4 槁木死灰の大地にて”宣告”を

 新感覚VRMMORPG『リバースエンド・オンライン』には、二つの異なる顔がある。

 東西南北六つの都市圏外すべてが鏡面に閉ざされた『鏡面世界』――〝リバースワールド〟。

 灰と荒廃と枯朽、万物の生存権を侵害する『崩壊世界』――〝エンドワールド〟。

 それらはこれまで、相互干渉不能な個別の世界


「しかし、二つの世界はある日を境に互いの存在を認識し、『異界侵略』を開始する――かぁ」


 メニューウィンドウに表示させたシナリオの導入を流し読み、藤堂紗花は頭上で煌めく巨大な祭壇の灯り――神炎の揺らめきを眺めやる。

 目を見張るほどの大きさを誇る神々しいまでの存在感。その癖熱量はおろか、燃え盛る炎の音すら周囲に振り撒かない。ひどく静観で、だからこそ吸い込まれる神秘の輝きに、紗花の瞳もまた奪われた。


「……きれい」


 先程の物々しいストーリーを読んだときとは対照的な、温かい感情が芽生える。

 どうせならそんな血みどろで物騒な内容じゃなくて、手を取り合い『和平』を結んで、相互発展していくような内容にすればよかったのにとさえ思う。

 しかしそれは、双方を取り巻く環境の違いを考えれば、土台無理な話である。


 一方はたった六つの都市しか存在しないというのに、どこからか資源を調達してきて潤沢さを窺わせる文字通りの幻想世界。

 もう一方はと言えば、広範囲に街やら村やらを展開しながら、枯れた土地のせいで少量の資源しか採取できず、やむなく〝魔〟に汚染された危険生物との死闘を繰り広げる以外に生き残るすべがない、文字通りの崩壊世界。


 前者にならまだしも、荒れすさんだ後者に『穏便に済ませる』という選択肢がとれるわけがないのだ。


「おにいちゃんと一緒にゲームができるなら、本当はもっと普通の、ふんわりほのぼのしたMMOが理想だったんだけど」


 そうとは知らない紗花は神炎から視線を外すなり、口を尖らせて不満そうに呟く。

 『普通のふんわりほのぼのしたMMOって何』という疑問は捨て置くとして、そうして彼女が不満を漏らすのには、兄をゲーム世界に引きずり込むために協力を要請した、上の兄との『取引』が原因だった。


「尚にぃが『どうせやるなら今制作中のMMOにしてくれ。それなら不本意ながら協力してやれなくもない』って言うからお願いしたけど、まさかこんなガチのなんてだれも予想できないよ」


 というより、紗花から見ても異常なまでに『妹ラブ』な彼がこんなお願いを聞き入れてくれること自体が想像の埒外だった。当時は「ダメ元でもお願いしてみてよかった」と歓喜したものである。


 余談ではあるが、紗花の『兄ラブ』は愁人にのみ適用される症状で、年が離れ接点も少ない尚也には一切機能しない。兄の気持ちを『ちょっと利用した』自覚のある紗花がこの後わずかな罪悪感に苛まれたのはまた別の話だ。


 閑話休題。

 ともあれ尚也の協力の甲斐あって、やっとの思いで腰の重い愁人をこうして連れ込むことに成功したのは紛れもない事実だ。それは紗花にとっても実に喜ばしいことである。

 ここでこんな、〝不測の事態〟が起きなければの話だが。


「あぁぁぁっ!? もうどうしてこんなときに限って『アカID』登録し忘れるの―――――!」


 どういうわけかこんな大事な時に限って、紗花の〝不可視のバッドパラメーター〟が発動してしまったようである。なんという神の悪戯なのだろうか。神最悪。神の鬼。神悪魔。はい、すみません。

 ちなみに本作のナーヴギ……ではなく、アミュス……でもなく、名称不明なVRマシンには『外部アカウントID』が用意されており、これを事前に交換、登録しておくことで仮想世界内部でもフレンドリストに名前が表示されるという素敵機能が存在することをここに明記しておく。


