8-4

 やがてあたしたちは、県道へとさしかかった。通勤の時間帯ならば自動車であふれかえる車道にはしかし、トラック一台走っていない。星明かりの下でくすんだ光を放ち続ける街灯が、ひどく無駄なように感じられる。あたしは大仰な動作で左右を確認すると、特に急ぐこともせず、県道の横断に取りかかった。


「……初芝郁美は自殺したんだな?」


 兄があたしに尋ねてきたのは、県道を超えて一本奧にある裏道に入ってからのことだった。


「そう、だね」


「お前が追い詰めたのか」


 兄が重ねて尋ねた。感情のこもらない、低い声だった。


「その言い方はむしろ初芝先輩に失礼だと思う。先輩は全てを自分で決めたんだ。東高の屋上から飛び降りたのも、屋上を封鎖してにしたのも、自分の死をジャンピング・ジャックに指嗾された結果に見せかけたのも、全部。そこにあたしが干渉する余地なんて、ない」


 兄はあたしを非難しているのではないし、あたしも初芝先輩の死について罪の意識なんて少しも感じていない。それなのにこうも胸が波立つのはどうしてだろう? あたしは自分自身の心の弱さを腹立たしく思いながら、尚も説明を続ける。


「警察は先輩の思惑通りに誤った結論に飛びついた。初芝郁美はジャンピング・ジャックに唆されて、身を投げた。他の死者もきっとそうだったのだろう。一連の事件は全てジャンピング・ジャックを名乗る人物が引き起こした自殺幇助事件なのだと。先輩は自分の命を投げ出すことで、泉田君の死の真相を隠し通そうとしたんだ」


「馬鹿なことを」


 兄が唇の端を歪めて言った。


「馬鹿なことだとしても、それが先輩なりの矜持だったんじゃないかな。あたしたちがしたり顔で論評するようなことではないけどね」


 あたしが攻撃的に問いかけると、兄は目を伏せて俯いた。


「そうかもな」


「続けて良い? 事件の話」


 返答はなかったが、あたしはそれを肯定の意思表示と解釈した。


「泉田君は初芝先輩に殺された。初芝先輩は自分が泉田君を殺害した犯人だということを隠し通すために自殺した。二つの事件の真相がそうであるなら、それ以前に起きた事件のことはどう解釈すべきか。あるいは質問をこう置き換えても良い。一連の事件の全体像はどんなだったのか――」


 あたしは深く息を吸い込んで新鮮な空気を肺に取り込む。普段あまり使われることのない脳細胞が、少しでも多くの酸素をよこせと叫んでいるようだった。


「考えられる仮説は大きく分けて三つだと思う。一つ目は、一連の事件全てが初芝先輩の犯行だったという説。当然、ジャンピング・ジャックを名乗っていたのは先輩で、警察の捜査を撹乱するために被害者のケータイにメールを送っていたということになる」


「初芝郁美は泉田秀彦以外の高校生とも接点があったのか?」


「ないね。全くない。先輩が殺したいと思う程憎んでいたのは泉田君だけだと思う」


 あたしがそう答えるのは想定済みだったのだろう。兄は小さくうなずいてから「となると考えられるのはダミー殺人か。あまり現実的とは言えないな」と言った。


 ダミー殺人――つまり、先輩にとって本命となる泉田の殺害を、他の高校生たちの死に紛れ込ませるために無差別殺人を行った可能性について言っているのだ。あたしも兄の意見に全く同感だった。


「うん。たったそれだけのために四人を殺したというのはいくらなんでもやりすぎ。リスクとリターンがまるで見合ってない。自分で言っといて何だけど、初芝先輩が一連の事件全ての実行犯という可能性は無視して良いと思う」


 兄は再び小さくうなずいて、賛同の意向を示した。


「次、二つ目。初芝先輩が一連の事件に便乗して泉田君を殺害したという仮説。この説ではジャンピング・ジャックのゲームは実際に行われていたことになる。泉田君より前に死んだ四人の高校生については事実ゲームの参加者だったというわけ。初芝先輩は何らかのいきさつでこのゲームの存在を知り、泉田君の殺害に利用しようと考えた。泉田君を突き落とすだけでなく、ケータイにジャンピング・ジャックのそれと同じメールを送りつけることで、自身の犯罪がジャンピング・ジャックのゲームの一部であるかのごとくに見せかけようとしたの」


「泉田秀彦もジャンピング・ジャックに唆された高校生の一人だったように偽装した、というわけか。話がつながってくるな」


「一つ目の仮説よりは説得力があるよね。けど、この仮説にもいくつか難点はある。例えば、ケータイのこと。ジャンピング・ジャックのメールは、全てこのケータイから送られたものだった。泉田君や先輩の事件も例外なくね。であれば、先輩がどうやってこいつを入手したのかが問題になってくるとは思わない?」


「どうだろうな」


 今度は兄も簡単には同意しない。


「確かにその携帯電話はジャンピング・ジャックのゲームの鍵となるアイテムだ。無関係な人間がやすやすと手に入れられるものではなさそうだが、事実として初芝郁美の手に渡っている以上、その経緯はさして問題ではない。少なくとも、初芝郁美がコピーキャットであるという可能性を否定する材料にはならない。現に部外者のお前でも手に入れることができたんだからな。初芝郁美がそいつを入手したとしても、何ら不思議はない」


 それどころか小面憎い反論までしてくる。もっとも、全盛期の兄ならばこんな地点で足踏みしているはずもないのだけど。


「それこそ部外者のあたしがこのケータイを手に入れることができたってことが、初芝先輩が偶然このコピーキャットである可能性を否定する材料になるんだってば。このケータイ、どこで見つけたと思う?」


「さあな」


「丘出山の神社。ほら、拝殿の裏に大きな桐の木が植えてあるでしょ? あの下に埋まっていたの。もちろん埋めたのは初芝先輩でしょうね」


 針金で縛られた兄の親指がぴくりと動く。あたしの反抗期を思い出しているのだろうか。だとしたら最悪だなと思いつつ、あたしは説明する。


「一連の事件全てをジャンピング・ジャックを名乗る人物による自殺幇助事件に偽装しようとしていた初芝先輩にとって、このケータイは絶対に見つかってはならないものだったはずだよね? それならバラバラに分解して捨ててしまうだとかもっとやりようはあったはずなのに、ご丁寧にラップで包んで、ビスケットの箱にまで入れて、神社の裏に埋めたのは何故なのか――彼女がコピーキャットだとしたら、わざわざそんなことをする必要はないよね?」


「だろうな」


「答えは一つ。初芝先輩はジャンピング・ジャックのケータイを誰かに渡そうとしていて、そのための一時的な隠し場所として神社の裏を選んだの。あそこは普段はそれほど参拝客もいないし、恒久的に隠すというのでなければまぁまぁ良いチョイスだよね」


「誰か? 一体誰なんだ?」


「ケータイを秘匿する動機を初芝先輩と共有することができる人物――共犯者と言い換えても良い」


「待て。その場合、初芝郁美もまた一連の事件に深く関わっていたということになる。ただの便乗犯であるなら、共犯者などいるはずがないからな」


「そうだね」


「だがお前は、初芝郁美が全ての事件の犯人であるという仮説を否定した」


「うん。だからあたしは三つ目の仮説――全ての事件にそれぞれ別々の犯人がいたというのが、唯一無二の真相なのだと考える」

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