第3章/School Information

3-1

 秋口には受験を控えた三年生が机という机を占拠することになる放課後の図書室も、六月中旬の今はまだ、一部の物好きを除けば訪れる者はほとんどいないようだった。


「あれ? 五十海ゼミナールってどこにあるんだっけ」


「高架脇に古いデパートがあるだろ? その向かいだよ」


 敷島と同盟を結んでから三日後の今日、あたしたちは図書室の一角で五十海市周辺の地図を広げて、情報収集の成果について確認し合っていた。


「あ、ここね。オーケ、これで全部だ」


 あたしが地図にぺたりとシールを貼り付けると、敷島はあたしの調査ノートから視線を半分だけ外して「順に確認していくぞ」と言った。


「第一の事件が起きたのは昨年の十二月。駿河産業大学付属高校するがさんぎょうだいがくふぞくこうこうの男子生徒が通っていた進学塾のベランダから転落して死亡している。第二の事件が起きたのはあくる年の二月。明星学園みょうじょうがくえんの女生徒が、藤見台ふじみだいの展望台から転落、死亡。さらに三月には五十海商業高校いかるみしょうぎょうこうこうの男子生徒が、火薙市ひなぎしの天文台から転落。年度が改まって四月にも、五十海南女子高校いかるみみなみじょしこうこうの生徒がショッピングセンターから転落して死亡する事件が発生している」


 そこまで淡々とあたしの調査ノートを拾い読みしていた敷島だが、さすがに五つ目の事件については無心でいられないのだろう。『六月に五十海東高の生徒が自宅マンションから転落して死亡した事件』については一言も言及することなく、「七ヶ月で五人か。多いな」とだけ呟いたのだった。


「そうだね」


 ひとまずはうなずくあたし。五十海市の人口はおよそ十五万人。高校も両手の指で数える程しかないのだ。


「ただし、全ての事件にジャンピング・ジャックが関わっているかどうかはわからないよ」


 あたしがリストアップしたのはあくまでここ一年の間に近隣の高校生が転落死した事件についてだ。ジャンピング・ジャックとは関係のない事故や自殺が含まれている可能性は十二分にあると思う。


「意外に慎重だな」


「トーゼン。噂は色々あるみたいだけど、後付で火のないところに煙を立てようとするバカはどこにでもいる。うかつに信じるわけにはいかないでしょ」


 もっともジャンピング・ジャックが泉田の事件よりも前に起きた四つの事件のいずれとも無関係だとは考えにくい。七か月前まで同種の事件は一件たりとも発生していないのだ。それが昨年の十一月から立て続けに五件。何か強い意志がはたらいた結果だと考えるのが自然だろう。


「……確かめてみる必要があるな」


「そゆこと。で、そっちの交渉はどうなったの?」


 あたしが『転落死した高校生のリスト』を作っていた間、敷島は敷島で調査の準備を進めていた。そのうちの一つが、四人目の死者――つまり、今年の四月にショッピングセンターから転落した五十海南女子高の生徒と親しかった人物から話を聞く機会をセッティングするというものだった。


「次の日曜日に会う約束を取り付けた」


「へー、やるじゃん。どんな人なの?」


「亡くなった女子のクラスメイトだよ。小学校以来の友人だと聞いているが」


「が?」


「例のメールの噂、出所はどうもそいつらしい」


 敷島は故人の秘密を軽々しく話すようなに引っかかりを感じているようだがあたしは気にならなかった。そもそもあたしたちはそいつと仲良くしたいわけじゃないんだし。


「朝十時にショッピングセンターの一階にあるカフェで落ち合うことになっているから、川原も来てくれ」


「カントリーローグだね。りょーかい」


「遅れるなよ」


 何だったら二時間前から待っても良いんですけど? 敷島に聞こえないように小声でそう呟いてから、ふと思いついたことがあった。物は試しだ、聞いてみよう。


「敷島さ、ついでと言っちゃあなんだけど、他の事件についても、亡くなった高校生と関係の深かった人と会う段取りをつけらんないかな?」


「簡単に言ってくれるな。だがまぁ、川原から頼むより俺から頼んだ方が、立場が近い分同意は得られやすいか。って、何だよその顔は」


「別に」


 敷島がさりげなく引いた境界線に、案外本気で凹んでいたのかも知れない。もちろん敷島が事件の当事者であって、わたしが単なる目撃者に過ぎないというのは覆しようのない事実であって、あたしにできることはせいぜいそっぽを向いて黙り込むことだけなのだけど。


「明星学園は……そうだな、サッカー部時代の友人がいるからそいつ経由で探りを入れてみよう。五十海商工もそれでいける。産大付属にサッカー部はないんだが……まぁ、知り合いはいなくもない。何とかしてみよう」


 沈黙するあたしをよそに、実に建設的な発言をする敷島。あたしはそれが無性に腹立たしくて「さすがサッカー部はもてますな」と呟いてしまう。


「元サッカー部だ。それに今あげたのは全員男だっての」


 もてるという部分を否定しないところがまたうざい。だがまぁいつまでも不機嫌そうにしていてヒス女だと思われるのはもっと癪に障る。だからあたしはもう一度敷島の方に視線を向けると、せいぜい軽い調子で「はいはい。ともかくそっちの段取りは任せるから。よろしくね」と言うことにした。


 それから敷島があたしの調査ノートを書き写すことに集中しだしたため、あたしにとっては手持ち無沙汰な時間がしばらく続いた。


 暇つぶしにと、あたしは机上の地図を漠然とした気分で眺めた。


 五人の生徒は全員が市内の高校に通っていたが、事件の発生箇所は五十海市全域に留まらず、お隣の火薙市にまで及んでいる。どこか一点に集中しているわけでもなければ、均一に散らばっているわけでもない。


