二話 闘技場の吸血鬼 その三十四 秒殺

 闘技場のバトルフィールドに二人の闘士と一人の審判が姿を現すと観客席から歓声が沸き起こった。

 しかし、闘士の一人が女であることがわかると歓声にはどよめきが混じった。


 「おいおい、アレ女じゃねぇか」

 「あの女、殺されちまうぞ」

 「デカくていかにも強そうな女ならまだしも、そこらへんにいる小娘じゃなぁ」

 「無茶しやがって、殺されてもしらねぇぞ」


 観客席から聞こえてくるリィンの評価は散々だった。

 対戦相手がゴリゴリの巨漢ということもあっただろう。手にはドデカい戦斧を左右の手に一本ずつ持ち怪力を存分にアピールしている。


 (なるほど、弱くはないだろう)


 カランは観客席からリィンとその対戦相手を見ていた。主に対戦相手の方をじっくりと観察した。

 巨漢の防具は木製と思われる胴巻きとすね当てのみ。山賊じみたスタイルで、機動性を重視しているのがわかる。


 (だが、強くもないな)


 これはカランの勘だ。強者には強者の雰囲気がある。それは所作や言動に現れるものだが、カランの目からみて、巨漢からはそれが一切感じられなかった。

 カランは心配そうに視線をリィンへと移した。もちろん、リィンの身をあんじてのことではない。

 隣のミンスクがカランの手を掴んだ。カランはミンスクを見た。不安そうな目で、カランを見ている。


 「大丈夫かな……?」

 「リィンのことか? リィンなら大丈夫だ。だけど、君は目をつむってたほうがいいかもしれないな」

 「それってどういうこと?」

 「すぐにわかるさ」


 バトルフィールド中央に陣取った審判がリィンと巨漢を招き寄せ、手短にルールの最終確認を行う。二人は即肯首。互いに定位置まで下がり、リィンは得物を抜いた。観客が更に湧く。審判がラッパを口に咥えると、観客は一旦静まり返った。


 プァーーーーーーーーーーーーーー!!!


 ラッパが鳴った。それが開始の合図だった。

 勝負は誰もが予想したとおり一瞬で決した。だが、結末まで予想できたのはほとんどいなかった。


 ラッパの音の直後、観客と審判が目にしたのは想像を絶する光景だった。

 リィンの剣が巨漢の喉笛に突きつけられていた。

 巨漢は戦斧を両手に高々とかかげたまま、微動だにできずにいた。


 これがリィンの『神速剣』。目にも留まらぬ超速攻の剣技。


 観客のほとんどが、目の前で起きたことを理解できず、闘技場は静まり返ってしまった。剣を突きつけられた当の本人でさえも、何が起こったのかわかっていなかった。彼が理解したのは自分が即敗北したことだけだ。

 いや、正確に理解していたのはカランだけだった。そのカランでさえ、『神速剣』を目で捉えたわけではなかった。カランが理解できたのは『神速剣』を予め知っていたからにすぎない。


 (相変わらず恐ろしい剣だ)


 カランは息をのんだ。同時にホッとしてもいた。基本的には容赦のないリィンだが、今回は相手の生命を奪うどころか、傷一つつけなかったのだから。

 いや、少々傷つけていた。剣の切っ先は巨漢の喉元の皮膚をわずかに斬り、血の雫が一つ、ツーと流れ出した。


 「ま、まいった……」


 巨漢は降参した。その身体に似つかわしくないか細い声だった。


 「しょ、勝負あり! 勝者リィン・アットレイル!」


 まるで時が止まってしまったかのような静寂は、審判の宣言と共に破られた。直後、熱狂が観客席に沸き起こった。地鳴りのような歓声が闘技場を包み、まるで地震のように闘技場を揺らした。本日最高潮の熱狂だった。

 あまりにも理解を超越した圧倒的な強さに、観客は沸かずにいられない。目にも留まらぬ速攻の剣は彼らを魅了してやまない。

 まるでアイドルのライブ会場のような『リィンコール』を一身に浴びながらも、リィンはすまし顔で剣を拭い鞘に納めると、さっと踵を返してバトルフィールドを後にした。

 バトルフィールドから控室に至る通路でカランとミンスクはリィンを出迎えた。


 「すごいすごい! どうしてあんなに強いの!?」


 リィンが通路を歩いてくると、興奮冷めやらぬミンスクは顔を赤くして彼女の元へと駆け寄った。


 「そう? ありがとう」


 リィンはミンスクの頭を撫でた。

 ふと、リィンはカランと目が合った。カランの表情は固かった。カランもまた、先程の『神速剣』の絶技の余韻が冷めていなかった。


 「無事で何よりだ」


 カランは抑揚なく言った。


 「あら、心配してくれてたの?」

 「まぁね」


 むろん、カランが心配したのはリィンの対戦相手の命だ。


 「ありがとう。でも、私は誰にも負けないわ」

 「だろうね」


 一対一の闘技場でリィンが負けるなんてカランにも想像できなかった。


 「それより次はあなたの番よ。私の心配より、自分の心配をしたほうがいいわ」


 リィンが意地悪げに笑った。こういう茶目っ気はリィンにしては珍しい。もちろん、これは心配の裏返しだ。


 「大丈夫、僕は君と違って無理はしないさ。じゃ、僕はこのまま控室にいるから」

 「そうね、私たちは観客席で応援してるわ」


 観客席へと向かう二人の背をカランは見送った。リィンの背に、戦いの後の疲れや余韻、高揚感、何かしらの特別な感情の発露等々は何一つ見て取れなかった。きっとリィンにとって先程の戦いはお遊びか、もしくは準備運動のようなものだったのだろう。


 (まったく凄い女性ひとだ)


 窮鼠猫を噛むとは言うが、さすがに相手が獅子ではどうしようもない。鼠と獅子では命のやり取りにはにはならず、ただの狩りにしかならない。


 (僕は獅子にはなれないなぁ……)


 カランは一人苦笑を漏らすと、苦笑に口元を歪めたまま控室へと歩いていった。

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