敬語はTPOをわきまえて
「またかよ」
俺は道端で立ち止まり、深々と溜め息を吐く。
妖人の出現を察知して家を飛び出し、途中で気配を見失って途方に暮れる。そんなことがこの三日ずっと続いている。
どうせ消えるんだから行かなくてもいい――なんて訳にはいかず、俺はある時は晩飯の途中に、ある時は課題と向き合ってる最中に、ある時はベッドで熟睡中に、外へと駆け出さなければならなかった。ちなみに風呂に入っている時に妖人が現れては大変だということで、俺は陽が暮れる前に風呂に入る習慣を身に着けた。
そんな俺の涙ぐましい努力を嘲笑うかのように、妖人の気配は途中で消えるのだった。
カザクモは仕方ないとして、付き合わされる岬も大変だろう。俺から離れている時に別の――前に出た奴のような――妖人に狙われる可能性もあるので、必ず同行させることにしていた。
「ねえ直人、どうなってるの?」
岬に訊かれるが、どうなっているのか訊きたいのはこっちだ。
「岬さん」
落ち着いた声がして、俺ははたと振り向く。
待て、何かがおかしい。
そこに立っていたのは、目元のすぐ上まで髪を伸ばした若い男だった。上背は結構あり、体型が引き締まっていることもありぴったりとしたジーンズが様になっている。このクソ暑いのに長袖の上着を羽織っているのがなんだか酷く奇妙に映った。
「え――清さん?」
岬は驚いたようにその男の名を呼ぶ。
男は明るい笑みを見せた。長い前髪がもたらす暗い印象を相殺するような如才ない笑顔だった。
「よかった。捜していたんですよ? 麻子さんも心配されています」
「え? え? え? ちょ、ちょっと待って」
岬はきょろきょろと周囲を見渡し、やがてその男に目を合わせる。
「私が、見えるんですか?」
そう――だ。
今の岬は妖人と同等の存在。つまり普通の人間には見ることが出来ない。それを、この男はさも当然のように見て、話している。
男は怪訝な顔をして、岬をしげしげと眺める。そこで俺の後ろに隠れていたカザクモを見止めると、険のある表情へと変わった。
「妖怪が一緒とは、剣呑ですね。岬さん、こちらへ来てください。家に帰りましょう」
「おいちょっと待てよ」
ここで漸く俺は口を開く。
「あんた
男は呆れたように嘆息する。
「質問の多い方ですね。いいでしょう、自己紹介させていただきます。僕は安野清。岬さんとは昔からの知り合いで、生まれついての所謂『見える』人間です」
清は岬を見て、一層険しい顔をする。
「岬さんが行方をくらましたという話と、今の話しぶりから察するに、どうも最悪の部類に入る状態のようですね」
清が左手を上着の中に入れると、カザクモはびくりと全身を緊張させた。
「気を付けろ直人。こいつは――懐に得体の知れないものを入れている」
「直人? ということは君が阿瀬直人君ですか」
「なんで俺のこと知ってんだよ」
「君は妖怪の間では有名人ですからね。しかし、ますます剣呑ですね。岬さん、早く彼から離れてください」
清は上着の裏から、一枚の札のようなものを取り出した。それを見るなりカザクモは声を張り上げる。
「仮面を出せ直人! こいつはやる気だ!」
『
俺の目がカザクモに向いている内に電子音のような機械的な読み上げ音がすると、清の手から巨大な火の玉が放たれた。
カザクモは瞬時に飛び上がった。強烈な熱波が俺の身体を襲う。見ればさっきまでカザクモの立っていた地面が真っ赤になっている。
「カザクモ!」
「私は平気だ」
ふわりと着地するカザクモを見て、俺は背中に縛り付けてある仮面に手を伸ばす。最近ではいちいち手に持って走るのが面倒になり、常にこうやって背中に縛り付け、いつでも臨戦態勢を取れるようにしてあった。
「いきなり何しやがんだ!」
俺が怒鳴るも、清は眉一つ動かさない。
「阿瀬直人君。君は自分がいかに危険な存在か考えたことがありますか?」
「何を言って――」
「ああ、君がまだまだ子供だということを失念していました。では質問を変えましょう。君は何故戦うのですか?」
「それは――人間と妖怪を守るためだろ。妖人を倒せるのは、俺しかいねえんだ」
「なるほど。では、君以外に妖人を滅することの出来る者が現れたなら、その下らない使命感はなくなる訳ですか」
清は右腕を横に真っ直ぐ伸ばし、上着を捲くった。
露わになったその腕には、長く深く生々しい傷が付いていた。岬がはっと息を呑む。
