2-3
「なんで川原がそれを知ってるんだ!」
反応は迅速だった。敷島は階下へと向かいつつあった体をこちらに向けると、荒々しい足音を立てて近づいて来た
「ひょっとして、見たのか?! あいつの携帯電話を!」
まるで犯人を糾弾するかのような敷島の剣幕に、あたしは思わず後ずさってしまう。
「あぁ……すまない」
フェンスを背にして中腰になりかけたあたしを見て、敷島はようやく我に返った。
「乱暴するつもりはなかったんだ」
「……デコピンじゃなくてグーで殴っとくべきだったかもね」
あたしはあたしで咄嗟のこととは言え、びびってしゃがみこもうとした自分に腹が立っていたので、今ひとつ精細を欠く答になっていた。あーくそ。こいつの相手してると何か調子が狂うんだよな。
あたしが立ち上がってからも、しばらくの間気まずい気分で黙り込んでいた二人だったが、先に根を上げたのはあたしの方だった。
「……あたしの取り調べを担当した婦警さんに聞かれたんだよ。『ジャンピング・ジャックって聞いたことある? 中高生の間ではやってるとか、そんな話を耳に挟んだことはない?』って」
「警察が? 川原に?」
敷島の短い問いにうなずくと、あたしは完結に婦警とのやり取りについて説明した。
「ま、人に話すなという約束はたった今反故にしちゃったけどね」
「そうか。警察もジャンピング・ジャックのことは案外本気で調べてるんだな」
ぶつぶつと呟きながら、物思いにふけり始める敷島。待て待て。あたしを置いてけぼりにするんじゃない。
「それで敷島は? なんでジャンピング・ジャックのことを知ってるのさ」
「説明するよりこいつを見てもらった方が早いな」
敷島はしばらくの間話すべきか否か逡巡した後に、黒い折りたたみ式の携帯電話――どうやら時代に取り残されているのはあたしだけではないらしい――を取り出した。
件名:ジャンピング・ジャック
宛先:welcometojumpingjackgame@ooxx.com
日付:6月6日7時2分
私は君たちの挑戦を歓迎する。
最後にもう一度だけゲームのルールを確認しよう。
『条件』を満たす『塔』へと登り、
空への『ゲート』で時を待て。
全ての準備が整ったなら『ゲート』を越えて飛べ、
もちろん『通信機』は持ったまま。
君たちの敵は世界。
君たちの勝利条件は生還。
そして、得られる対価は望むもの全てだ。
カフカは言う。
「君と世界の戦いでは、世界に支援せよ」と。
けれどあえてこそ言おう。
世界との戦いに勝利せよ。そして栄光をその手に。
健闘を祈る。
ジャンピング・ジャック
「何なの……これ?」
携帯電話のディスプレイに表示された不気味な文面を何度も見返しながら、あたしはぼんやりした声で呟く。『塔』とか『ゲート』とか、言いたいことはわかるけど。わかるけどさ!
「秀彦の携帯電話に残されていたメールだ」
「六月六日の七時二分って……泉田君がマンションから転落する直前じゃない! なんで敷島がこんなものを」
「秀彦のお袋さんから教えてもらったんだよ」
敷島の説明によれば、マンションから転落した時、泉田はポケットに携帯電話を突っ込んでいたらしい。泉田が頭から地面に転落したせいか、携帯電話はほぼ無傷で回収され、捜査員たちの視線に晒されることとなったそうな。まったく、他人事ながらひどい拷問だ。
「もっとも警察はそのメールにあまり関心を持っていない風だったと聞いている。一応のことお袋さんに心当たりがないか尋ねるくらいはしたそうだが」
本当にそうなのだろうか? あたしは婦警からジャンピング・ジャックについて尋ねられたときのことを思い出す。終始穏やかな表情を見せていた婦警だが、あの時のあの目は笑っていなかった。
「警察が何を考えているのかはわからないが、お袋さんは、そのメールがきっと秀彦の転落死と何か関係があるに違いないと思って、ずっと気になっていたそうだ。秀彦の葬儀の後で、わざわざ時間を割いて俺に事情を話してくれたのも、だからだろう」
「なるほどね」
あたしは大きく息を吐き出してから、敷島に携帯電話を返した。
「それで、敷島も泉田君のお母さんと同じ考えなの?」
「信じたくはないさ。秀彦がこんなくだらんメールにつられて窓から飛び降りただなんて。だが、秀彦がああいうことになったのとほぼ同じタイミングであいつの携帯電話にこのメールが届いてたことは紛れもない事実だ。それに」
「それに、何?」
「サッカー部の一年生から嫌な噂を聞いた。近隣の高校でも、秀彦と同じように、妙なメールを受信した後で転落死した生徒がいるらしいんだ。それも、一人や二人ではないらしい。ほら、四月に駅前のショッピングセンターから
敷島の言葉に、あたしは思わず背筋を震わせる。
「やめてよ……あたしそういう話、苦手なんだから」
「話じゃない!」
「え?」
「秀彦が死んだのは、話じゃない。現実のことなんだ」
最早悔しさを隠すこともなく、敷島は拳を握りしめて言った。それでわかった。敷島が本気で泉田の死の真相を探るつもりでいることを。そして、敷島のYシャツのボタンが無くなっている理由を。
「行かなくて、良いの?」
あたしは顔だけをフェンスの方へ向けて、グラウンドを見下ろした。五十人近くのサッカー部員が、いくつものグループにわかれて目まぐるしいスピードでパス練習をしている。
それは東高ではごくごくありふれた風景のはずだった。だけどそのありふれた風景からは、何か決定的なものが抜け落ちていた。
「もう俺は部員じゃない」
敷島はあさっての方を見て言った。強い意志の感じられる、それでいてひどく寂しげな肩のライン。それがあたしの中の何かを変えたようだった。
「敷島」
あたしたちの間に決して柔らかくはない、けれど涼やかな風が流れるのを感じる頃に、あたしはそいつの名を呼んだ。
「話と言ったことは謝る。ごめん」
「謝らなくて良い。俺も気が立っていた」
「お詫びというわけではないけれど、あたしから一つ提案がある」
言いながら、あたしはフェンスの側を離れ、敷島の隣に立った。やっぱり敷島の背丈はあたしよりほんの少し、低い。
「何だ」
「敷島に協力させて欲しい」
あくまで体の向きは正反対のまま。視線を交わすことさえなく。
「……本気か?」
「本気」
殺気にも似た問いかけを放つ敷島と、鋼の意志でうなずくあたし。
三秒間の沈黙の後、敷島は空を見上げて何事かを呟いた。
そうしてあたしは、不幸な傍観者であることをやめたのだった。
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