 またしても余談を挟んだが、亜神の作為から〝うっかり〟を発動してしまった紗花は頭を抱える。


「『ゲーム初、仮想世界初、MMO初のおにいちゃんを華麗にエスコートして好感度アップ』の一大イベントを初手から失敗……これじゃ上昇どころかダダ下がりだよぉ」


 だだでさえ朝の『添い寝』で失敗したというのに、立て続けに失敗してはさすがの紗花も気分が沈む。


「今から急いでおにいちゃんのホームまでいって探さなきゃいけないけど、肝心のホームがどこかぜんぜんわからないし……こんなことならどの種族にするか前もって聞いとくんだったなぁ」


 ただし愁人の場合はいつどこで気が変わるかわからない。紗花もそう思ってあえてそこまで掘り下げなかったのだから、この件で悪いのは完全に彼女ではなく兄の方だった。……まあ、あちらはあちらで害意というか悪意というか、明らかに他者の介在が潜んでいるあたり如何ともしがたいものがあるのだが。そうとは知らない紗花はひたすら後悔の念に駆られるばかり。


 何はともあれいつまでも後悔ばかりしていては先立つものもなく、とにかく行動を起こさなきゃ! とようやく重たい腰を上げたところで、紗花の聴覚野を着信時特有の軽快音が刺激した。

 視界に発信者の名前が表示される。


「――はい、もしもし。ミミちゃん? いきなりなんだけどちょっとお願いが――」


 揺らめく巨体の焔の下で、少女たちによる『おにいちゃん大捜索作戦』が決行に移されようとしていた。



  ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 ロリ巨乳の少女リムルと共に『反転紋ゲート』を潜り抜けた愁人は、目前に広がる果てしなく荒廃した大地の光景を目の当たりにして、碌な言葉も吐けないまま茫然とそれを受け入れていた。


「……これ、が……わたし、の……世界……」


「ここが……この荒れ果てた世界が、リムルの……?」


 幼い顔を歪ませながらのリムルの吐露に、愁人はさらに強い困惑を示した。


「だってこんなの……どうやって生きろっていうんだよ……」


 それほどまでに何もない。あるのは色褪せひび割れた大地と枯れた木々、動物の姿すら見受けられない何もない荒野だけだ。

 それはもう、酷いという言葉で済ませられるほど生易しい環境ではなかった。


 終焉。終末。世紀末。ラスト・デイ。デイ・アフター・トゥモロー……日本育ちの彼に連想できる言葉はいくつもあれど、これほどまでに悲惨な光景はこれまでで一番――前代未聞オンリーワン最凶最悪ワーストワンだ。


「……だい、じょうぶ」


 と、愕然とする愁人を安心させるよう、リムルがそう囁く。


「……まだ……なん、とか……人は、生きて……いけて、る……から」


「……リムル」


「……だから、まだ……死んで、ない……よ?」


「――っ」


 彼女は言う。『世界はまだ生きている』と。

 愁人にはとてもそうは思えなくても、原住民がそう言うのだ。

 当事者筆頭がこうしてまだ一縷の望みを抱いているというのに、よそ者である愁人に口を挟む権利はおろか、悲壮に暮れる行為すら無礼に当たるというもの。むしろその意志を尊重してやるのが筋であろう。愁人はそう思った。


 世界がどんな状況であれ、『諦めてしまえばそこで終了』なのは何事に置いても共通の見解だ。

 リムルは生きる希望を失した人間の末路をよく知っていた。だからまだ諦めない。諦められない。そもそもが自分の生まれ育った環境を『はいそうですか』と捨てられる方が異常なのである。そういうのはもっとこう、苦肉の策であるべきなのだ。


 なら、そうしないために出来る限りのことに手を貸す。それくらいなら許されるはずだ。

 愁人が今出来ることと言えば、異世界の知識を頼りに取り得る方策をひねり出すこと。これに尽きる。


「――そういえば」


 ふと、ある閃きが愁人に舞い降りた。


「リムル。おまえ、〝精霊術士〟なんだよな?」


 愁人が思い出したのは、空馬車から跳び降りた後に彼女が使ってみせた、落下速度を軽減させるほどの上昇気流。本来なら風切り音の影響で落下中の音を正確に拾うことなど出来はしないが、抱きかかえていたこともあってか辛うじて聞こえてきた『シルフィ』という名を呼ぶ声。珍しく彼女が声を張り上げていたのも幸いしたのだろう。

