仕組みが気になるお年頃
ベッドの上に身体を伏せたまま、カザクモは動かない。
俺は自分のベッドを明け渡した訳だが、どこで寝ようかという心配よりも先に、とにかくカザクモが心配だった。
「直人、カザクモは?」
地面から数センチ浮いて、岬が俺の顔を不安げに覗き込む。
「わからねえ。俺、妖怪に詳しい訳じゃねえし――」
俺が仮面を外し、仮面から分離したカザクモが現れるのはいつものことだ。それはさっきも同様で、カザクモは仮面から離れるといつもと同じ澄まし顔で小言の一つでも言うものだと思っていた。
それが、何も言わずに倒れた。
そして今もこうして意識を失ったままだ。
「清さんは帰っちゃうし――お母さんに聞いてみる?」
清は妖人が消えるとすぐにその場を去った。生来から妖怪が見える清なら詳しいことがわかるのかもしれないが、妖怪嫌いのあいつが素直にカザクモを診てくれるとは思えない。となると、同じく妖怪を見ることが出来るおばさんに頼むのが賢明だろうか。
その時、玄関のチャイムが鳴った。時刻は七時を回ったところで、俺はついさっき夕食を取ったところだ。
なので家には父さんも母さんもいる。俺がわざわざ二階から降りる必要もないだろうと難しい顔のまま突っ立っていると、階下から母さんの楽しげな声が聞こえてきた。
暫く話し込んだ後で、階段を上ってくる足音がする。俺の部屋のドアをコンコンと二回ノックして、俺が応えると静かにドアが開いた。
「お母さん!」
岬が驚いた声を上げる。おばさんが柔和だがまるで少女のような笑みを浮かべて部屋に入ってきた。
「清君から聞いてね。カザクモはどう?」
まるでカザクモと旧来の知り合いのような言い方で、俺のベッドの方へ歩み寄る。
「意識が戻らないんです」
俺が言うとおばさんは頷いて、カザクモの身体に手を当てて意識を集中させる。
「直人君、カザクモから仮面のことは聞いてる?」
「え? まあ、一通りは」
おばさんは労わるようにカザクモの身体を撫で、俺と向き合った。
「直人君が仮面を着けた時に身体を覆う光の鎧は、仮面に取り込んだ妖怪を
「スダマ?」
「あ、ごめんね。妖怪を分解出来ると仮定した場合の最小単位――ってこれでもわかりにくいか」
「ああ、なんとなくわかります」
「うん、じゃあ続きね。この仮面は安全性を第一に作られていて、一番には装着者の人間を守るように設計されてるの。言い方は悪いけど、妖怪は替えが利くけど人間の方はあまり替えが利かないの。この仮面を着けるにはある程度霊的な素養が必要だから」
それは初耳だった。
「直人君には
俺がいまいちよくわからないという旨の声を上げると、おばさんはまた脱線しちゃったと苦笑して、話を戻した。
「人間側の安全性を第一にすることで、妖怪側の負担はどうしても大きくなる。仮面を着けた状態は、謂わば妖怪が自分の身体で人間の身体を守ってる訳だからね。だから、変身中受けたダメージは、殆どが妖怪側に流れ込むの」
今回がそういう状態――と言って、おばさんはカザクモをちらりと見る。
「でも、前に岬が襲われた時、俺無茶して、仮面を外した後も身体にダメージが残ってたんですけど……」
それを聞いて、おばさんは小さく笑った。
「そうかぁ……カザクモとはいいコンビなんだね」
俺が首を傾げると、おばさんは一度笑顔になってから、急に真剣な表情になる。
「仮面の装着者と仮面に憑依する妖怪が互いに同調すればする程、両者の間は狭まっていくの。つまり、直人君とカザクモの心がシンクロすると、通常はカザクモだけに向かうダメージが直人君の側にも流れ込むのね。安全性を考えるとある種危険な装置だけど、同調率が高いということは妖怪の力を存分に引き出せる――両者の距離が狭まるってことだから、致し方ない部分もあるんだよね」
なるほど、俺とカザクモは同じ意志を持って戦ってきたことになる訳だ。カザクモは俺にあまり多くを語らないから簡単に内面を察することは出来ないが、これまで戦ってきた中では俺と同じ思いで妖人に立ち向かっていたことがこれでわかったことになる。
ちょっと嬉しい。だが――今の状況を見るに、そう浮かれててはいられないことがわかる。
「今カザクモがこうなってるのは、さっきの戦いで限界を超えるダメージを受けて、しかも二人の意志が全く別の方向に向かっていたということになるんじゃないかな。カザクモの側にだけ負担がいってるってことは、つまりそういうことだから」
おばさんはカザクモを撫でて、力なく笑った。
俺はあの戦いの中で、とにかく焦っていた。岬が殺されてしまうのではないか。早く助けなければ。早く。早く――。
頭の中で、「落ち着け」と声がしたことを今更ながら思い出す。カザクモはあの状況でも冷静さを保とうとし、俺をなだめようと必死だったのだ。だが俺は思いばかりが先走り、カザクモの意志など無視して突っ走ってしまった。
その結果、身体に限界を超えたダメージを受け、それを一身に受けたカザクモは昏倒している。
「どうすりゃ――よかったんですか」
俺は自分の口から出た言葉に、自分で驚いた。口にするつもりはなかった。ただ、その後悔だけが口を突いて出たのだった。
「いや――あれでよかったのだ」
透明感のある声に俺がはっとすると、ベッドの上でカザクモが横たわったまま目を開けていた。
