怪物、エルフの少年を喰らう。
1、怪物
六本の移動脚のうち二本を、十本の捕食脚のうち四本を失った。
怒りとも恐れともつかない感覚を抱えながら、その〈生き物〉は現実世界と冥界の境界面を移動していた。
境界面に潜って移動すると著しく体力を消耗する。
それは例えて言えば、陸上での歩行生活に進化適応した動物が、水中に潜って移動するようなものだった。可能ではあるが、ゆっくりとしか進めず、しかも
じっとして動かないでいられるのであれば、まだ多少はましだった。
しかし、それでは、あの「猿」どもから……二本の移動脚と四本の捕食脚を自分から奪った「毛の無い猿」から
それに、いずれは、この境界面から現実世界に戻らないと体力が持たない。
境界面に逃げ込む直前に探知音を発して得た感覚によると、ここは自分の生活圏である大森林の奥地ではなかった。
では、平野部に広がる草原なのかと言うと、そうでもなさそうだ。
不自然なまでに形と長さのそろった木(『毛の無い猿』どもが加工したのか?)を組み合わせた直方体が周囲に無数に存在している。
これに似た物体を〈生き物〉は知っていた。
毛の無い猿の巣だ。
尋常でない数だった。四方八方、探知できる範囲すべてが、猿どもの巣で覆われていた。
……つまり……
自分をここまで痛めつけた猿どもの同類が大量に生息している場所に、今、自分は身を隠しているという事だ。
……危険だ……
〈生き物〉は、あらためて自分の生命が危機的状況にあると理解した。
森には様々な種類の猿が生息していて個体数も多いが、あの「毛の無いタイプ」は、森ではどちらかというと希少種に属する。
どこまでも連なる四角い猿の巣……そして無数に感じられる「毛の無い猿」どもの生命反応……ここは自分の知っている森ではない。
では
ほんの半日前まで、自分は確かに森の中にいた。
* * *
その〈生き物〉は、広大な森の奥深くで猿を狩り、その脳髄を喰らって生きていた。
運よく「毛の無い猿」の脳味噌にありつける時もあった。
奴らは、森に何百種といる猿の中でも特別変わった種族だ。
木に登らず、地面の上を直立して二本足で歩く。
体毛は
外見と習性の奇妙さは森に住む動物の中でも飛びぬけていた。
〈生き物〉にとって飛びぬけている事がもう一つある。奴らの脳髄は他のどの動物よりも大きく、そして他のどの動物よりも
その一方で、奴らは危険な存在でもある。
毛の無い猿には実は二つの亜種がいた。耳の大きな猿と、耳の小さな猿だ。
……と、言っても、外見上の違いは僅かでしかない。
良く見なければ分からない程の違いしかないこの二つの亜種だが、能力においては決定的な差がある。
耳がやや大きい方の猿は「不思議な力」をその体内に宿していた。
棒の一振りで、
体から稲妻のような光を発して敵を殺す。
奴らを狩るときは、気づかれないように上手く忍び寄って、反撃の間を与えず
今朝、自分のテリトリーである森の中で、その毛の無い猿を一匹狩った。
それは、上手く行った。
だが、近くに仲間の猿がいた事に気づかなかった。
狩る者と狩られる者の立場が、一瞬で逆転した。
〈生き物〉は逃げようとした。
……そして、どういう訳か……気が付いたら……信じられないほどの数の「毛の無い猿」が
2、エリク
朝……アラツグたちが「デモンズ」という屋号の飯屋でダーク・エルフと出会う、わずか三時間ほど前の出来事だ。
その巨大な昆虫のような〈生き物〉は、深い森の奥の「狩場」でジッと獲物が来るのを待っていた。
現実に存在する森と冥界との境界面、その無限に薄い空間の
傘状に開いた口管の周囲の肉が、集音器官……つまり耳の役割を果たしていた。
木々に当たって返ってきた複雑な反射音を口の周りに広がる肉の振動で拾い、本能的にそれを分析して状況を把握する。
何回か音の探査を繰り返すうちに、最高の獲物の存在を感知した。
「毛の無い猿」だ。
奇妙なことに……〈生き物〉にとっては都合の良いことだが……脳が大きく、知性の高い動物ほど、逆に視力や聴力などの感覚は鈍かった。
その「毛の無い猿」も、低く低く発せられた〈生き物〉の探索音を感知できず、自分のすぐ背後に捕食者が迫っていることに、まるで気付いていない。
探索音で周囲の状況と獲物の位置を確認した後、〈生き物〉は、ゆっくりと見えない境界面を通って獲物の背後に回った。そこで現実空間と冥界の薄い