 シルフィ。日本の豊かな文化に多少なりとも触れてきた愁人ですら連想できる『風の精霊シルフ』の名称。それに酷似していた。

 単なる憶測にすぎないが、脳筋ストーカーの人間種ヒューマの男は魔法の行使の際、ちゃんと呪文を詠唱していた。だがリムルは名を口にしただけで呪文はおろかその効果を指定した素振りすらなかった。

 そしてあの、『五感以外の不可思議な感覚』が明確に何かを察知したのもそれを後押しした理由のひとつだ。

 邪推と言われればそれでおしまい。だが、なんとなく愁人はそれで間違いない気がしていた。


 たしかに、彼の推測はそう大きく外れてはいない。ただ、『コングラチュレーション』と称賛するには程遠く、『ニアピン』とするにはわずかに足りない程度には、彼の想像を軽く超えた存在がそこにいただけ。


「…………せい、れい……は……」


 そう言ってリムルはおもむろに、緩やかな動作で掌を差しだして、


「……わたし、の………………」


 その先にひとつ、強い煌めきを放つ翠玉の光点を浮かび上がらせる。

 そして、それはいつしか彼女の周囲に及び、紅、蒼、黄。彩り豊かな色彩を虚空に生んで――


「…………この、子たちは……わたし、の…………いのちの、結晶……」


「魂の、結晶?」


「……そう」


 その神秘的で幻想的な光景に、愁人の目は、奪われた――。

 周囲の荒廃とした灰模様さえ、彼女に――リムルという名のたった一人の少女を崇めるように。

 『存在いのちの灯火』を献上するように、少女の存在を強く誇示する。

 煌めくリムルの小さな姿は、どこまでも清廉潔白さを漂わせ――


「……わたし、は……精霊、に…………生かされ、てる」


 同時に、弱々しく儚げな印象を愁人に与えた。 



「……精霊に生かされてるって、どういう意味なんだ?」


 ほどなくしてリムルが精霊を消失させ、不覚にも惚けていたことを自覚した愁人は軽く咳払いをひとつ。

 気分を入れ替え、彼女の言った言葉の意図を訊ねた。


「……そのまま……わたし、は、ただの…………町娘、に……過ぎない、から……」


「いやいやただの町娘がどうなったら精霊と家族になれるんだよ……」


 リムルの言ってることは愁人にしてみれば滅茶苦茶だ。だが、決して彼女が嘘を言っているとは思わない。瞳に宿る色が、郷愁を漂わせる雰囲気が、表情に滲む悔恨が、その話に信憑性を持たせている。


(これはどうも、あまり掘り下げない方が良さそうだな)


