4-3

 喫茶・カントリーローグはロッジ風の瀟洒な造りで、ナラの木のテーブルが十数基、充分なスペースを空けて並んでいた。まだ朝一の映画が終わっていない時間帯だからか、客の入りはまばらだった。


「こっちだ」


 敷島に言われるまま店内中程まで歩いて行くと、窓際のテーブルで一人頬杖をついてスマートフォンを触っている少女の姿に気づいた。


「何だ、まだ頼んでなかったのか?」


「あーうん。すぐ来るかなと思って」


 敷島が声を掛けると、少女は口元に八重歯を覗かせながら頬杖を崩した。あたしたちとは同学年のはずだが、長めの髪をバレッタで綺麗にまとめ、どこか大人びた感じを受ける。ノースリーブのワンピースからのぞく脇のラインには妙な色気すらあった。


「注文するものが決まってるなら呼ぶぞ」


 あたしが突っ立ったままでいると、先に椅子に腰掛けた敷島が、言った。あの、まだメニューを開いてすらいないんですけど。


「川原もアイスコーヒーで良いな?」


 そうですか。


 ま、未だに泉田の死体を見たときのことが尾を引いているから、ゆるふわエッグバンズを注文する気にはなれませんけど。


 飲み物のオーダーが済むと、敷島は早速あたしのことを少女に紹介してくれた。続いて、向かい席の彼女――飯塚こずえさんのことをあたしに。


 もっとも敷島の紹介は実に素っ気ないものだったから、あたしも飯塚さんも、実にぎこちのないファーストコンタクトを取ることになったのだけど。


「えっと、南女二年の飯塚こずえです。よろしくお願いします」


「あ……東高二年の川原鮎です。こちらこそ」


 こんな具合に。


「何だお前ら、やけに硬いな」


 誰のせいだ。


 あたしが心の中で突っ込むと、飯塚さんがそれを見透かしたように微苦笑を浮かべた。


「あー、まぁお互い二年だし」


「うん。ですます禁止でいく?」


 空気を読んだ飯塚さんの提案に、あたしは即座にうなずいた。


 そのまましばらくの間、昨日観たテレビ番組のことだとか、出身中学のことだとか、取るに足らない話をしていたあたしと飯塚さんだが、ウェイトレスが飲み物を置いて去っていったところで、敷島から「そろそろ良いか?」と止めが入った。


 敷島は、飯塚さんが手元のキャラメルマキアートに口を付けるのを待って、事件当時の坂下さんの行動について知っていることを話すよう頼んだ。


 飯塚さんは「わかった」と即答したものの、しばらくの間マグカップの中のマーブル模様をじっと見つめていた。


「もっとも私だって、事件現場に居合わせたわけじゃないからね。ほとんどが伝聞情報だけど、それは良いんだね?」


 そう断って、飯塚さんはどこか気だるそうな口ぶりで話し出した。


 曰く――坂下さんがここの立体駐車場から飛び降りたのは、四月二十一日の木曜日、午後二時過ぎのことだったと言う。普段であれば授業中の時間帯だろうが、その日は創立記念日で南女の生徒は全員休みだったそうだ。


 午前中を自宅で過ごした坂下さんだが、正午過ぎに家を出てLavi五十海へと向かったらしい。その後、十二時半頃から一時半過ぎまでの間、フードコートで時間を潰していたということが、複数の証言により判明している。


 だが、一時四十分頃に二階のアウトレットショップで店員に目撃されたのを最後に、彼女の足取りは途切れてしまう。だから、その二十分後に立体駐車場の屋上からダイブするまで、坂下さんがどこで何をしていたのかはわかっていない――。


