二話 闘技場の吸血鬼 その三十三 いざ、闘技祭
まともな会話もないまま日は暮れ、日が昇り、闘技祭初戦の日がやってきた。
起床後、早々に準備を済ませたカランは、部屋を出て、隣のリィンの部屋をノックした。中から返事があった。
「誰?」
間違いなくリィンの声だった。
「僕だ」
「ああ、カランね。ちょっと待って、すぐ出るから」
「わかった」
女性の支度は長い、というのが、カランの持論だったので、彼はしゃがみ込み、リィンの部屋の壁に背をもたせかけた。が、彼の持論はリィンには当てはまらなかった。リィンは五分と経たずに部屋を出てきた。カランに急かされたからといって、身支度が疎かにはならない。いつも通りの、飾り気はないが美しい出で立ちだ。
「早かったね」
「いつも通りよ。さ、行きましょう」
二人は宿を出て、まずはミンスクを迎えに行った。二人としては正直なところ、ミンスクに闘技祭を観て欲しくなかった。『子供が見るには野蛮で下品』、というのが二人の共通見解だった。しかし、この街では闘技祭が老若男女に人気のある、年一度のお祭り騒ぎで、むしろこの街に住んでいて、闘技祭を見に行かないのは異常、とまで地元民のミンスクに言われれば、余所者の二人には返す言葉もない。ところによって常識や風習は違うし、それは尊重されなければならない。
ミンスクも行くと決まれば、子供一人で
ミンスクと合流した後は、馬車停にて馬車を拾い、闘技場へと向かった。
馬車の中でカランは終始無言だった。リィンとミンスクの他愛もない会話が、まるで聞こえていないかのように、彼は窓の外へと視線を投げていた。
その目は、特に何かを捉えているわけではなかった。むしろ何も見ていなかった。頭の中は、恐らく後数時間以内に行われるだろう戦いのことでいっぱいだった。
戦いについては、ほとんど不安はなかった。カランは己の戦闘技術に自信を持っている。それに、もし相手の方が強いとわかったら、ミンスクには悪いが、すぐに降参しようと思っている。こんなことで死ぬ気はさらさらない。
問題はカラン自身のことではなく、リィンだった。
リィンは強い。カランもそれを認めている。特に、闘技場のような開けた場所でリィンと戦う場合、カラン自身の実力では相手にならない、カランはそう理解している。
カランが気になっているのは、リィンの実力ではなく、戦い方の方だった。リィンは負けない。神速剣に太刀打ち出来る者がそう多くいるとは思えない。問題は勝ち方だ。カランの知る限り、リィンの剣、技、性格は、あまりにも斬れ味鋭過ぎる。剣は鋭利、技は華麗、性格は苛烈。剣、技はともかく、その性格が問題だ。
リィンは容赦がない。悪人と見れば容赦なく命を奪うほど苛烈な性格だ。リィンは初め、闘技場で戦う仕事を『騎士に相応しくない』と言っていた。騎士に相応しくない仕事、イコール賤業と見なしていた場合、対戦相手を――それが悪人でなくとも――容赦なく殺してしまうのではないか?
その発想は飛躍しすぎているのではないか、ともカランは思う。それに苛烈な性格とはいえ、リィンには心優しいところもある。ミンスクのために、
しかし、カランの中で、後者は前者を否定するには至らない。闘技場で目にするのは、苛烈なリィンか、それとも心優しいリィンか? 現時点で、その判断はつきかねた。
そこまで、闘技祭でのリィンの振る舞いが気になってしょうがないカランだが、そのことをリィンに直接問うことは出来なかった。手心を加えろ、とは絶対に言えない。手加減は場合によっては油断となり、それが致命的になることだってあり得る。そんなことは断じて言うべきではない。
そんなカランをよそに、リィンとミンスクは会話を楽しんでいる。歳は違えど女同士、ということもあってか盛り上がり、馬車の中は黄色い声で包まれていた。
そんな声も、今のカランには全く届かなかった。
やがて馬車は闘技場に辿り着いた。三人は受付に向かった。
昨日とは別人の受付嬢が、昨日とそっくりの笑顔で応対した。受付嬢に登録証の提示を求められ、リィンとカランは求められる通りにした。
受付嬢は登録証を見ながら、別の用紙に何やら書き付けた。その作業は一分とかからずに完了した。登録証はすぐに返却され、受付嬢は二人に、選手控室に行くように言われた。
そこで二人は、一旦ミンスクと別れなければならなかった。選手控室への通用門は、関係者以外立ち入り禁止だった。
人も多く、広い闘技場(ケサン・ワント)で小さい女の子を一人にすることに不安を覚えたのだが、当の本人は、二人の不安などどこ吹く風と、けろりとしている。
ミンスク曰く、闘技祭の期間中は警備の兵が多く、リィンとカランが想像するような危険はほとんど無いらしい。
確かに、周囲のそこかしこに兵がいた。受付にも、各門の傍にも、そこいらを巡回するのもいる。どれも軽装の二人組で、長い仗を持ち、腰に剣を下げている。
なるほど、それなら安心できなくもないか。と、二人は一応納得した。一抹の不安は残るものの、地元民であるミンスクがそう言うのなら、それを信じるべきだろう。
ミンスクは跳ぶような、躍るような、ウキウキとした足取りで観覧席へ続く門へと消えていった。どうやら闘技祭観戦が楽しみで仕方ない様子だ。
闘技祭なんて野蛮なものに、小さい女の子が心躍らせている様子を見て、リィンとカランの二人は目を見合わせて苦笑した。
