アラツグ、エルフの会話を盗み聞く。

1、ヴェルクゴン


「……まったく……」

 男のエルフの声が聞こえる。

「人間という生き物は本当に下品極まりないな。それに、救いようの無い愚か者だ。……我々が、こんな場所で聴覚拡大の魔法を使うわけがないと、はなから決め付けている。こちらが何も聞こえていないと思って、言いたい放題だったな。……さて、どうしたものか……エルフと人間、お互いの利益のため嫌々いやいや相手の手を握りながら、心の中ではつばを吐き合っているのは、言わば公然の秘密だが……こうまで悪しざまに言われていると知って、黙っているのもしゃくにさわる。金輪際、ブルーシールド家とは取引をしないのは当然として……あのドラ息子と知り合いの男と女……どこかで待ち伏せして、三人まとめて殺してくれようか。全身の骨を砕き、肉をズタズタに裂いて、ボロ雑巾のように血を絞り出してな。なに、不慮の事故を装って、証拠を残さず、人間どもに文句のひとつも言わせないように細工をするなど簡単な話だ」

 男のエルフの提案を少女のエルフ……スュンが否定する。

「今は、自分たちの使命に集中する時。余計なことに時間と魔力を使うべきではない。ところで、私は良く知らないのだけれど、ブルーシールド家とかいう者たちは取引相手としては、どうなの?」

 スュンの問いに、男のエルフ……ヴェルクゴンは「フムン」とうなって、しばらく顎鬚あごひげいてから答えた。

「正直言って、ブルーシールド商会の目利めききは信用できる。まず一流と言って良い。連中の持ってくる工芸品は、どれも細工のしっかりした最高級の物ばかりだよ」

「ならば、たかが一族の一人が無礼な振る舞いをしたからといって、取引を切ってしまうのはしい。エルフ族全体の損失になる。それに、取引先をどこに変えようと同じでしょう? 人間が我々を嫌っていることに変わりはない。我々が人間を嫌っているのと同じくらいに、ね」

「スュン……やっと冷静さを取り戻してくれたようだな。それでこそ、誇り高きダーク・エルフの一門。今日は、すこし感情が高ぶっていたようだったから、心配していた」

「大丈夫……もう、大丈夫です。もう、感情的にはならない。冷静に……使命を果たす。人間など、わざわざ魔法を使って殺すほどの価値もない。そろそろ、無駄口を叩くのはめにしましょう。が、この世界に現れる時の『鳴き声』を聞き逃さないように精神を集中しましょう」

「そうだな……そう遠くへは行けないはずだ。このあたりの何処どこかに必ず潜んでいる。そして、いずれは尻尾を出す。……その時こそ……」

 アラツグの顔から一気に血の気が引いた。

(き、聞かれていた?)

 全身がガタガタと震えだすのを止められない。

「ん?……どうした、アラツグ……顔色が悪いぞ?」

(聞かれていた、聞かれていた、聞かれていた……ローランドの、エルフに対する糞みその暴言も、俺の言った言葉も……全部……全部……)

「おいおい、どうしたんだよ? 料理に当たったか? なんか変なものでも入っていたか? もし、そうなら、俺が抗議してきてやる。何なら、裏から手を回して、あの小太りの番頭を首にしてやってもいいぞ。……おいおい、どうした、マジで変だぞ? 今日は、この辺で下宿に帰るか? それとも医者のところに行くか? アラツグ、返事しろ」

「あは、あは、あははははは……」

(俺、今、笑っているよ。人間、パニックになると何故か笑いがこみ上げてくるって、本当だったんだな……)

 それから、どうやって飯を食い(あるいは、食わずに残したのか……)席を立って、帳場ちょうばに行ったのか憶えていない。

 気がついたら帳場ちょうばの前でローランドが呼びかけていた。

「おい、アラツグ」

「は? ああ、どうした? ローランド」

「どうした、じゃないよ。まったく。ここは、俺が払っといてやるよ。何か、今日は体調悪そうだし、そうじゃなくても、金が底を突くころだろ。少しでも節約したいだろうからな」

「ああ、そう……どうも、ありがとう」

「ちぇっ。しっかりしてくれよ」

 ローランドがふところから、小さな木札のようなものを出す。

「なんだよ、それ?」

「へへへ。初めて見ただろう? 信用札しんようふだ、っていうんだ」

「し、信用札しんようふだ?」

「うちの系列の両替商が開発した新商品さ。 簡単にいうとだな、この札を見せることによって、買上げ金額が自動的に両替商の俺の口座から引き落とされるようになっているんだ。こうやって、帳場で札を見せて、請求書に署名をする。これだけで、支払いは済んだことになる。あとは、店側と両替商の間で適当に処理してくれる」

「へぇ、便利なものだな」

 アラツグが気のない相槌を打つ。

「だろう? これで、重い金貨をジャラジャラ持ち歩く手間が省ける。まあ、何かあった時のために最小限の金はふところに入れてあるけどな。この信用札……今は、金持ちだけを相手に売込んでいるが、じきに安定した職と収入のある者は、みんなこれで買い物をするようになる」

「すごいな……」

「まあ、別に俺が考え出したもんじゃないけどさ……さあ、支払い完了。アラツグの体調も悪そうだし、今日はこの辺でお開きとしよう。本当は、色々話したかった事もあるが……また出直す」