「私が知っているのはこんなところだけど……どう?」


 一通り話したところで、飯塚さんはそう言って意味深な微笑を浮かべた。


「あたしたちが事前に調べた内容と食い違っている点はないと思う」


 あたしは、指先でアイスコーヒーのグラスの冷たさを感じながら、そう応じた。


「だよね? 敷島」


「ああ」


「ふーん、それで?」


 それであたしは飯塚さんの微笑の意味を理解する。


 彼女は試しているのだ。あたしたちがどこまでのことを調べてきたのかを。


「実は坂下さんの事件に関して、妙な噂を聞いたの」


「噂?」


 飯塚さんに問われて、あたしは素早く敷島に視線を走らせた。


「坂下が死ぬ直前に、彼女の携帯電話に転落を唆すような内容のメールが届いていたという噂だよ」


 すぐにあたしも追撃の一手を加える。


「それともう一つ。その噂の出所が飯塚さんらしいという話も聞いてる――どこまでが本当の話なの?」


 あたしの手元で、カランと鋭い音が鳴った。溶けかけた氷がグラスの底に滑り落ちる音だった。


「全部本当の話だよ」


 三十秒程の沈黙を経て、飯塚さんはマグカップを傾けながら言った。もし、さっきのが彼女なりの試験だったとするなら、今のは合格発表ということになるのかも知れない。


「我ながらちょっと口が軽かったと反省している」


「根拠もなく流した噂ってわけじゃないみたいだね」


「口で説明するより、これを見てもらった方が早いと思う」


 飯塚さんはポーチから四つ折りになったA4用紙を取り出し、あたしたちの前でそれを開いた。


件名:ジャンピング・ジャック

宛先:welcometojumpingjackgame@ooxx.com

日付:4月21日13時59分


私は君たちの挑戦を歓迎する。


最後にもう一度だけゲームのルールを確認しよう。

『条件』を満たす『塔』へと登り、

空への『ゲート』で時を待て。

全ての準備が整ったなら『ゲート』を越えて飛べ、

もちろん『通信機』は持ったまま。

君たちの敵は世界。

君たちの勝利条件は生還。

そして、得られる対価は望むもの全てだ。


カフカは言う。

「君と世界の戦いでは、、世界に支援せよ」と。

けれどあえてこそ言おう。

世界との戦いに勝利せよ。そして栄光をその手に。

健闘を祈る。


ジャンピング・ジャック


 A4用紙にゴシック体で印字されたのは、以前敷島に見せてもらったものと同じ内容のメール文だった。受信時刻は二時前。事件の直前だ。何より決定的なのは――。


「敷島、このメアドって」


「ああ。秀彦にあのメールを送りつけてきたやつのと同じだ」


 そのままあたしと敷島は顔を見合わせて黙り込んでしまう。


 どうやらあたしたちはのっけからを引き当ててしまったらしい。


「……本当にこのメールが坂下亜里砂の携帯電話に届いていたのか?」


 やがて、敷島がA4用紙を握りしめたまま尋ねた。


「信じられないなら、家族に確認してみれば? あまりお勧めしないけど」


 飯塚さんがちょっときつめの口調で答える。敷島の質問が不快だからと言うより、自分が嘘を言っていないということを示すためなんだろうけど、笑顔を崩さないで言うのでかえって迫力がある。


「飯塚さんはどうやってこの文面を入手したの? やっぱり、坂下さんの家族から?」


 今度はあたしが尋ねた。


「そんなところだね。入手って言うとちょっと大げさだけど」


 飯塚さんは肩をすくめて答えると、一枚のA4用紙にまつわるストーリーを語り始めた。


 それは坂下さんが転落死してから一月ほどが経ったある日曜日のこと。


 いつも通りに自宅でだらだら過ごしていた飯塚さんの元に、坂下さんの両親が尋ねてきたのだという。


 両親の突然の訪問に飯塚さんは大層驚いたらしい。坂下さんとは小学校以来の友人で、両親とも面識はあったそうだが、中学以降はほとんど会うことがなかったのだ。


「亜里砂の小学校時代の友達の中で、南女に行ったのは私くらいのものだから……昔のことを思い出語りしにきたのかなって最初は思ったんだ」


 ひと月前に一人娘を亡くしたばかりの夫婦である。むげにもできない。飯塚さんは「五分だけ待ってください」と言って身支度を整えると、二人を家にあげたのだと言う。


 実際、坂下さんの両親が望んだことの大部分は、小学校時代の思い出語りだった。そして、飯塚さんは、できうる限り彼らの期待に応えようとした。


「偽善的と言われればそうなのかも知れないけどね」


 小学校三年生の時に五十海に引っ越してきた飯塚さんにとっての初めての友達になってくれたこと。小学校四年生の時にクラスの男子から軽いいじめを受けていた飯塚さんを守ってくれたこと。飯塚さんとは別の私立中学への進学を決めた坂下さんが、飯塚さんに「高校ではまた一緒になろう」と言ってくれたこと――。


 飯塚さんが少しだけ美化された真実に近い物語――彼女自身がそう認めた――を語り終えると、坂下さんの父親は深々と頭を下げたと言う。母親も涙ぐみながら何度も感謝の言葉を繰り返したそうだ。


 長い思い出語りが終わると、坂下さんの両親はもう一度飯塚さんにお礼を言って立ち上がったが、それで幕切れというわけではなかった。


 玄関先でさりげなく妻を先に帰らせた坂下さんの父親が、胸ポケットから携帯電話を取り出しながら、それまでと違うやや鋭い声で尋ねてきたのだと言う。


 ――ジャンピング・ジャックという名前に聞き覚えはないだろうか。


「その時に見せられたのがこの文面なんだね?」


「そういうこと。遺品を整理していて気がついたんだって」


 敷島のケースとそっくりだ。旧友にメールの文面を見せるところまで含めて。それだけ坂下さんの両親が飯塚さんのことを信頼していたということか。


「警察には見せたのかな」


「それが……いまいち反応が良くなかったみたい。とりあえずメールの写しを受け取りはしたけれどって感じで。警察は真剣に取り合ってくれないんだって、お父さんぼやいてた」


 泉田の母親と同じようなことを言う。やはり警察はジャンピング・ジャックに関心を持っていないのだろうか。あるいは警察内部でも意見が割れているのかも。


「それで飯塚は坂下の父親に何て答えたんだ?」


 あたしがあれこれ考え込んでいると、敷島が代わりに尋ねた。


「答えるも何も、心当たりなんてなかったし……正直、最初はただのスパムメールにお父さんが過剰反応してるだけだと思った」


 低血圧っぽい話しぶりだけど、なかなか鋭いことを言う。確かにあのメールだけ見せられたらただのいたずらだと思っても不思議はない。ただ、同じ境遇の敷島に比べてのこの温度差は何なのだろう。


