4-4
三人の高校生を乗せて、エレベータは静かに上昇していく。
「Lavi五十海に来るのは久しぶりなの……亜里砂が死んでからこっち、足が向かなくってね」
飯塚さんが電光掲示板の数字が切り替わっていくのを見上げながら小声で言った。
「その割に詳しかったようだが?」
「かも知れない」
敷島の少し挑発的な問いかけに対し、飯塚さんは逆らうことをせずに、小さく肩をすくめてみせた。
ほどなくチーンと小気味の良い音が鳴り響き、ドアが開いた。
エレベータを降りそのまま屋上へと足を踏み出すと、途端に視界が真っ青に染まった。
六月の空には雲一つ浮かんでおらず、南天の太陽から降り注ぐ強烈な光は早くもあたしたちの肌を焦がし始めていた。遅れに遅れた梅雨入り宣言後も、五十海はずっとこんな具合に憎たらしいまでの晴天が続いている。
「あの娘はエレベータ室の裏側から飛び降りたそうよ」
あたしと同じに空を眺めていた飯塚さんが、前置きなしに言った。
「亜里砂のお父さんからそう聞いた」
「行ってみよう」
あたしがそう言ってエレベータ室の脇に回ると、すぐに立体駐車場の外周を囲む塀が見えてきた。
否――塀だけではない。丈の低い塀の上には、塗装も真新しい灰色のフェンスが高く張り巡らされている。つまりは、坂下さんの事件の後に急遽講じられた事故防止策ということなのだろう。
「へぇ。ここって人が通り抜けられるスペース、あったんだね」
飯塚さんが一足先にエレベータ室と塀の間へと体を滑り込ませながら言った。
エレベータ室は立体駐車場の端に設置されているのだが、厳密には少し中央に寄っている。そのため彼女の言う通り、塀と小部屋との間には1メートル程度の隙間が空いているのだ。駐車場側からは完全に死角になっているし、Lavi五十海への連絡通路からも見づらい位置だ。白昼の事件だというのに目撃証言が皆無らしいというのもうなずける。
「多分この辺りだな」
フェンス越しに地面を観察していた敷島が、足を止めて言った。
「なんでわかるのさ」
敷島の側に近寄りながらあたしは突っ込みを入れる。
「エアコンの室外機……ここの真下のだけ、やけに綺麗だろう?」
「ああ、そういうこと」
敷島の指さしたエアコンの室外機は、綺麗と言うより真新しい感じがした。この高さから落ちてきた人間と衝突したのだ。薄いケースに覆われているだけの室外機も無事では済まなかったのだろう。
あたしたちは坂下さんの転落現場周辺を仔細に調べて見ることにした。名探偵でも刑事でもないあたしたちがそんなことをしても徒労に終わることはわかりきっていたが、あたしと敷島はしばらくの間バカみたいに作業に没頭した。
意外だったのは飯塚さんまであたしたちの愚行に付き合ったということだ。義理でそうしたわけではないということは、真剣な表情を見ればわかった。
「ねぇ飯塚さん」
しばらくしてあたしは、塀に沿って延びている排水溝を見つめながら言った。
「今日の待ち合わせ場所、指定したのは飯塚さんなんだよね?」
「そうだよ」
あたしの隣で飯塚さんがうなずく。
「どうしてLavi五十海にしたの?」
今度はすぐに答えが返ってこない。それであたしは、飯塚さんが旧友の事件に対して簡単には割り切ることのできない想いを抱いているのだと確信する。あたしの質問が、飯塚さんの心の奥底にある何かを鋭く射貫いたということも。
「……何から話せば良いのかな」
長い沈黙の後、飯塚さんは立ち上がって言った。その視線はあたしにではなく、フェンスの下の地面に向けられていた。
あたしはゆっくり立ち上がると、飯塚さんの横顔を眺めながら、彼女が再び口を開くのを待った。
「さっき喫茶店で言いかけてやめたことだけど……そもそも高校に入ってからのあたしと亜里砂はそれほど親しい間柄じゃあなかったの。不仲とまでは言わないまでもね」
「何かきっかけがあったの?」
「普段一緒にいるグループが違うっていうのが大きかったんだと思うよ。私はサッカーファンの娘たちと、亜里砂は同じ中学出身の娘たちと一緒にいること多くてね。自然と疎遠になっていったの」
意外と普通だ。心の中でそう呟くあたしをよそに、飯塚さんは「亜里砂の中学、私立で校則もユルめだからオシャレな娘が多いんだよねー」と言って皮肉っぽく笑った。
だが、飯塚さんはその直後、急に表情を硬くした。
「亜里砂のグループに一人だけ、毛色の違う娘がいるんだ。
それから飯塚さんは私を一瞥した。
「わかるよね? 自分たちよりも弱い異物に対して、女子の集団がどういう行動をとるのか。生前の亜里砂は、特にそういうことに熱心だった」
「里村さんに対するいじめがあったって言いたいの?」