 訊ねて余計な面倒事に首を突っ込みたくないというのもそうだが、それ以上に、解決策もないままに詮索して、かえってリムルを傷付けてしまっては意味がない。

 だから愁人は話題を変える。


「まあいいや。それはそれとして、リムルのその力を使って土地を肥やしたりとかできないもんなのか?」


「……できる…………けど、できない……


「……今はできない理由……たとえば、精霊の顕現が不十分とかか?」


「……そう。……それ、も……ひとつの…………理由」


「他にもあるのか……残念ながら俺には思いつかないな。聞いても?」


 こくん、とリムルは頷いて、


「……この、大陸……エスティア、を……こんなに、した……元凶が、いる……」


「――――」


 まさか、と。愁人は驚愕を露わにする。

 その展開を予想していなかったわけじゃない。ラノベやアニメなんかではよくある話だ。それがゲームの一ストーリーに盛り込まれていてもなんら不思議はない。

 だが、この見渡す限りを灰塵に帰すような存在が、こんな初っ端から現れていい道理はない。それが事実だとしたら、なんたる〝クソゲー〟であるか。

 リムルが次に口にするであろう存在の強大さを刹那的に予想して、愁人の背筋に言い知れぬ悪寒が走る。


 ――いや、違う。そうじゃない。


 愁人は直感に従って背後へと振り返り、そして――みた。


「……この、世界を……こんな、風に、した…………〝魔王〟、を……たお、して――」


「ボクが、どうかしたのかぃ?」


「――ッ!!?」


 ゾクリ、と。何気ない一言でリムルの背筋を凍らせた、その声は。


「まったく、逃げ出した先で何をしてるのかと思えば、他人の『逢引き現場』に遭遇するなんて。災難以外の何ものでもないよ」


「――――」


 とんだ厄日だと深い溜息を吐き出す、すこし低めのソプラノボイスは。

 リムルはその聞き間違えようのない声、特徴的な少年風の喋り文句に振り返り、やれやれといった具合に肩を竦ませるその姿を視界に収めて、体が強張った。


 ――〝王〟。


 その名を冠する〝災厄の象徴〟が、そこにいた。


「…………ま、おう…………グレム――」


「やあ、リムル。さがしたよ」


 先程までほどほどにリラックスしていた彼女の面影はもう、そこにはない。

 瞳は恐怖に滲み、四肢は震え、歯がかち合い、知れず涙が頬を伝う。


 そんなリムルの様子を見て、少年――魔王グレムは満足したようにうんうんと頷いて口を開いた。


「程々に息抜きも出来たみたいだね。そこのキミ? 助かったよ。彼女なかなか自分のこと話してくれないからさ。ホント、いろいろ助かったかも。


「……人の会話を盗み聞くとか、悪趣味なヤロウだな」


 そうするのが当たり前とでもいうようにやたらフレンドリーな幼き王の姿をとらえ、愁人は戸惑いをみせつつも非難の声をとばす。


「ヤだな、正当な権利さ。なんたってここは、ボクの〝直轄地〟なんだから」


「……『直轄地』、ね」


 なるほど、いろいろ合点がいった。どうやらこの見てくれだけは少年の風貌をした彼は、リムルの口にした『魔王』で相違ないらしい。〝王〟なのだから直轄地で何をしてもいいと、そう彼は本気で考えているらしかった。


