

「……でも……」

「それに、ブルーシールドの一族の人間からも、くれぐれも失礼のないようにと釘を挿されておる。この店で何か問題を起こして、それがブルーシールド家の耳にでも入ってみろ。私の首なんか一瞬でフッ飛んでしまうわ。そうなったら覚悟しておけよ。絶対、お前も道連れにしてやるからな」

「やだぁ。番頭様、勘弁してくださいよ。ブルーシールド家って、そんなに凄い人たちなんですか? たしかに、さっきのイケメン、大金持ちオーラ半端なかったですけど……」

「お前、ブルーシールドの名も知らんのか……これだから町娘は……いや、まあ、良い。とにかく放っておけ。それに……」

 デモンズの番頭は、別の男女二人連れのテーブルにあごをしゃくる。

「お茶二杯で二時間以上も粘るのは、人間様も御いっしょだ。別れ話だか、何だか知らんが、全く辛気臭い顔しくさって……営業妨害もはなはだしい。今日は、厄日か? ただでさえ、今月は売上げ目標を下回っているというのに……」

 そのとき、入り口の扉を開けて、若い夫婦と四、五歳の少年の親子連れが入ってきた。

「さあ、無駄話は止めだ。接客に戻りたまえ」

「は~い」


2、ヴェルクゴン


「だんだん、混んできたな……」

 ダーク・エルフの男……ヴェルクゴン……が、入ってきたばかりの若い親子連れを見てつぶやいた。

「ええ」

 スュンがうなづきながらホールの隅に設置された水時計みずどけいを見た。

「人間族もエルフわれわれと同じく正午に食事をるのでしょう? ここは食事をする場所だから……」

「あまり騒がしくなるのは、好ましくないな。気が散ると、が出てくる時の『鳴き声』を聞き漏らさないとも限らない。少し前までは静かで集中できる場所だったのだがな。このあたりが潮時か……と、言っても、他に行く場所がある訳でも無いが。どうしたものか……」

「とにかく外へ出ましょう。こうなってくると屋外に居た方が、まだ良いかもしれない」

 ダーク・エルフの少女……スュンが立ち上がる。

「そうだな」

 エルフの二人組みは出口へと向かった。

「ああ、あの、お客様……」

 女給が、いそいで追いかける。

「お代を……」

 ヴェルクゴンは女給を振向きもせず、ふところから銀貨を取出して肩越しに投げた。

 チリンと音を立てて銀貨が女給の足元に落ちる。

「釣りは要らん。銅貨など触りたくもないのでな」

「あ……ありがとうございます」

 女給がひざまずいて銀貨を拾う。

「それだけあれば、ハーブ茶二杯で二時間居座ったからと言って、文句はあるまい?」

「……」

「心配するな。人間にたたるなどという悪趣味な真似はせんよ。ブルーシールドの者にも黙っておいてやろう」

 ヴェルクゴンは背中を向けたまま、首だけを横に向けて女給をにらんだ。

「我々を誰だと思っている? 貴様らの陰口など全て筒抜けだ」

 ヴェルクゴンのセリフに、若い女給は脂汗をかいて全身をガタガタと振るわせた。

「……フン……」

 さも軽蔑したような笑いを顔に貼りかせ、ヴェルクゴンは出入口の扉を押した。

 エルフたちが外へ出ると、入店時はガラガラだった馬繋場の半分が馬車で埋まっていた。

「……機械馬車か……」

 ヴェルクゴンがつぶやく。

「まったく、人間というのは無駄づかいの好き種族だな。 あのような醜い鉄の塊をわざわざ作って動かすために魔力をつかうとは。しかもその理由が『移動する』……ただ、それだけだというのだからな。浮遊魔法を使えばむ話なのだが。不便なものだ。自ら魔力を生み出せないというのは」

 スュンが連れのエルフに反論する。

「森の中と違って、こういう平らな開けた場所では、あの魔法馬車という乗り物も案外効率が良いのかもしれない。それに、人間の中にも魔法を使える者がいると聞いたけれど?」

