3 求めたものは

「…………あ、あの……」


「ん? どうした?」


 二人を乗せた空馬車は、その場の状況などお構いなしにすぐさま南方に向けて発進した。

 思いもしない状況推移に、混乱気味だった少女はもちろん、停留所の向こう側に取り残された五人衆含めた観衆も、一体全体何がどうしてこうなって今に至ったのかを理解するのに、さすがに少しばかりの時間を要した。

 とはいえそれも数秒程度のもの。どうやらこの顛末を初めから想定していたらしい男にまんまと踊らされたと理解した男たちは、次にはその下手人の姿を求めて視線を彷徨わせる。

 内の一人が街中を駆けるそれに取り付いた二人を見止め、なにやら喚きながら追走する素振りをみせたところで腕の中の少女から躊躇いがちの声が掛けられたのであった。


 いくら小柄とはいえ、いい加減支え続けるのもしんどくなってきた愁人は彼女の体を窓枠のほうへ誘導して安定させ、自由になった左手を万が一のことを考え腰に添えるように残す。

 特別愁人が意識してやったわけではないのだが、その自然な行為にはいささか女性の扱いに対する成熟さを感じさせるものがあった。ともあれ紳士的な振る舞いであることに変わりはなく、今さらながらの肉体的な接触に頬を赤らめて、「もしかして見掛けによらず……いや、この場合は〝見かけ通り〟というべき?」と少年の身柄をめぐって至極どうでもいい疑問に囚われるリムル。彼のために弁明しておくと、妹の友人たちが頻繁に遊びに来ては『女性の扱いの何たるか』を説いていくせいで身に付いてしまった望まぬ技能なのだが……彼女は当然知る由もなかった。


 何にしてもようやく得られたまとも――現在も変わらず逃走の最中であり、空馬車の窓枠に取り付いている状態に目を瞑ればだが――な機会。リムルの胸中は、恩人である少年からいろいろ聞き出したい気持ちでいっぱいだった。

 一方で愁人の方も、自分のせいでいろいろ混乱しているだろう少女が疑問を抱いているのは百も承知で、こうして関わりを持った以上、その一つ一つに真摯な対応をするつもりでリムルの言葉を待ち受けた。


「……この、乗り物…………なに……?」


「最初に来るのがその質問!? それについては俺も解答を持ち合わせてねぇよ!」


 見事に出鼻を挫かれた愁人であった。



 いささか気が動転していたとはいえ、今のはさすがになかった。

 荒ぶる鼓動を必死に抑え込みながら、リムルは今度こそ抱いていた疑問をぶつけていく。


「…………どう、して……?」


 それはいろんな想いが集約し過ぎたがための、簡素な一言で始まった。


「ん? 『どうして』とだけ言われてもいろんな返しがあると思うが……そうだな。焦らしたいわけでもないし、思い付く限りのそれに答えるとすると、まず助太刀した理由については単純なもんだ。見捨てられなかった。――いや、見捨てると関わりをもつ以上に〝面倒だった〟。言うなれば取捨選択の問題で、間違いなくそれがきっかけだな」


「……メン、ドウ……?」


「ああ、どうせあれだろ? ホントにそんなどうしようもない理由で人助けができるのかとか考えてんだろ。『見捨てて気にしなければそれが一番楽』だとか。そんなの考えるだけ無駄だからやめとけ。俺はちょっと……いや、かなりのレアケースだ。一般人の感覚からは確実にズレてる。もっとも、おまえが〝女の子〟じゃなくて、さらにいつしかの愛想振り撒き天使バカ妹みたく〝勝手に世界の終わりを悟った勘違い娘〟でなけりゃ、スルーしてた可能性もあったかもしれんが。……ああいや、その線もわりと薄いか?」


「――――」


 こうしていざ言葉にして話してみれば、待ち受けていたわりに自分の考えが纏まっていないことに顔を顰める愁人。しかし存外、人の行動に直結する動機の大半は衝動的なもので、気持ち理由など後からついてくるものである。あとは理性の塊か否かでその決断までに要する時間に差がつくだけ。それ以上でもそれ以下でもない。そう思えば、『理性の塊』であろうと己を律している最中の彼がこうした解釈に至るのは必然だったと言える。


