3-2

 学校を出る前に、自分たちのクラスに立ち寄ることにした。


 五十海東高には三つの校舎が存在する。南から順番に第一校舎、第二校舎、そして図書室のある小校舎。


 小校舎から第二校舎へと延びる渡り廊下の傍らには、部室棟が建っていて、放課後ともなると落語部の雑音やら軽音部の騒音やら将棋部の倍満ツモ宣言やらですっかり騒々しくなる。


 雨の日には、陸上部や野球部などもこの辺りで筋トレを始めて人口密度がひどいことになるのだが、今日は素直にグラウンドで練習しているようだ。廊下自体にはさほど人の気配がしない。


 それでも何となく人の目が気になって、あたしは敷島の少し後ろを歩くことにする。部室棟の裏庭で一目を気にせず友達以上恋人未満を満喫している連中が、ちょっとだけ鬱陶しい。


「あら、敷島君じゃない」


 と、新聞部の前を通りがかったところで、敷島が誰かに呼び止められた。


 急に立ち止まるなよと内心突っ込みをいれつつ、あたしは敷島の横に回り込む。


 そこに立っていたのは、ジャージ姿の美人だった。ジャージの色から判断するに三年生だろう。


 すらりとした体つきで、見事な黒髪ロングをポニーテールに束ねている。ぱっちりした瞳に、形の良い唇。小さな鼻も短所にはなっていなかった。日に焼けてるし、袖まくりした腕もよくよく見ればたくましい。だがそれによって何かが損なわれることはなく、むしろ素の綺麗さを際だたせているような気がした。


「あれからどう? 元気してる?」


 美人さんはあたしのことを気にした様子もなく、敷島に向かって話しかける。


「あれからも何も、俺が部活を辞めてからまだ三日しか経ってませんよ」


「まだ、じゃないわよ。男子三日会わざれば……って言うでしょ」


 どこか苛立たしげな敷島と、微笑を浮かべる美人さん。二人の態度は対照的だった。


「あら」


 ややあって、美人さんはようやくあたしの存在に気がついたように頓狂な声をあげた。


「ごめんなさいね。敷島君も別の意味で成長してたみたい」


 どういう意味だよとあたしが突っ込むよりも先に、美人さんはこちらに向き直って、ぺこりとお辞儀をした。


「私、初芝はつしば郁美いくみ。敷島君とはつい三日前まで部活仲間だったの」


 サッカー部に女子の選手はいないから、マネージャということか。


「あなたは?」


「あ、ええと……川原鮎っす。どうも」


 あたしがなんとなくへどもどした感じで答えると、初芝先輩は再びどこか肉食獣めいた微笑を浮かべた。


「敷島君のこと、よろしくね」


「はぁ」


「……あんまり道草食ってると監督に怒鳴られるんじゃないすか?」


 横合いから敷島が噛みつくように言った。けれど初芝先輩は「お気遣いありがとう」とだけ答えたきり、その場から動こうとしない。


「言い方が悪かったみたいすね。忙しいんで、もう行っても良いすか?」


「敷島君」


 微笑みを絶やすことなく、大きな瞳をさらに大きくして、初芝先輩は言う。それでようやくのことあたしはあることに気がついた。


「みんな、あなたがサッカー部に戻ってくることを望んでいるわ。中学時代からの仲間を失ってショックなのはわかるけど、だから退部するというのは間違ってる。お前は俺たちにとっても仲間だったはずだろうってね」


 初芝先輩の綺麗な――あまりに綺麗すぎる微笑みの裏にある意図。


「でも、そうじゃないんだよね。あなたが間違っているとするなら、それはサッカー部を辞めたことなんかじゃなくって。もっとずっと前からのことなんだと思うの」


 それは敷島に対する敵意ではなかった。もっとおぞましい、自分と同じ人間だと思える者には決して向けられない感情――侮蔑だった。


 そして初芝先輩は、さっきからあたしのことを歯牙にも掛けていなかった。あたしに挨拶したのさえ、敷島を嘲弄するための材料に過ぎなかった。


「行こう、敷島」


 気づけばあたしは敷島の腕をわしづかみにしていた。


「あらあら」


 初芝先輩は何かひどく面白いものを見つけたように声をあげた。だが、あたしは先輩が何かをしゃべり出すよりも先に「失礼します」と言って、敷島と共にその場を離れた。

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