5-7
苛立ちにまかせて敷島と一本の傘を共有することにしたあたしだったが、学校を出てすぐに、それがろくでもない思いつきだということに気がつかされた。
何しろ雨はひっきりなしに降り続いているのだ。いくら敷島の傘が大きいと言っても限界はある。あたしは傘からはみ出た左肩が重たくなるのに辟易しながら、敷島と歩調を合わせることに注力した。全く、水たまりを避けるのも一苦労だった。何より最悪なのは、あたしのイラチに付き合わされている敷島が、少しの文句を口にせず、心持ちあたしの方に傘を傾けながら歩いていることなのだが。
それでも一つだけ良いことがあるとするなら、別々に傘を持って歩くよりもはるかに会話がしやすいということだろう。
無論会話の内容は、恋人同士がするような甘酸っぱいやつでは全くなく、徹頭徹尾ジャンピング・ジャックの事件についてだった。
「川原はこの事件の全体像をどうイメージしている?」
「いきなりそんなこと言われても、ぴんとこないんだけど」
あたしがつっけんどんに応じると、敷島は再び口を開いた。
「ジャンピング・ジャックを名乗る人物は、何らかの形で秀彦たち五人とコンタクトを取り、自身の企画したゲームに誘った。ゲームの詳細は不明だが、どうやら高所から何の装備もなく飛び降りて生き残れるかどうかを競う危険極まりないものらしい。結果、五人全員がゲームに敗れ、転落死した――今俺たちが持っている情報を素直に解釈すれば、事件の全体像は大方こんなところだろう」
「ふんふん」
「これが安っぽいサスペンスのあらすじなら、あぁそうかとうなずける所だが……現実のこととなると、どうもしっくりこない」
「泉田君がそんな馬鹿な誘いに乗るわけないって?」
「他の四人の高校生にしたってそうだ。例え彼らがジャンピング・ジャックの言う対価とやらに目がくらんだとしても、それで紐無しバンジーに挑戦するなんて、ありえると思うか? 小学生のガキじゃないんだ。どういうことになるのか、火を見るよりも明らかじゃないか」
「そりゃまぁ確かにそうだけど」
あたしは不承不承答える。さっきまでジャンピング・ジャックが五人をゲームに誘ったということを暗黙の了解事項として、ネットを調べていたのに、それをあっさり無かったことにするってのは、ちょっと受け入れがたいものがある。あるのだが。
「俺にはジャンピング・ジャックのゲームに、メールの文面とは別の意図が隠されている気がしてならないんだ」
敷島も感情に流されてこんなことを言っているわけではないのだろう。あたしはしばらく考え込んだ後で、バッグから携帯電話を取り出した。
「……仮にジャンピング・ジャックのゲームに別の意図が隠されているのだとしたら、それを解く鍵は多分、メールの文面の揺らぎだろうね」
さりげなく携帯電話の画面を敷島にも見えるような位置に持ってきながら、あたしは言った。
「川原もそう思うか」
「そりゃあね」
ジャンピング・ジャックからのメールは、全てあたしの携帯電話にコピー済みだ。死者の遺族や友人たちから転送してもらったもので、もちろん泉田や坂下さんの分もある。
五人全員がジャンピング・ジャックからのメールを受け取っていたことについては何の揺らぎもない。だからこそ、あたしたちはジャンピング・ジャックの実在を確信するに至ったわけで。
問題なのはメールの本文だった。坂下さんに送られたメールに誤植があることは、早い段階で敷島が指摘していたが、他のメールについても僅かな表記のずれが見つかっている。
【第一の事件】
件名:ジャンピング・ジャック
宛先:welcometojumpingjackgame@ooxx.com
日付:12月18日22時37分
私は君たちの挑戦を歓迎する。
最後にもう一度だけゲームのルールを確認しよう。
『条件』を満たす『塔』へと登り、
空への『ゲート』で時を待て。
全ての準備が整ったなら『ゲート』を越えて飛べ、
もちろん『通信機』は持ったまま。
君たちの敵は世界。
君たちの勝利条件は生還。
そして、得られる対価は望むもの全てだ。
カフカは言う。
「君と世界の戦いでは、世界に支援せよ」と。
けれど敢えてこそ言おう。
世界との戦いに勝利せよ。そして栄光をその手に。