 それでもやはり、物事を一歩目線を引いて、客観的に捉えられる愁人だからこそ、


「まああれこれ理由をつけたところで、結局その根っこの部分はひとつ――〝助けたかった〟。それ以外に必要ないだろ。どんだけ見栄をはったところで、人が人を助ける理由なんて個人のエゴみたいなもんだし。だから理由なんてそれだけで十分――って、なんでまた泣いてんだよ……」


 そう言われて、ようやくリムルは自分が涙を流していることに気が付いた。

 別に辛いわけではない。むしろ逆だ。

 嬉しかった。温かかった。温もりに溢れていた。

 求めていたものは、もう二度と手に入らないと思っていたものは、

 まだ、ちゃんと残っていたのだ。

 『勘違い娘』と罵りながらも、見ず知らずの一人の少女のために、

 〝気ダルさ〟を訴えながらも、優しく手を差し伸べてくれる人間が。

 たとえ、その絶対数が少なかったとしても――


 希望。


 少女にそれを抱かせるには、十分すぎる解答を、この少年は……。

 しかし、リムルは先の戦闘風景を思い出す。

 どうやら彼は、見た目以上の強さを内包している。

 あの動きは明らかに〝武〟に精通する者の動きだった。

 それこそ〝精霊の力〟の力を借りて真似事をするだけの自分とは、一線を画するほどに。

 だが、それはこの環境のなかでは酷く常軌を逸した話である。

 終末間近の世界情勢ならまだしも、異空間この世界はまだまだ潤いに満ちている。満ち溢れている。

 人の笑顔がある場所に、『修羅』は生まれない。

 を通してそれを知るリムルは、そうして気付く。


『俺はちょっと……いや、かなりのレアケースだ。一般人からは確実にズレてる』


 そう謂わしめるだけの何かが、彼にもあったのだ。

 自分と同じ――いや、もっともっと深刻な何かが、きっと。

 それはきっと、痛みを知るリムルだからこそ、気付けたもの。

 しかしそこまで。

 それ以上――についてまで、踏み込むことができなかった。

 正しくは、〝時間が許さなかった〟だが。


「――チッ、もう追い着いてきやがった」


「――っ」


 頭上からのその言葉で、リムルが思考の海から覚醒する。

 反応するように振り返って右後方――自然の景観を壊さぬよう、精霊が好む材質で建てられた家屋の上。

 そこを追走するように、一人の獣人が急接近してきていた。


「どうやらお仲間のほうは間に合わないと判断して、自分だけ先行してきたみたいだな。諦めりゃいいものを。まったく、ダルいったらないぜ。――もうこの力で人を傷付けるのは嫌なんだよ」


「……え?」


「手を放せ! 跳ぶぞッ!」


「きゃっ」


 よく聞こえなかった最後の部分が無性に気になって、一瞬反応が遅れたリムルだったが、辛うじて手を放すのが間に合い、愁人に抱きかかえられたまま空へと投げ出された。


「うおおおおおおおおおお」


「――――っ」


 いつの間にやら島の南端にたどり着いていたらしく、緩い螺旋を描いて上昇していく空馬車に対し、霊獣種アミュラ特有の膂力を活かして跳び掛かかろうとする見るからに獰猛そうな男を回避するには、決死の覚悟で飛び降りるしかなかった。


 かくして空は胡蝶種フェアリの独壇場。

 空を飛びさえすればどうとでもなると判断した愁人は――


「落ちるうぅぅぅぅぅぅぅぅ」


 空の飛び方はおろか、羽の使い方すら――全く知らなかった。


「――――」


 一方でリムルの方は、ようやく少し使えるまでに回復した羽の具合を確かめて、


「……あ、あのっ!」


 リムルにしては珍しく、大声を張り上げて愁人に呼び掛けた。


「お、落ちつ、おち――」


「おまえが落ち着けええぇぇぇぇぇぇぇっ!?」


「ひゃぃっ!?」


 まったく締まらない二人である。


(ヤバイバヤイヤバイ、どうするどうするどうする! 何かいい方法は――)


