mission1-31 旅立ち



「"お父さん、ミント、そして城のみんなへ。黙って旅立つことをお許しください。今日は皆の温かさに触れ、本当に幸せでした。のんびりしていたら決意が鈍ってしまいそうだから、今夜中に国を出ようと思っています……"」




 その夜、コーラント城では宴が開かれた。


 宴のために、首あたりまで短くなったユナの髪はミントの手で綺麗に切り揃えられ、華やかなドレスを着せられた。ユナは適当なところで抜けるつもりだったが、彼女の演説に触発された人々が始終周りを取り囲んでいたので、結局宴が終わるまで解放してもらえなかった。


 今はようやくコーラント城の自室に戻り、一通の手紙を書いているところだった。窓の外を眺める。暗い海の上に、白い月の影が浮かんでいる。


(……ルカたちはもう行ってしまったかな)


 兵士たちにウラノスでのことを説明し、二人を探させていたのだ。もちろん、ユナを救出したことに免じて密航の罪は問わないようにと伝えた上で。しかし、結局彼らの目撃情報は一切入ってこなかった。


(ちゃんとお礼をする、って言ったのに)


 皆宴で騒ぎ疲れたのか、いつもより静かな夜だった。ユナは目を閉じ、母の表情を思い浮かべながら歌を口ずさむ。



揺れる 揺れる

木の葉が風と戯れる

空のを聞け

星がゆっくり 零れていく

ねむれ ねむれ

温もりがある 恐ることはない

瞼を閉じて身を任せ

静かな安らぎへ いざなわれてゆけ




「ユナ!」




 声がして、ユナは窓を開けた。辺りを見回す。声は下の方から聞こえる。金髪の青年が飛空二輪の上に立って手を振っていた。


「髪切ったんだな。短いの似合ってるよ」


 ルカはにっと笑う。ユナは自分の顔に熱が昇るのを感じて、慌てて顔を押さえる。


「ちゃんと会いに行けなくてごめんな。宴で盛り上がってたから、邪魔しちゃ悪いと思ってさ」


 ユナはぶんぶんと首を横に振った。


「邪魔なわけない。ちゃんとお礼もできてないのに」


「あー、それはいいって。さっきユナの歌をもう一度聞けたからさ、それでいいよ」


 ユナはぐっと口を結ぶ。二人の間に沈黙が流れ、飛空二輪のエンジン音だけが響く。


「じゃ、おれたちはそろそろ……」


「ルカ!」


 遮るようにユナは声を張り上げた。


「私ね、旅に出ることにしたんだ。このままじゃいけないって思ったの。コーラントも、私自身も。もう、待っているだけはやめる! 自分の目でちゃんと世界のことを知って、キーノのことも探しに行く。そう思えたのはルカのおかげだよ。本当に、ありがとう……!」


 ルカはしばらく黙って、顎に手をやっていた。やがて何かを思いついたように目を輝かせ、ユナの方を見上げて言った。




「だったらさ、おれたちと一緒に来いよ!」


「……え?」


「おれたちは世界中を周ってるからさ、きっとユナの目的にも合うと思うんだ。この国の外には破壊の眷属とか危ない奴がうろうろしてるから、一人よりは人数いた方が安全だしな」


 それまで我関せずといった風にそっぽを向いて煙草を咥えていたアイラがばっとルカの方を見る。


「ちょっと、あなた何勝手なことを……!」


 しかしルカはけろりとした顔で言う。


「いいだろ? 神石を使えるユナがいてくれたらおれたちにとっても心強いんだし。それに、ノワールも最初に言ってたじゃんか。現地での戦利品は報酬に加えていいってさ」


「! そういう問題じゃ……!」


 ルカはアイラを相手にせず、上に向かって腕を広げた。


「ユナ、そこから飛べ! おれが受け止めるから!」


「一緒に行っても、いいの?」


「もちろん!」


 ルカは歯を見せて笑った。


 ずっと憧れていた。旅をしたいと思っていた。できれば、あの人の隣で。遠い日の後悔が蘇る。本当の気持ちを表に出して伝えられなかった勇気のない自分。




——もう、訣別しよう。




 ユナは窓のサッシに足をかけ、身を乗り出す。風が強い。飛空二輪の下には一面海が広がっている。しかし迷うことはなかった。ドレスが風を受けて膨らむ。どんどん下へと落ちていく。


 下方で紫色の光が放たれた。景色の流れがゆっくりになり、向かい風が和らいだ。温かくて力強い腕がユナの身体を支える。


 アイラは頭をかきながら二人に背を向けて言った。


「……ったく、ちゃんと責任持ちなさいよ」


 ルカとユナは顔を見合わせて笑う。アイラはぐっとアクセルを踏み、飛空二輪を飛ばした。みるみるうちに城から離れ、コーラントの城下町の上空へ出る。今朝の騒動が信じられないほど、街は静まり返っている。


(……そうだ)


 ユナは目下の街を眺めながら歌を歌った。歌声に答えるように、薄桃色の街灯の明かりが次々にぼうっと大きくなった。


「何してるの?」


「しばらく離れることになるから、触媒が暴走しないように願いをかけてるの。お母さんのようにはうまくいかないかもしれないけど……」


 ルカは目を閉じて耳を澄ます。


「大丈夫だよ。ユナの想いはちゃんと届いてる」


 ルカの耳に聞こえる桜水晶の声は、とても穏やかだった。歌と光に満たされていくコーラント。ルカはその様子を今まで見た中で一番美しい光景だと思った。






「やはり、行ってしまったのだな」


 コーラント王は娘の部屋の開け放たれた窓から外を眺める。後ろに控えるミントは小さな声で「ええ」と呟き、鼻をすする。


 どんなに国の人間に認められなくとも健気でい続けるユナのことを、一生そばで支え続けようと思っていた。それは先代女王への誓いでもあったが、何より彼女のことを自分の娘のように愛おしく想っていたからだ。ユナの旅立ちに立ち会えなかったのは寂しくもあるが、いつの間にか彼女が強く育っていたことを同時に嬉しくも思う。


 ユナの机の上には一通の手紙が置かれていた。書き途中ではあったようだが、ミントは中身を見る前から号泣してしまった。宛名のところに、肉親であるコーラント王の次に自分の名前が綴られていること、それは従者として身に余る幸せであった。


 王は娘の椅子に腰掛け、一枚の紙を見ていた。今朝ドーハが持ってきた指名手配書のうちの一つである。


「ブラック・クロスのルカ、か……。確かにキーノによく似ているな」


「ええ。ですが年齢はユナ様と一つ違うだけだそうで。もしや、生き別れの弟だったりはしないでしょうか?」


「いや、それはないだろう。そのような話は聞いたことがない」


 王はしばらく黙って手配書に載っている青年の顔をじっと見つめる。確かに本来のキーノの年齢よりは若く見えるが、面影はどうしても他人とは思えなかった。


「ミントよ。もう一度アウフェン家の遺品をよく調べておきなさい。破損した船舶用の魔法機器の他に、何か手がかりがあるかもしれぬ。どうか笑ってくれるな。あくまで勘でしかないが……ルカ・イージスがこの国にやってきたことを、とても偶然とは思えないのだよ」


 ミントは頷いた。そう思うのはコーラント王だけではない。


「さて……これからコーラントも忙しくなりますね。ユナ姫には負けていられませんよ」


「ああ、そうだな。あの子がいつでも帰って来たくなるような国にしていかなくてはな」



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