「すまん」

 扉を開けて外に出る直前、アラツグはエルフの少女に顔を向けた。

 少女がこちらを見る気配は全くなかった。

 知らず、ため息が出る。

 外に出て、馬繋場ばけいじょうからローランドが馬車を引っぱって来るのを待った。

 待っている間、アラツグがメルセデスに話しかける。

「それにしても、自分の馬車に乗って来る場合は確かに便利ですね。こういう広い馬繋場ばけいじょうがある飯屋ってのは」

「そうですね」

 メルセデスがうなづく。

「都市国家城壁内は、乗合馬車や辻馬車なんかの交通機関が発達してるから、あまり必要性は感じませんが……」

「下宿の大家さんが言ってたけど、ここみたいな城壁外の町って、最近、結構な数の新興商人たちが一軒家を建てて城壁内から移り住んでいるらしいです。そういう商人たちは大抵、自家用馬車を持っていて、どこに行くにも馬車を使う。だとすれば、この店みたいに、玄関先に広い馬繋場ばけいじょうを整備するっていうのは、確かに理にかなっている。……ここ、昼飯時なんか若い家族連れでいっぱいのことがありますよ。まあ、俺は馬車なんか持てる身分じゃないから、関係ないけど」

「持っていないんですか? 馬車?」

「下宿住まいで持てるわけ無いじゃないですか。そもそも、馬車なんて買える金も無いし」

「そう言えば、ブラッドファングさんて、ローランドと同じ日に山から下りて来て、それ以来、一年以上も働いてないって、本当なんですか?」

「お恥ずかしいことですが。本当です」

「何でですか?」

「さあ……何ででしょう……修業が……厳しすぎたのかな? あまりに厳しすぎて、なんかもう、枯れちゃったっていうか、燃え尽きたっていうか……もう何にもやりたくなくなったのかなあ……それと、剣士組合ギルドに登録に行った帰り、たまたま買ったとみくじが当たりましてね」

とみくじ……ですか」

「そう。……それが、結構な額で、計算してみたら家賃、食費その他の生活費すべてコミコミで、どうにか一年くらいは食いつなげそうだって分かりまして……しかし、もう、こんな暮らしも終わりです。ローランドの言うとおり、働かざるもの食うべからず。貯金も、もうすぐ無くなるし。明日から、組合ギルドにでも通ってみますよ」

 それから、三人は、来た時とおなじようにローランドのBMW魔法馬車に乗ってアラツグの下宿へ向かった。

「馬車の中から見る限りは、このあたり、けっこう開けた住宅地だなぁ、なんて思うけど……」

 ローランドが馬車の手綱を操りながら後部座席のアラツグに話しかける。

「街道を一本はずれて路地に入ると、まだまだ未舗装の赤土道路なんだな」

「ああ、そうだな。石畳なんて幹線道路だけだよ。まあ、それでもレンガ積みの側溝が整備されて来てるから、雨の日なんかでもは良いよ。ところで、さあ、ローランド」

 アラツグがローランドにたずねる。

「お前、今どんな仕事しているんだ? まあ、親父さんを手伝っている風なのは分かるけど」

「ん? ああ、系列の両替商でな……」

「うふふ。この人、本当のこと言うと、ねぇ……ほとんど仕事していないんですよ? さっきは、ブラッドファングさんに向かって偉そうにお説教してたけど、人のこと言えないんです」

「え? そ、そうなのか?」

「そういう事は、軽々しく言うなよ。秘密にしておけって。まあ、バレちゃ仕方がない。系列の両替商に籍があるって言ってもな、その実、ただの名誉職さ。相談役とかって肩書で、年四回、季節の節目の決算報告会に出席して、両替商の報告を半分昼寝しながら聞いたふりして、最後に承認の署名して終わり。それだけ。それで毎月毎月、アラツグが一年かけても稼げないような額の金貨が俺の口座に振り込まれる仕掛けになってる。まあ、時々は大口取引先の宴会なんかにお呼ばれして、営業スマイル振りまいて上流社会とやらに顔を売るのも、仕事っちゃ、仕事のうちか」

「年四回? それ以外の日は、何してんだ?」

「そりゃもちろん、いわゆる一つの、毎日が定休日。仕立て屋に行って服を新調してみたり、田舎に遊びに行って狩りをしたり、川釣りをしたり。昼間からワイン飲んでうまいもん食ったり、芝居を見に行ったり。だらだらしてみたり……婚約者とイチャイチャしてみたり……な」

 言いながら、婚約者メルセデスの首の根本あたりを指でコチョコチョしようとして、拒否された。

「よく、それで偉そうに説教たれてくれたな」

「俺は、良いんだよ。俺は。だって、親が千回生まれ変わっても使いきれないぐらいの金貨めこんでるんだから。俺一人くらい、死ぬまで養うのなんてでもないからな。しかも系列の両替商やら金貸しが毎日毎日、いや毎時間毎時間、こうしてる間にもセッセと金を稼いでくれているからね。増える一方さ。このあいだ、親父が嘆いていたよ。『これ以上金を稼いだら、金貨を置く場所が無くなっちまう』てね。俺にとっちゃ、親父に無駄銭むだぜに使わせるのも親孝行のうちという訳」

「なぁんか、聞いているうちに無性に腹立ってきたな……」

 やがて、アラツグの下宿屋の玄関が見えてくる。

「じゃあな。今日のところはこれで。また来るわ。飢え死にする前に、ちゃんとした仕事探せよ」

 ローランドの馬車が見えなくって、一人下宿屋の前に立っていると、通りに降り注ぐ日差しがポカポカと暖かく、小鳥の鳴き声なんかも聞こえてきたりして、世の中の生き物すべてが春めいて活発になり出しているというのに、このまま何時いつまでも下宿部屋に籠って何もせずにいたら、自分だけが取り残されていくような気がして、焦った。

「明日こそ、組合ギルド行くぞ」

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