昔の敵は理由もなく今は友達

 人間関係というものは不思議なもので、一度決定的に対立した相手が今では気が置けない間柄になっていたりする。

 というのも、四門中学校の生徒は保育園からずっと一緒なんていうのがザラなので、大昔の遺恨を長年引きずることがアホらしく思えてくるから、というのが実際のところなのである。

 そういう訳で、幼稚園時代の上履き隠し事件の犯人である江藤えとう雄一ゆういちとその探偵役だった俺こと阿瀬直人は、紆余曲折の果てに今は同じテニス部で友人関係を続けている。

 互いに過去のことは水に流し――というより俺は岬に言われるまで殆ど忘れていた――ごくごく普通の友達同士といった感じだ。

 なので、雄一が夏休みに入ってから毎日のようにある部活を休んでいるのを俺は心配していた。

 人の口には戸が立てられないのはいつの時代でも同じで、入ってきた情報によると雄一の父親が突然失踪した、ということらしい。

 先生連中が何度も注意を促してきた、行方不明事件という訳だ。注意しているだけで防げるのなら、こんな問題になるはずがない。雄一の父親だって今の四門地区の異常な事態を知っていたし、注意もしていただろう。

 それでも、突然、何の前触れもなく、消えてしまった。

 俺は多分、その原因を知っている。

 妖人。人間でも妖怪でもない、見境なく人間や妖怪を襲う怪人。

 今四門地区で起きている行方不明事件の犯人は、恐らく殆どがこいつらだ。

 夏休みが始まって一週間が経った。これまでの間に、俺は軽く十回は妖人と戦っている。

 幸い、太陽が元気な間は妖人は姿を現さない。妖人が活動するのは夕暮れから夜の間で、俺は昼間は部活と課題に勤しむことが出来ていた。ただ、眠っている夜中に妖人が現れようものなら、例の耳鳴りで起こされて、パジャマ姿で外に駆り出される。なので今の俺は基本的に寝不足だった。

 校舎の周りを三周走ってから、基礎練習が始まる。俺は自分のラケットを取り出しながら欠伸を噛み殺す。

 突然、他の部員達がざわつき始めた。俺は欠伸のせいで意識が飛びかけていたので、気付くのが遅れたらしい。

 雄一が、ラケットケース片手に校門を入ってきた。

 みんな、噂は聞き及んでいるから言葉をかけにくい。

「雄一、元気そうだな」

 ここは俺が行くしかあるまい。特に気負うことなく、普段通りに声をかける。

「まあな。色々あったけど」

 そう言って雄一はにっと笑う。

 無理をしているのかもしれないが、別に気落ちしていないというアピールは汲んでやるべきだ。

 だが、父親関係の話は間違いなく地雷だ。そこだけには話が及ばないように気を付けながら、俺は普段通りに雄一と冗談を言い合う。

 練習にも、雄一は以前と同じように参加した。練習の前に顧問の先生と少しの間話していたが、それ以外は全くいつもと同じだった。

 午後から始まった練習が陽が傾いてきた頃に終わると雄一は俺と一緒に帰ることになった。部活の後ではいつもこの取り合わせなので、これまた普段通りだ。

「なあ、直人」

 くだらない下ネタで笑い合っていると、雄一がふと表情を変える。

「なんだよ?」

 俺はまだ顔に先程の笑みをくっつけたままだ。しかし内心では、ついに来るものが来たかと身構える。

「親父のことって、やっぱり広まってるのか?」

「――行方不明のことか?」

 ここで俺の顔から笑みが消え、雄一が頷く。

「そうか、怖ぇもんだな。噂が広まるってのは」

 ちょうど住宅街の中の小さな公園の前だったので、俺はそこのベンチに座ろうと雄一に言う。

 最近の公園が殆どそうであるように、この公園に遊具なんてものは殆どない。ベンチと、クジラの形をしたちょっと凝った水飲み場があるだけだ。そこからクジラ公園と愛称で呼ばれているが、利用者はそれ程多くない。

「噂の内容を教えてくんねえか? どういうふうに言われてる?」

 俺は知る限りの情報をありのままに伝えた。幸い噂と言っても雄一の父親が行方不明になった、というだけで、突っ込んだ話は出てきていない。何事もない時勢だったらここにあらぬ憶測が加わるところだが、今の四門地区の中で行方不明事件はよくある話であり、そこに個人的な事情を窺うことはなくなっているのだ。

 俺の話を聞き終えると雄一は大きく伸びをして、乾いた笑みをこぼした。

「全くその通りでびっくりだよ。間違った情報が出回ってたら訂正しなきゃならねえのかと不安だったんだ。うん、安心した」

「じゃあ、本当なのか?」

「ああ本当だぜ。全く大変なんてもんじゃねえぞ。終業式の日の夜から帰ってこなくて、連絡も取れねえ。これは例のやつなんじゃねえかと思って警察に連絡したけど、警察もお手上げだとよ。母ちゃんは一応パートに出てるけど、このままじゃどうしようもなくなる。今正規の仕事見つけようと血眼になってるよ」