「人間種族全体から見れば、本当に、極々ごくごくわずかな数だよ。それとて、人間が最初から持っていた能力では無い。我々エルフがさずけてやったものだ」

「最初は持っていなかった能力? エルフがさずけた? どういうこと?」

「長老会の図書館に秘蔵されている古文書によるとだな……数千年前、一説には数万年前という話もあるが、まあ、とにかく遥か太古に、森を出て人間社会で暮らすことを選んだエルフの一団があったのだそうだ」

「人間社会で暮らす? エルフが?」

「そうだ。まあ、にわかには信じられんが。とにかく古文書には、そう書いてあるというし、エルフの歴史学者の間でもそれは定説らしい。……で、人間と暮らすことにしたその物好きな大昔のエルフたちは、やがて……これまた信じられん話だが……人間と交わった」

「……交わった……?」

「つまり、人間との間に子をした」

「まさか!」

「少なくとも歴史学者は、そう考えている。その結果、姿かたちは人間でありながらエルフの魔法を操る『ハーフ・エルフ』とかいう珍妙な生き物が大量に生まれた」

「……ハーフ・エルフ……」

「そして、そのハーフ・エルフどもが、また人間と交わる……子から孫、その子供、そのまた子供……受け継がれるエルフの血は、半分になり、四分の一になり、八分の一になり、長い年月の間に、限りなく薄くなっていった」

「……」

「スュンは、先祖返りという言葉を聞いたことがあるか?」

 少女は首を振った。

「何らかのきっかけで、ある生物の中に眠っていた先祖の能力が、突如として発現する事をいうのだそうだ」

「つまり、人間の魔法使いというのは、その、はるか昔に人間界に出て行ったエルフの子孫のうち、先祖の持っていた能力がよみがえった者、という事?」

「そうだ。魔法使いと呼ばれる一部の人間が持つ魔力というのは、元をたどれば我々エルフの血が与えた力らしい」

「信じられないけど……でも、きっと本当のことなのでしょうね。長老会図書館の古文書に、そう書いてあるのなら。……そうか……エルフの女でも、人間の子を宿せるのか……」

「なんだ、スュン、そのニヤニヤ笑いは」

「え? べ、別に……私、今、笑っていた?」

「さあ、無駄話は終わりだ。がこの辺りに潜伏しているの間違いない。そして何時いつを切らして動き出す。動き出した時の『鳴き声』を聞き逃さないためにも、どこか静かな場所にとどまって探知を続けたいのだが……我々の、この姿は少々目立つな」

 そのとき扉を開けて二人連れの客が表へ出てきた。

 先ほどから店内で延々別れ話をしていた人間の男女二人組だ。

「……あれにしよう」

 ヴェルクゴンが人間の男女に向かってあごをしゃくる。

「分かった」

 人間の二人組が、馬繋場に停めてあった小型の機械馬車に乗り込み何処どこかへ行ってしまったのを見計みはかららって、エルフたちは馬車と馬車との間に身を隠した。

 出てきた時の二人の顔は、たったいま馬車で去って行った人間の男女二人組にそっくりだった。

 ただし服装はエルフのままだ。

「顔形は人間で、着ている物はエルフの服というのもではないか? 人間の剣女けんじょは銀の剣なんか持たないだろうに……」

 人間の女に化けたスュンがつぶやく。

「仕方ないだろう。これでも、エルフのままでいるよりは目立たん。人間と言うのは、耳が尖っていると言うだけで、我々を希少動物か何かのようにジロジロ見るからな。特に、下層階級の者の無礼な事と言ったら……それに最近、人間の金持ちの間では、エルフ風のファッションをするのが流行らしいぞ。ならば我々のこの格好も、あながち奇妙でも無いかもしらん。まあ、今さら『擬態の魔法』が不得意だからと言って嘆いても始まらん。エルフの森に帰ったら修業しなおせば良い。衣服まで『擬態』出来るようになりたければ、な。今はこれで我慢するしかない。さあ、行こう」

