消えるものは消えるし怖いものは怖い
最近、急に知らない相手に声をかけられる。
しかも相手は俺のことを知っていて、昔からの友人のように馴れ馴れしく話しかけてくるのである。
で、相手は人間ではない。
妖怪である。
川を通れば河童が、夜道を歩けば鬼が、空を見上げれば天狗が「阿瀬直人」と名前を呼んでくる。
俺は当然ぎょっとして、どうすればいいのかわからなくなってしまう。尻子玉を抜かれたり、一口で食われたり、連れ去られたりしたらどうしようと考え、逃げた方がいいのではないかと迷った挙げ句、迷っている最中に捕まってしまうのだ。
一応妖怪と関わりを持つ以上、俺も最低限の知識は持とうとネットで調べてみたりしたのだが、実際に会うのと調べるのとでは訳が違う。
しかし相手はフレンドリーで、何てことはない世間話をしたり、愚痴を聞かせてきたり、そして最後には必ず激励の言葉を送ってくる。
曰く、妖人をどうにかしてくれ――ということらしい。
俺が仮面の所有者で、妖人と戦っているということはどうも妖怪達の間にも広まっているらしい。
そう言われると俺も悪い気はしない。よし任せとけ、俺が片っ端から妖人を倒してやるぜ――と息まいてやると、妖怪達は何がおかしいのか笑って去っていく。
「あまり調子に乗るな」
川辺で河童と話して家に戻ろうと歩き出すと、どこから現れたのかカザクモが難しい顔をしてこっちを見ていた。
「なんだよカザクモ。いつもお前の仲間の方から話しかけてくるんだぜ?」
「お前、妖怪を何だと思っている」
「何? 何ってえっと、妖怪は妖怪だろ? あ、答えになってねえ」
「我々と人間は違う。違いすぎる。馴れ馴れしく接するな。お前の方が痛い目を見ることになるぞ」
「そりゃ、怖いことは怖いけどさ、話してみると意外と話のわかる奴らだぜ?」
「妖怪が畏怖の対象となったのはとうに昔の話だ」
カザクモはそこで遠くを見るような目をする。
「〝流出〟の類にもう畏怖はない。だから消える。かつての私のようにな」
「は?」
さっぱりわからずに俺が聞き返すと、カザクモは何事もなかったかのように俺を見つめた。
「だから今の〝
「んなこと言ってもよ、お前だって妖怪じゃねえか。お前を恐れろって言われてもなあ」
「ならばついてこい。お前に恐怖を教えてやる」
カザクモはそう言って俺の前まで来て、尻尾を一本こちらに向けた。
「掴め。離せば命の保証はない」
「ちょ、ちょっと待てよ。何を急に――」
「行くぞ」
「うおい! ちょっと待てって!」
そう言いながらもカザクモが歩き始めたものだから、慌てて尻尾をしっかりと掴む。
気付くと、道が変わっていた。アスファルトで舗装された道路ではなく、土が露出して雑草が生い茂る見慣れない道だ。
「な、なんだよここ」
「もののけの通り道。ナメラ筋などと呼ばれている。異界と繋がる魔の道だ。そら」
来るぞ――と言ってカザクモは前に駆け出す。俺は思わず尻尾から手を離し、一人取り残された。
背後から、生温かい風が吹き始めた。その風はまるで吐息のように俺を包み込み、気付くと生温かい何かが俺の肩を掴んだ。
「なっ――」
振り向くと、ぼんやりとした靄のようなものが手の形になって俺の肩を掴んでいる。その靄の全体は巨大で、俺に覆い被さらんかという勢いだ。
「なんだよこれ!」
振り払おうと腕を滅茶苦茶に振り回すが、靄にはまるで通用せず、俺の身体を組み敷いていく。
「姿なきモノ、像なきモノ、名もなきモノ、想われることもなきモノ」
カザクモの声だ。
「妖怪という括りの中にいながら、消えていくモノ。そうしたもの達が居場所を失い、人間の中へと入っていこうとする」
「ちょっと待て! それっておい」
靄が俺の中に溶け込んでくる感覚があった。
「待て待て待て! 俺を妖人にする気かお前は!」
「怖いか」
「怖いわ!」
「そうか、怖いか」
靄が俺の身体から離れていく。俺は呼吸を整え、半泣きになりながらカザクモを睨む。
「悪い悪い。この狐にそそのかされてな」
靄は集まったり離れたりを繰り返しながら、顔のような形を作っていく。
「お前ら――本当に怖かっただろ! 何してくれてやがんだ!」
俺が涙目で言うと、靄で出来た顔は楽しげに笑った。
「笑ってんじゃねえよもう!」
「悪いなあ。怖いと言ってもらえて嬉しいのよ。俺みたいなのはもう消えていくしかないからな」
「だが――悲しいな」
カザクモが呟くと、靄は噛み締めるように頷いた。
「俺達は妖人に脅かされているというのに、妖人の威を借りなければ人を恐怖させることも出来ないのだよな。それか、もう割り切って妖人になっちまうか」
「何言ってんだよ。心配しなくても最初から怖かったっての」
俺が言うと、靄は思い切り笑った。そのせいか、顔の形を留めることが出来ずに散らばってしまう。
「面白いガキだな。俺が怖いか?」
「怖かったよ。今はむかついてる」
俺が言うと靄はまた笑う。
「お前も妖怪なのか?」
「そういう括りに入ることもある。ただ、お前達の言う妖怪という括りは存外適当だし曖昧だ。俺は差し詰めどうにもならない塵芥よ」
「お前が戦う相手は、こうしたもの達のなれの果てだ」
カザクモが呟き、遠くを見るような目をする。
「見えるか? 感じるか?」
「――ああ」
いつの間にか俺の周りには得体の知れない何かがたくさん集まってきていた。今話している靄などは随分ましな方で、形を保つことすら出来ないようなものが大半を占めている。
「畏れろ。妖怪とは馬鹿で阿呆らしい間抜けだ。ただ、その根底に流れる恐怖を時には思い出せ。お前にはそれが必要だ」
「わかった、わかったよ」
溜め息を吐いて、俺の周囲に漂う曖昧なもの達に向かって声を張り上げる。
「お前ら、まあなんだ、充分怖いからさ、そんな落ち込むなよ。なんならいつでも俺を怖がらせていいからさ、妖人なんかになろうとすんな」
笑い声のようなものが聞こえたかと思うと、俺の周りにいたもの達はいつの間にか消えていた。
「全く――」
カザクモは呆れ返ったように溜め息を吐く。
「つくづくおかしな奴だ。〝流出〟共を説き伏せてしまうとはな。当初の目的がまるで意味を成していないではないか」
「まあそう言うなよ。怖いってことはわかった。何とかしなきゃならねえってことも」
カザクモはもう一度溜め息を吐いて、尻尾を一本こちらに差し出す。
「戻るぞ。人間がここに長い間いれば魔に魅かれる」
「そんなとこに連れてくんなよな……」
俺はカザクモの尻尾をしっかりと掴み、元の世界へと戻っていった。
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