問わず語りか独り言

〝雅号〟には理性がある。

 それは彼らが他の妖人と明らかに一線を画す点である。

 だが――彼らはどこまで行っても妖人だった。

 普通の人間には認識出来ない存在。見鬼(けんき)と幽世の存在のみが知覚出来るが、干渉は受け付けない。

 そして、彼らの奥底に潜む――絶望的なまでの狂気。

 それを見極められるかどうか。清はすぐにでも覡符を傷口に読み取らせることが出来るように気を張りながら、目の前の少年を見据えていた。

「向こうは派手にやってるみたいだね。変身しないの?」

 釈迢空の雅号を持つ妖人はにやりと笑い、清の左手に握られた覡符を目で指し示す。

「少し、話がしたくてですね」

 先程の妖人との戦闘の後、麻子の家に戻ろうとすると待ち構えていたように釈迢空が現れた。直人の許にも、恐らく別の〝雅号〟が向かっているのだろう。直人と清を分断させ、それぞれ〝雅号〟をあてがうという訳だ。

 ただ、余計なガキが割って入ってこない状況で〝雅号〟と向き合えるというのは、清も願っていた状況だった。

 清はじっと釈迢空の目を見つめる。

「そんなに見つめないでよ。照れるじゃないか」

 くつくつと笑いながら、釈迢空は天を仰ぐ。

「僕は数回話をすれば、それで大抵の相手の本質を見抜くだけの眼力があると自負しています。これは決して自惚れではない、二十数年生きてきて確信している事実です」

「へえ、それで俺の本質というのはわかったの?」

 清はゆっくりと首を横に振った。

「あなたには何もない」

「へえ! どうやら君は本物らしいや!」

 ふざけたように拍手を送る釈迢空を、清はじっと見ていた。

「そうさ、その通り。俺には何もない。外側だけの伽藍堂なんだよ」

 釈迢空は快活に笑う。清は再び首を横に振った。

「僕にはそれが理解出来ない。ならば何故、あなたは僕と会話が出来ているんです」

 笑みが、すっと引いた。

「また話しすぎだと瓢水子辺りに怒られる気もするけど、俺の自我はこの身体のものではないことは確かだ。それに取り憑いた妖怪のものでもない。謂わば無から生まれた得体の知れない自我なのさ。そんなものが、果たして自我と呼べるかい? 何故空っぽの俺が君と話が出来るのかだって? そんなこと俺の方が知りたいくらいだよ」

 一瞬で殺気が張り詰める。

「変身しなよ、安野清。戦おう。大いに戦おう。そうでなければ俺は自分がわからなくなるだけだ」

「一つだけ」

 清は左手を振るい、覡符を傷口に向ける。

「あなたは自分がわからないということをわかっている。話が出来て楽しかったですよ、釈迢空」

 覡符を傷口に走らせ、

「変身」

 激痛が右腕を襲う。

『波山』

 赤い羽根の装甲が身体を覆う。無数の羽根が装甲として固まっていく中、背中から巨大な一対の翼が身体を覆うように左前に合わさり、強固な装甲が出来上がる。最後に顔の下半分を覆うように装甲が合わさり、清は異形へと姿を変える。

『天火』

 覡符を読み取らせ、手から火の弾を放つ。

 釈迢空は一気に駆け出し、清に狙いを定めさせない。

「これはどうです」

 覡符を取り出し、傷口へ。

『うわん』

 耳を劈く轟音が響く。釈迢空は堪え切れずに耳を塞ぎ、その場に立ち止まる。

『不知火』

 出現した炎に手を入れて刀として取り出し、一気に釈迢空の懐まで迫る。

 切先を眼前に突き出し、清はそこで動きを止めた。

「――何のつもりだい」

「理性があれば、扱いやすいんでしたね」

「なんだい、俺を脅して引き入れようとでも?」

「脅すのは合っています。引き入れようとは思いません。あなた達は岬さんの存在を許さない。その意味するところは僕もわかっているつもりです」

 清は物憂げな目をして、溜め息を吐く。

「ですから脅して、あなた達の裏にいるものについて話していただこうと思いまして」

「おーい、いくらなんでもそこまで喋ったら殺されるどころじゃすまないよ。そんなこと話すとでも思ったなら、とんだ買い被りだよ」

「――いるんですね」

 釈迢空は苦々しげに顔を歪める。

「汚いよ。そんな尋問」

「まあそう言わずに。僕の見立てでは、それは妖人ではない。違いますか?」

「また答えを引き出そうとしても無駄だよ。これ以上の問答は全く無意味だ」

「さて、それはどうでしょう」

 清は刀を釈迢空の首筋に這わせ、きっとその顔を睨む。

「あなたを理解しようとは思いません。いや、決して理解してはならない領分なのでしょう。それでも、あなたとの会話は刺激的だ」

「褒めても何も出ないよ」

「褒めたつもりはありません。刺激的というのは理性が危険信号を鳴らすという意味ですよ。関わってはならない、交わってはならないと警鐘が響くんです」

「なら、何故まだこうして話しているんだい」

「まだ、何かが出ないかと期待しているんでしょうね。それか、この刺激が癖になったか」

 釈迢空は自嘲気味に笑う。

「確かに君とのお喋りは面白い。だが、俺達妖人が本当に求めているものは何か――君は気付いているんじゃないのかい」

 清は刀を手放し、釈迢空の顔面を思い切り蹴り上げた。

「ははは! そうだ! これだよ! これを待っていた!」

「あなた達は、人間と妖怪を羨み、憎み、呪う。その衝動のままに人と妖を襲うのが理性を持たない妖人とするのならば、あなたのような〝雅号〟は、僕と直人君という『天敵』との闘争を至上の愉悦とする。僕達がこの力を得るまで、〝雅号〟は確認されていなかった。『天敵』が現れたことによって、それを待ちかねたようにあなた達は理性を得た」

