6-4

 テラスに降り注ぐ日差しは、じりじりする程に強かった。あたしと外村さんは紫外線の脅威をかいくぐって自販機の前まで行くと、アイスコーヒーを二つ購入して植木の側のベンチへと急いだ。


「好きなの? 図書館」


 日影のベンチに腰掛けると、外村さんは先ほどよりもさらに打ち解けた様子で話を切り出した。


「や、別に」


 単に逃げ場所を探していたら、ここに行き着いたというだけでして。


「私の息子は好きだったわ。紙芝居の朗読会がある度に、行きたい連れて行ってとせがんだものだわ」


 語尾にプシっという音が重なった。外村さんがコーヒー缶のプルタブを開けた音だった。


「川原さんもどうぞ」


「ありがとうございます。でも、その前に一つ、良いですか?」


 あたしは冷えたコーヒー缶を握りしめたまま、言った。半分はわざわざあたしをテラスに連れ出した外村さんの思惑に沿ったつもりだった。


「なあに? 私に答えられることかしら」


「外村さん、以前あたしにジャンピング・ジャックのことについて尋ねましたよね。あのときは何のことか全然わからなかったけど、今はもう知ってます。ジャンピング・ジャックが何なのか。どうして外村さんがあんな質問をしたのか」


 一瞬だけではあったが、婦警は獲物を狙う獣のように瞳孔を開いた。


「――警察はジャンピング・ジャックについて、どう考えているんですか?」


「わたしは捜査員でもなんでもない。ただのおまわりさんよ?」


「でも、何かしら考えを持ってはいる。違いますか?」


 今度は答えにしばらく時間がかかった。


「元々県警本部では、昨年の十二月から続いている高校生の転落死事案を、ひとつなぎの事件だという前提に立って捜査することには消極的だったの。個々の事案に事件性はなく、メールのこともただの偶然と解釈すべきである。それが、県警本部の判断だった。でも――」


 外村さんは愉快そうにくっくと笑って、続けた。


「五十海市警には案外物わかりの悪い人たちがいてね。県警本部の捜査方針に従わずに、一連の転落死は連続殺人事件ないし連続自殺教唆事件であるとの考えに基づき、密かに捜査を続けていたの」


 あるいは外村さんも五十海市警の独自捜査に協力していたのかも知れない。ううん、きっとそうだ。


「風向きは変わりつつあるわよ。半年あまりで五人もの高校生が、ジャンピング・ジャックからのメールを受け取った直後に亡くなっているんですもの。泉田君のことは残念だったけど、あれで県警本部の連中も自分たちの誤りを悟ったんでしょう。先月末からかなりの人数を動員して、ジャンピング・ジャックの正体を探っているわ」


「具体的には?」


「インターネット上にそれらしいサイトがないかどうか、片っ端から調べてる」


 やはり警察でもインターネットの調査は行われていたらしい。あたしは昨日のことを振り返りながら、ふと思いついた疑問を投げてみることにする


「メールの送信元は調べてみたんですか?」


「もちろん。メールの送信に使われていたのはD社製のプリペイド式携帯電話で、送信元アドレスに偽装の痕跡はないそうよ。契約者の身元も確認したけど……これは空振りだったみたい。嘘の個人情報で不正に取得したものだということだけしかわからなかったそうね」


 昨今はプリペイド式携帯電話であっても契約には個人情報が必要なはずだけど、色々と抜け道はあるらしい。相変わらず振り込め詐欺なんかに悪用されるケースが後を絶たないという。


「それと、どの事件においても、メールが送信された際に携帯電話が五十海市内にあったことは間違いないみたい」


「そんなことまでわかるんですか」


「通信記録をたどっていけばある程度は絞り込めるの」


「すごいですね……あ! でも、それならこっちから電話をかけちゃえば、携帯電話の所有者が今どこにいるのかがわかるんじゃないですか? 電話番号も特定済みなんですよね?」


「良いアイディアだけど、既に県警本部で実験済みね。基本的に、あのメールを送る時以外はずっと電源をオフにしているみたい」


 そういうところでボロを出すほどアホではないってことか。


「……ともかく、ジャンピング・ジャックは一連の転落死に何らかの形で関わっている。そして、ジャンピング・ジャックと死んだ五人の高校生とのつながりは、インターネット上で形成されたものである。それが、今現在の警察の判断だと考えて良いんですね?」


