5-5

 昇降口にまだ敷島の姿はなかった。


 あたしは何となしに下駄箱から靴を引っ張り出すと、ポーチに出ることにした。


 雨の勢いは幾分弱まっていたが、それでもポーチをかいくぐった無数の雨粒が頬やセーラー服を確実に濡らしていく。あたしはしばしの間眼を閉ざして、しとしとと振る雨の音に耳を澄ました。


「――あら、川原さんじゃない」


 背後から唐突に呼びかけられ、あたしははっと後ろを振り返った。


 そこに立っていたのは、あの初芝先輩だった。


「こんな所で何をしているの? 敷島君を待っているにしても、中にいれば良いじゃない。風邪、引いちゃうよ?」


 一見後輩の身を案じるような態度にはしかし、彼女の本心は僅かも含まれていないようだった。


「お気遣いありがとうございます」


 だからあたしは、侮蔑に満ちた先輩の瞳をまともに見返しながら、言った。


「あなたと敷島君とのことで、色々な噂が飛び交っているわ」


「知ってます」


「その様子では、まだ付き合っていないのね」


「まだって言うか、未来永劫そうだと思いますよ」


 初芝先輩の勘ぐるような問いかけに対し、あたしは殊更突き放すように言って逆襲を試みる。


「そうでしょうね」


 だが、先輩はあたしの受け答えを予期していたかのようにそう言って、嫌らしい笑みを浮かべた。


「あなたたち二人が一緒に行動している本当の理由は、泉田君の死の真相を探るため。大方正解はそんなところなんじゃないかしら。少なくとも敷島君にとっては」


 付け加えられた限定文に、微かなひっかかりと非常な苛立ちを覚えたあたしは、意を決して胸をそらした。


「あの、初芝先輩。ちょっと良いですか?」


「なあに?」


「言いたいことがあるんならさっさと言え。この間からあんたが何を言おうとしてるのかちっともわかんない。あたし、馬鹿なんで」


 必要以上に声を荒げることはなく、それでいてこちらの悪意ははっきり伝わるように、あたしは言った。


 だが、初芝先輩はまたしてもあたしが予期していなかったリアクションを取った。すなわち、一瞬目を丸くしたかと思うと「あはははは!」と笑い出したのだ。


 昇降口にいた生徒たちの何人かが、不審げにこちらを見るほどに不気味で、大きな笑い声だった。


「なるほどね……さすがは川原流さんの妹ね。敷島君には勿体ないくらい」


「兄のことを知っているんですか」


 唐突に兄の名前を出されたことで、あたしははっと体を強ばらせる。


「直接会ったことはないけど、私たちの世代くらいまででは有名人だからね。最近五十海に戻ってきているって噂だけど、それは本当なの? い・も・お・と・さ・ん」


 ああ、こいつは知っている。川原家の事情を薄々承知していて、なおかつそれを武器にプレッシャーをかけようとしていやがるのだ。


「あははは。そんな顔しないでよ。私、別にあなたのことは嫌いでもなんでもないんだから」


 殴りかからんばかりの勢いで睨むあたしだが、初芝先輩は動じない。


「言いたいことがあるんならさっさと言え、だっけ? いいわ。言ってあげる」


 先輩は満面の笑みを浮かべてそう言うと、素早くあたしの耳元に顔を寄せた。


「川原さん、敷島君のケータイの待ち受け、見たことある?」


「は? 携帯? なんですかそれ」


 三度意表を突かれたあたしは、馬鹿みたいに尋ね返してしまう。


「その様子では見たことがないみたいね。ご愁傷様」


 そんなあたしに初芝先輩は心底同情するような視線を浴びせると、すっときびすを返した。


「ちょっと、初芝先輩!」


「私からは以上。敷島君が来る前に退散させてもらうわね。その方がお互いのためでしょうから」


 にこやかに言って、あたしの制止を躱すと、先輩は優雅な足取りで校内へと戻っていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る