俺と仮面と夏休み

 中学生にもなって男女が一緒に帰るというのはどうかしてる。思春期真っ盛りである。意識もするし嫌い合うものである。そんな時期に男女二人が仲睦まじく通学路を歩いていくとなれば、これはもう学校中の噂の種である。

 そういう訳で、俺が今げんなりとした表情を浮かべている理由は誰が見ても明らかだろう。

 目の前の十字路には、こちらに向かって手を振る少女がいる。俺は一人で長い通学路を歩いて三分の二くらいが過ぎた辺りなので、疲労も溜まっている。

 無視して通り過ぎてやろうかとも思ったが、そんなことをすれば後で口やかましく文句を言われるのは火を見るより明らかだ。この辺りは学区の外れなので同じ学校の人間に会うこともないだろうと腹を括り、しかし顔は顰めたまま声をかける。

「何だよ」

「何って、最近じゃ珍しく帰り道で会ったから一緒に帰ろうと思っただけよ」

 そう言って、川島かわしまみさきは笑う。夏仕様の制服の襟元辺りまで伸びた黒髪は艶やかな光を放っているが、この暑い中では鬱陶しく映るから不思議だ。

 俺は肩を落とし、岬の足下を見ながら呟く。

「帰るたって、お前ん家すぐそこじゃねぇか」

「何、もしかして直人なおと恥ずかしいとかそんなこと考えてるの?」

 ものの見事に言いたいことを当てられる。しかしそれをそのまま伝える訳にはいかないだろう。

「ち、が、う」

 なのでここは否定する。大人の駆け引きというやつだ。

「じゃあオッケーね。あ、最近変質者多いらしいしもしもの時はよろしく」

 などと言って、岬はこちらを向きながら歩き出す。自然に振り向きながら歩く形になるので、転ばれては大変だと俺は慌てて隣に並ぶ。勿論ある程度の距離は取って、である。

「変質者と言えばさあ、ここ最近行方不明者も多いよね。何か物騒な世の中じゃない?」

 ああだとかうんだとか適当に相槌を打ちながら岬の話を聞き流す。『物騒な世の中』なんて言葉は三十年は前から使われているフレーズだし、生まれて十四年も経っていない世間知らずの俺達が口にする言葉ではない――なんて言い返せば岬は怒るだろうか。

 しかし確かに、最近行方不明騒ぎは多い。特に俺達の住む四門しもん地区ではそれは顕著で、学校では週に一回はどこそこの誰々がいなくなったという話が出てきたくらいだ。今日行われた夏休み前の終業式でも、校長が何度も繰り返して注意を促し、その後を引き継いで教頭が同じことを三回は繰り返したし、教室では担任がとどめとばかりに釘を刺した。

 そんなことをぼんやりと考えていたら、岬に思い切り溜め息を吐かれた。

「そんなに私と帰るのがイヤな訳?」

 それで我に返った俺はそういう訳じゃないと不機嫌を全面に押し出した顔で言い放つ。これでは岬がその言葉を信じるはずがないと、眉間に寄った皺を押さえて気付く。

 もう一度、岬が溜め息を吐く。

「大体、私と直人が家族ぐるみの付き合いだってことくらい、みーんな知ってるじゃない。何を今更恥ずかしがるのよ」

 うっと息を詰まらせる。仰る通りなのと、俺が恥ずかしがっていることを見抜かれていたことによる敗北感からだ。

 俺の両親と岬の両親は、全員が同じ高校の出身なのだそうだ。家の距離も近いし、親同士が近しい間柄の中同じ年に生まれた俺と岬が一緒に遊ばない訳がなかった。それこそ物心つく前から一緒にいたこいつとの関係は、今も継続中という訳だ。

 そして、俺達の通う四門中学校の生徒は、殆ど全員が保育園から同じという総員幼馴染状態なのである。そんな連中が俺と岬の関係を知らないはずがない。

 からかわれもしたし、恥ずかしいと思ったことも数えきれない。それでも今なおこうして話していられるのは、岬が周囲に全く物怖じしなかったことと、周りが途中で流石にからかうのに飽きてきたからだろう。

 岬は恐ろしく鈍感なのかはたまたとんでもなく肝が据わっているのか、周囲の声など完全に無視してそれまで通りの接し方を続けてきた。俺が恥ずかしがるのもお構いなしに話しかけてくるので、俺も仕方なくそれに応じる。そうしている内に周りからも何も言われなくなった。