「そうだね。そういうこと。そういうことになるんじゃないかな」


「まるで外村さん自身は納得していないみたいな口ぶりですね」


 あたしがあえて挑発的に言うと、外村さんは自身の後れ毛を撫でながら、アイスコーヒーで喉を潤した。


「ジャンピング・ジャックからのメールのことなんて歯牙にもかけていなかったひと頃に比べれば、余程良い状況だと思ってるわ。でも、ちょっと怖いな、って思ってもいるのよ」


「怖い?」


 あたしの問いに、外村さんは小さくうなずいた。空き缶をベンチの端に置くコトン、という音がやけに大きく響き渡る。


「あの高校生たちはジャンピング・ジャックを称する扇動者の口車に乗って、先を争うように転落死していった。。携帯電話での遊戯に夢中で、現実のことなんて少しもわかっちゃいないお馬鹿さんにはお似合いのストーリーだ。そんな風に、思い込んでしまってるんじゃないかってね。要するに、私たちはあなたたち高校生のことを侮っているのよ。だけど、その結果ありもしないウェブサイトを探しているのだとしたら、本当のお馬鹿さんは私たちだってことになる」


 そこまで言うと、外村さんは再び獣の瞳であたしを見た。


「あなたは、どう思う? ジャンピング・ジャックの行動を、あなたならどう読み解く?」


 なるほど。それを問いたいがための、会談だったというわけか。たかが女子高生の見解を聞くために、よくもまぁ惜しげもなく情報を開示したものだと思わなくもないが、外村さんなりに考えがあってのことなのだろう。あたしは彼女がこちらの一挙手一投足まで観察しているのを肌で感じながら、語るべき言葉を探る。


「やー、そんな大層な考えがあるってわけじゃないんですけどね」


 やがて、あたしの頭の中で一つの物語が組みあがる。まっとうな大人ならやすやすと受け入れるであろう、当たり障りのない物語を。


「正直あたしも泉田君たちはインターネット上でジャンピング・ジャックと接触したんじゃないかって思ってたんですよ。だからその……あたしも昨日、調べてみたんです。インターネットにそういうサイトがないかって。ま、結論から言えば、泉田君たちがジャンピング・ジャックと接触した証拠は見つからなかったんですけどね。ただ、あたしが気になったのは、学校裏サイトです」


「学校、裏サイト?」


 おうむ返しに尋ねてくる外村さんに、あたしは通り一遍のことを説明してみせる。


「あたしが調べた限り、ジャンピング・ジャックの痕跡を見つけることはできませんでした。でも、ああいう所ならありえるかな。なんでもアリなんじゃないかなって、今でも思ってます」


「つまり……ジャンピング・ジャックと亡くなった五人は、学校裏サイトで知り合ったと、川原さんはそう考えているのね?」


 こちらの本心を見透かしたというわけではないだろうが、婦警はひどく空々しい口ぶりで言った。


「根拠は? と聞かれれば、言葉を濁すしかありませんけどね」


 テラスに沈黙が訪れた。あたしは俯いたまま、じっと身を堅くして沈黙が途切れるのを待った。


「飲まないの? コーヒー」


 やがて、外村さんが言った。いっぺんに老け込んだような声だった。


 あたしは慌てて缶コーヒーの蓋を開けて、中身を喉に流し込んだ。すっかりぬるくなってしまった黒い液体は、少しの爽快感ももたらしてはくれなかった。


「最近、事件のことをかぎまわっている高校生の二人組がいるという話は、警察でも噂になっているわよ。とがめるつもりはないけど、あまりおいたをしないようにね」


 ふいに館内から大きな笑い声が聞こえてきて、あたしはそちらを振り返った。ガラス戸の向こうは、いつの間にか大勢の親子連れでごった返していた。


「息子が好きだったのよ」


 視聴覚室での紙芝居の朗読会に参加していたのであろう人々を横目に、外村さんはここに来たときとまったく同じことを言った。


「息子さんは今、どうしてるんですか?」


「首を吊ったわ。もう五年も前の話。今でもなんで死んだのかわからない」

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