「集団で暴力を振るうなんてことはなかったと思う。まぁでも……みんなの分のジュースを買いにいかせたりとか、それなりにえぐいこともやってたとは聞いている」
「お前はそれを見過ごしていたのか?」
ここまで黙って聞きに徹していた敷島が、やや鼻白んだ様子で飯塚さんに尋ねた。無愛想だけど、正しくないことは嫌いな彼らしい反応だとは思ったが、あたしは飯塚さんが口を開くよりも先に、
「敷島、ごめん。しばらくしゃべんないで」
と言って再び彼を沈黙させた。
飯塚さんは、あたしの顔をしげしげと見つめてから、ふっと物憂げにため息を吐き出した。
「……敷島君には軽蔑されるかも知れないけど、正直私は里村さんのことをどうでも良いと思っている。周りからあんな風な扱いを受けて、それでもへこへこ付き従う娘の気持ちなんてわからないし、わかりたくもない」
いつの間にか飯塚さんの視線はフェンスの向こう、エアコンの室外機に流れていた。
「でも、里村さんをいじめる側に亜里砂がいることについては、どうでも良いですませられなかったんだろうね。私は」
何かを押し殺したような声だった。
小学生時代にいじめから守ってくれた人が高校で再会したらいじめの加害者になっていた――その事実に飯塚さんが複雑な感情を抱くのは無理なからぬことだと思う。
でも、それだけではまだ不十分だ。今になってこの場所を訪れることにした理由を、飯塚こずえはまだ話してくれていない。
「亜里砂が死んで、色々な噂が流れた。成績のことで悩んでいたんじゃないかとか、手ひどい失恋をしたらしいとか、根も葉もない噂ばかりだった。普段仲良くしてた連中でさえ、粗雑な言葉で亜里砂の死を評論していた。テレビカメラの前では涙ぐむことさえするのにね」
フェンスを握りしめたまま、飯塚さんは語り続ける。
「憤りはないよ。ただ、彼女たちの語る亜里砂は、私の知っている亜里砂とは全然別人で、私の知らない亜里砂ともちがくて、それが何だか滑稽に思えただけ。そんな折りに、質の悪いジョークみたいな話が飛び込んできた。ジャンピング・ジャックのゲーム? 冗談じゃない。いくら亜里砂が小学校時代とは別人みたいになってしまったと言って、あんなメールを真に受けるなんて、そんな馬鹿なことあるわけない。そう思った」
飯塚さんの手の中でフェンスが歪んだ。憤りはないだなんて下手な嘘をつくものだと、あたしは遠くの空を見ながら思った。
「だから調べた。新聞記事を読みあさったり、亜里砂と仲の良かったグループのメンバーから聞き込みをしたり……私の知っている亜里砂はどこにもいなかったのか、本当の坂下亜里砂はどんな人間だったのか、我ながらくだらないことだとは思うけど、本気でそれを知りたいと思ってしまったの」
つまりはそれが飯塚さんが事件のことを
「でも、やっぱり駄目だった」
しばらくして飯塚さんは別人のような声で言った。
「え?」
「ここに来て、川原さんたちと警察の真似事みたいなことをして、何とも痛い自分語りをして、わかったことがあるんだ。ううん、違う。思い出したと言うべきかな」
あたしの隣で、小柄な少女は疲れたような顔つきで青空を見上げる。
「私、面倒なことには首を突っ込まないタイプなんだ。遠くで見ているのがせいぜいで、さ。だから、やめる。柄じゃないことはもうしない」
悟りきったような口調。でも、その瞳に一瞬だけ悔しさが滲んだのを、あたしは見逃さなかった。
「飯塚さん……」
「そんな顔しないでよ。聞きたいことがあるなら、これからも相談に乗るからさ」
飯塚さんはあたしを気遣うようにそう言ってから、背後を振り返った。
「敷島君」
「どうした?」
声はするけれど、姿が見えない。さっきあたしが『しゃべるな』と言ったのをすねてるのか? と思っていたら、エレベータ室の排水管の裏から本人がぬっと姿を現した。そんなとこに隠れていたのか。
「今日はありがとう。敷島君が声を掛けてくれたおかげで、ここに来ることができた。本当、感謝してる」
「気にするなよ。こっちの我でやってることなんだから」
「そっか」
仏頂面の敷島に、飯塚さんは笑って小さくうなずいた。これまで見た飯塚さんの笑顔の中で、一番綺麗だと思える笑顔だった。
「もう一つだけ、思い出した。亜里砂はここから飛び降りた時、右手にリップクリームを握りしめていたらしいの。どこにでもあるようなごくごく普通のリップクリーム。亜里砂のお父さんからそう聞いたんだ。事件と関係あることなのかどうかはわからないけどね」
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