「面白い考察だね。だが、俺達にはそんな建前などどうでもいいんだ。君達と戦い――そしてあのイレギュラーを葬り去ることが出来ればそれで満足する」

「なるほど、やはり岬さんは本当にイレギュラーな存在のようですね。あなた達の行動理念すら捻じ曲げている」

「君もわかっているはずだ。彼女は存在してはならない」

「ええ。わかっていますよ。岬さんを守ることで、救おうとすることで、どれ程罪を背負うことになるのか」

「覚悟は出来ているという訳かい」

「少なくとも、僕は。岬さんもそれは自覚しているでしょう。わかっていないのは直人君くらいのものですよ」

 清は吐き捨てるように言った。

 炎となり清の周りを旋回する『不知火』に手を差し込み、再び刀の形として取り出す。

「いいよ」

 釈迢空は舌なめずりをして、構えられた刀の間合いに踏み込む。

「その苛立ちをぶつけてきなよ。どうせ俺は理解出来ない存在だ。そんな奴を嬲るのは、さぞ爽快だろうよ」

「見くびってもらっては困りますね」

 清は刀を横に薙ぎ、釈迢空の胸を斬り裂く。

「僕はこれでも八つ当たりという行為に手を染めたことはありませんよ。理解出来ない相手を暴力で叩きのめすのも、どれだけ苦悶しているか、あなたにはわからないでしょうね。迷いはありません。ですが、斬れば斬るだけ」

 袈裟懸け。そこで刀を手放す。

「殴れば殴るだけ」

 拳の連打。最後に回し蹴りで吹き飛ばす。

「こっちだって、痛いんですよ。そんなことは、きっと直人君でさえわかっている」

「――へえ。そいつは俺にはわからないや。君との殺し合い程気持ちいいものはない」

 釈迢空が右腕を真っ直ぐに清に向けると、その右腕が肩から外れて清の喉笛を狙う。

 清は右手でそれを払い除けようとするが、推進力は想像以上に強力だった。それでもある程度の勢いを殺すことには成功し、すんでのところで上体を傾けてかわす。

「見てください。このおぞましい傷を」

 釈迢空の懐に潜り込みながら清は右の拳を顔面に叩き込む。

「これは妖怪に付けられた呪傷です。僕は、こんな理不尽な思いを他の誰にもしてほしくない。守れるものなら守りたいんです。あなた達妖人は、まさにその理不尽な悪意の塊です。それを倒すことが出来るようになって、僕がどれだけ嬉しかったか」

 殴打し続ける中、背後から釈迢空の右腕が清の首を狙って飛来する。だが清を守るように旋回していた炎が壁となってそれを阻む。

「でもおかしいよね。存在することが間違っている俺達を倒せることが嬉しくて堪らないなんて。存在しないことが正しい妖人を君の憎む理不尽な悪意とやらに当て嵌めて、それを倒して悦に入っている訳だ」

「否定はしませんよ。明確な、倒すことが出来る敵が現れたことで、僕が救われた面も多分にあるのは事実です。単純な二元論。勧善懲悪。そんなものに憧れてしまうのは仕様のない性です。そして、この戦いがそんなものでないことも知っています」

 清は再び刀を振るい、釈迢空の身体を滅多刺しにしていく。

「こんなくだらない話を聞いてくれてありがとうございました。感謝しますよ、釈迢空」

 清は釈迢空に突き立てた刀を足で押し込み、後退する釈迢空からさらに距離を取る。

「なあに、俺も話が出来て楽しかったよ。こんな空っぽな俺でも、話が出来るんだというのは大きな発見だったね」

 覡符を取り出し、右腕の傷に走らせる。

『波山』

 身体の前で重なっていた、一対の巨大な翼が大きく広がる。それによってメインの装甲が露わになるが、猛々しく広がる翼の前ではそんな些細なことなど気にならない。

 大きな羽音を立て、清の身体が空へと浮かび上がる。

 そのまま清の身体は炎に包まれ、巨大な鳥の形となって凄まじい速さで飛翔する。

 そして釈迢空の身体を火の鳥が貫いた。釈迢空の身体は燃え上がり、やがて霧散する。

 舞い上がった火の鳥はやがてその身を覆う炎が消え、翼を広げた清がゆっくりと着地する。

 大きく息を吐くと、羽根の装甲が剥がれ落ちていき、清は人間の姿へと戻っていった。

 清はふと自問する。

 何故自分は釈迢空を相手にあんな話を始めたのか。理解出来ない存在への苛立ち――理不尽な妖人に対する怒り――どれも違う気がする。

 ひょっとすると――清は自嘲気味に笑う。清は思ったよりも、〝雅号〟を人間に近い存在として認めていたのかもしれない。そしてそれが明確に人間とは違うということを確信していたからこそ、人間の前ではしたことのないような話をしていた――。

「悪いことをしましたかね」

 誰にとでもなくそう言って、清はいつの間にか傾き始めた夏の陽が照らす道を戻っていった。

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