「わかった」

 スュンはうなづいた。


2、スュン


 人間の男女に化けたエルフたちは、当ても無く通りを歩いた。

「こうして、この辺の通りをうろうろしていても良いのだが……さて、どうするか……」

 ヴェルクゴンが言った。

 その言葉にスュンが答える。

「できれば、どこかに落ち着きたい。その方が集中できる」

「そうだな」

「どこかに落ち着ける場所があるか見てくる」

「人間に見つかるなよ。騒がれると面倒くさい」

「分かっている」

 スュンは適当な路地に入ると辺りを見回し、誰もいないのを確認してから浮遊魔法を使った。

 足の裏が、地面から離れる。

 そのまま、ゆっくりと浮上して行き、ついに民家の屋根を越えた。

 素焼きの赤瓦の上に、トンッ、と軽い靴音を立てて着地する。

「森が遠い……」

 屋根の上から周囲を見回して思う。

 都市国家の城壁内ほどでは無いにしても、この辺りも人間の住む家はそれなりに多かった。

 家の建っていない所は、雑草の生えた空き地か、整然とうねの並ぶ野菜畑だ。

 民家が途切れたその先には広大な麦畑と、いも畑と、休耕地がパッチワークのように続き、森はさらにその向こうだった。

「これでは、静かに落ち着く場所も、身を隠す場所も無いだろうな……」

 春の穏やかな風が髪をでる。

(この場所は……穏やかだ……落ち着ける場所を探して人間の町をうろうろするくらいなら、いっそ、この屋根の上で精神を研ぎ澄ました方が良い……)

 地上からも隣家の窓からも見えない死角を選んで、瓦屋根に腰を下ろす。

 聴覚に意識を集中するために、目を閉じた。

 突然、さっき食堂で出会った黒髪の少年の顔が目蓋まぶたの裏側に浮かぶ。

(え……?)

 ハッとして、目を開ける。

 顔が火照ほてっているのが自分でも分かる。

(な……な、何で人間の事なんかを……)

 深呼吸をして、もう一度、目を閉じる。

 今度は、少年の声が記憶の中からよみがえってくる。

(冷静に考えりゃ、今から俺と彼女の間に何かが始まるなんて可能性は全く無いさ。お前だって、町を歩いてて可愛かわいい女の子に出会ったら、振り向いたり、ポーッとなったりするだろ? その程度のことだよ。その程度の……)

 今度は苛立いらだちで、思わず目蓋まぶたひらいてしまう。

(なぜだ……? なぜ、たかが人間の男に、こうも心が乱される……?)

「もう一度……会いたい……なぁ」

 無意識につぶやいていた。

(え?)

 初めは、自分が何を口走ったのか、分からなかった。

(ええ? ええ? えええ? い、今、私は何を言ったのだ? もう一度会いたい? だ、だ、誰と? 誰と会いたい? 人間と? あの人間の剣士とぉ?)

 全身がカッと熱くなる。

 両手で頭を抱えた。

(ありえない、ありえない、ありえない、ありえない……)

「誰と会いたいんだ?」

「え?」

 振り返ると屋根の上にヴェルクゴンが立っていた。

「屋根の上からなかなか降りてこないから、気になってな。どうした? 私の気配に気づいていなかったようだが……注意力が散漫だな。そんなことでは、微かな『鳴き声』を聞き逃してしまうぞ」

 言いながら周囲を見回す。

 ヴェルクゴンもスュンと同じ結論に達したようだった。

「この辺りには静かに落ち着ける場所など無さそうだな。むしろ、この屋根の上でが動き出すのを待ったほうが良いくらいだ。……ああ、そうか、それで、そんな場所でひざをかかえて座っているのか? ……ところで、さっき『会いたい』と言っていたようだが、誰に会いたいんだ」

「え? えっ、と、あの、ああ、そうそう、が早く動き出さないか……と……思って。……早く『鳴き声』を探知して、に会って、この手でり殺してしまわないと……」

「ああ、そういう意味か。そうだな」

 その時、低くかすに響き渡る声を、魔法で通常の何倍にも研ぎ澄ましたヴェルクゴンとスュンの聴覚が捕らえた。

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