 そうして谷底真っ逆さまの状況自分の無計画さを呪い、思考を回転させて必死に解決策を捻り出そうとする愁人を他所に、


「……そ、そう! 風っ! シルフィっ」


 ようやく自分の特性を思い出したリムルが、風精シルフィに語りかけて二人を風で包み込む。


「おぉ!? 落下速度が――」


 見るからに減速した落下運動をやや躊躇いながら受け入れ、それを成したであろう少女の顔を覗き込む。


「これ、おまえの仕業か?」


 この場に二人しかいないのだから明白だが、一応確認のためそう口にする愁人。


「……(こくこく)」


 それに対してホッとした様子ながら首を振るリムルは、停止でもなく上昇でもなく『減速』を選択した理由を彼に語る。


「……ここ……この先。……触れてる、感覚……これを意識、して……飛べる、よ……?」


「お、レクチャーしてくれんのか? それは助かる」


 改めて首を縦にふる彼女の意図を察して、言われた通り、小さな手が触れた場所に意識を集中させる。

 肩甲骨の内側。人間なら本来あるはずのないその先へと指を滑らせ、優しい手付きで羽を揺する。羽がどこの筋肉に繋がって、どのように動かすのかが感覚的に伝わってくる。なるほど。トレーナーに鍛えたい筋肉を意識させられる感覚に近いだろうか。もっとも、愁人に武の師範はいても、トレーナーがついた経験など微塵もないのだが。


「お、おぉっ、動く!」


 やや興奮ぎみにそうはしゃぎたてるが、飛べない。浮力を生まない。どんなに必死に羽ばたいたところで、闇雲に風を煽るだけでは浮力が生まれるはずもなかった。


「……こう」


 それを見てとったリムルが実演してみせる。

 最初は細かく。風を掴むように羽ばたかせ、その運動を次第に大きく。次第に重力と浮力が拮抗、次には上回り――飛ぶ。


「――なるほど。いけそうだ」


 その一連の流れを持ち前の観察眼でしっかり観察した愁人は、リムルに倣い、見様見真似で羽を振動させる。

 今度は予想以上にあっさり、飛翔に至った。


「うおぉっ!?」


 が、初めての飛行経験でいきなり制御が上手くいくはずもなく。羽の駆動に弄ばれながら、天性のセンスで徐々に徐々に感覚を掴んでいく。


「こう……いや、こうか? これ、思ってたより楽しいな」


 時折リムルのサポートを受けはするものの、すでに風の力は切ってある。


「……ん、上手」


「あー、なんか面と向かってそう言われると照れくさいな……でもま、ありがとな。これはマジで助かったわ」


「……それ、は……お互い、さま?」


「ああ、そうか。そうかもな」


「……くすぐったい」


「おっと悪い。昔の癖でな」


 健気な少女の言葉に好印象を抱いたせいか、昔の誰かにしたみたいに、愁人の手はリムルの頭にのびて優しく撫で動かしていた。

 いかに背丈や雰囲気が似た少女だったとしても、さすがに今の行動は迂闊だったと反省した愁人は、謝罪もそこそこに手を引っ込めた……のだが。


「……いい。……べつ、に……イヤ……じゃ、ない、し……」


 と、自分で愁人の手を頭に導くリムル。


「……正当な……、権利……?」


「せめて報酬といえ報酬と。……あー、なんていうか、俺は別に構わないんだが、なんかちょっと、最初の印象と違い過ぎ? 予想外に大胆すぎだ」


「……ん。……豪胆、なくらい……じゃなきゃ……世の中……生きて、いけない……よ?」


「……はいはいそうですね。まったく、泣き虫な癖に尤もらしいこと言いやがって」


「……ふふ。…………きもち、いい……」


「さいですか」


 どうやら曲者はこんなとこにもいたようである。紗花に会わせると妙な化学反応を起こしてちょっと……いや、かなり面倒そうだ、と想像するだに傍迷惑この上ない(愁人主観)ことを考えてから、


