mission1-30 コーラントの姫として


「ユナ様!?」


 林道の先、コーラント城の使用人口の木戸を叩くと、すぐにミントが出迎えた。ユナの格好を見て目を丸くする。


「一体今までどちらにいらっしゃったんです!? ずっとお城にいらっしゃらないと思ったら、そんなにボロボロのお姿になって……! 何があったのですか? あぁ、王様も随分と心配されてましたのよ。すぐにお知らせしませんと」


「ちょっとミント、落ち着いて……」


「いいえ! これが落ち着いてられますか! もしやお母上様と同じ目に」


「違うよ。まぁ、色々あったんだけど……」


 ミントと共に自分の部屋へと向かいながら、ユナは城内の魔法機器を見渡す。どれも今朝の騒動が嘘のように、いつもどおりに稼働していた。


「触媒の力は戻ったんだね」


「ええ。結局ブラック・クロスの者共は見つからず、ヴァルトロの方々も何も言わずに発ってしまったのですけど。きっと一時的な不調だったのでしょうね」


「お父さんは?」


「王様も皆に普段の生活に戻るよう、お達しを出されたところですわ」


 城内の衛兵や使用人たちも、いつも通りの業務についているようだ。誰もこれがヴァルトロの仕業だったなどと疑う様子はない。


 そもそも、この国の魔法が桜水晶の中の眷属によるものだということすら知られていないくらいだ。その眷属の力を封印したり、破壊の眷属を意のままに操ることができてしまう人間がこの世界にいるなど、想像すらできないだろう。


 ウラノスでキリに言われたことを思い出す。圧倒的な力を目の前にした時の絶望と悔しさが蘇ってくる。


(コーラントはこのままじゃだめだ……また同じような目に遭ってしまってもおかしくない)


 ユナの部屋はコーラント城三階の海側に面した角部屋だ。窓からは一面海が見渡せる。高く昇った太陽に照らされて、水面がキラキラと光る。


 何もない穏やかな海。それはずっと平和の象徴だと思っていた。でも今は違うように思う。水平線の向こうにあるものをただ隠しているだけなのだ。


 海を渡ろうとしないコーラント人には見えないものがある。いつか自分たちを飲み込んでしまうものがあったとしても、きっと直前までその存在に気づかないのだろう。


 着替えと救急箱を用意してきたミントに対し、ユナは言った。


「今回の件について話したいことがあるの。城の前に皆を集めてくれないかな」


 ミントはユナの擦り傷に軟膏を塗りながら、不思議そうに首をかしげる。


「え、ええ。ユナ様がお望みであれば。しかし、よろしいのですか? 今朝のようなことがあっては……」


「大丈夫。それでも伝えなきゃいけないことだから。あと、一つ用意してもらいたいものがあるの」


 体力もだいぶ回復してきていた。ユナは真鍮のバングルに触れてみる。あなたならできますよ、自信を持って。そんな励ましの声が聞こえてくるような気がした。






 しばらくして、ぞろぞろと国中の人々がコーラント城の前に集まってきた。


「なんだなんだ」


「姫様が話したいことがあるんだってよ」


「それより朝できなかった分の仕事がまだ溜まってんだよ」


「話したいこと? 今更自分の正体でもカミングアウトする気なのか」


 人々は顔を見合わせ、ざわめきたっている。突然の召集に、皆疑問を持っているようだった。ユナがバルコニーに姿を現わすと、どよめきは一層強まった。ユナの後ろに控えるミントは心配そうに見守る。


 背後に駆け寄ってくる足音が聞こえた。騒ぎを聞きつけたのか、コーラント王がやってきたのだ。


「ユナ! これは一体何事だ。騒動はもう収まったというのに、民衆を集めて何をする気だ。余計な混乱を招くようなことはやめなさい」


 ユナはゆっくりと父親の方を振り返る。表情に揺るぎはない。


「勝手なことをしてごめんなさい。でも、お父さんにも聞いてほしい。今朝、この国で一体何が起きていたのか……そして、私が出した答えを」


「なんだと……?」


 ユナはくるりと民衆の方へと向き直り、すっと息を吸った。


「みなさん聞いてください。今から私が話すことは、簡単には信じられないかもしれませんが、全て事実です」


 ふっと城の前の騒ぎが収まっていく。


「今朝触媒の力が使えなくなってしまったのは、自然現象でも、ブラック・クロスの方々がやったことでもありません。全て……ヴァルトロの企みでした」


 人々は互いに顔を見合わせ、どよめき立つ。不安と、疑問と、苛立ちが入り混じる。ユナは再び声を張り上げ、話を続けた。


「彼らが桜水晶の力を奪い、ブラック・クロスの方々に罪をなすりつけようとしたのです。彼らは力を手に入れたがっていました。コーラントの魔法の源になっている桜水晶だけでなく、私の持つ母の形見も同様に狙われたのです」