「ありがちドテンプレ愚王とか、マジでないわ」


 隣に視線をやれば、大きな瞳に愚王を捉えて小刻みに震え続けるリムルの姿が視界に飛び込んでくる。よほどのことがなければ姿を見ただけでこうまで怯えたりしないだろう。

 何があったのかは知らないが、さっきの口ぶりからすると尋問の類でも行ったのかもしれない。その光景を想像するだけで、愁人は激情に囚われそうだった。


「それじゃ、そろそろ帰ろうか、〝お姫様〟?」


 そう言って竦み切った小さき少女に歩み寄ろうとする、その前に。


「――いいや、おまえが帰れよクソショタ魔王」


「……しょ……た? なに、それ?」


 クソショタ魔王。頭文字をなくせば悪口に聞こえないはずのそれも、付属品のせいでカチンとくる響きに早変わり。


「なんだかよくわからない単語だけど、とりあえずなんかムカついたからお仕置きかな?」


 次の瞬間、グリムが瞬きのうちに愁人の背後に現れて。


「――――え?」


 そして、何が起きたのかもわからぬまま、訪れた衝撃に小柄な身体は吹き飛ばされた。

 それを成した少年は、嫌悪感を微塵も隠そうとしない黒い瞳でもって、まるで汚物でもみるような冷徹な眼差しで王の姿を捉え――そのまま、怯える少女に語りかける。


「リムル」


「――っ」


「ここは俺に任せて、おまえは逃げろ」


「――!」


「あのグロムとかいうクソショタが何をされたか把握してるうちしかチャンスはないぞ。この機を逃せば、今の俺がもう一度あいつの虚を突くのはほぼ不可能だ」


「……で……も……」


 愁人の独白に、リムルが躊躇いの表情をみせる。


「なあ、一度救われといてもう一回とか、いくらなんでも虫が良すぎる話だと思わないか?」



「――――」


 だが、そこに覆い被さるように非常な現実がつきつけられる。至極もっともな言い分に、リムルは抗議の言葉を呑み込んだ。無力に震え、表情が苦渋にゆがむ。

 愁人の説得はつづく。


「だからってわけじゃないが、今度は自分の足で、羽で逃げ切れよ、リムル。あと、俺以外の他人にも十分に気を配れ。もう二度と面倒なヤツらに追いかけられんなよ?」


 ――自分の足と羽で、自分の力で、逃げ切る。

 そう訴えかける黒髪の少年の言葉を耳にして、緑翠石グリーントパーズの瞳に意志の力がやどる。


「そんで助かったら、今度なんか奢ってくれ。いや、こんな環境下じゃすぐには無理かもしれんが、まあお互い生きてりゃそんな機会いくらでもあるだろ」


「――っ」


 あるかもわからない希望の言葉を与えられ、たが、彼の言う『いつかまた』を思い描いたリムルに、もはや迷いの色は消え失せていた。


「あー、なんていうか死亡フラグ立てまくりキャラみたくなってるけどな、大丈夫。心配するな。俺はたぶん、おまえと違ってから」


 ただ、性格上どうしても少年の身を案じずにはいられない少女に、愁人は苦笑をひとつ。「自分は大丈夫だから」と最後の憂いを断ち切ってやる。


「だからほら、ぼさっとしてないで――いけ」


「――っ」


 静かな激励。『いけ』という言葉に込められた様々な想いを受け取ったリムルは、その場で身を翻して――走った。

 駆けて飛んだ。空高く。今にも沈みそうな曇天に向けて真っ直ぐ。背後は決して振り返らない。

 彼は――シュウは言った。

 『死なない』と。『今度なにか奢ってくれ』と。

 格好つけて。バカで愚かな選択を、迷うことなく実行した。

 本当にバカだ。

 出会って間もない、どこにでもいる町娘だった相手に、体を張る価値なんてないというのに。

 それなのに彼は、シュウは――。


 最初は脅すように、しかし次第に言葉に温かみが混じり、最後は解きほぐすように優しく、説いた。

 優しく、後押しするように静かに、しかし力強い〝温もり〟に溢れた言葉で、そうリムルを説得したのだ。


 最後など悲壮感をまったく感じさせない、決然たる意志が込められた言葉だった。


『またな』


 リムルにはなぜか、そう聞こえた。

 なら自分が強情になって踏み止まって、一体何になると言うのか。

 彼が、底知れない強さを内包する彼が、類希なるセンスを感じさせた彼が――

 〝後で会おう〟と、そう言ってくれたのだから。

 ――自分が信じることもできずに、今後誰が自分を信じてくれるというのだろうか。


「……また……あと、で。…………今度、は……わたしが……――必ず」


 リムルは少年の言葉を信じ、そして、と決意を固め、空を往く――。

 そこは初めて、彼女が亀裂に呑まれた、今となっては特別な場所。

 リムルをあちら側へ――彼の元へと導いてくれた、最初で最後の〝希望〟が生まれた場所だ。

 ここならきっと、もう一度あの異世界への門ゲートが開くと、なかば確信して。


「……わたしを、異世界そこに……連れてって……!」


 そう願った少女の想いは虚空に溶けて――


 そして――。



  ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「あーあ、逃がしちゃった」


 空高く舞い上がった少女のシルエットを見送って、愁人は服の汚れを払いながら零す少年の身成りをした〝災厄の象徴〟へと視線を投げる。


「おいおい、くせに、随分とふざけたこと言ってんな?」


「あれ、バレてた?」


 悪びれもせずそう返す魔王グリムに、愁人の瞳が鋭くなる。


「そう怖い顔しないでよ。キミにはホント、いろんな意味で助けられたんだ。まさかこんな場所に〝空間の歪み〟ができてたとは思わなくてね。ボクの目を欺くなんて、そうそうできることじゃないんだけど。前々からどうもあちこちで不自然な事象が起きてるなと不審には思ってはいたんだよ。残念なことに、その原因がどこにあるのかは誰も至れなかったみたいだし。そう、今この瞬間まで、〝魔の王〟を冠するボクを含めて、ね。でもまあ、どうやら一連の事象は作為的なものだったみたいだ。どこの誰だかは知らないけど、このボクを欺くなんてまったく称賛に値するよ。ぜひとも一度お手合わせ願いたいものだね」


 そうしてまるで好敵手でも見付けたような、夢想する少年のような表情を作って、


「うん、うんっ、いいよ、実にいい! 楽しくなってきたじゃないか! 彼女が自力で逃げだした時は『今度はどう遊んであげようか』と考えたもんだけど、これは褒美をあげないとかな? ね、キミもそう思うでしょ?」


「――――」


「ああ、そっか。

 彼女に褒美をあげるなら、キミにも何かしてあげないとね?