 だから岬の言う通り、今更恥ずかしがることではない――ということはわかっているのだが、俺は思春期真っただ中バリバリの中学二年生であるので、やはり周囲に誤解されるのではないかと視線を気にしてしまう。

 むすっとしたまま、岬の家の前に着く。するとちょうど玄関のドアが開き、異様な男が現れた。

 本当に、異様と呼ぶのがしっくりくる。国語の資料集なんかに出てくる裃を着たその姿は、この二十一世紀には全く似合わない。髷こそ結っていないが、それでもその身体からは気品が溢れ、大層な身分の者に見えてしまうから不思議だ。

「おや」

 その男はこちらに気付き、岬を見て表情を緩める。

「君は、ひょっとして岬かい?」

 岬が頷くと、男はまるで孫を見るように目を細めて笑った。

「私は君が小さい頃、何度か会っているよ。すっかり大きくなったものだ」

 そう言って、男は俺達の前を通り過ぎていく。

 俺の隣を歩いていく時、何かが地面に落ちた音がした。足元に目をやると、何か白いものが落ちている。俺はそれを拾って渡そうと声をかけたが、男は振り向くこともなく、

「君が拾ったのなら、それはもう君のものだ」

 と言い置いて角を曲がっていってしまった。

「なんなんだ? あのおっさん」

「さあ? 多分お母さんのお客さんだと思うけど……」

「これ、どうしようか」

 俺が拾ったのは、何の装飾も施されていない白い仮面だった。木で出来ている辺り高級なものなのかもしれないが、まっさらなその顔は何というか不気味だ。

「くれるっていうならもらっとけばいいんじゃない?」

「――そうだよな」

 仮面を鞄にしまい、岬に一応別れの挨拶を告げて一人歩き出す。男の出現のおかげか自然なやり取りが出来ていたことに気付き、眉間に皺を寄せながら頬を緩めていた。我ながら素直じゃない。

 終業式が行われる今日は授業がなく午前中で解散になったのだが、部活に残っていたらいつもと同じくらいの下校時間になってしまっていた。

 七月半ば、陽は長い。それでもうっすらと夕闇が顔を見せ始めていて、時折吹く風は真昼間よりは幾分か涼しく感じる。

 ふと思い立ち、鞄の中から先程の仮面を取り出してみた。本当に味気も色気もない無味乾燥な仮面だ。目のところに小さく切れ込みが入っているが、それすらも何の主張もせずに仮面の気味の悪さを邪魔していない。

 しかし、見様によっては美しいと言うことも出来る。どんな細工で作ったのか仮面はごく自然な顔を覆うための膨らみを持たせてどこまでも滑らかに削られている。

 昔、夏祭りの夜店でお面が欲しいと毎年ねだったのを思い出す。面というのはどうしてこうも着けてみたくなるのだろうか。夜店のお面が俺の大好きだったヒーローのものだったことを差し引いても、いや、差し引いて考えてみた今だからこそ、その欲求が俺の奥底から湧き上がってくるのものだと思い知らされる。

 ぼんやりと仮面と向き合っていながら歩いていたので、当然不注意になる。細い道ばかり交わる十字路の真ん中で、何か柔らかいものに思い切り爪先をぶつけてけつまずく。

 前に倒れ込みそうになるのをぐっと堪えることは出来たが、その勢いで手に持った仮面を落としてしまった。

 すると、爪先の感覚が消えた。

 動いてどこかにいったのではなく、その場から煙のように消えた――そんな感じだった。その何かをわずかな支えにしていた俺は、皮肉にも原因を失ったことで見事に転んだ。

「痛ってぇ……」

 アスファルトにぶつけた腕に擦り傷が出来ている。身体を起こして振り向くと、やはり何もない。

 釈然としないまま立ち上がり、落とした仮面を拾い上げる。念のためもう一度その場を振り向くと、それはいた。

 十字路の真ん中に、狐が一匹。虫の息で。

 銀色の美しい毛並みだ。俺は本物の狐を実際に見たことはないが、この狐は知識として知っているどの狐よりも美しいと感じていた。

「どういうことだ……?」

 やけに透明感のある声がしたので、俺は今通ってきた道を見渡す。誰もいない。

 足元に目を落とす。とびきり綺麗な瀕死の狐が一匹。なんだか人間のような息遣いで喘いでいる。

 いやいや、ありえない。

 それにしてもありえないという真っ当な考えに至るまで結構な時間を要した。四門地区はどう見積もっても都会ではないが、ど田舎という訳でもない。第一海に面した町を要しているので山なんてものもない。狐が町中に出てくるなんてことが起こり得るはずがないのだ。

