二話 闘技場の吸血鬼 その三十五 カランの勝利 そして再び……
それから約十分後、カランは係員に呼ばれた。
「カランさん、出番です。どうぞこちらへ」
カランは係員に付いていった。バトルフィールドへと続く通路に案内された。
「ここを真っ直ぐ行くと、試合場に出ます。あとは審判の指示に従ってください」
カランは頷いた。
薄暗い通路の床には血が点々と落ちていた。
カランは眉をしかめた。闘技祭《バトロン》は遊びじゃないことを再確認させられる。同時にいやが上にも心は引き締まる。
血の跡を辿るように、カランはバトルフィールドへと歩き出した。
薄暗い通路を抜けると、陽光燦々と降り注ぐ試合場だ。中央部、おそらく先程の戦いのものだろう、多量の血が地面にこびりつき、乾きつつあった。
カランの対面にいる対戦相手は大男だ。スキンヘッドの四十絡み、肩当て、胴巻き、すね当てをつけ、装具の隙間からよく鍛え上げられた筋肉が見える。手には大剣を携えている。
子供対大人の構図だった。会場はリィンの時のようにクールダウンしてしまった。子供と大人じゃ面白い勝負になりようがない、と観客たちはみたのだろう。
体格の良い暴れん坊というのはどこにでもいるパターンだ。この手合は体格頼りの力頼りの単純なのが多い。
が、目の前にいるのはそれとは一味違った。カランはひと目でそれに気付いた。
なかなかできるヤツだ。さっきリィンがやったのより格上だな。
カランはため息をついた。リィンの『神速剣』なら、たとえどんなのが相手でも一瞬にして決着がつくだろう。だが、カランにはリィンほどタイマンにおいて優れた特殊技能はない。
やれやれ、ちょっぴり本気出さないといけないな。
望んで出場した闘技祭じゃない。極力省エネでやりたかったが、そううまくはいかないのが人生だ。
カランは血溜まりに足で砂をかけた。足りないと思って今度は手で砂をかけた。
大男がカランを見てニヤッと笑った。
「血を見慣れてないらしいな。ため息をつきたくなる気持ちもわかるぜ。悪いことは言わねぇ、ここは子供の来るところじゃねぇ。さっさと降参しな。でないと、二度とかあちゃんのおっぱいが吸えなくなるぜ」
「ご忠告痛み入る。ではこちらからも一つ言わせてもらう。アンタ、子供に負けたら失職ものだよ。棄権するなら今だ。今なら体調不良って言い訳もできる」
大男の頭に交差点のような青筋が浮いた。
「てめぇ、誰に言ってんだ!?」
「アンタしかいないだろう。耳も遠いんじゃ、お話にならないね」
「クソガキめ、こりゃ躾が要るな」
「気をつけたほうがいい、世の中野良犬に噛まれて命を落とすことだってある」
ここで審判が止めた。舌戦はもう充分だった。冷えていた会場も、二人のやり取りを見て盛り上がりだした。大人が生意気なガキに社会の厳しさを教えるもよし、子供がジャイアントキリングを達成すればなおよし、ということだろう。
観客の熱狂的な歓声の中、審判が最後の説明を行う。子供と大人は肯くと、互いに所定の位置へと下がった。カランは二振りの短剣を、大男は大剣を抜き払った。
審判がラッパを口に咥え、
プァーーーーーーーーーーーーーー!!!
試合開始。
直後、カランは右手の短剣を取り落した。
それを見た大男は絶好の機会とカランへ突撃する。
自慢の腕力で自慢の大剣を振り上げようとした時、
大男の左目に激痛が走り、一瞬にして左目の視界が失われた。
そしてその瞬間、目の前にいたはずのカランが消えていた。同時に、大男の股間に強烈な痛みが走った。
思わず悶絶。失神寸前で倒れ込む大男の首筋にカランの腕が巻き付く。頸動脈をキュッと締め上げると、大男の意識は闇の中へと落ちていった。
「勝負ありッ! 勝者カラン・サルアル!」
カランはわざと落とした短剣を拾い、鞘に納めると足早に試合場を去った。倒した大男には見向きもしなかった。
無様に倒れ伏す大男のすぐ傍に『歯』が落ちていた。これは前の試合の選手が落としたものか、それ以前のものだろう。血溜まりの中にそれを見つけたカランは、血溜まりを砂で埋めるふりをしながら、歯を回収しておいた。
右手に歯を隠し持っていたカランは、右手の短剣を落として大男を誘い、隠しもていた歯を指で弾いて大男の目を狙撃したのだった。
失われた視界の死角に素早く身を潜り込ませたカランは、大男の背後から股間の急所を蹴り上げた。というわけだった。
カランが本気を出す、というのはこういうことだった。彼はいかなるときでも手段を問わず、危険を冒さず、最善を尽くす。彼は生存術のエキスパートなのだ。
カランが試合場から控室へと続く通路へ差し掛かった瞬間、突然、歓声が上がった。
いや、それは歓声というより悲鳴だった。カランが振り向くと、試合場に何かがいた。
倒れた大男の傍に何かが這い寄っていた。
あれは……!!!
カランはそれに見覚えがあった。忘れたくても忘れられるものじゃなかった。それは、あの古書店で遭遇した、あのときの巨体の化け物だった。
化け物は歯をむくと、倒れている大男の首筋に突然噛み付いた。大男の血色が青白くなってゆく。
そう、化け物は大男の血を吸っていた。
神剣の遣い手 摂津守 @settsunokami
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