殺風景な原風景

「だから! なんであんたはいつもそうなんだよ!」

 俺が何度目かわからない文句を言うと、宙にだらしなく浮いたシンリュウは鬱陶しげに手を振った。

「うっせーな。勝ったんだからいいだろうが」

 カザクモの代わりに俺の許に居着くことになったシンリュウは、とにかく身勝手だった。

 シンリュウを仮面に取り込んで得られる力は強大だった。「変身」というルーティンを決めても、俺はその沸騰する力を完全には制御出来ない程だ。

 それで変身した後、俺の身体は自分の意思とは無関係に動くようになった。

 シンリュウが自分一人の意思で妖人を倒そうと動いているのだ。

 結果、変身を解いた後の俺の身体は急激に疲弊した。

 いくらシンクロしていないことで変身中のダメージが妖怪側に行くことになっていようと、自分の意思とまるで違う動きをした身体にはそれ相応の負担がかかるようだった。

 シンリュウには頼むから俺と意思を合わせてくれ、疎通をしてくれと言っているのだが、当人はそんなことはお構いなしに突っ走っていく。

 今のように、俺が文句を言おうがシンリュウはただ鬱陶しそうにそっぽを向くだけである。

「でもシンリュウ、これじゃ直人の身体が持たないよ……」

 岬が呟いても、シンリュウは我関せずといった態度のままだ。

 例の耳鳴りが俺を襲った。

 節々が痛む身体を庇いながら、気配を探知する。妖人の気配は仮面の所有者である俺には厭でもわかる。

 ――近い!

「こんばんは。阿瀬直人。そしてイレギュラー」

 落ち着いた女の声がした。

 振り向くと、おばさんよりも長い髪を伸ばした三十くらいの女が微笑を湛えながら立っていた。

「私は而慍斎じうんさいと申します。どうぞお見知りおきください」

「妖人――!」

「はい、妖人です。先日は釈迢空がお世話になりました」

「お前ら、話が出来るんだよな……?」

 俺が恐る恐る訊くと、而慍斎はにっこりと笑った。

「会話は可能ですが、交渉や命乞いは無意味とお考えください」

 そこで而慍斎は岬に視線を送る。

 こいつの狙いも――岬。

 俺は咄嗟に岬を守るように而慍斎の視界に割って入った。

 而慍斎は苦笑すると、すっと指を岬に向ける。

「お前ら――なんで岬を狙う」

「イレギュラーは排除すべき――これが我らの総意でして。釈迢空も言いませんでしたか」

「イレギュラーっていうなら、お前らも同じじゃないのか」

 俺がそう言うと、而慍斎は声を上げて笑い出した。

「失礼――いや――我らなどは正統な化け物でしかありません。所詮は妖人。容れ物の中に充満した邪気が、仮初の自我を得たに過ぎない紛い物です。それに比べて、あなたはあまりに尊い――」

 岬がびくりと身体を震わせて俺の陰に隠れる。

「気に入らねえな」

 シンリュウが吐き捨てるように言う。

「テメーらはきっちり自我もあって、一丁前に名前まであるってのに、紛い物だと宣うのかよ」

「あなたにはわかりませんよ。我らがいかに浅ましく、醜く、曖昧か。だから我らはあなた達を羨むのです。憎むのです。呪うのです。それは最早我らの意志とは無関係に――我らに果たして意志があるのかという疑問も多分にあるのですが」