「そういや、自己紹介が途中だったな」


 二人の出会いを仕切り直すように、そう切り出す。


「……リムル」


「え?」


 言うや否や、突然名乗りを上げた少女に、愁人は咄嗟に反問してしまう。


「リ ム ル」


「お、おう、リムルさ……いや、〝リムル〟ね。俺は愁……いや、そう、シュウだ。よろしく頼む」


「……ん。……よろしく」



 無事に自己紹介も終え、やや上機嫌に微笑むリムルと軽い握手を交わし、特に追手がかかる様子がないことを確認してから、それとなく気になっていた彼女の今後に話題を移す。


「さすがにここまでは追ってこれないか。これからどうするつもりだ?」


「…………わから、ない」


「さいですか」


 先と同上の文句でみじかく返し、悲しげに俯く少女から視線を上げた愁人は、ホバリングしながら雲一つない寂しげな空を眺め続けた。


(にしても〝さん付け〟しようとしたら睨むとか、大胆にもほどがあるだろ)


 内心、そんなことを考えながら。



   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 楽しい楽しい空の散歩もほどほどに切り上げ、近くの浮島に着地した二人は、軽く背筋を伸ばして捻って血行促進、疲労物質の分解を促した。


「――さて、ここどこだ?」


「…………さぁ?」


 人生初の飛行体験ということで、今朝の鬱憤を晴……はともかくとして、少しはっちゃけ過ぎた感のある愁人だが、それを我が子を見守るような眼差しで並走……もとい、並翔していたリムルにとっても、大変有意義な時間だった。

 愁人との距離がやや近いのも、きっとそのあたりが影響しているのだろう。


 ともあれ土地鑑などまったくない二人がそうしてはしゃぎ回った結果、こうして迷……見知った風景を求めて地に降り立ったのは、まあ当然のことである。

 なにせ、


「広すぎ。かなり上空から俯瞰してやっと見渡せる都市ってなんだよ。それも左右上下あちこちに島が点在してて、どこがここでここがどこかさっぱりわからん」


「……お手……あげ?」


「ああそうだよお手上げだよ。ったく、どこのどいつだこんな迷惑設計を嬉々として取り入れたのは。設計者呪うぞ?」


「……それ、は…ちょっと……りふ、じん……? ……めっ」


「いやいやそんな淡々と『めっ』って叱られても誰も怖くないし思わぬところから炎上、もとい『怨上』するから自重してくれ。設計者いぜんに俺がだれかに呪い殺されるもんで」


「……?」


 これがネット配信されたアニメの画面上なら大炎上待ったなしだ。視聴側である分にはいいが、自分がその暴挙に曝されるのだけは勘弁願いたい。

 そう切実に懇願する愁人であった。リムルには何のことやらさっぱりだったが。


「とりあえず少し歩いてみるか。なにか標識のようなもがあるかもしれないし」


「…………ひょう、しき? ……が、わからない……けど、わかった……」


「ハハハ。まあ、そうだよな」


 ――なんたってこの子、NPCかもしれないし。


 そう思った理由は、プレイヤーなら誰もが知ってる『地球の常識を知らない』というのもあるが、それだけに始まった話ではない。


(まず、頭上表示が見当たらない)


 ざっと見渡しただけでチラホラ見かける頭上の逆三角マーク。プレイヤーのそれは、基本緑で着色され、NPCはグレーだ。所謂『ターゲットマーカー』というやつである。

 リムルのように頭上表示がないというケースは、今のところ彼女を除いて愁人の視界には存在しない。裏をかえせばプレイヤーでなくとも、NPCであればだれとでも会話が成立するということにもなるが……今、その情報は二の次だ。


 問題は彼女。リムルがどこからどう見ても普通の女の子――いや、外見の話であれば確かにそれで間違いないのだが――ではないという決定的な事実。

 何かクエスト的な要素が噛んでいるのかと、愁人には珍しくゲーム脳な発想が浮かんだりもしたが、それを裏付けるにはなにかと情報が不足していて、また、現代技術的な面でいろいろ無理がありすぎた。


