8-5
県道の裏道を歩き続けると、細い坂道へとさしかかる。この坂を上りきれば、川沿いの土手に出る。ゴールまではあともう少しだ。
「初芝先輩が泉田君の死を願ったように、坂口亜里沙の死を願っていた者もいた。石垣良平や木島皆子、大崎誠二の死を願っていた者もいたんだろうね」
あたしは彼らを知らない。だけど、死んだ五人の高校生が抱えていた火だねについては、知らないわけではなかった。
例えば坂口亜里沙とその取り巻きに虐げられてきた少女――里村さん。
ゲーム感覚で万引きを強要してくる坂口亜里沙に対し、初めて強い拒否反応を示した彼女は、きっと想像したくもないような報復にさらされたのだろう。
そうして少女は、自分自身のありようを決めた。
――あの時はごめん……やっぱり私、こないだのゲーム、やろうと思うの。
――でも、観に来るのは坂口さんだけにして、ね?
――全部終わったら屋上のエレベータ室裏で待ち合わせ、ってことで良いかな。
あたしの想像の中の里村さんがそう囁く。
そうして、何も知らない坂口亜里砂は、里村さんが自分に隷属したことに満足して死地へと向かい――排水管の陰に隠れていた里村さんの奇襲を受けたのだろう。
坂口亜里砂はだから、宙空にその身を投げ出す瞬間まで、想像すらしていなかったのだと思う。自分の背後に断固たる殺意が潜んでいるということに。石垣良平も、木島皆子も、大崎誠二も、きっとそうだったのだろう。
死者たちが今少し想像力を有していたなら、一連の事件はもっと平凡な結末を迎えたのかも知れない。あるいはその鈍感さこそが、事件を引き起こす決定的な要因であったのかも知れないが。
「……犯人たちがどういう経緯で出会ったのかはわからない。わからないけれど、彼らは出会い、殺意を共有するに至った」
共犯者たち。初芝先輩が神社に携帯電話を隠そうとした、理由。
「もっとも、彼らは自分たちが互いに信用に足る存在ではないということをよく理解していた。当然と言えば当然だよね。殺意で結びついただけの共犯者と信頼関係なんて築けるはずがない」
推理小説の犯人たちはしばしばこのことを軽視する。
例えば交換殺人。
殺したい相手を交換し、それぞれの殺害時刻に完璧なアリバイを築いておくことで、嫌疑を免れるというのが交換殺人の狙いだが、こうした計画が上手くいったことはほとんどない。共犯者同士が相互に信頼し合い、動機なき殺人を完遂させるという強い意志を持たなければ成立しえないからだ。
ところが、大抵の交換殺人はほとんど接点のない者同士で行われることが多い。関係が深い者同士であれば、そもそも共犯の可能性を疑われるからだ。おまけに、交換殺人は裏切った側が有利なのだ。例えば、先に自分のターゲットを共犯者に殺させた上で、後は素知らぬ顔でいれば、共犯者としてはどうしようもない。
「彼らは考えた。どれほどリターンが大きくても、それが強固な信頼関係を前提とするものであるならリスクに見合わない。裏切ることにメリットがあるような犯行計画に意味はない、と。だから彼らの協力関係は、各々の殺人計画にたった三つだけの制約を設けるというごくごく限定的なものだった」
「三つの制約? それは何だ」
それまでずっと黙りこくっていた兄が、背中越しにあたしの顔を見ながらぼそりとした声で尋ねてくる。
「ひとつ。殺害方法を転落死に統一すること。ふたつ。殺害に前後して、ターゲットのケータイに同じ文面のメールを送信すること。みっつ。メールの送信に使用したケータイは、あらかじめ決めておいた保管場所に隠して次に繋げること――」
緊張と興奮に震える喉を叱咤しつつ、あたしは事件の構造をつまびらかにする。
「制約はたったそれだけだった。たったそれだけの誓約で、彼らは自分たちの殺意をジャンピング・ジャックのゲームに紛れ込ませようとした。本来不連続だったはずの事件を、一個の連続自殺教唆事件に偽装しようとしたの。それが犯行計画の全貌。言うなれば彼らは、全員が主犯であり、便乗犯であり、事後従犯だったというわけ」
言い終わるのと同時に、車椅子を持つ手の感覚が軽くなった。柔らかな川風が息を荒くするあたしの肺に新鮮な空気を送り込む。さわさわと揺れて夜の闇をかき混ぜる桜並木の向こうには、見慣れた小橋のシルエットがうっすらと浮かんでいた。ついにあたしたちは瀬名川の土手に辿り着いたのだ。
「ジャンピング・ジャックという
あたしは立ち止まってしばしの間呼吸を整える。
「例えば犯人たちはわざわざ受け渡しの手間をかけてまで共通のケータイからメールを送信することに拘っていたわけだけど、これはジャンピング・ジャックを名乗る人物が一人であるということを仄めかすために必要な手間だった」
まさか警察も、メールを利用したハイテク犯罪の裏で、あんなアナクロな電話機の受け渡しが行われていたとは思わないだろう。ただし、彼らは決して愚かではない。もしメールの送信が複数のケータイから行われていたのであれば、ジャンピング・ジャックの背後に複数の人間がいる可能性を疑う者もいたはずだ。あたしは外村さんの思慮深いまなざしを思い浮かべながら、次に話すべきを考える。
「メールの文章もよく練ってある。『私は君たちの挑戦を歓迎する』。 『君たち』。たった三文字の言葉で、死者たちに
ふっと、あたしは笑みに似た息を吐き出した。ここ一ヶ月の間、あたしと敷島はしばしば死者同士の繋がりについて議論してきた。ああした時間に何の意味もなかったのだと認めるのは、何故か不快ではなかった。
「全てが犯人たちの思惑通りに進んだわけではなかった。警察の動きが慎重過ぎたこともそうだし、警察以外に事件のことを嗅ぎ回る人間が出てくることも想定外のことだったろう。結果、初芝先輩が自ら死を選ぶことにもなった。だけど彼らの犯行計画が破綻をきたすことはなかった。彼らは自分たちの罪をジャンピング・ジャックに押しつけることに成功した。ジャンピング・ジャックのゲームに勝利したんだ」
そう言って、あたしは意味もなく――本当に何の意味もなくかぶりを振った。
あたしが事件について語るべきことは、これで全部だった。
後はもう、夜の散歩の終着点へ向かうより他ない。
「行こうか」
あたしは葉桜のトンネルの先にある『かぞくのふれあいおおはし』を見据えながら、車椅子の取っ手を強く握り締めた。
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