 生々しい話に俺は自分でも気付かない内に顔を顰めていたらしい。雄一は悪い悪いと笑って謝った。

 妖人は人間に妖怪が取り憑くことで生まれる。そして見境なく人間や妖怪を襲う。それは妖人になった人間、襲われた人間の人生を終わらせ、周りの人間の人生を狂わせることを意味する。

 それを止められるのは、俺だけだ。仮面の所有者であり、妖人と同じ存在となって妖人を倒すことが出来る唯一の存在。

 なるほど、重い。

 しかし、同時に身体の奥から熱く強いものが込み上げてくる。

 俺がやらなければ。

 俺にしか出来ない。

 使命感とでも呼ぼうか。俺を衝き動かす強い思いが、確かにあった。

 雄一にこの話をする訳にはいかない。その辺り、俺はかなり冷静だった。当事者である俺でさえ理解するのに結構な時間を要したというのに、雄一に話してどうなるというのか。ただ余計に混乱させるだけの行為に何の意味があるのだろう。

「そろそろ帰るか。悪いな、暗い話しちまって」

「お前が謝ることじゃねえだろ」

 そう言って俺達はベンチから立ち上がり、鞄とラケットケースを持って帰ろうとする。

 すると公園の出口――つまり外から見れば入口――に、滝のように汗を流しながら一人の女性が駆け込んできた。

「どうしたんですか?」

 尋常ならざる様子に雄一が声をかける。女性は荒い呼吸を必死に整えながら口を開く。

「何か――何か、が、襲って――わから――ない――」

 その時俺の耳を金属を擦ったような音が襲う。

「雄一! その人を連れて逃げろ!」

「な、何言って――」

「いいから! 早く行け!」

 妖人だ。そしてそいつは今真っ直ぐこっちに向かってきている。

「直人!」

 透明感のある声。カザクモが隣の家の屋根の上から俺の隣にふわりと飛び降りる。

「なあ、ちょっと友達の前で変身するのは気が進まねえんだけど」

 鞄から仮面を取り出し、雄一に見えないように身体で隠す。

「仮面を着けたお前は常人の目には見えない。気にすることもなかろう」

「いや、だって変身する時には叫ばないとならないし。お約束は大事なんだぜ?」

「構えろ。来るぞ」

 妖人の気配は間近まで迫ってきていた。小さく振り向くと、雄一と女性はまだその場で固まっている。

 瞬間、妖人の気配が一気に俺の上を通り抜けた。

 ――速い!

 今まで相手にしてきた妖人は、どれも鈍重で緩慢な動きしかしなかった。それがこの妖人は一瞬で距離を詰め、俺を飛び越していった。

「狙いはあの人か!」

 振り向くと、女性の眼前にスーツ姿の中年男が立っている。見た目からは予想もつかないが、この男が女性を狙う俊敏な妖人だ。

「やめろ!」

 妖人は淀みない動きで女性の首を掴むと引きずり上げ、高々と掲げる。

「な、なんだこれ――どうなってんだよ」

 妖人の姿が見えていない雄一は困惑の声を上げるが、首を絞められ悶え苦しむ女性の姿は見えている。どうにか女性を助けようと手を伸ばすが、妖人に拳の一発で吹き飛ばされる。