 ユナは右腕を掲げる。腕輪の九つの石がキラリと光る。人々は腕輪が奪われていないことに安堵の声を上げたが、ユナの言うことを信じる者はいなかった。


「そんなのは嘘だ」


「とうとう頭までおかしくなってしまったか」


「桜水晶の力を奪うなんてそんな話があるわけない」


「つきあってられないぞ」


 中には呆れて帰ろうとし始めるものまでいた。城の前の人だかりが散り散りになっていく。これではいつもと変わらない。真実をちゃんと伝えなければいけないのに。ユナはぐっとバルコニーの手すりに力を込め、身を乗り出して叫んだ。




「……いいから、聞けぇーーーーッ!!」




 その声は城だけでなく、島全体にも響いたのかもしれない。


 城に背を向けて帰ろうとしていた者も思わず足を止めた。一瞬にして、辺りが薄桃色の光に包まれたのだ。優しく、おぼろげな光に満ちた景色は不思議と人々の心を落ち着かせる。国中の魔法機器に設置された桜水晶が、ユナの声に反応するかのように発光していた。


 皆がユナの方に注目する。ミントやコーラント王でさえも驚いていた。


 魔法を使えないはずの姫君は、バルコニーに寄りかかり息を切らす。彼女の腕輪からは九つの光が煌々と輝いていた。


「私たちは、コーラントは、このままではいけません。『終焉の時代ラグナロク』で世界は大きく動いています。簡単に一国の力を奪ってしまえる技術がある。マグダラ様の預言どおり、『契りの神石ジェム』の力を使いこなす者もいる。私たちが扱える魔法は、それらには到底敵いません。コーラントの魔法は、桜水晶に宿る眷属の力を借りたものに過ぎないのです」


 ユナは姿勢を直し、息を整える。


「私たちに足りないものは何か……力や、技術ではありません。何よりもまず、世界を知ろうとすることです。閉じこもっていてはいけない。今のコーラントの平和はかりそめです。もしヴァルトロが本気で攻めてきたら簡単に支配されてしまうでしょう。そうならないためにも私たちは世界を知り、変わっていく勇気を持たなければいけません」


 ユナは後ろに控えるミントに合図を送った。ミントは遠慮がちにユナに言われて用意したものを差し出す。銀のナイフ。ユナはそれを受け取ると、鞘から抜き刀身を露わにした。人々は黙って息を飲む。




——バサッ




 栗色の毛が宙に舞った。


 銀の刀身はユナの髪を躊躇なく横断し、首から下の髪を切り落としたのだ。


 いつからか髪を切ることが億劫になっていた。幼い頃から女の子らしくなろうと伸ばし続けていた長い髪。だがそれはまるで浜辺の小屋で何もできず、ただ待ち続けていただけの自分を象徴しているようだった。




「私は変わります。もう何もできない嫌われ者でいたくはありません。かつてのアウフェン家のように、世界を知るための旅に出ます。そして、コーラントが『終焉の時代』を生き抜いていくための方法を見つけたい」




 首の裏が涼しい。それになんだか身体が軽くなったような気がする。ユナは父親の方を向いて、頭を下げた。


「お父さん。今までこんな私を大切に育ててくれてありがとう。そして、わがままばかり言ってしまってごめんなさい。でもこれが私の答えなの。お願いです。国の外に出る許可をください」


 コーラント王はしばらく黙ったままだった。


 ユナはゆっくりと顔を上げる。怒っているかと思っていた。王は顔を手で押さえていた。しわが刻み込まれた手の間から、雫が溢れる。手の陰に隠れる口元は、微笑んでいるようにも見えた。


「全く不思議だよ。お前がいつかそう言い出すことを、私は恐れていたはずなのに……今、なぜかとてもほっとしているんだ。まるで……七年前に失った彼らを思い出すようで」


「お父さん……」




「たまには帰ってきなさい。そして皆に元気な顔を見せること。それが条件だ」




 ワッと歓声が上がる。ユナは人々の方を見た。皆穏やかな表情をしている。中には涙ぐんでいる者もいた。


 ユナは彼らに向かって、もう一度頭を下げた。誰かが手を叩く。そこから拍手の音が広がっていく。人々の賞賛の声と、桜水晶の放つ光に全身が包まれる。




(温かい……)




 ユナはぎゅっと目を閉じた。この感覚をしっかりと身体に刻み込むために。





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