危険、危険、危険

 岬はすぐに帰ってきた。

 特に何も言わず、いつの間にか俺の部屋の空中に浮かんでいた。

「お前――あの清って奴のとこにいた方がいいんじゃないのか?」

「ああ、うん。それがね、なんとお母さんにも私が見えたの」

「おばさんが?」

「そうなの。だからちゃんと直人のところにいる許可ももらってきたから」

「おい」

 そういう問題じゃないだろう。

「なら尚更ここにいていいのかよ? おばさんだってお前が見えるんだろ?」

「だからー、ちゃんと許可もらったって言ってるじゃない」

 俺はあの無理をしていないのに若々しいおばさんの優しい笑顔を思い出す。あの人は自分の娘を中学男子の部屋に送り込むことに躊躇しないのだろうか。

 ――しないな、おばさんの場合。

 長年の付き合いだ。男としてはあんまりよくない意味で信頼されている。それが仮令家の中で岬を見ることの出来る人間が俺だけという状況下でもだ。

「一回挨拶に行かねえとな……」

 自分で言って、自分で照れた。まるで嫁にくれと言いに行くようだと気付いたからだ。

「なあカザクモ」

 そこで俺はカザクモに話題を振ることで恥ずかしさをごまかす。だが当のカザクモは上の空で、耳をぴんと立てて窓の外を見ている。

 今はもう長い夕方も終わり、夏の夜のむっとするような闇が町を覆っている。

「何黄昏てんだよ」

 ここですぐに岬と向き合える程俺は肝が据わっていないので、無視されてももう一度カザクモに声をかけてみる。

「清といったか」

「ああ、あいつな」

「そんな言い方して。あんまり清さんに食ってかからないでよ?」

「っていうかお前らどういう関係なんだよ?」

 岬の方から話しかけてくれたおかげで漸く俺は普段通りの軽口を利けた。

「お母さんの知り合いでね。昔から時々家に来てるの」

 おばさんと清がともに「見える」ことから、恐らくはそういう繋がりなのだろうと想像はつく。

「奴は――消さねばならないかもしれん」

 まるで独り言のように、カザクモが呟く。

「消さねばならない――って」

「文字通りの意味だ。奴は危険すぎる」

「どういうことだよ?」

 またそれかとカザクモは呆れる。

「妖人を倒すことが出来るのは、妖人と同質の存在だけだ」

 頷く。だから俺は戦っている。

「ならば妖人と同質の存在を相手にした時、妖怪も人間も手の出しようはない」

「それって――」

「お前はまだいい。仮面は妖怪の持つ技術によって作られた。万が一の安全措置も設けられているし、妖怪の手助けがなければ力を使うことも出来ない。だが奴は違う。清は妖怪を敵視している。そんな者が妖人と同質の力を手に入れた。もしも奴が妖怪に牙を剥けば、それを止める手立てはない」

