第2章/Hello

2-1

 泉田秀彦の死から一週間。先週までは湿っぽい雰囲気が続いていた校内にも、少しずつ活気が戻りつつあった。


 聞くところによれば、泉田の遺体は先週のうちに東都の実家に搬送されたという。告別式の開催は日曜日だったが、会場が遠方ということもあり、東高の生徒で式に出席したのはほんの数名だったそうだ。もちろんあたしも出席してはいない。


 事情聴取のため頻繁に学校に出入りしていた刑事たちはと言えば、今週に入ってからはぱたりと姿を見せなくなった。


 ただ、泉田の死に関して何らかの結論が出たのかと言えばどうもそうではないようで、新聞報道によれば五十海市警の署長は未だに『事件と事故の両面で捜査中』『捜査の詳細について申し上げる段階にない』と言葉を濁しているらしい。や、父の受け売りなんですけどね。


 何にせよ生き残ったあたしたちは、好むと好まざるに関わらず、日常いつもへと回帰しなくてはならない。具体的にはやり忘れたグラマーの宿題をあと十分たらずでどうするかが問題だった。


「清乃ー、ノート写させてー」


 指名される確率は五パーセントに満たないがそれに賭けるつもりは毛ほどもない。それにグラマーは我が隣人の最も得意とする科目なのだ。巨乳だけに。


 ……やっぱあたしの英語の成績が壊滅的なのはこの板状の何かのせいなのか? どうしてあたしの食べたものは背丈にだけ反映されるんだ。というかFってなんだよ。Aってなんなんだよ!


 思考が脱線しかけたところで、あたしは友人が隣の席に座っていないことに気がつく。ちっ。あのおっぱい女、どこ行きやがった。


「あゆー、お客さん。敷島しきしま君だよ」


 と、当の本人が廊下の方からあたしに向かって声をあげた。


「敷島……えっと、誰?」


 こちらに近づいて来る清乃に、あたしは小首を傾げながら尋ねる。


「知らないの? 2-Bの敷島てつ君」


 あたしはぶんぶんと首を横に振った。自慢じゃないがあたしは友達が多い方じゃない。少なくとも去年のクラスメイトにそんな男子はいなかったはずだ。


 あたしが腕を組んで脳内紳士録を読み返していると、廊下から一人の男子生徒がずかずかと2-A教室に踏み込んできた。


「あんたが川原鮎か?」


 そいつはあたしのすぐ側まで来ると、射貫くような視線で見下ろしながら尋ねてきた。


 背丈は自称百六十九センチ実寸百七十一センチのあたしよりちょっと低いくらい。引き締まった体つきをしている。


 剣山みたいに直立した短髪はいかにもスポーツやってそうな感じだが、その下にあるのは意外にほっそりした瓜実顔。細い眉と尖った鼻のおかげで、まぁまぁ美形と言っても良い顔立ちだろう。


 だが、その居丈高な態度と、自分以外の何者も信じていなさそうな三白眼が、全てを台無しにしていた。


「何なの、こいつ?」


 あたしはそいつを無視して、清乃に尋ねた。


「あ、えっと」


 困ったような表情を浮かべる清乃。無理もない。清乃はただあたしを呼んでくるよう頼まれただけだもんね。


「あんたなんだろ? 秀彦が飛び降りたのを目撃したのは」


 あたしの態度にイラッときたのか、三白眼はあたしの机に手をついて、言った。


 上等じゃん。あたしは無言で席を立つと、三白眼の脇を通り抜けて廊下に向かう素振りを見せる。


「どこに行く」


「トイレ」


「話は終わってない」


「こっちは始める気もない。初対面の人間をあんた呼ばわりする大馬鹿野郎と話すことなんて、一つもない」


 あまり意識してはいなかったのだけど、結構大きい声を出していたらしい。クラスメイトたちの視線が一斉にこちらに向くのをあたしは肌で感じ取る。


「どけよ」


 さすがに突き飛ばすことまではせず、あたしは三白眼の横を通り過ぎて、廊下に出た。


 女子トイレに向かう。そうして個室に入ると、古いメタリックブルーの携帯電話――スマートフォン全盛のこの時代に未だに折りたたみ式だ――を取り出して仏頂面でボタンを連打する。


件名:無題

宛先:山辺清乃

日付:6月13日9時35分

さっきの、誰?


 あるいは清乃の近くにまだあの三白眼がいるのかも知れないが、彼女があたしに対して不義理を働くとも思えない。


 思い違わず、あたしの携帯は二分と待たずに返信メールを受け取った。


件名:ちゃんと紹介しなくてごめんね

送信:山辺清乃

日付:6月13日9時36分


サッカー部のマネージャの敷島哲君だよ。

泉田君とは中学から一緒で、特別仲が良かったみたい。

結構イケメンだし、有名だと思うんだけどなー。

鮎に事件のことで聞きたいことがあるんだって。

ちゃんと紹介すれば良かったんだけど……。

敷島君、悪い人じゃないけど無愛想だから。気を悪くしたらごめん。


「ああ」


 あたしはメールの文面を読みながら、思わず声をあげた。サッカー部で唯一の男子マネージャのことは、世事に疎いあたしでも知っていたからだ。


 もっとも、その男子マネージャが敷島という名前だったことも、あんな癪に障る性格の持ち主だったことも、今の今まで知らなかったわけだが。


 ま、何にしてもあいつが泉田のことを聞こうとした動機は把握した。だからと言って敷島とやらの無愛想以前のあの態度に対する不快感が和らぐわけではないけれど。


件名:Re:ちゃんと紹介しなくてごめんね

宛先:山辺清乃

日付:6月13日9時37分

清乃は悪くない。あの男が全面的に悪い。

あと、情報感謝。


 あたしは『鮎のメール、愛想なさ過ぎ』と苦笑するであろう清乃のことを思い浮かべながら、送信ボタンを押すと、パチンと音を発てて乱暴に携帯電話を折りたたんだ。こういう扱い方だから、あちこち傷だらけなんだろうな。


 女子トイレから出たあたしは、何歩も行かないうちに立ち止まった。人気のない廊下に、三白眼が立っていることに気がついたのだ。


「すまなかった」


 三白眼――敷島哲は、あたしの側まで来ると、そう言って頭を下げた。謝り慣れてないのか、どこかぎこちなくはあったが、ふて腐れたような感じはまるでなかった。


「それだけ?」


「言い訳をするつもりはない。率直に言って、非礼だった」


 あくまで淡々と話す敷島だが、本気で反省しているというのは伝わってきた。


「すまない」


「良いよ。水に流す。女子トイレの前で待ち伏せするデリカシーのなさも、ついでに許しとく」


 再び頭を下げた敷島から何故か視線を反らして、あたしはそう言った。


「助かる」


 短く言うと、敷島はくるりと背を向けて歩き始めた。それであたしは改めて理解する。敷島が本当に謝るためにだけ、あたしを待っていたということを。並の男ならここで厚かましくも『それでさっきの話だけど』とやるだろうに。


「敷島、だっけ?」


 去りゆく背中に、あたしは言った。声がうわずっていないかが少しだけ心配だった。


「ん?」


 振り返ろうとする敷島。だが、それよりも一瞬早く近づいたあたしは、がら空きのおでこにスナップを効かせたデコピンを打ち込んだ。


「っっ!」


 額を抑えて後ずさる敷島。声をあげなかったのは大した物だと褒めておこう。


「……何のつもりだ」


 額を抑えたまま唸る敷島に、あたしはにやりと笑って言ってやった。


「これで今度はこっちが借り一。今の一発分ぐらいなら、質問に答えてあげても良いんだけど?」

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