(ごく単純な思考ルーチンしかもたないNPCにしてはいくらなんでも会話が柔軟すぎる。以前にも増して話題沸騰中の高性能AIも、現状ではここまでのパフォーマンスを期待できなかったはずだ)


 これがもし技術体系として確立されているのなら、今近の情報メディアは大荒れも大荒れ。賛否両論の大論争を演じているはずである。

 そして、そんな情報を噂にでも耳にしたことがない段階で、その可能性がゼロでなくとも限りなく低いと断定できる。


「ま、そのあたりは制作チームのメンバー尚也にでも直接問い詰めるとして」


 とりあえず標識っぽいものを探して現在位置を特定するのが先決だ。

 そう結論付けて、思考に耽って放置ぎみだったリムルの方へ視線を投げると、


「――――」


 何やらしきりにあたりをキョロキョロ見回していた。

 その小さな背中越しに覗く表情は、まるで記憶の底に眠る〝なにか〟を探し求めているようで……


「もしかして、リムルはこの辺に見覚えがあるのか?」


「……た、ぶん。……なん、となく……だけど」


 あれだけストーカー集団から必死に逃げ回っていたのだから、最中の道程などそう明確に覚えていたりはしないだろう。しかし、わずかにでも手掛かりがあれば愁人としては大助かりだ。彼女には是非ともそのあたりの記憶を呼び起こしてもらいたいところである。


 ロダンで有名なアレ考える人の直立バージョンを素で披露しながら、海底に沈んだ古代遺跡を発掘するような繊細さで儚い記憶と実情景の整合性を照らし合わせるリムル。

 その邪魔をしないよう、愁人が思念でエールを送り始めてしばらく。


「――……あ」


 言葉ともつかない声を発するや否や、


「……こっち」


「あいよ」


 躊躇なく愁人の手を握って足早に道を進んでいく。

 推定身長百五十センチ前後。百七十ごえの彼とは差がある分、歩幅は丁度いいペースだった。

 ……そして、ロリ巨乳美少女リムルに手を引っ張られる形で歩く二人――具体的には愁人ひとり――に、周囲を行き交う敗残者プレイヤーたちが何気ない視線……を装った、罪人を断ずる真聖神の慈悲無き鉄槌……もとい、私欲ににごった盲目的な呪眼を向けるも、不思議なことにまったく色気を感じさせないその行軍に、すぐさま興味を失って平静を取り戻したのは、互いにとって何とも幸運な出来事だったに違いない。

 そうして無言で歩くこと五分弱。


「……あっ、た」


「あったってこれ……なんかの門、だよな?」


「……たぶ……ん……?」


「ひっぱって連れてきといてなぜに疑問形……いや、確かにこれが『門』かって言われると、なんだか微妙な感じもするんだが……」


 二人そろって首を捻るその先には、無駄に精緻さを窺わせる石細工がひとつ。直径十五センチほどの四角柱を高さ二メートル付近でアーチ状に結んだそれは、大人二人がつめてようやく通れるかどうかの幅しかない。柱の内部は空洞になっていて、向こうの街並みが簡単に透けて見える造りだ。

 愁人の言葉通り、誰かしらに伝聞で「これは門なんだ」と言われればなるほどと頷くこともできるが、初見でいきなり『門である』という解答に行き着くには、少々無理がある造士に違いない。どちらかというと「そういうモニュメントである」と言われた方がまだ納得できる。


 では、どうして二人が『おそらく門である』という解答に達したのかといえば、建造物がそれ単体で〝一つの作品〟とされていないからだ。


「……魔法陣、もしくはマジックサークルとかって呼ばれるヤツだよな。どう見ても」


 石柱をはしる緻密な紋様から途切れることなく、大地の上に描かれた大きくまるい地上絵。要所に表意文字とも絵文字ピクトグラムともつかない奇妙な文字列がならび、それぞれがどういった意味を与えられているのかなど愁人には皆目見当がつかない。

