8-6

 橋の中央に来るまで、あたしたちはずっと無言だった。


 かつて軽便鉄道の線路が走っていたというこの橋は、頑丈そうな下路アーチのシルエットとは裏腹に、自動車一台がかろうじて通れるほどの幅しかなく、現在では歩行者専用の橋として利用されている。あたしが小学生の頃は、毎週末綺麗な虹色にライトアップされていたと思うが、最近は節電のためか特別な行事でもない限り明かりが点ることはない。


 真っ暗闇に細く伸びる『かぞくのふれあいおおはし』の上には、だからあたしと兄以外の何者も存在しなかった。


「ここがお前にとっての『塔』というわけか」


 あたしが車椅子を止めると、兄が丈の低い欄干越しに、干上がった瀬名川を見下ろしながら呟いた。


「『条件』は満たしているようだな」


「さすがにこれだけ話して気づかない程には劣化してない、か」


 気づいたことよりも、淡々とした態度を崩さないことに微かな驚きを覚えつつ、あたしは応じた。


「まぁな」


「立って」


 あたしはベルトにさしてあった鎌を兄の首もとに突きつけながら、短く告げた。


「その前にいくつか確認しておきたいことがある」


 だが、兄は微動だにせず、言った。


「時間稼ぎのつもりなら、無駄なことはやめて欲しいんだけど」


「無駄と思ったなら、その時はお前の用事を済ませば良い。違うか?」


 有無を言わさぬ口調に、思わず鎌を強く握り締めたが、それだけだった。あたしは一瞬とは言え兄に気圧されてしまったことを認めなければならなかった。


「聞くだけ聞いてあげる」


 かろうじてそれだけ言うと、あたしは鎌を腰に戻して兄が口を開くのを待った。


「まず……そうだな。お前は『犯人たちがどういう経緯で出会ったのかはわからない』と言ったが、仮にお前の推理が事実だとするなら、彼らがどうやって知り合ったのかを軽視するべきではない」


「名探偵にとってはそうなんだろうけどね」


 あたしにとって重要なのは、犯行計画に全体像であって、そんな細部には何の意味もない。今更そんなくだらないことを指摘する兄に若干の苛立ちを覚えつつ、あたしは吐き捨てるように続ける。


「ま、それこそインターネットで知り合ったんじゃないの? SNSとか、フリーのチャットとか、色々あるでしょ」


「……良いだろう。じゃあ次だ。お前は五人のうちの一体誰がリーダーだと考えている?」


「リーダー?」


 急に妙な単語が出てきたことにとまどいつつ、あたしはおうむ返しに尋ねた。


「彼らの犯行計画はシンプルだが、その意図、その目的には一貫性があった。であればそれは、五人全員で意見を出し合って作り上げたものと考えるよりも、一個の頭脳が作り上げたものだと考える方が自然だ。泉田秀彦、坂口亜里砂、石垣良平、木島皆子、それに大崎誠二だったか? 彼らを殺害した犯人の内の誰がリーダーだと思う?」


 初芝先輩だけは考えられない。あの人は馬鹿だから。じゃあ、里村さん? 人となりはおとなしいみたいだけど、実は推理小説マニアだったとか。待て待て自分。いくらなんでも飛躍しすぎだろう。他にもあたしの知らない犯人はいるんだし――。


「結論はでないだろうな」


 あたしの思考を先取りしたように兄が言う。


「犯人のうちの誰かがリーダーとして、一連の事件を主導してきたとするなら、自ずとそれ以外の犯人との間に意識の差が生じていたことだろう。あるいは利用されているだけなのではないかと疑う者が出てくるかも知れない。いずれにせよ行き着く先に待っているのは不満と不安、不信感の三重奏だ」


「だったら」


 はなからリーダーなんていなかったってことでしょ? あたしがそう言うよりも先に兄が再び口を開いた。


「この事件に真犯人リーダーの存在は必要不可欠である。しかしながら、この事件に主犯リーダーの存在はなじまない。この矛盾をどう考える? 俺が聞きたいのはそういうことだ」


 今度はあたしも『そんなのどっちでも良い』と鼻で笑うことすらできなかった。兄の問題提起は漠然としていておよそ論理的とは言えなかったが、そのとらえどころのなさにあたしは妙な恐ろしさを感じていた。


「それからもう一つ。お前はあえて言及しなかったんだろうが、メールの文面の揺らぎという問題がある」


 黙ったままのあたしのアキレス腱に、兄は更なる一撃を加えた。


 以前敷島が指摘した通り、坂口亜里砂の携帯電話に送られたメールには、読点を二つ重ねるという誤りがあった。その他の事件でもわずかではあるが表記にずれがあり、あたしと敷島はそれらがどういう理由で生じたものなのか、答えのでない議論に時間を費やしたものだった。


「彼らがケータイを真の意味で共有していたのであれば、そんなことは起きない。送信メールボックスに保存されたメールをコピーして送信すれば良いんだからな。にも関わらず実際のメールは一定ではなく、些細な揺らぎが存在した。何故だ?」


