8-2
散歩には最高の夜だった。日中の熱気はわずかにアスファルトに残る程度で、時折吹き付けるそよ風はひんやりと心地が良かった。雲一つない空に浮かぶ無数の星々は、光帯となって行くべき道を指し示しているようだった。七夕まであと数日。あたしは彦星氏がおわします場所を漫然と探しながら、キュラキュラと嫌らしい音を発てる車椅子を押し続ける。
「一体どこへ連れて行くつもりなんだ」
しばらくして、沈黙に耐えたのか兄はふて腐れたような声で言った。
「しゃべることを許可した覚えはないんだけど?」
とりあえずのことそう言って兄の口を封じたあたしだったが、もちろんこのまま黙って目的地まで行くつもりはなかった。
「先月の、東高のサッカー部員がマンションから転落死した事件のことは、覚えてる?」
返答はなし。どうやら揚げ足取ってるつもりらしい。
「あたしをむかつかせるのもNGって言わなかったっけ?」
「……お前が第一発見者になったあの事件だろう?」
「そう、それ。わかってるじゃない」
あたしはわざとらしく舌打ちした後で、話を続けた。
「あんたの後輩――泉田秀彦君が、マンションの自分の部屋から飛び降りたのは早朝のこと。室内に荒らされた形跡はなく、不審人物も目撃されていない。おまけに玄関扉には鍵が掛かっていた。ま、普通に考えれば、自殺か事故を疑うべき状況だよね。それなのに警察はなかなか結論を出そうとしなかった。何故だと思う?」
「さぁな」
「これを見て」
あたしは一旦車椅子を止めて、ジーパンのポケットから白い携帯電話を取り出すと、兄の目の前に突き出した。
「事件に前後して、泉田君のケータイには一通のメールが届いていたの。ジャンピング・ジャックを名乗る人物から送られたそのメールの内容は、彼に飛び降りを唆すようなものだった」
「……ただのスパムメールだろう?」
しばらくの間携帯のディスプレイを見つめた後で、兄はつまらなそうに言った。
「一通だけならそう考えるのもありかも知れない」
「どういうことだ」
「泉田君以外にもいたの。同じようなメールを受け取って転落死した高校生が、たくさんね」
あたしは携帯電話をしまうと、六月以前に起きた四つの事件についてざっと説明した。そうしてそれから、泉田君も含め死んだ高校生全員が五十海市内の高校に通っていたこと、しかしながら彼らに接点らしい接点がなかったこと、唯一共通点と言えるのがジャンピングのメールを受け取っていた点だということなどを補足した。
「そして今日――ついにまた新たな死者が出た。東高三年生の初芝郁美って人。サッカー部のマネージャだけど、あんた知ってる?」
兄は一瞬ぴくりと背筋を震わせたようだったが、結局首を横に振った。
「いや、知らん」
「本当に? 向こうは知っていたけど?」
何故か兄の態度が引っかかったあたしは、重ねてそう尋ねた。
「今の三年生ってことは、俺が卒業してから入学した学年だろう? 顔すら知らんな」
うーん、嘘をついてるわけではなさそうだ。あたしは気を取り直して、話を本筋に戻すことにした。
「警察の話を信じるなら、初芝先輩が校舎から飛び降りた時、屋上には誰も出入りできない状態だった。初芝先輩以外誰もね」
そう言って、あたしは外村さんから聞いたことをかいつまんで兄に話す。
「誰も先輩を突き落とすことはできない。屋上が故意に封鎖されていた以上、事故の可能性もない。であれば先輩は自らの意思で屋上から飛び降りたと考える他ない。しかも先輩の携帯電話には、いまさっき見せたのと同じ内容のメールが届いてた」
あたしは一端車椅子を止めると、兄の横顔をのぞき込んだ。
「以上を踏まえるなら、先輩はジャンピング・ジャックを名乗る人物にそそのかされて死んだ公算が高い。それが警察の見解」
正確には東高に駆けつけた捜査員の見解だが、それが警察組織の公式見解となるのも時間の問題だろう。
「なが兄はどう思う? あ、なんであたしが警察の考えを知ってるのかとか、そんなくだらない質問はしないでね」
「どう思うも何も、スパムメールの可能性はありえないんだろう? なら、警察の判断は至極妥当だと思うが」
嗚呼。やはり兄は劣化している。どうしようもなく、劣化している。あたしは溜息をついて失望感をあらわにすると、再び兄にこう問いかけた。
「――泉田君が初芝先輩に殺害された証拠があったとしても?」
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