健闘を祈る。
ジャンピング・ジャック
【第二の事件】
件名:ジャンピング・ジャック
宛先:welcometojumpingjackgame@ooxx.com
日付:2月20日19時5分
私は君たちの挑戦を歓迎する。
最後にもう一度だけゲームのルールを確認しよう。
『条件』を満たす『塔』へと登り、
空への『ゲート』で時を待て、
全ての準備が整ったなら『ゲート』を越えて飛べ、
もちろん『通信機』は持ったまま。
君たちの敵は世界。
君たちの勝利条件は生還。
そして、得られる対価は望むもの全てだ。
カフカは言う。
「君と世界の戦いでは、世界に支援せよ」と。
けれどあえてこそ言おう。
世界との戦いに勝利せよ。そして栄光をその手に。
健闘を祈る。
ジャンピング・ジャック
【第三の事件】
件名:ジャンピング・ジャック
宛先:welcometojumpingjackgame@ooxx.com
日付:3月23日17時52分
私は君たちの挑戦を歓迎する。
最後にもう一度だけゲームのルールを確認しよう。
『条件』を満たす『塔』へと登り、
空への『ゲート』で時を待て。
全ての準備が整ったなら『ゲート』を越えて飛べ、
もちろん『通信機』は持ったまま。
君たちの敵は世界。
君たちの勝利条件は生還。
そして、得られる対価は望むもの全てだ。
カフカは言う。
「君と世界の戦いでは、世界に支援せよ」と。
けれどあえてこそ言おう。
世界との戦いに勝利せよ。そして栄光をその手に。
健闘を祈る。
ジャンピング・ジャック
【第四の事件】
件名:ジャンピング・ジャック
宛先:welcometojumpingjackgame@ooxx.com
日付:4月21日13時59分
私は君たちの挑戦を歓迎する。
最後にもう一度だけゲームのルールを確認しよう。
『条件』を満たす『塔』へと登り、
空への『ゲート』で時を待て。
全ての準備が整ったなら『ゲート』を越えて飛べ、
もちろん『通信機』は持ったまま。
君たちの敵は世界。
君たちの勝利条件は生還。
そして、得られる対価は望むもの全てだ。
カフカは言う。
「君と世界の戦いでは、、世界に支援せよ」と。
けれどあえてこそ言おう。
世界との戦いに勝利せよ。そして栄光をその手に。
健闘を祈る。
ジャンピング・ジャック
【第五の事件】
件名:ジャンピング・ジャック
宛先:welcometojumpingjackgame@ooxx.com
日付:6月6日7時2分
私は君たちの挑戦を歓迎する。
最後にもう一度だけゲームのルールを確認しよう。
『条件』を満たす『塔』へと登り、
空への『ゲート』で時を待て。
全ての準備が整ったなら『ゲート』を越えて飛べ、
もちろん『通信機』は持ったまま。
君たちの敵は世界。
君たちの勝利条件は生還。
そして、得られる対価は望むもの全てだ。
カフカは言う。
「君と世界の戦いでは、世界に支援せよ」と。
けれどあえてこそ言おう。
世界との戦いに勝利せよ。そして栄光をその手に。
健闘を祈る。
ジャンピング・ジャック
完全に文章が一致しているのは、第三の事件と第五の事件のみ。第一の事件では最後のセンテンスの『けれど我々はあえてこそ君に言う。』の『あえて』が漢字表記になっており、第二の事件においては、二つ目のセンテンスの『空への『ゲート』で時を待て。』の句点が、読点に置き換わっていた。第四の事件での誤字は、前に敷島が指摘した通りだ。
「シンプルに考えればただの入力ミスなんだろうが……それも妙な話だよな」
携帯電話のディスプレイを仔細に追いかけながら、敷島は呟く。
「一度送信したメールは、履歴に残る。履歴から宛先を変えて再送するなりコピーして貼り付けるなりすれば、こんな差異は発生しないはずだ」
「うっかり誤送信してしまうリスクを避けるために、一々消していたとか?」
「それなら本文だけをメモ帳アプリにでもコピーしておけば良いだけのことだろ?」
「メモ帳機能もついてないようなものすごく古いケータイを使っていたとか……あるいはジャンピング・ジャックがケータイの機能を使いこなせてなかったとか?」
「自分自身正直それはないなって思ってるだろ」
「……うん」