捕食者の体長は獲物の三倍以上、四レテム半から五レテム程もあった。
全身が紫色の硬い外骨格で覆われている。
胴体を構成する外殻は中央部の関節で前後二つの部分に分けられ、後半分から六本の大きな多関節の足が生えて体を支えていた。
前半分が、蛇が鎌首をもたげるように起き上がり、
頭部の周囲に円状に配された十本の長い捕食脚が、独立した十匹の奇怪な生物のように、ゆっくりと
目の前に立っているのは、若いオスの猿だった。まだ子供と言ってもいい。
毛の無い猿の中でも、耳の大きい方の種族だ。
つまり、不思議な力……魔法が使える。
だが、その特殊な能力を発揮していない今は、五感は他のどの種類の猿よりも鈍く、敏捷さにおいても最低の部類だ。
できるだけ音を立てず、
……捕食脚の射程距離まで、あと少し……
* * *
〈生き物〉に「毛が無く、耳の大きな子供のオス猿」と認識されたのは、エルフの少年だった。まだ十代前半だ。十三歳くらいか。
特別、何かの気配を感じたわけでは無かった。
ただ何げなく、ふと振り返った……それだけの事だ。
少年の大きな瞳に、鎌首をもたげピンク色の口をこちらに向けている巨大な何かの姿が映り込む。
〈生き物〉の口の周りでは、腕とも脚ともつかない多関節の器官がウジャウジャと
エルフの少年は、この〈生き物〉の姿形に見覚えがあった。
いつだったか、魔法の水晶玉に記録された映像で見たことがある。
「せ……
反対側を向いて全速力で逃げた。
いや、逃げようとした。
遅かった。
既に、エルフの少年と
無数の関節を持った外骨格の脚、それが十本、少年めがけて一斉に空間を走る。
十本のうち一部は、腕、足、胴体、首に巻きつき、残った捕食脚は、その鋭く尖った一本爪を背後から少年の
爪の先端から毒液が注入される。
「あが……あがが……あが……」
エルフの少年が白目を
体がビクビクと痙攣する。
出血は最小限に抑える。
心臓と肺への致命的な攻撃は
神経に直接、毒液を注入させるだけでは不十分だ。
わざと心肺を生かし、血流を利用して毒を全身に行き渡らせないといけない。
頃合いを見計らって、
すでに全身が麻痺して動けない少年の体を、十本の捕食脚を使って優しく丁寧に回転させ、手前に引き寄せながら自分の方へと顔を向けさせた。
エルフの少年は、相変わらず大きく口を開け、紫に変色した舌をダラリと垂らして白目を
捕食脚を使って少年の頭を
そして、
口先の触覚が左の頸動脈を
口の先端に並んだ細かいヤスリ状の歯を使って、「プツッ」と小さな穴をあけ、できるだけ出血しないように注意しながら管状の口を頸動脈の中に潜りこませる。
血流を使って、自分の唾液を少年の脳に送り込む。
成分には、他の体組織には影響を与えず神経細胞だけを溶解させる作用があった。
ゆっくりと、口管を頸動脈から引き抜く。
抜けた穴から血がどくどくと流れて地面に垂れたが、唾液の毒は既に脳全体に回っている。もはや生き死にに
……
脳細胞だ。
ブヨブヨとした管状の口が、顔にある三箇所の開口部(右目、左目、鼻の穴)からどろどろと
右目、左目、鼻の穴……再び右目に戻り、左目、鼻の穴……また右目、左目、鼻の穴……べろり……べろり……べろり……
やがて、
……じゅる……
……じゅるる、じゅるる、じゅるる……
粘っこい物を
鼻の穴から頭蓋骨に口管を刺し込んで、どろどろの半液状になった脳細胞を吸い取っているのだ。
ひとしきり溶けた脳髄の味を
ジョリ、ジョリ、ジョリ……という音が頭蓋骨の内側から聞こえる。
もはや、エルフの少年に意思は無い。
体を仰け反らせて呆けた顔を天に向けている。
喉から流れ落ちて大地に染み込んでいく、真っ赤な血。
見ようによっては、赤子を優しく抱いてキスをする母親の、グロテスクな模倣のようでもあった。
最後に、
ぷちゅっ!
はぜるような、それでいて湿った音をたてて、右の眼球が内側に向かって潰れた。
続いて、左眼の眼球液を吸い取る。
ぷちゅっ!
左の眼球も、右目と同じように中身を吸い取られて、しぼむ。
最後のデザート……甘じょっぱい眼球液を堪能した後、満足感を覚えながら
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