 而慍斎は笑みを崩さないまま、俺達を睥睨する。

「だから雅号って訳かよ」

「そう、我らは所詮仮初。だからあなた達に憧れもする。故に仮初の名――雅号を名乗るのですよ」

 さあ――而慍斎は大仰に手を身体の前から横に振るう。

「我らの本能に従いましょう。我らはあなた達を羨み、憎み、呪う存在。いかに知性があろうと自我があろうとそれだけは覆せない。戦いを。惨たらしく汚らしく哀れな戦いを」

「おい直人」

 シンリュウが機嫌の悪そうな顔のまま、俺の隣に漂ってくる。

「俺ァ今胸糞が悪くて仕方がねえ。ぶちのめす」

 俺はゆっくりと仮面をシンリュウに向ける。

 咆哮が耳を劈く。

 シンリュウはその身を空に投げ出し、見る間に姿を変えていった。

 鱗に覆われた長い胴体。大きな口からは鋭い牙が見え、長く細い髭が左右に伸びている。その目は金色に輝き、頭からは二本の鹿よりも猛々しい角が生えている。

 それは、龍だった。

 龍へと姿を変えたシンリュウは空中で身を翻すと、頭から仮面へと吸い込まれていく。

 仮面の形状が変わり、紋様が浮き上がってくる。ぎざぎざの角が伸びた、龍の顔を模した形状。鱗の流れを表したかのような、青い装飾線が鋭く入る。

「龍の面」

 大きく息を吐き、仮面を持った右手を素早く横に伸ばす。そのまま流れるように仮面を顔に翳し、

「変身!」

 仮面を顔にあてがう。

 膨大な力が全身を沸騰させる。

 全身を青い光の鱗が包んでいく。それが現れる感覚が、実際に俺の身体をまるで湧き立つようにさせるのだ。

 鱗は重なり合わさり、一つの堅牢な光の鎧になる。両手には龍の鉤爪が形成され、俺はそれを横に広げて咆哮した。

「っしゃあ! ズタボロにしてやんぜオラァ!」

 鉤爪の生えた両手を横に広げたまま、俺は而慍斎目がけて駆け出す。

 今の俺の身体は圧倒的なシンリュウの力に翻弄され、まるで自分の意思とは無関係に動いていた。身体の主導権は完全にシンリュウにあった。

 シンリュウは右手で而慍斎の喉笛を切り裂こうと狙う。

 だが而慍斎の懐に入る前に、シンリュウは動きを止められた。

 いつの間にか足元には黒い波が立っていた。それが俺の足に纏わり付き、動きを止めていたのだ。

 よく見れば而慍斎の黒髪の先端は地面まで垂れており、そこから道に広がっている。

 黒い波の正体は而慍斎の伸ばした髪だった。無尽蔵に伸び続ける髪は俺の足にがっちりと絡み付き、身動きが取れないように縛り上げている。

「うざってえ!」

 シンリュウは怒りに任せたように両手を振るい、足元の髪を切断する。

 ――クソ、駄目だ。

 身体の主導権はシンリュウに完全に明け渡している。必死に抗おうとするのだが、圧倒的な力の奔流に自我を保つのさえやっとだった。

 ふと、消えそうに明滅する意識の片隅に、川のせせらぎが聞こえてくる。

「――四泉川しせんかわ?」

 四泉川は隣町を流れる割合大きな川だ。土手は急で雑草も伸び放題なので、河原まで下りていく者は殆どいない。だが俺はどういう訳かその雑草に覆われた河川敷に立っていた。

 いやいや、ちょっと待て。

 俺は今妖人と戦っているんじゃなかったのか。それがなんで隣町の川まで来ている。

「おいテメー」

 聞き覚えのある声で呼ばれ、俺ははっとして振り向く。

 コンクリートで固められた橋の下に、シンリュウが苛立った様子で立っていた。

「シンリュウ! ここは?」

「ったく、なんでこんなことになってんだ。ここはな、俺の原風景だ」

「原風景……って?」

「ああもう! うざってえなテメーは!」

 なんで当たり前の質問をしただけでキレられなければならないんだろうか。

「過去の全てを集約した景色――ってことか?」

「やっぱりうぜえ」

 酷い言われようだ。

「わかってんなら全部わかってるって言やあいいのに、テメーはいつもそれだ」

「って、ちょっと待てよ。あんたの過去の全てが四泉川って――」

「俺に過去はねえ」

 シンリュウは腕を組んで上を見上げる。車の走る橋げたが見えるばかりだろうに、まるで全てを見通しているかのような目付きだった。

「ここで死に、ここで生まれる。それだけだ。俺には生きてた頃の記憶はねえし、ただここにいたことだけは覚えてる。だからここが俺の原風景になっている」

「あんた、元は人間だったのか?」

「知らん」

 にべもない。

「で、なんでテメーがここにいる」

「そうだ! 俺今妖人と戦ってるはずなのに」

 質問してんのはこっちだ――シンリュウは半分怒り半分呆れといった様子で溜め息を吐く。

「戦ってるさ。テメーの身体を使って俺がな」

 首を傾げる俺に、シンリュウは自分の頭を指でコンコンと叩いた。

「意識が一つだけだと思うな。というより、ここは俺の原風景。ここにいる俺は意識の外にいる俺だ。テメーにはっきり意識があるってことは、身体の主体性を失って意識だけがここに流れ着いたってことだろうが――普通に考えてそんなことはありえない」