「雄一!」

 俺が叫んだ直後、俺の目の前に女性を掴んだままの妖人の姿があった。その顔を見た瞬間、俺ははっと息を飲む。

「直人!」

 カザクモが間に割って入ろうとするが、それより早く妖人の蹴りが俺の腹に炸裂した。

 息を詰まらせ、俺は思わず仮面を手放す。仮面は転がっていき、倒れた雄一の身体に触れて止まった。

「親……父……?」

 雄一が顔を上げ、妖人の方を向いて譫言のように呟いた後、意識を失ったのか顔を地面に埋める。

 仮面は所有者でなくとも、触れている間は見えないモノを見ることが出来る。だから雄一には見えたのだ。女性の首を絞め、恍惚の表情を浮かべている自分の父親だったものを。

 俺も何度か顔を会わせていたのでその顔を見た時は戦慄した。そして雄一の言葉で確信した。

 雄一の父親が、妖人になっていた。

 その可能性は、充分にあった。行方不明になったということは、つまりそういうことだ。

 腹の痛みに堪え切れず膝を着く。

 妖人は俺を見下ろしながら首を掴んだ女性をこれ見よがしにぶらぶらと振った。

「直人! 受け取れ!」

 カザクモが仮面を口で掴んで俺に投げてよこす。俺は殆ど反射的にそれを取ったが、それをカザクモに向けることが出来なかった。

 妖人は足を上げ、俺を蹴り飛ばそうと後ろに引く。

 蹴りが放たれる寸前、カザクモが割って入り、口で俺を放り投げた。蹴りはカザクモに直撃し、苦痛に顔を歪めながら吹き飛ばされる。

「カザクモ!」

 しかしカザクモは空中ですぐさま体勢を立て直し、綺麗に着地する。

 そこで俺は気付く。

 妖人が掲げた女性が、もう声すら上げていない。小刻みに痙攣し、失禁している。

「やめろ!」

 妖人は俺の声ににやりと笑みを浮かべて答えると、手に力を込めて女性の首をへし折った。

 完全に息絶えた女性は地面に落ちると靄のようなものになって掻き消える。

「目に刻んでおけ」

 俺の隣に並んだカザクモが重苦しく声を発する。

「あれが妖人に殺された者の末路だ。人としての死に寄る辺なく、現世うつしよ幽世かくりよのあわいに消える」

「俺が――迷ったからだ」

 震えながら、立ち上がる。

「雄一の親父さんだと思って、倒すことを躊躇った。そのせいで、あの人は死んだ」

 化け物が――苦々しく、怒りを込めて呟く。

「人の皮を被った、化け物なんだ。なら、躊躇いも、情けも、容赦も、要らねえ」

 仮面をカザクモに向ける。カザクモは頷き、仮面に取り込まれる。

 すっ、と仮面を持った右手を横に伸ばし、仮面の表面を覆うように五本の指で掴む。

 流れるような動きで仮面を顔の前に運び、

「変身!」

 叫び、仮面を顔にあてがう。

 白銀の光の奔流。それが収束するところに、異形となった俺が立つ。

「さあ」

 五本の尾をはためかせ、妖人と向き合う。

「すぐに終わらせてやろう」

 踏み込み、そのまま蹴りを放つ。

 妖人はそれを素早い動きでかわすが、俺は止まることなく二撃三撃と放っていく。

 妖人は攻撃を受けようとはせず、高速の足運びで逃げていく。

 俺から距離を取ると、今度は妖人が一気に俺の方に突っ込んできた。勢いを乗せた拳を振り下ろすが、俺はそれを無駄のない動きでかわす。隙が出来た瞬間を見逃さず、重い膝蹴りで胸を撃ち抜いた。

 妖人は堪らず吹き飛ぶが、空中で体勢を立て直し、着地と同時に再び俺目がけて駆け出す。

「お前はやはり、人の皮を被っているだけだ」

 先程と同じ拳の一撃を、今度はかわすことはせずに寸前で手首を掴んで止める。

 妖人が左手で次の攻撃を放つ前に、俺は身を屈めて身体を後ろに向ける。妖人の手首は掴んだままだったので、それにつられて妖人はバランスを失い前に浮き上がる。

 身体を屈め、妖人に背を向けた体勢で、俺は右足を後方高くに突き上げた。その足の裏は妖人の腹を蹴り上げる形になり、妖人は高く打ち上げられる。

 妖人が落下を始める。すくと立ち上がると、五本の尾が張り詰め、右足に膨大なエネルギーが集約されていく。

 背中側に妖人が達した刹那、俺は振り向きざまに回し蹴りを放った。しっかりと身体を捉えたその一撃によって、妖人は吹き飛びながら霧散した。

 仮面を外し、雄一の許に駆け寄る。

「雄一!」

 声をかけながら屈みこむと、雄一は呻き声を上げながら目を開けた。

「直人、さっき、親父が――」

「お前の親父さんな」

 ふらつく雄一を助け起こしながら、言う。

「死んだと思う。だから、いるはずねえって」

 雄一はわずかの間言葉を失ったが、やがて納得したかのように頷いた。

「そうか。そうだよな。お前が言うってことは、そうなんだよな」

 雄一の中には俺が正しい答えを導くという思いが、実体験としてあるのだ。俺自身にそんなつもりはなくても、岬の言った通りの認識は雄一の中にあるのだということはわかった。

 雄一はさっき見た光景を振り払うように頭を振るうと、小さく笑う。

「悪い夢だな。自分の親父が女の人を襲ってるのが見えるなんて、これじゃあ親父も浮かばれねえよ」

 そこで思い出したように雄一はあっと声を上げる。

「そういえばあの女の人は? いねえけど」

「消えたよ」

 感情を表に出さないように言ったつもりだったが、どうしても苦々しげになってしまう。

 雄一はそれ以上何も言わず、俺達は別々に帰路についた。

「カザクモ」

 隣を歩く狐に声をかけると、それまで黙っていたカザクモは小さく「何だ」と返す。

「俺、やらないと駄目なんだよ。だって、もう二度とあんなの見たくねえ」

「そうだな」

 それからカザクモは柔らかく溜め息を吐いて、

「わかったから、泣くな。みっともない」

「――おう」

 俺は涙を拭って前を向いた。

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