 清があの姿へと変わるのに、意思のある妖怪の力を借りているとは思えない。覡符と呼んでいたあの札を使い、自分だけの意思で変身する。

「でも、清さんがそんなこと――」

「しないとは、言い切れねえよな……」

 俺が呟くと、岬はきっと目を吊り上げる。

「そんな言い方しないでよ。直人は清さんのこと知らないでしょ?」

「知らねえけど、あいつが妖怪を嫌ってんのはよくわかる」

 それからいけ好かない野郎だということも――と流石にここまでは言わないでおいた。

 その時、俺の耳をいつもの金属を擦り合わせたような音が襲った。

「出たか!」

 意識を集中させ、妖人の居所を探る。

 玄関を出ると、二階の窓からカザクモと岬が飛び降りてくる。

 距離はそう離れていない。俺は気配を頼りに駆け出し、カザクモと岬もそれに続く。

 車が一台ぎりぎり通れる程の狭い道路の交差点に、それはいた。

 清はまだ来ていないらしい。俺は走りながら仮面をカザクモに向け、カザクモが仮面に吸い込まれるとそれを顔の前に翳す。

「変身!」

 仮面を顔にあてがうと、俺の身体は異形へと姿を変える。

 妖人は三十過ぎの男の姿をしている。胡乱な目で俺を捉えると、本能的に敵と判断し唸り声を上げる。

 俺は一気に加速すると、勢いそのままに妖人の腹に膝蹴りを叩き込む。

 苦悶の声を上げて身体を宙に浮かせる妖人を、今度は二段蹴りで撃ち上げる。

 五本の尾が張り詰め、右足が熱を帯びていく。

 落下する妖人に止めを刺そうと右足を引いた瞬間、耳鳴りと同時に背後で岬の悲鳴が上がった。

 俺が瞬時に振り向くと、岬の首を高く掲げた右手で締め上げる小学校低学年くらいの少年が目に入った。

「なあんだ。こちらは気にせずそんな雑魚始末してくれてもよかったのに」

 流暢に言葉を話しているが、先程の耳鳴りと俺達を視認していることから、妖人だとわかる。

「岬!」

 俺はその少年に向かって蹴りを放つ。だが少年は岬の首を絞めたままひらりとそれをかわして見せた。

「直――人」

 掠れた声を漏らす岬を見て、俺は焦りと怒りで身体が熱くなるのを感じる。

 背後から唸り声。止めを刺し損ねた妖人が怒りに任せて俺に襲いかかってきたのだ。

 はっとしてそれに反応しようとするが、それより早く妖人が俺の身体を殴り倒す。

「ぐっ――」

 光の鎧が衝撃を和らげると言っても、流石に直撃は効いた。膝を着いたところをさらに蹴りを入れられる。

 吹き飛びながら体勢を立て直すが、俺は焦燥感で熱くなっていくのを止められない。

「岬を放せ」

 怒りを込めた低い声で言うが、少年は嘲るように笑うだけだった。

「このお姉さんには消えてもらうよ。ほうら、もうすぐ息の根が止まる」

 わずかばかり残った冷静さは跡形もなく消し飛んだ。一気に少年に迫り、その身体を吹き飛ばそうと拳と蹴りの連打を放っていく。

 だが少年は薄ら笑いを浮かべ、岬を掴んだままで俺の連撃をするするとかわしていく。

 焦るなと俺の中のカザクモが叫ぶが、そんな声も耳に入らない。

 岬は。

 岬だけは。

「絶対に――」

 俺が守らなくちゃならない。

「その手を、放せえええ!」

『天火』

 火の弾が俺と少年を狙って飛んでくる。少年は大きく後ろに跳んでそれをかわすが、俺は炸裂した炎を浴びた。

「岬さんを放してもらいましょうか」

 赤い羽根の装甲に身を包んだ清が、落ち着いた声で言う。

『不知火』

 右腕の傷口に覡符を通し、電子音が響くと、清の周囲を炎が漂い始めた。

 清が前に出ると炎もそれに追随し、少年の間合いに入ると炎は清の手の中で刀へと姿を変えた。

 清は刀を大きく右に薙ぐが、少年は身体を引いて悠々それをかわす。だが清はかわされるとわかった瞬間にはもう刀から手を離し、左手を振り上げていた。

 清の手を離れた刀は再び炎となって、清の左手へと飛んでいく。そこで再度刀へと姿を変えるのと同時に、清はそれを少年の右腕へと振り下ろす。

 岬を掴んでいた腕を斬り落とされるが、少年は薄ら笑いをやめない。

「岬!」

 俺は地面に倒れ込んだ岬の許へ駆け寄る。激しく咳き込んでいるということは、まだ息はある。

 安堵しかけたその時、何かが俺の首を締め上げた。

 斬り落とされた少年の腕がそれだけで浮かび上がり、俺の首を掴んでいた。

「まあいいや。みーんな殺しちゃえば問題ないよね」

 一気に締め上げる力が強まる。そこに男の妖人が拳を振り上げて俺を狙う。

「手間のかかる方だ」

 刀を左手から右手に持ち替え、清は少年に向かって駆け出す。

「直人君、そちらはそちらでどうにかしてくださいね」

 引き離そうと両手で腕を掴むが、力は強まる一方でびくともしない。

 男の妖人が追い打ちをかけるように俺に迫る。

 俺は――岬の無事が確認出来たことで幾分か冷静さを取り戻していた。危険な賭けに乗るだけの、胆力も。

 首を絞める腕から手を離し、迫ってくる妖人に向き合う。この妖人は一撃は重いが、動きは俺に遠く及ばない。

 身体を沈め、ばねを利用して右手で矢のように真っ直ぐ拳を放つ。

 妖人の胸を撃ち抜き、仰け反った瞬間に勢いそのままに右足を掲げてそれを脳天に振り下ろす。

 顔面から地面に叩き付けられた妖人に狙いを澄まし、右足を引くと同時に五本の尾が花が咲くように広がる。

 叩き付けられた反動で身を起こしたのと同時に、張り詰めた右足の蹴りが正確に顔面を射抜いた。

 妖人は霧散する。首を絞める手の力は全く緩まないどころか、どんどん強くなっていた。

 賭けはここからだ。この手が俺を絞め殺すより早く、目下の敵を殲滅する。それに加えて今の妖人を倒すために一度フィニッシュを放ったことで、俺の身体は加速度的に疲弊している。時間はあまりない。