 理由わかってるじゃないかと思いながら、最後の否定の言葉でシンリュウは納得出来ていないのだと察した。

「俺は――何とか意識を保って身体の主導権を取り戻そうとしてたら、いつの間にかここに」

「はン! そんなに自分の身体が大事か? テメーが出しゃばらなくても、俺一人で妖人なんざぶち殺せる」

「いや、それだと負担が大きすぎる」

「テメーの疲労くらい我慢しやがれ。どうせ俺が戦う時には関係ねえんだ」

「違う」

 あんただよ――俺は真っ直ぐシンリュウの目を見据えて言う。

「あんただけの意思で動けば、受けたダメージは全部あんたに向かう。それにあんた、実際無茶な戦い方するだろ。いや、俺も無茶するってよく言われるけど、あんたのは無茶苦茶だ。それで受けたダメージ全部受け持ってたら、あんたの身体が持たないだろ」

 シンリュウは暫し呆気に取られたように固まったが、やがて堪え切れなくなったように笑い出した。

「ば、馬鹿かテメー! 俺は龍の力を持ってんだぞ。そんな程度の傷でどうこうなるやわなもんじゃねえ」

 そうじゃないと俺は依然シンリュウの目を睨んだまま言う。

「俺は――そうだな、あんたらみたいなのが好きなんだ。俺が戦ってるのは、人間と妖怪、両方を守りたいからなんだよ。だから、一緒に戦うんなら、同じ気持ちで戦いたい」

 って、何言ってんだ恥ずかしい――と思いながらも、目はシンリュウから逸らさない。

 睨み合いだ。シンリュウに睨まれると、その奥に潜む、圧倒的なまでの龍の力がちらついて尻込みしそうになる。

 だが――退けない。

 この睨み合いは、謂わば魂と魂のぶつかり合いだった。シンリュウの原風景の中に存在する、意識の外のシンリュウ。それに屈することは、今後一切表のシンリュウにも勝てないことを意味していた。

 永遠にも感じられる睨み合いは、シンリュウが微笑と共に俯いたことで幕を下ろした。

「くだらねえ」

 笑い混じりに、そう呟く。

「テメーみたいな馬鹿にはマジで呆れ返るぜ。妖怪が好き? 一緒に戦いたい? 全くお笑いだな。けど、そう――ここまでの馬鹿は、一周回って面白ぇ」

 シンリュウは俺の眼前までつかつかと歩み寄ると、荒っぽく胸倉を取った。

「ヘマすんなよ。もしテメーがクソみてぇな醜態を晒せば、俺はいつでもテメーの身体を奪うからな」

 どん、と突き放し、シンリュウは俺に背を向ける。

「いつまで人の中に居座る気だ。さっさと行きやがれ」

 シンリュウが悪い奴ではないことは、最初に会った時からわかっていた。自分で主導権を握って妖人と戦うのも、俺に無理をさせないためだった。それはひとえに俺を認めていないことの裏返しでもあった訳だが、その問題は多分、もう解決した。

「ありがとな、シンリュウ。一緒に戦ってくれ!」

「ああ――ったく、クセぇな、ガキが」

 最後まで悪態を吐いたが、それで俺には充分すぎる程伝わった。

 而慍斎の髪は地面いっぱいに広がり、上に乗ればすぐさま足を絡め取る。

「クソが! 鬱陶しいったらありゃしねえ!」

 而慍斎の髪が及ばない範囲までじりじりと後退せざるを得ない。

 意識が急速に身体に戻ってくる。それまでの戦闘を全て自分の目で見ていたように――実際その通りだった――還元されていく。

 俺は大きく深呼吸をする。それまで荒っぽい挙動に慣れていた而慍斎は、わずかに動揺の素振りを見せた。

 シンリュウを宿した仮面は、カザクモを宿した時よりも速力が落ちる。だが逆にパワーは大幅に上がり、大抵の敵はその光の鎧の防御力と力押しでどうにかなる。

 だが、今の敵は知性を持った妖人――〝雅号〟。単純な力押しばかりではジリ貧に陥る。それは先程までの戦いからも窺える。而慍斎の髪の結界に立ち入れば足を取られ、絞め上げられるばかり。鉤爪で切り裂くことで振り解くことは出来るが、腕まで縛られればそれも出来なくなる。それ故に髪の密度が増していく結界の中心にいる而慍斎にまで辿り着くことが出来ない。