「今もそうなのか?」


「え?」


「心当たりだよ。どんな些細なことでも構わない。ゲームだとか飛び降りだとか――生前の坂下がジャンピング・ジャックを想起させるようなことを口にしたことがあったなら、教えて欲しい」


「駄目だね。そう言われても思いつかないものは思いつかないよ」


 にべもない返答に、沈着な敷島もさすがに落胆の色を見せる。


「力になれなくてごめん。けど、そもそも高校に入ってからのあたしと亜里砂は――」


「え?」


 あたしと敷島が同時に声を出すと、飯塚さんははっとして口をつぐんだ。


「今のなし。これ以上は聞かないで」


 やんわりとお願いする飯塚さんだが、その意志が固そうだった。くそう。あたしは半分八つ当たりで敷島のふくらはぎを蹴って気持ちを切り替えると、別の質問を試みることにする。


「坂下さんも東高サッカー部の応援には来てたの?」


「ううん。来てないと思うよ。亜里砂はサッカーにはあんまり興味なかったみたい」


 隣の席をチラ見すると、敷島が不機嫌そうにふくらはぎを撫でながらも、飯塚さんの発言を首肯してみせる。やはり坂下さんと東高サッカー部には直接的な繋がりはないらしい。


「それじゃあ」


 続いてあたしはバッグからノートを取り出すと、赤い付箋のついたページを開いた。


「この人たちの名前に見覚えはある?」


「泉田君は……あの泉田君だよね。でも、それ以外はちょっと。ぱっと見知ってる名前はなさそうだけどね」


「じゃあ、坂下さんと関係ありそうな人がいるかなんて」


「うん。わかんない」


 むーん。二の矢も空振りか。ま、そんなに簡単に被害者同士の繋がりが見えるんなら、警察もとっくに事件を解決しているだろうけど。


「俺からも良いか?」


 と、ここで敷島の手が上がった。「どうぞどうぞ」思わず口を揃えるあたしと飯塚さん。


「立体駐車場から飛び降りたとき、坂下は携帯電話を持っていたのか?」


「らしいよ。お父さんに見せてもらったスマホ、ディスプレイにひびが入ってたし」


 敷島はメールの中の『もちろん通信機は持ったまま』という一文に注目しているらしい。『通信機』というのは言うまでもなく携帯電話――ここではスマートフォンのことを指していると考えるのが妥当だろう。


「そうか。よく壊れなかったな」


「あたしもちょっとびっくりした。スマホも結構丈夫なんだね」


「それと、メールのことなんだが……文中の誤字は原文のままなのか?」


「え?! 何それ。どこどこ」


 大声をあげたのは飯塚さんではない。あたしだった。


「『君と世界の戦いでは~』の部分。読点が一個多いだろ?」


「あ、本当だ」


 む、敷島のくせに鋭いな。


「どうなんだ、飯塚?」


「私の転記ミスってことはありえないよ。亜里砂のお父さんに頼んでコピーさせてもらったメールを打ち出したものだから」


「そうか……」


 敷島は何故か残念そうな表情になって、自分の携帯電話を見た。


(どう?)


 敷島が何を見ているのかを悟ったあたしは、ひそひそ声で話しかける。


(妙だな。やはり秀彦のメールは、ちゃんと読点が一個になってる)


(坂下さんの事件の後で、間違いに気がついたってことなのかな)


(わからん)


「じゃあ、私からも一つ良い?」


 それまであたしたちの方を興味深げに眺めて飯塚さんが小さく挙手をした。


「泉田君のケータイにも、亜里砂のとおんなじメールが届いていたんだね?」


 飯塚さんの問いに、思わずぐっと喉をならすあたし。敷島も眉間に皺を寄せている。いずれは聞かれることだと思っていたが、あたしも敷島も答えを用意していなかったのだ。


 イエスと答えるのは容易い。だが、それは飯塚さんをあたしたちの調査に巻き込むことに他ならない。


「――答えなくては駄目か?」


 やがて、敷島が肩肘をテーブルに付けて言った。


「ギブアンドテイクって言うよね?」


 しばしのにらみ合い。敷島は一度目を逸らそうとしかけた。けれど、すぐに瞳の揺らぎを消した。腹を決めたな、と、あたしが心の中でつぶやいた。


「わかったよ。そういうことなら仕方がない」


 先に口を開いたのは飯塚さんだった。口調はちょっと固いが、未練を感じさせない態度はさすがだった。


「ただ……そうだね。もしあなたたちが私に対してちょっとでも申し訳ない気持ちでいるんなら、してもらいたいことがあるかも。あ、もちろんここの払いとは別にだよ。どう? 川原さん」


「あたしにできることなら。あ、もちろんここの払いは敷島がするんだけど」


 隣で態度の悪い男が舌打ちをした。それが落としどころだった。


「言えよ」


「これから一緒に立体駐車場の屋上について来て欲しいんだ。亜里砂が飛んだあの場所に、さ」

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