「カザクモ!」
俺が駆け寄ると、カザクモは小さく笑う。
「麻子か。余計なことを喋ったな」
そんな言い方はないでしょ、とおばさんは苦笑する。
「それにこれからのことも考えると、直人君には仮面の細部まで把握しておいてもらわないと」
ふん、と鼻を鳴らし、カザクモは重そうな瞼を半分落とす。
「カザクモ、なあカザクモ……。俺が悪かったんだよな。お前のことも何も考えずに焦ってばっかで――」
「何度も言わせるな間抜け。あれでよかったと言っているだろう」
やれやれと言うには疲れすぎた様子でカザクモは溜め息を吐く。
「どういうことだよ?」
俺が訊くと、カザクモは顔を尻尾の中に埋めて、大きく息を吐き出す。
「お前はいつまで間抜けのままでいるつもりだ。気付いていることに気付かず、わかっていることがわからぬままでいいのか」
またそれか――俺は決まりが悪く頭を掻く。
「岬にも何度も言われてるけどよ、俺はそんな大層な奴じゃねえよ」
「それだ」
カザクモは顔を五本の尻尾の中に埋めたまま、尻尾の一本をびしっと俺の顔に向ける。
「いいか。照れるな。恥ずかしがるな。お前は一を聞いて――いや、何も聞かずとも十を知ることが出来るのだ」
面と向かってそんなことを言われて、人格形成期真っただ中の俺がうんと頷くはずもなく、結局照れて、恥ずかしがった。
「カザクモ、もしかしてあなた、わざと同調を解いたの?」
顔を赤らめる俺を見て苦笑するおばさんは、代わりにそう訊いてくれた。
小さく自嘲気味の笑みをこぼしたカザクモは頷くことはしなかったが、それは首肯を表しているのだと俺にもわかる。
「あの妖人には明確な理性があった。警戒はしたが、案の定奴の力は強大だった。現に直人はもう少しで縊り殺されるところだっただろう。その間負った深手をこのガキに背負わせるのは考え物だっただけだ」
シンクロしていれば、変身中受けたダメージは俺にも襲いかかる。だが、シンクロを拒否すれば、ダメージは本来通りカザクモだけに向かう。
つまり、カザクモは俺を庇って一身にダメージを引き受けたことになる。
「お前っ――なんでそんなことしたんだよ!」
俺がそう声を荒らげると、カザクモは冷たく「間抜け」と一蹴する。
「いいか、何故仮面が着けた人間の安全を第一として設計されているか考えろ。人間は脆い。傷を受ければ癒すのに多大な時間を要する。だが我らは違う。現世の存在は簡単に崩れ去るが、幽世の存在は像を想う者さえいればいくらでも湧き立つことが出来る。本来通りの使い方をしただけだ」
「だけど――」
「まだわからんのか間抜け。お前はそう簡単に代えが利かん上に、傷を負えば延々それを引きずる。私はお前のようにやわではない。現に今、こうしてお前と話している」
だが――カザクモは顔を尻尾に埋めたまま耳をぴんと立てる。
「このままでは奴らに太刀打ち出来るか不安が残る。私は一度、身を隠す」
「は? 何言って――」
「麻子、後のことは奴に頼めるか」
「――わかった」
ゆっくりと身を起こしたカザクモは、空中でくるりと一回転すると跡形もなく消えていた。
「おい、カザクモ!」
だがもう気配すら感じない。
「カザクモは、自分の霊力を高めに行ったんだと思う。カザクモが妖狐になったのは結構最近なの。それでもう五尾にまでなってるのはすごいスピードだって。だから、きっとすぐに戻ってくるよ」
おばさんはそう言って、何か小さく呟いた。
「あン? 何の用だクソ女」
恐ろしく柄の悪い声がして、窓が派手な音を立てて開いた。
その窓から高校生くらいの男が入ってくる。高校生というのは夏用の制服をだらしなく着ているその格好から判断したものだ。
だが、ここは二階。窓の外は勿論二階建て分の高さがある。そこから平然と入ってくるとなると、ただの人間ではない。
「シンリュウ、今からあなたにはこの直人君を守ってもらいたいの」
「ああ? なんだって俺がこんな野郎のお守をしなけりゃならねえんだ」
どうも心証はよろしくないようだ。だがそれはこっちも同じである。おばさんになんて口の利き方をしてるんだこいつは。
「直人君の求めに応じて、必ず力を貸すこと。お願いね。じゃあ私はそろそろ帰ろうかな。岬、直人君に迷惑をかけちゃ駄目よ?」
「おいこらちょっと待て」
シンリュウがおばさんの前に立ち塞がる。今にも胸倉を掴みそうな迫力があった。
「夜道はあれだ。送ってってやる」
あ、こいついい奴だ――俺の中のシンリュウへの不満はたちまち氷解していった。
「大丈夫だよ。あなたは直人君を守ってあげて」
おばさんは笑ってそう言うと、階段を下りて暫く母さんと喋った後、「お邪魔しました」と言って帰っていった。
「で、あんたは?」
俺が向き合うと、シンリュウは思い切り睨み返してくる。
「シンリュウだ。テメーのお守をしてやる」
「あなたも、その――」
岬が訊くと、シンリュウは面倒臭そうに手を横に振る。
「テメーみたいな特殊なやつじゃねえ。俺はシンリュウ。以上」
シンリュウは岬のようにふわりと宙に浮かぶと、寝転がるような姿勢になってそっぽを向いた。
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