「そ、それこそ些細な問題じゃない」


 あたしは背中に冷たい汗が伝うのを感じながら叫ぶように言う。最後まで答えが出すことができず、棚上げにしていた問題を指摘されたからというのもあるが、それ以上に先ほど感じた恐怖が徐々に拡大していくのを抑えきれずにいるというのが大きかった。


「些細だが、重要な問題だ」


 あたしの動揺をよそに、兄は鋭く言った。


「まず確実だと言えるのは、犯人間で携帯電話の受け渡しが完了した時点において、送信メールボックスからメールが消去されていたに違いないということだ。おそらくメールの文面は印刷でもして、携帯電話と一緒に受け渡ししていたんじゃないか? 紙に書かれた文章を携帯電話で入力し直す時、しばしば人はタイプミスをする。途方もない犯罪の前後で気が高ぶっているなら尚更だ」


「あたしがケータイを見つけた時は、メモみたいなものはなかった」


「――どうして犯人たちは事件の度、送信メールボックスからメールを消去したのか。どうしてわざわざ他の方法でメールの文面を共有していたのか」


 兄はあたしの反論には答えずに続ける。


「理由は明らかだ。送信メールボックスに残った被害者のメールアドレスは、殺人の決定的な証拠であり、もしも後続の犯人のうちの一人が心変わりした時に致命的な弱点となる。そしてそれ故に、後続の犯人が心変わりするきっかけともなりうるのだ。犯人たちがその脆弱な信頼関係を維持するためには、わずかな不安定要素も残すべきではなかった」


 いつしか兄の口調が推測ではなく断定に変わっていた。愚かなあたしは、そのことに気づいた後で、ようやくのこと背中に流れる汗が冷たい理由を理解した。


「同じ理由で初芝郁美は犯行後すぐにメールの文面が書かれた紙を処分したのだ。他の四人の犯人たちと同じにな。また、携帯電話を受け渡すのに使われた秘密の隠し場所も、その都度変えていた。だから犯人たちは、余程注意深く新聞を読んでいるのでなければ、自分の共犯者がどんな人物なのかということはもちろん、いつどこで誰を殺害したのかすら知り得なかっただろうな」


 さっきあたしは初芝先輩が自分の携帯電話に送ったメールを兄に見せた。だがそれ以外のメールについては実際に見せたわけではない。それなのに何故兄は、個々の事件でメールの文面に揺らぎがあるということを知っているのか――。


「ここで重要なのは、もしも事件の度に犯行に関わるメモが処分され、携帯電話の隠し場所が変えられていたとするなら、新たにメモを用意し携帯電話と共に次の犯人へとパスする人間がいた公算が高まるということだ」


 公算? 違う。兄はそれが真実なのだと考えている。それこそが真実なのだと話すに足る根拠を持っているのだ。


「この仮説は別の問題にも光明をもたらす。先ほど俺はこの事件に真犯人リーダーの存在は必要不可欠だと言った。その一方でこの事件に主犯リーダーの存在はなじまないとも。だが、チームのメンバーから全幅の信頼を受けた司令塔リーダーならばどうか」


 あたしが目眩にも似た感覚に打ちのめされているのをよそに、兄はどこまでも感情のこもらない声で続けた。


「お前が看破した通り、この街の高校生に自殺を唆すジャンピング・ジャックは実在しない。しかしながら、この街の高校生に殺人を唆すジャンピング・ジャックならば実在したのだ」


「全部……全部なが兄の推測でしょ! 何の根拠もないじゃない!」


 違う。兄が根拠もなくあんなことを言うはずがない。それはわかっている。それなのにあたしは無駄な抵抗を試みてしまう。


「本気で言っているのか?」


 対する兄の反応は冷ややかであり、そして苛烈でもあった。


「お前は既に知っているはずだ。五人の犯人がどうやってジャンピング・ジャックと出会ったのか。そして、ジャンピング・ジャックがどうやって五人の犯人の信頼をかち得たのか。少なくともお前にはそれを知る機会があった」


 あたしの額からぽたりと汗が流れ落ち、橋床にごくごく小さな染みを作る。


 兄の言う通りだった。あたしは兄の提示した結論に至る手がかりをずっと前から手にしていたのだ。


「――透明校舎」


 震える舌でどうにかそう言うと、兄は無言でうなずいた。


 S県I市出身の管理人が運営する高校生向けの悩み相談サイト。


 そこには深刻な悩みを抱える高校生たちと、その悩みに真摯に向き合う管理人がいた。

 あるいはその高校生たちの中に、悩みを殺すか悩みに殺されるかのギリギリで苦悩していた五人がいたとするならば。その五人の苦悩にも管理人が真摯さを発揮していたとするならば――。


「お前がこの一ヶ月間ずっと探し求めていたジャンピング・ジャックは俺だったのだ」


 囁く兄をよそに、そう言えば現役時代の兄はミッドフィルダーとしてゲームメイクの重責を担う選手だったなと、あたしはどうでも良いことを思い出したりもする。

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