 ただ、それぞれが魔術的な意味をもち、サークルの中心で屹立する石造りのアーチ状モニュメントと連動していることだけは、そういったオカルト方面に見識がない彼にも一目瞭然。リムルも異論なしの圧倒的事実だった。


「……でも……反応、しない……の」


 そうして状況の整理をつけた愁人を上目に、リムルが新たな議題をふっかける。


「断定ってことはすでに試したあとってわけなんだろうが……まあいつって話はするだけ無駄だからこの際脇におくとして、どんな確認の仕方をしたんだ? いや、先に言い訳しておくが、俺は見た目どおり、オカルト的な分野にはとことん疎い。その上こんなものを直に見たのは初だからさ。どういった原理で動くとか、何に反応するだとか、そういったことをまったく知らないわけでだな?」


「……ん、……胡蝶種フェアリ、なのに……変な、ひと……」


「いやむしろ、その『胡蝶種なのに』って部分を根掘り葉掘りくわしく訊きたいくらいなんだが……」


 え、そこから? とでも言わんがばかリに啞然とするリムルを捉えて、やっぱりという思いを強くしながら、愁人はやや気まずくなった空気を咳払いで正し、ついで「ともかく」と会話をつなげる。


「リムルがどうやって確認したにしてもだ。わざわざ俺をここに連れてきたってことは『何か考えがある』と思っていいんだろ?」


 こくり、と同意を行動で示したリムルは、


「……わたし、じゃ……ダメ……でも、あなた……なら……」


 たしかに彼女では駄目で愁人ならいけるという可能性はなくはない。現状では何も知らない愁人はまだしも、リムルがそれに気付くには十分な材料がそろっていた。


「シュウな」


「……え?」


 そんな彼女の言葉を聞いて、愁人は唐突に呼び名の矯正をはかった。これまでの流れを断ちきる言葉に、リムルが困惑の表情を浮かべる。


「人に名前呼びを強制しといて、自分だけ『あなた』とかさすがにないだろ」


「――っ」


 流れの前後関係は滅茶苦茶だが、言っていることはもっともだと思ってしまったリムルは、思わず息を詰めて申し訳なさそうに顔を伏せる。

 そうしていざ、改めて名を呼びかけようとするも、自分の口から彼の名が飛び出すことを意識すると、今度は無性に気恥ずかしくなって別の意味で俯いてしまう。

 そんな様子のリムルをみて、愁人は表情に悪戯な笑みを張りつけた。


「な、いざ自分がってなると意外と恥ずかしいもんだろ? ……いや、ここでそんな懇願するような眼を向けられてもあざといだけだし譲ってなんかやらないから。ほら、言わなきゃ協力してやらないぞ?」


 この男、鬼である。悪魔である。鬼畜の所業である。リムルが羞恥のあまり涙目になるのも無理ない話だった。もっとも、そうしたやり取りさえもどこか堪能している節のある彼女も強かというか豪胆というか、なんとも有言実行で抜け目のない感じではあったが。


 ともあれ愁人としても、目の前にある門らしき建造物から並々ならぬ気配を感じ取っていた。それだけにきっと、リムルにとっても重要な何かなのだろうと踏んでの交渉。……というのも烏滸がましいほど、咄嗟に思い付いたネタではあったが。こちらから与えてばかりだと、根っから気の優しそうな彼女はそれを気にし続ける可能性が高い。一度精神的にかなりのところまで追いつめられたリムルは、今、胸中で渦巻く不安や恐怖を必死に押し殺しているはずである。いつ崩れるやもわからぬ断崖絶壁の台地で縮こまっているような、あまりに脆く危険な状態だ。これ以上心身にストレスをかけるのは得策ではない。本能的に他人の温もりを求める行為は、無自覚に不安定な精神を安定せようとしてのものだろうから。