 それに――足元に転がる狐を見て、一人納得する。

 尾が五本に裂けている狐なんてものが、いるはずがない。

 と、ここで右側の道から獣のような唸り声と重い足音が聞こえてきた。そういえばこの狐の身体はその方向から吹き飛ばされたかのように放り出されている。

 目をやると、若い男がこちらに向かってゆっくりと歩いてきていた。

 あまり、まともな人間には見えない。足取りが重苦しく、まるで映画のゾンビのようだ。顔もだらしなく弛緩し切っていて、目は虚ろ、口元からは涎を垂らしている。

 夏は不審者がよく涌くという。この男もその類だろうか。

「その仮面――」

 例の透明感のある声。道路の先にいる男の声とはとても思えないが、この場はそう考えるのが妥当だ。妥当なのだが――俺は足元に目を向けていた。

 狐が鋭い目で俺を見上げている。何かを迷っているかのように苦々しげな表情をしているのだが、そもそも狐がこうも人間味溢れる表情をするものなのだろうか。俺の捉え方でそう見えているという訳ではなさそうだし、俺の知識にないだけで狐というものは表情豊かなのかもしれない。

「まずい、逃げろ!」

 そう声がして、狐の口もそれに合わせて動いているように見えた。

 で、何がまずくて何から逃げろと声がしたのだろう。

 普通に考えればこちらに向かってきている男だろう。ただ、この男はその声の主と考えるのが妥当である。

 という訳でその男の方に目を向けたのだが、驚いた。

 男はすぐ目の前にいて、俺に向かって拳を振り上げていたのだ。

「は?」

 俺が間抜けな声を漏らしたのと、男が拳を振り下ろしたのは殆ど同時だった。

 拳は俺の肩の辺りに命中し、俺は思い切り吹き飛ばされて地面に転がる。

 今まで味わったこともない激痛が襲ってきたが、それよりも俺はとにかく混乱していた。

 ――ありえない。

 たかだか拳の一発で、こんな衝撃を受けるはずがない。

 痛む身体を起こし、前に転がる狐と、その狐を踏み付けている男を見る。

 俺は何故かここで、自分の国語の成績が芳しくないことを思い出していた。

 漢字は書ける。漢検だって低い級だが持っている。

 ただ、評論文の中の作者の意図、小説の中の登場人物の心情、そういったものを書けと言われると、全く駄目なのだ。

 だいたい、あまり関係のない辺りをこねくり回して文字数を稼ぐ。どうでもいいと一蹴されるような考えならいくらでも湧いてくるのだが、それが正解を捉えることはない。

 ――一番大事なところを見ようとしないのよ。

 去年の期末試験の後、酷い有様だった国語のテストを岬に見られて説教を食らった。

 ――直人は昔っからそう。

 そう言って岬は幼稚園時代の話を始めた。俺はそんなことすっかり忘れていたというのに、岬はしっかりと覚えているらしかった。

 女子の上履きが、毎日のように隠されるという騒動があった。隠すと言っても幼稚園児のすることだから本当に些細なことだ。なので上履きは大体すぐに見つかったが、犯人は一向に見つからなかった。

 そしてある日、岬の上履きが隠された。

 すると俺が即座に上履きを捜し出し、ついでに当時仲のよかった男子にお前がやったんだろうと詰め寄った。

 結局、その男子は全てを白状した。俺は犯行を見ていた訳でも、グルだった訳でもない。ただ、これまでの犯行とその男子の普段の態度との差異から、本当に当て推量で糾弾したのだ。

 それは結果的に当たっていた。そして岬がその昔話をした後で、俺は思い切り首を傾げた。

 話が繋がっていないじゃないか、と。

 俺は大事なところを見ようとしないと、岬は断じた訳である。だがその話だと俺は当てずっぽうだが犯人を突き止めている。話が噛み合わない。

 俺がそう言うと岬は呆れたように溜め息を吐いた。

 ――直人は、本当は最初から本質が見えてるのよ。

 なのに見ようとしないのだと、岬はもう一度溜め息をこぼした。

 実際、岬の上履きが隠される前までに、何回も繰り返し同じことが起こっている。俺はその時点でとっくに気付いていたのだと岬は言う。だがそれに目を向けようとはせずに、他のどうでもいいことをうだうだと考えていた。