「この傷は昔妖怪に付けられた呪傷です。消えることのないこの傷の部分は、半ば妖怪化しています。そこに」
清は上着の裏から左手で先程と同じ札のようなものを取り出す。
「妖怪を封じたこの覡符を読み取らせます」
すっと指先に力を込め、覡符を真っ直ぐに伸ばした。
「変身」
傷口に覡符を走らせる。清の顔が、恐らくは痛みのために一瞬歪んだ。
『波山』
さっきと同じ系列の電子音。それが響くと清の身体は赤い羽根のようなもので覆われていく。
まず巨大な一対の羽根が背中から伸び、それが身体を包み込むように前に倒れる。それが着物の前のように固まる。羽根の柔らかさを感じさせてはいるが、金属のような輝きも放つその装甲は全身を覆っていき、最後に顔の下半分を守るように二枚の装甲が合わさった。
「これが」
異形の戦士へと姿を変えた清が素早く右手を横に振るう。赤い羽毛がぱっと散った。
「妖人を倒すことの出来る力です。人間が、人間の意思で、振るうことの出来る力です」
清は一歩、前に出る。
「君は、いらないんですよ。それどころか危険でさえある。妖怪が作り出した
僕はね――もう一歩、こちらへ。
「妖怪というものが、嫌いで嫌いで仕様がないんですよ。僕は君を理解出来ないし、したいとも思わない。妖人も、全ては妖怪のせいで生まれているんですよ。そんなものと手を取り合って戦うなどということの、なんと忌まわしいことか。だから」
君はいらないんですよ。
一気に駆け出し、清は俺に迫る。
「直人! 仮面を着けろ!」
俺は咄嗟に仮面を出していた。カザクモはそれに吸い込まれ、俺はそれを顔にあてがう。
「変身!」
清は一枚の覡符を取り出し、それを右腕の傷――装甲に覆われた後も露出していた――に走らせる。
『不知火』
電子音と共に清の周囲を炎が飛び回り始めた。清が手を俺に向けると、その炎は俺に向かって放たれる。
俺は駆け出しながら大きく跳躍し、清の背後へと回り込む。
――迷うな。
清の言葉はきっと正しい。それはその立場にある者の導きだす答え。だとしたら俺はまるで違う立場に立っている。
――だから。
今は戦う。
空中で身体を捻り、振り返った清と向き合う形で着地した俺は、間隙を挟まず左足で回し蹴りを放つ。
清はそれを右腕で止めるが、俺は右足で跳び上がりながら腹に蹴りを入れて離脱する。
炎が再び清の周囲を旋回しだした。清はその炎の中に右手を突っ込み、何かを掴んで引き抜く。そこにはもう炎はなく、清の手には一振りの刀が握られていた。
清が一歩踏み込むと、離れていた二者の距離はあっという間に縮まった。
掬い上げるように下から刀を振り上げた清の動きに合わせ、俺は刀の間合いのぎりぎり外で大きく跳び上がる。
そのまま右足を突き出し、清の身体目がけて飛び蹴りを放つ。
清はまた覡符を取り出して、剥き出しの右腕の傷に読み取らせる。
『
清の目の前に巨大な土の壁が地面から迫り出してきた。俺の蹴りはその壁にぶつかり、壁にひびが入るが跳ね返される。
俺が着地すると壁は土くれとなって砕け散った。
両手を広げ、構えを取る。五本の尾が張り詰め、右足にエネルギーが集中する。
清も一枚の覡符を取り出し、傷に走らせる。
『波山』
装甲になっていた胸元の羽が開かれ、背中に一対の翼が広がる。
清は翼を羽ばたかせて浮き上がる。
大きく上空に飛び上がり、そこから一気に俺目がけて急降下する。俺は熱を帯びた右足を引き、迎え撃つように身構えた。
「やめて!」
俺と清の間に、岬が割って入った。落ち着いた――まるで一人だけ時間の流れが違うような冷静な――動きで清の腕を掴み、俺の頭を持ち上げ、両者を揃って地面に組み伏せた。
清の身体から装甲が羽毛のようになって散り、俺の顔からは仮面が剥がれ落ちる。
「うわっ! ごめんなさい! そんな強くしたつもりなかったんだけど……」
「いや、自分で解いただけだ。痛かったけど」
「同じくです」
清は立ち上がり、右腕を上着で覆う。
「岬さん、一旦家に帰ってはどうでしょう。僕は今あなたの家で厄介になっています。事情ならきちんと話しておきましょう」
「え……でも……」
「いいよ、帰っとけ。だけど」
俺は立ち上がり、ぐっと清に詰め寄る。
「岬の安全は保障するんだよな?」
「ええ、請け合いましょう」
「ならいい」
俺は踵を返してその場を後にした。
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