 ――シンリュウ。

 今は同じ意識の中にいるシンリュウに――そして俺自身に呼びかける。

 鎧を構成する龍の鱗が一枚一枚逆立っていく。それらが重なり合わさり、両肩に一対の風切りが伸びていく。

「アイ! キャン! フラァァァイ!」

 叫ぶのと同時に、俺の両足は地面を離れた。

 翼を模したのはあくまでもイメージ優先のためだ。シンリュウは人間の姿でも龍の姿でも、飛ぶのに翼は用いない。それでも飛ぶからには、航空力学的に意味のないものでも、翼の意匠は必要だ。これは俺の譲れないこだわりというやつである。

 シンリュウの感覚と、俺の中のイメージを頼りに空中を旋回する。シンリュウの感覚は今や俺の中で完全に同一化されている。それに加えて人型の空中移動は俺の長年培ってきたイメージで補う。だから宙を舞うなど造作もないことだった。

 而慍斎は俺を見上げると髪の結界の一部を解き、それを槍のように固めて俺目がけ放った。

 右の風切りを傾け、急降下するように飛ぶ。それで髪の槍を右側に掠めながら而慍斎に迫る。

 而慍斎は第二第三の髪の槍を放つが、俺はそれを高速で飛び回りながら次々にかわしていく。放たれた後の髪の塊が散開して無数の触手のように俺を狙うが、それよりも速く、縦横無尽に飛び回る俺を捉えることは出来ない。

 そうだ! ――俺は次のアイデアを思い付き、思考と実現を同時に行う。

 風切りがさらに長く伸び、その鋭さも増していく。俺は錐揉み回転しながら而慍斎目がけて急降下する。

 俺を捉えようと伸びる髪は、悉く回転する風切りに切り裂かれていった。ここまでくればもう誰にも止められない。そのまま一気に而慍斎の頭上から鉤爪を振り下ろし、その身体を地面に叩き付ける。

「お強いですね。あの深呼吸――その前までなら私の勝ちは濃厚でしたのに。何か、あったのですね」

「まあな。だが――」

 風切りが両翼共に上を向き、

「お喋りはみっともねえぜ」

 はるか上空に舞い上がるのと同じ勢いの力を、而慍斎の身体に当てられた拳に伝える。

 拳は而慍斎の身体に巨大な風穴を開けた。

「確かに、その通りですね」

 柔らかな笑みを残し、而慍斎は霧散した。

 仮面を外すと、どっと疲労感と少なからず受けたダメージの一部が流れ込んでくる。

「よくわからねえが、よくやった」

 シンリュウは地面に立ち、膝を着いた格好の俺にぶっきらぼうに言った。

「直人、シンリュウとシンクロ出来たの?」

「よくわからねえが、こいつが自然と俺とシンクロした。何か腑に落ちねえな。俺はこいつを認めたつもりはこれっぽっちもなかったはずなんだが――」

 岬の質問にはシンリュウが答えた。どうやら原風景にいたシンリュウが本来の意識の外にいる存在というのは本当らしい。それでもそこでの出来事が及ぼす効果は計り知れない。

「飛ぶっていうのは俺の考えにはなかった選択肢だ。それを思い付いて実行出来たのは褒めてやる」

「ああ、ありがとな、シンリュウ」

「礼ならもう聞いた」

 言ってから、シンリュウはおやと首を傾げる。

 俺がしたり顔で笑うと、シンリュウは柄の悪い声を上げて俺を威嚇する。

「ンだテメー、何笑ってやがる」

「いやー、別にー」

「このッ――笑うな!」

 楽しげに笑う俺にムキになって怒るシンリュウが何かおかしくて、俺はますます笑い、シンリュウはますます怒っていくのだった。

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