カランはハッとなった。久々に目と目があった。整った顔立ち、真っ直ぐ見つめてくる透き通った瞳に、カランは胸と顔を熱くした。今まで経験したことのない感情が、小さくではあるが、胸の内で渦巻いていた。その感情の正体を、まだ彼は知らない。それを知るには、彼はまだ少し幼かった。
「どうしたの? 顔が赤いわ」
リィンが心配そうにカランの頬に手を触れた。
「少し熱いわね。熱があるんじゃない?」
カランは自分で自分の頬に触れてみた。確かに少し熱を持っていた。だけで辛さはなかった。熱を帯びているのは病気のせいじゃない。
「そうかな? なんともないんだけど」
半分嘘で、半分本当。顔に熱さは感じていたが、闘技祭には支障ない。
「無理はダメよ。特に戦いにおいては」
「ああ、わかってる」
二人は選手控室に向かった。カランの胸の内ではまだ、モヤモヤしたものが残っていた。
「選手の方ですね?」
選手控室へと向かう通用門の傍にいた係員に呼び止められた。係員は二人組で、いずれも小柄な女性だったが腰に帯剣している。警備の役割も兼ねているのだろう。
「登録証の提示を」
二人は登録証を見せた。
「お二方の控室は『イ番』になります。案内板に沿って進みください」
壁や、天井から吊り下げられた案内板に従って、二人は選手控室を目指した。五分と経たず、『イ番』控室に辿り着いた。控室入り口には扉がなかった。出入り口には二人の兵士が付いていた。リィンとカランの二人は兵士の間をすり抜け、中に入った。
控室は広い。三十人は余裕で入る。多少無理をすれば五十人くらいは入るかも知れない。奥には格子門があり、二人の兵士が格子門に付いていた。この格子門の先が、闘技祭の舞台だ。
既に先客が十人ほどいて、どいつもこいつも体力と腕っ節自慢の荒らくれ野郎共だ。女性は、リィンを除いて一人もいない。カランのような少年もいない。リィンとカランの二人は、かなり浮いていた。
カランは、こういう連中に慣れていた。長く旅をすれば、それこそ旅をすればするほど、こういうごろつき地味た連中をよく目にする。そして、そういう連中は大抵見掛け通りだった。連中の共通項は、気が短く、手が早く、暴力的で、知的さは皆無。ともすれば犯罪者。
隣のリィンも、全く同じ感想を持った。いや、それより一段苛烈だ。彼女の目から見て、ここにいる連中はカランを除いて、どいつもこいつも犯罪者にしか見えなかった。それは全くの根拠なき偏見だった。だが、彼女の勘が――長年培ってきた、治安を守る騎士としての勘が――そう告げていた。そしてそれは、あながち間違いでもなかった。
リィンの顔が険しくなった。その表情はここでは珍しくもない。連中も皆同じように険しく、殺気を放ち、空気はピリピリと張り詰めていた。ガンを飛ばし合うのもいて、一見場違いに見えるリィンとカランの二人には、殺気を孕んだ視線が、特別多く投げかけられた。
一触即発の緊張感が満ちていたが、それ以上のことが起こらないのは、控室にも二人の兵士がおり、控室の外にも、また二人の兵士がいるからだろう。計四人の兵士のおかげで、控室は一応の平和を保っていた。
強そうなヤツはいない、というのが、ざっと部屋を見回したカランの結論だった。ここにいる連中はどれも皆、自分とリィンの敵じゃない。そう思い、彼は内心ホッとした。危険は少なく、その上、いくらかは稼げそうだった。それも、割と楽に。
ホッとしつつ、同時にカランは自分を戒めることを忘れなかった。いくら強そうなヤツがいないとはいえ、ある程度の緊張感は持たなければならない。緩みは油断に繋がり、油断は死を招く。
リィンとカランの二人は、何列にも並んだ、背もたれのない木製のベンチの一脚に腰掛けた。
リィンは目を瞑り、腕を組み、試合前の戦士として相応しい精神の集中っぷりだった。
カランの目から見て、それは少し行き過ぎていた。この中に、リィンと対等に戦えるヤツはいないと、カランは見ている。だから、リィンはもう少しリラックスすべきだった。緊張は、張り詰めれば張り詰めるほど疲れるし、精神は、集中すればするほど視野が狭まる。勝利という目的に一途になり過ぎるあまり、やり過ぎることもある。リィンは元より、苛烈な傾向があるから、カランはそこが心配だ。
部屋奥の格子門の向こう側から、二人の兵士がやってきた。一人が格子門越しに名前を呼んだ。控室にいた男の一人が立ち上がり、格子門へと向かった。格子門が兵士によって開けられ、男は門の向こう側へと消えていった。代わりを補充するように、新たな男が控室へとやってくる。控室ではこれが繰り返し行われた。
無傷で再び控室に戻ってくる者もいた。だが、大半はそうではなかった。闘技祭で負傷し、医務室送りになったのか、もしくは、二度と起きることのない永い眠りについたのか……。
その事実が、二人をより緊張させた。闘技祭が危険なものである以上、どうしようもないことだった。
また兵士が格子門の向こうからやってきて言った。
「リィン・アットレイル!」
控室の全ての視線がリィンへと集まる。控室に女性は一人。必然、それはリィンの名だ。
リィンは立ち上がった。
立ち上がったリィンに、カランは一言だけ声をかけた。
「気をつけて」
リィンはコクリと頷いた。
格子門へと歩き、そして格子門の向こう側へと消えてゆくリィンの背を、カランは祈りを込めて見送った。
半分はリィンの無事を祈り、もう半分は、今からリィンに倒される、不幸な対戦相手の無事を祈った。せめて死ぬな、と。
カランは対戦相手に同情を禁じえなかった。
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