 そうだなぁ……うん、キミ、ボクのモノにならない?

 それでさ。ボクと一緒に世界に喧嘩を売ろうよ。楽しい楽しい遊戯の始まりさ。

 きっと楽しいよ? だからさ、ボクと一緒に、ボクたちだけの楽園をさ。

 一緒に、築こうよ。

 ボクはキミを、手厚く歓迎したいと思ってるんだ。

 どうかな? なかなか魅力的な話だと思うんだけど。

 キミの答えを聞かせてもらえないかな?」


 矢継ぎ早に狂喜の口上を垂れる王に、愁人の激情はいつしか溶け消えていた。

 目で見て、耳で聞いて、肌で感じて、そして納得して。

 ――ああ、そうか。コイツは……俺の未来末路なのか、と。

 要するに彼は自分の『同類』なのだと。だから彼が口にする行いすべてにイチイチ神経が逆撫でされる。激情に我を忘れそうになる。一種の同族嫌悪というやつだろうか。

 自分はこうはなりたくないと、理性と本能が諸手をあげて感情を突き動かす。わかれば単純なことだった。


 愁人にはもう、畏れも怒りも存在しない。あるのは憐憫、ただそれのみ。

 口も開かず、憐れみのこもった視線でもって、〝人外〟と成り果てた少年をただ見詰める。


「――なんだい、その目は?」


 それに気付いた自称〝支配者〟は――ああ、確かに『支配者』なんだろう。

 圧倒的な力で、圧倒的な技術で、他人を蹴落としてきた。文字通りの〝勝利者〟。

 だがどうだろう。

 彼は、『魔王』を名乗る〝災厄の象徴〟たるこの少年グレムは、

 果たして、〝勝利を手に〟できているだろうか?

 断じて否だ。

 そうでなければ彼の態度は明らかに

 〝支配者〟たる『王』が、他者に意見を求めるなど。

 そう、だからきっと彼も、自分と同じ〝敗北者〟で――


 そうとわかった愁人の行動は早かった。脳内でシュミレートし、今とれる理想の顛末を思い描いて、それをなぞる。

 わかってさえいれば手馴れたその常套手段を、王の影に自分を視た少年は――講じる。


「なるほど、確かに魅力的な話かもしれないな。


「――は?」


 まさか面と向かって堂々否定の言葉を投げかけられるとは思いもしなかったのだろう。世界を破滅させるだけの力を有する魔王の面前だ。頭が回る人間ほどその危険性に真っ先に気付く。

 命欲しさに、愚直に王を崇拝するはずだった。

 だが、現実はそうはならなかった。

 それはそうだろう。まさか、目の前の胡蝶種の男が実体に危険性がない仮想体アバターなどと王グレムが知る由もないのだから。これまでの人間同様、愁人もそうするだろうと思い込んで当然だった。


 しかし実際の状況はことなる。

 それを正確に認識している側とそうでない側。双方の溝は見た目以上に深い。

 そして、いついかなる時も、決定的な情報を握っている方が立場は上だ。

 情報戦を得意とする愁人は、そうして魔王に牙を剥く。


「じゃあ訊くが、

 おまえについて行って、俺になんのメリットがある?

 おまえは一度だって、俺の希望を聞いたか? 聞こうとしたか?

 するわけないよな。だっておまえ、〝略奪者〟だし。

 おっと、順番が逆になっちまったが、その話、蹴らせてもらうわ。

 だが、これだけは言っておいてやるよ。

 おまえの『望むもの』は、その方法じゃ〝絶対に手に入らない〟。

 それだけは精々、肝に銘じておけよ?」


「――――」


「そんで、おまえが〝敵〟になるっていうのなら、俺は喜んで〝好敵手〟を名乗り出よう」


 なんとも意味深な発言の数々。愁人は大胆不敵にも、魔王たる少年にそう〝宣告〟した。

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幻想転帰のリバースワールド 蔵敷ぬこ人 @kurasiki1504

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