 そう考えての、その場しのぎの交渉だ。


「……っ、……、……」


 そんなリムルは現在、傍目から見ても明らかなくらい何かと葛藤しているようだった。

 多少の羞恥心はあれど、そこまで難しい要望ではなかったはずだが……と愁人は考えたりしているが、当の本人にしてみればとんでもない。なにせ絶望の淵で唯一手を差し伸べてくれた、彼女にとっての『希望』である。ある種神のような……とまではいかなくても、いささか神聖視されても無理のない境遇であるのは間違いない。

 顔を赤らめてみたり、今度は青褪めてみたり、そう思ったらまた表情が緩んだりと、百面相を演じながら夢想するような姿には、どうも想像以上に複雑な事情が潜んでいるようだった。


 さすがに迂闊だったか。愁人がそうして不安にかられ始めた頃になって、リムルはようやく何かを決したような真剣な表情を作って、


「…………しゅ、シュシュっ……!」


「しゅしゅ?」


「…………ぷしゅ~」


「あ、コレ、完全に駄目なヤツだ」


 どうやら羞恥が極限まで達してオーバーヒートを起こしたらしい。効果音で表すなら『ボフンッ』の状態である。

 リムルという少女は存外、打たれ弱いらしい。いや、少し前のかなり思いつめた様子から、薄々そんな気はしなくもなかったのだが。

 愁人は内心すこし……いや、かなり意外感を抱きながら、


「あー、悪かったな。なんかかえって無理させたみたいで」


「……ぇ、……ゃっ、ちがっ」


「わかったわかった、とりあえず、アレに触れればいいのか?」


 しどろもどろになりながらやや放心気味に否定の言葉を並べる彼女に苦笑を浮かべ、愁人はいざ門に触れようとサークルへと近付き、その内側に足を踏み入れた。

 その瞬間。


「――っ!?」


 足の裏から強制的に何かが抜け落ちていくような感覚が、彼に襲いかかった。

 とっさに足を引いて体の様子を探るも、特別体調に変化はみられない。

 しかし。


「……うご、いた……」


「――っ」


 愁人が触れた場所から水面が波打つように、光の波紋がみるみる広がり、やがてサークル全体を輝きで満たす。

 カラクリが作動するように輪が回転し始め、方陣が浮き上がり――かくして石柱を構成するパーツは、漆黒のそれから純白のそれへと変貌を遂げる。

 それは、完全に起動――稼働した。


「…………ゲート」


「ああ。なんとなく察しはついてたが、実にそれっぽいな」


 『反転紋』。二人は知らないが、この場に紗花がいたなら即答しただろうそれの前で、それぞれの思いをもって茫然とその光景を眺めやる。

 アーチという性質上、必然的に生まれる内部の空白部分に、今はもう、空洞はない。

 そこにあるのはリムルには馴染みの、愁人は見たことのない灰色の風景が、映し出されている。


「……いくのか?」


 愁人が唐突に切り出した。


「…………いく」


「そっか」


 沈黙が流れる。そうして出来た間は、居心地が悪くなるようなものではなくて。


「じゃあ、ちょっくら行くとしますか」


「――え?」


「いやほら、もし向こうで何かあったりしたら、俺がいないと戻ってこれないかもだろ? 何もないと決まったわけじゃないし。それに――」


 そう言って視線を下げ、先程から小刻みに揺れるそれに手を伸ばして、


「無自覚に震えてるヤツを、一人で行かせるわけにはいかないしな」


「――っ!?」


「やっぱり無自覚だったか……」


 目を見開いて体を強張らせたリムルは、怯えを含んだ瞳で愁人を見上げる。

 彼女の身に何があったのかは知らないが、こうまで怯えるほどの何かがあったのは、もはや疑いようのない事実だ。

 こうしてわずかにでも関わりを持ってしまった以上、愁人には彼女を見捨てるという選択肢は存在しなかった。


(やっぱり、どっちを選んだにして面倒だったか……)


 そんなのは『助けに入る』と決めた時から承知していたこと。

 ただ同じ『面倒』になるのなら、自分が後悔しない方を選ぶのは当然だ。

 〝あの時〟と違うのは、今の愁人にはそれを成し得るだけの力があること。


 ――そして。


(俺は二度と人を傷付けない。傷付けずに〝無力化する〟。昔の未熟な俺ならまだしも、今ならいけるはずだ)