 少年の妖人は清と立ち回っている。清の刃をすり抜け、残った左手で的確にカウンターを入れる。

 目が霞んでくる。あまり時間はなさそうだ。

 少年の死角に入るように走りながら懐まで潜り込み、拳を叩き込むべく手を振り上げる。

「あっ、返してもらえる?」

 振り向くことなくそう言って、少年は俺の首を絞める腕を左手で掴み、見た目からは想像も出来ない力で後ろから前へと俺ごと腕を振り抜いた。

 首を掴まれたままの俺は宙を舞い、アスファルトへ強かに全身をぶつけた。

「うん、両手があるとやっぱり落ち着くね」

 右腕を肩に押し当てると、痕も残さずに繋がる。

 やっと腕から解放された俺は荒い呼吸で身体を起こした。

「そのまま締め上げておけば彼一人なら殺せたかもしれないのに、随分潔いんですね」

 刀を放り投げ、また炎の状態にしてから清が言う。

「なあに、一人を片手で潰すより、二人を両手で潰す方が楽だと思っただけさ」

「言語を解する妖人――僕も何度か出会っていますが、ここまで流暢な言葉を発する個体は初めてですね。話は出来ますか」

「そのお姉さんを始末してからなら、乗ってあげてもいいよ」

「なら無理ですね」

 直人君――清が目の端で俺を捉え、小さく言う。

「足手まといにならない自信があるのなら、僕の補助を」

「抜かせ」

 俺は意識が飛びかけるのをおくびにも出さずすくと立ち上がり、清の横に並ぶ。

「合わせろとまでは言いません。邪魔にだけはならないでくださいね」

「お前もな」

 清が炎の中に手を突っ込み、そこから刀を抜き出す。それを合図に俺と清は同時に少年に迫った。

 まず清が刀を横に薙ぐ。少年はそれを身を引いてかわすので、その身体がこれ以上戻せないところを狙い、俺は事前に構え充分に引き絞っていた右手の正拳突きで少年を撃ち抜く。

『天火』

 後ろに吹き飛ぶ少年を追撃するように、清が手から火の弾を放つ。直撃した少年の身体を中心に爆炎が上がった。

「まだだ」

 すでに飛び上がっていた俺は空中で一回転すると、右足を突き出して急降下していく。

 清は刀を下に構え、少年を逆袈裟に斬り上げる。同時に俺の飛び蹴りが少年の首をへし折った。

「ふうん、やるねえ」

 後ろに九十度以上曲がった首を手で思い切り前に持ち上げ、感触を確かめるように数度揺すると元の場所に押し込んだ。

「妖人もね、俺みたいに長生きするとこうして喋れるようになるんだよ。長生きと言っても、一年かそこらだけどね」

 清に斬られた傷口からどろりと垂れてくる、血ではない何かを手で掬い上げ、地面に叩き付ける。

「そうなるとさ、扱いやすくなるんだ。物分かりがいい奴は使いやすい」

「あなたも使われていると?」

「いや、これは総意かな。イレギュラーは排除しなきゃならない」

 そこで再び俺の耳をあの音が襲った。

「喋りすぎだ、釈迢空しゃくちょうくう

 少年の背後に、長身痩躯の中年男が立っていた。

瓢水子ひょうすいし――今回は俺に任せてもらえるんじゃなかったの」

 中年男は俺達を値踏みでもするように見てから、少年の肩に手を置く。

「何もかもを話してもいいとは言っていない。それに、その傷はどうした」

 ふんと鼻を鳴らし、少年は首を回してから刀傷があった場所を手で拭う。見れば傷はすっかりなくなっている。

「もう治ったよ」

「それだけの手傷を負わされた相手だ。俺が手を出しても文句はあるまい」

 瞬間、殺気を感じて俺と清は身構える。だが男は小さく息を漏らし、少年の肩を叩くと俺達に背を向けた。

「逃げるのか」

 俺が言うと、男は肩を竦めて見せる。

「お前達には命がない限り手出し無用となっていてな。哀れ、玩具は所詮玩具に過ぎない」

 男と少年は共に姿を消した。気配を察知することも出来ない。

「ふう――って、岬!」

 仮面を外して一息吐くと、俺は慌てて岬の許に駆け寄った。

「直人、大丈夫?」

 すでに立ち上がっていた岬は、俺の不安げな顔を見てそう言った。

「それはこっちの台詞だ」

「私はもう全然平気。直人は?」

「何ともねえけど……なあカザクモ?」

 振り向いて声をかけるのと、カザクモが崩れ落ちるのは同時だった。

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