 三流ミステリなら、五つの点を結んでできる図形に心理学的な意味や犯罪学的な意味、はては魔術的な意味まで見いだす場面なのだろうけれど、残念ながらあたしの死滅した脳細胞は何らの発見ももたらしてはくれなかった。


「敷島」


 あたしはもう少し別の角度から考えてみようと思い、パートナーの名を呼んだ。


「ん?」


 敷島はシャーペンを動かす手を止めずに聞き返してくる。


「死んだ生徒たちの中に、泉田君とつきあいのあった人はいない?」


「……俺の知る限りではいないな」


「じゃあ、プロフィールを見ていて、何か気がついたこととかある? つまり、共通点があるかどうかってことなんだけど」


「ミッシングリンクってやつか?」


 意外な単語が飛び出した。


「へぇ、敷島もミステリーを読むんだ」


「いや。たまに日曜日にやってるアニメを観るくらいだ。ほら、サッカーが得意なチビが探偵役の」


「ああ、あれね」


 ま、冷静に考えてみれば、プロフィールを見てわかる程度の共通点を隠された関係性ミッシングリンクとは言わない。単にアニメで聞きかじった単語を口にしただけのことだろう。あたしは軽い失望を感じつつ、机の端を人差し指で軽く弾いた。


「で、どう思う?」


「どう思うと言われても、性別、高校、学年、全部バラバラだろう? 秀彦がいる時点で出身中学が一緒ってこともありえないし、五人とも高校生だということぐらいしか思いつかないな」


 ですよねー。


 あたしはお手上げとばかりに両手を首の後ろに回すと、小さくため息を吐いた。


 さっきあたしは全ての事件にジャンピング・ジャックが関わっているかどうかはわからないと言ったけれど、一方であたしの軽率な脳細胞は、仮定法に基づく推理を止めようとしない。


 ――もし全ての事件、全ての死に、ジャンピング・ジャックが関わっていたなら。


 死者たちはどういういきさつでジャンピング・ジャックのゲームの参加者となったのか。ジャンピング・ジャックが選んだのか。それとも死者たち自身がそれを望んだのか。ゲームに参加する条件は、死者たちの共通点は何なのか――。


 しかしあたしの脳みそは、ただただクエスチョンマークを大気中に散らばらせるだけで、それらの問いに対し何らの光明も見いだしてはくれないのだ。


「今のところはな」


 敷島が随分間を置いて、ぼそりと言った。


「え?」


「あくまでこのノートに書いてある情報だけじゃあ共通点が見えないというだけのことだ。これから調べていって見つかることもある」


 おうおう言うねえ。


「そうなれば良いんだけど」


 あたしはちょっとだけ敷島のことを見直しつつ、殊更気のない口調で応じた。


「そうなる。俺たちがそうする」


 基本陰気なくせに妙にポジティブなところもあるあたしのパートナーは、きっぱり言い切ると、ノートを閉じてこちらに差し出した。


「サンキュー。しかし短期間でよくまぁこれだけの情報を集めたもんだな」


「あーまぁ、女の情報網ってやつです」


 ノートをバッグにしまいながら苦笑いを浮かべるあたし。実はちょっと焦っている。

 女の情報網などと大層なことを言ってはいるが、あたしのそれは『女の』と修飾語をつけるのもおこがましく、『網』と表現するにはあまりにピンポイントな代物だ。


 山辺清乃。


 あの娘はあれで妙に人徳があって、色々なところにコネクションを持っている。加えて、人から頼まれると嫌とは言えない性格。いつもいつも世話になりっぱなしですまないと思いつつ、あたしが彼女に助けを求めたのは半ば必然だった。


 さて、その清乃があたしの一応は遠慮がちな求めに対しどう応えたかと言うと、正直あまり思い出したくはない。


「なになになに鮎と敷島君、付き合ってるの? え、違う? じゃあ鮎の片思い? 親友の死に打ちひしがれた男子を慰めるシチュ! いけるいける! 絶対大丈夫! 違う? 違うじゃないよ! なに挑戦する前から諦めてるんだよ! 鮎が諦めたら誰が敷島君と付き合うって言うんだよ! 鮎はしゃべらなければ美人だし、ごふっ……あと……な……殴らなければ可愛いし……大丈夫。敷島君、結構人気あるけどあたしは鮎の味方だから!」


 かくしてあたしは大いなる誤解と引き替えに、短期間で事件に関する情報を集めることができたのだ。ありがとう、そして恨むぞ、我が友よ。


「じゃあ、川原には引き続き個々の事件の情報収集を頼めるか?」


 あたしの心の内を知るよしもない敷島は、机の上の地図を注意深く見つめながら尋ねた。


「うん。あたしもそのつもりでいる」


「助かる。俺も時間があったら、新聞の地方版を当たってみよう。ひょっとしたら事件についての記事が載っているかも知れない」


 相変わらず地図から目を離さずに淡々と話す敷島の横顔を見つめながら、あたしは少しだけいらないことを考える。


 異性に媚びるところがないと言うよりも無愛想と評すべき態度。


 卓越したとまでは言えないもののまぁまぁ冷静に状況を分析できる頭脳。


 何よりも自分の認識が甘いとわかれば即座にそれを改める柔軟さを持ち合わせている。


 敷島は友人としては付き合いがたく、恋人としては論外な男だ。


 でも、共に協力して困難にあたる仲間としてならば。この街で起きている事件の真相を知るパートナーとしてならば、そう悪くはない。あたしは案外本気でそう思い始めている。


 ――期待してるよ、少年探偵。


 さっきの会話が呼び水になったのか、あたしは心の内で敷島に向かってそう呟くと、自身の貧しいボキャブラリーに苦笑いを浮かべた。

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