 それは先の戦闘でもなんとなく実感できた。

 全力でなくとも、大概の相手なら怪我をさせずに封殺できる……はずだ。

 これは、『あの日』に決めた誓い。


「ま、あんまり目立つと碌なことがないから、極力対人戦を避けたいのは事実なんだけどな」


 しかし、仮にもし、もしもの話だ。

 自分より圧倒的な力をもつ相手が目の前に現れたとしたら。

 しかも、そいつが自分の大切な誰かを傷付けようとしていたら。

 ――自分は、そいつを傷付けずにおけるだろうか。

 想像するだけバカバカしいことなのかもしれない。

 天秤にかけるようなことでもないのかもしれない。

 だって片方は身内で、もう片方は赤の他人なのだから。

 どう考えたって身内を優先する。

 身内は味方で、他人は敵。

 どうしてもそういう意識が芽生えてしまうのは、どうしようもない事実だろう。


 だが。


(そうして次第に人を人とも見なくなった時、俺は俺じゃなくなる気がして――)


 ――怖い。


 恐怖。そう、人外に至る恐怖を、愁人は『あの時』感じたのだ。

 一方的にやられる側だったひとりの人間が。

 一方的だったはずの相手側をたったひとりで蹂躙する。

 ――〝化け物〟、と。

 そう呼ばれて初めて、愁人は自分の異常さを自覚した。

 以来、全力で肉体を行使するのが怖くなり、いつしか人を避けるようになっていた。

 これが精神病の一種だというのなら、確かにそうなんだろうと愁人も思う。医師が既存の事例に当てはめて診断するのも頷ける話だ。


 周りがどう受け取ろうが構わない。ただ愁人は模索をやめない。

 何を成せば人で、どうあるのが人なのか。

 やや哲学的な話だが、愁人は人であることをやめる気はないのだ。

 それを模索する。考える。

 そしていつかきっと、自分で納得のいく〝答え〟を見つけるのだ。


(それまでは、なにが何でも〝この力〟は振るわない……)


 自分の気持ちを改めて整理するように、愁人は静かに目を瞑り――

 そんな折に、ぎゅっと、手が握られる。


「――――」


 怯えて震える小さな手を、そっと握っていた方の手だ。


「…………」


 少女は、ただ愁人を見上げていた。

 不安を隠そうともしないその表情は……いや、そうじゃない。


(あー、俺が心配されてるのか)


 いつの間にか、リムルの震えは止まっていた。

 怯えた姿も鳴りを潜め、物憂げな表情で愁人を見つめ続ける。


「……だいじょう、ぶ」


 唐突に、そんなことを言いだした。


「……シュウ、には……わたし、が……ついてる」


「――――」


「……だから…………怖く、ない……よ?」


「――っ」


 不思議な感覚が愁人を貫いた。なぜか涙腺が緩みそうになる。


「ハ、ハハ……」


 愁人はここにきて自覚した。

 ――どうやら精神的に脆いのは、自分も同じことらしい。

 それをまさか、恐怖を取り除こうとした相手に逆に慰められるとは、まったく皮肉が効き過ぎている。


「まったく、情けない」


「…………? ……シュウ、は……強い……よ?」


「はいはい、ありがとな、リムル」


「……ん」


 自分も恐怖で震えていたくせに、どうやら人のこととなると放っておけない性質らしい。

 これも傷の舐め合いと言うのだろうかと漠然とそんなことを考えてから、愁人はリムルの頭を撫でて言う。


「とりあえずいくか。あちら側へ」


「……ん」


 まったく同じ返しで頷いてから、二人はいく――。


 未だ光を放ち続けるそこへと向かう、大きさの異なるそれぞれの手は、反転紋ゲートをくぐるその瞬間も繋がれたままだった。




 その先で、愁人は愕然とする。


「……どうなってんだよ、コレはっ」


 視界に飛び込んできた見知らぬ世界は、こうして存在するのも疑わしいくらいに、〝死の灰〟に満ちていた。

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