降魔の面
久佐馬野景
魔の囁き
妖怪というものはそう易々とは消えないよ。
今この時代に至るまで、膨大な文、
まさに妖怪の一大隆盛期。そう呼ぶことすら出来る。妖怪を愛する者達にとっては、その実在は本当にどうでもいいことなのだ。いや、むしろ殆どがそんなものはいないとわかり切った上で妖怪を楽しむ。
ならば私はこう言おう。妖怪などというものはいない。だが、生まれたのだと。
堆積された非存在へ向けられた想像思念。それが溢れ出し形を成した――まずはそれが始まりだ。
伝承の中に姿を現し、百鬼夜行が画として描かれ、怪談の成立、そして非実在の確信、個々の存在が一つずつ図鑑のように描かれ、黄表紙には伝承から切り離されたキャラクターとして登場する。
明治に入れば啓蒙の風に流されながらも、幾人もの賢人達がその奥に隠されたものを捜し求めた。昭和に入り戦後には何度も何度も妖怪ブームが巻き起こる。
妖怪はその蓄積された観念が顕れたものだ。見ることが出来る人間は限られるが、そういう人間がいればその目によって存在は活かされる。
さて、私が話してきたモノ達は強い。概念として『妖怪』という名で存在出来、その根拠となる資料が残っているし、これからも作られていくだろう。
そこで、お前達はどうだろうな、力なきモノ達。
お前達も一纏めにしてしまえば『妖怪』という括りの中に入ることが出来るだろう。だがお前達には伝承も、名も、何もない。時の流れの中で伝承を失ったモノ、名を失ったモノ、はたまた始めから何もない、闇や自然への下らない畏怖から溢れ出したモノ、それがお前達だ。
光が夜を覆い、未踏の地も殆どなくなったこの世、お前達はもう――消えるしかない。
そう騒ぐんじゃない。消えるものは消える。時代の流れだ。仕方のないことじゃないか。
消えたくはない? 何か方法はないか? ふふふ、そう言うと思っていた。ならば一つ、私に案がある。
人間に憑くのだ。
力を失ったお前達が生き残るには、最早そうするしかない。
文明開化の後、人間はそれまで親しんでいた妖怪と一度決別した。江戸の世の人間が妖怪などいないということをわかり切った上で接してきたにも関わらず、西洋文化を取り込もうとするあまり迷信だと切って捨ててしまおうとしたのだ。
しかし明治の世になり入ってきた考えによって、『個人』が重視されるようになり、同時にそれがあやふやなものだということがわかるようになった。妖怪は誰もが目にするものから、神経の作用によって自分が勝手に見てしまう可能性があるものへとなったのだ。
さて、ならば現在はどうだ。人間はさらに個を重視し、社会も個人主義へと傾いている。
一対一。人間の中に蠢く異界を押し広げ、その中に無理矢理踏み込んでいけ。一人の人間に取り憑くことは、今の世では思ったよりも簡単だ。
支配しろ。深く深く人間の中に入り込み、その身体を全てお前達のものとするのだ。
さあ行け。願わくはこれを語りて現代人を戦慄せしめよ――。
ふふふ。
心の闇――などと言ったかな。そんなものは当たり前だ。人間の心は元より闇なのだから。
身体の中に光が入るか? 人間の中身は真っ暗だ。誰にでもわかる道理というものだよ。
その暗黒の中に踏み込めば、果たしてどうなるだろうな? 互いに侵し合い、混ざり合い、何が生まれるのか、全く楽しみじゃないか。
さあ、用心せよ。用心せよ。
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