あたしがしょんぼりうなずくと、敷島は傘の内側を見上げて考え込んだ。
「ジャンピング・ジャックは以前に送ったメールを再利用せず、わざわざ本文を打ち直している。同じ文面を送りたいだけなら打ち直す必要はない。よって表記の揺らぎはミスではない。ジャンピング・ジャックが意図的に残したものと考えられる――こういうのはどうだろう」
「アイディアとしては良いと思うけど、句読点や表記の違いにどんな意図があるかって考えるとねぇ」
「まぁな」
しばしの沈黙があたしたちの間に舞い降りた。敷島の案内に従って、あまり使ったことのない路地を歩いていたあたしは、しばらくの間足に意識を集中させることにした。
「オリジナルはどれなのかな」
と、あたしはふいに足を止め、そんなことを口走った。
「え?」
遅れて立ち止まった敷島が、こちらを振り向いて傘だけを差し出す。あー、それじゃあアンタがびしょ濡れになるでしょうに。あたしは急いで敷島の側へと戻った。
「メールの文面の揺らぎが意図的なものなのか、そうでないかはともかくとして、内容はほとんど一緒なわけだし、ジャンピング・ジャックが
「そりゃあ、第三、第五の事件のやつじゃないか?」
「そう? あたしは第一の事件のやつってこともありうると思う」
常用漢字のみを使うなら、ひらがなで『あえて』と表記すべき所だが、短詩めいた内容だけに、漢字表記に拘るということもあるのではないかと言うのが、その根拠だ。
「となると……第二の事件以降は全部劣化コピーということになるのか」
あたしは軽くうなずくと、さらに別の説を持ち出した。
「それと……五つのメールとは別に、オリジナルの文章が存在するって可能性も無視できないね」
「全部が劣化コピーってか。確かにありそうだな」
それからあたしたちはしばらくの間、メールの文面についてあれこれ議論を重ねた。議論といっても、第二、第四の事件のメールがいずれも句読点に関係した誤記だということに何か意味があるのかとか、第三、第五の事件のメールだけ完全に文章が一致しているのはどういうわけかだとか、雑談程度のものだったが。
ただ、敷島と話をしながらあたしは何となくショッピングセンターでの出来事を思い出していた。あの日、誰よりも早く誤植に気がついた敷島は、何故か残念そうな表情を浮かべた。
あるいは敷島はこう考えたのかも知れない。ジャンピング・ジャックが複数の高校生をゲームに誘ったということまでは事実なのだとしても、死んだ五人全員がそうであったとは限らない。その中に紛れがあったのではないかと。
紛れ――すなわち、何かのきっかけで、ジャンピング・ジャックのゲームを知った第三者が、ゲームに便乗して、憎むべき誰かを高所から突き落とした可能性。
だが、もし仮に便乗犯がいたとしても、泉田がその犠牲になったとは考えにくい。粗忽な便乗犯が読点を一個余分に打ったのは、泉田の時ではなく、坂下さんの時なのだ。
他のメールからも文面の揺らぎが見つかった今となってはいささか状況が違うのかも知れないが、あの時の敷島の表情の理由はその辺りにあるのだろう。坂下さんが便乗犯に殺されたとするならば、逆に泉田の方はくだらないメールにつられて窓から飛び降りた公算が高くなるのだから。
「どうした、川原。ぼうっとして」
今までに敷島がそうした仮説を披露したことは一度もない。泉田の死について、具体的に何か語るということもなかった。だからあたしは自分の考えを口には出さずに、かぶりを振ることだけをする。
「ううん、別に。なんでもない」
「そうか。そろそろだぞ」
「わかってる」
路地の向こうに見知った道が見えてきたのを確認して、あたしは小さくうなずいた。あの角を曲がれば、泉田のマンションは多分すぐそこだ。事件の時のことを思い出して、少し緊張する。そう言えば、あれ以来マンションの前の道を使うのはやめにしてたんだっけ。
あたしのパートナーはと言えば、やはり横顔が心なしか緊張しているように見える。敷島自身、泉田の死後、マンションを訪れるのは初めてらしい。
「行こう」
見上げれば、あたしと敷島にとっての事件の発端が、そこに屹立していた。
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