 しかし岬が被害者になったことで、俺の目は漸く既に見えていたはずの本質に向いた。

 ――本当に向き合わなくちゃならない時しか、目を向けないのよ。

 こいつは俺のそんなとこまで見てたのかと妙に感心しはしたが、それについて自分で深く考えることはしなかった。

「ああ、そうか」

 喋ってるのは狐だったんだ。で、あの男は俺を吹き飛ばすだけの力を持ったとんでもなく危険な奴で、狐はその男に襲われて瀕死になっていた。

 俺も逃げなきゃやばいのは確かだが、いかんせん身体が軋んでまともに立てそうもない。

「おい――お前」

 男に踏み付けられたままの狐が声を発する。今度は確かにそうとわかる。いや、最初からわかっていたのか。

「その仮面を、着けろ」

 仮面はしっかりと手に持ったままだった。しかしこの狐はこの状況で一体何を言い出すんだろう。

「おい狐、なんで喋ってるのかは知らねえけど、その言い方だと支離滅裂だって言われても仕方ねえぞ」

「説明は後だ。急がなければ私もお前もこいつに殺される」

 荒い呼吸で一気にそう吐き出し、狐は全身を奮い立たせて男の足から抜け出す。そのまま伸ばされた俺の腕の先にある仮面へと駆け、突如掻き消えた。

 いや、仮面に吸い込まれたのだ。見れば仮面はその形状と紋様を変えている。

 人の顔をかたどっただけの丸い面は、全体的にシャープな逆三角形のような形に。上部は二つ、鋭く尖った耳のように伸びている。

 よく見れば先程までの白ではなく、淡く銀色の光を放っている。そしてその銀の上を、幾筋かの赤い装飾線が走っている。

 狐の顔を模した、研ぎ澄まされた怜悧さを感じさせる面だ。

 目下の標的を失った男は奇声を上げて、次の狙いを俺に定める。

 次にあのパンチを食らえば、ただではすまないだろう。

 ふらつきながらも立ち上がり、男と対峙する。逃げるためには今の俺の身体はあまりに心許ない。第一そう簡単に逃がしてくれるとも思えない。

 今の俺に出来ることは――仮面を着けること、だけだ。

 男がこちらに向かって駆けてくるのと同時に、俺は仮面を顔にあてがった。

「う――あああああっ!」

 仮面から、何かが一気に俺の中に入ってくる。それは俺の身体の隅々にまで浸透し、そして隅々から例えようもない膨大な力が湧き上がってくる。

 仮面を着けているのに、視界が開けている。

 手を放したのに、仮面が顔から落ちない。

 その手を見れば、銀色の光を鎧のように纏い、生身の人間とは思えないものへと姿を変えている。

 手だけではない。全身が光の鎧に覆われ、腰の後ろからはあの狐と同じ五本の尾が伸びている。

 顔面に衝撃を受け、俺は我に返る。

 男が拳を俺の顔目がけて振り抜き、直撃を受けたところだった。

 衝撃は受けたが、痛みもなくその場に踏み止まることが出来ている。それどころかさっきまで軋むようだった全身から嘘のように痛みが消え、身体が信じられない程軽かった。

 男はもう一度拳を振り上げ、叩き込もうと唸り声を上げる。

 俺は咄嗟に右手を引き、それを真っ直ぐ前に突き出した。

 風を切り裂くその拳は男の腹に入り、奇声と涎を撒き散らしながら男は吹き飛ぶ。

 何より、俺が一番驚いた。

 身体が軽く、動作を思えば即座に身体が反応し行動する。他人に放ってもせいぜい痛がられるだけだった拳は人を吹き飛ばした。

 猛り狂った咆哮で、俺の思考は中断された。

 男が絶叫しながらこちらに突進してくる。俺の身体はそれを見て、ごく自然に両手を下に広げて構えを取っていた。

 ――迎え撃て。

 ――奴は妖人ようじん

 ――ばけものでも人でもない。

 そして、そう。

 ――俺が今、倒すべき敵。

 腰から伸びる五本の尾が花が咲くように広がり、張り詰める。

 全身に溢れる力が一気に右足に集約され、燃えるような熱を帯びていく。

 男が拳を振り上げ眼前に迫った刹那、俺はその場で右足を振り上げ、エネルギーを帯びたその蹴りは男の顎を撃ち抜いた。

 男は高々と上空に打ち上げられ、苦悶の声を上げながら霧が晴れるように消えてなくなった。

 大きく息を吐くと、顔から仮面が落ちる。拾い上げて見てみると、元の白い仮面に戻っている。

「どうなってんだよ、一体」

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