mission1-26 姫の葛藤



「二つ目の作戦……? 聞くまでもない、あなたたちがしたことはコーラントへの冒涜よ。国中の触媒を使えなくしたのはあなたたちでしょう!」


 ユナはありったけの声を振り絞ったが、キリはにやりと笑うだけだった。さっきからずっと指の震えが止まらない。キリの余裕がそうさせるのだ。


 この部屋を見る限り、彼らがコーラントに何かしたのは間違いない。だが、それをユナに知られてしまったというのに、少しも悪びれる様子がなかった。まるでコーラントの人間がどう足掻こうが気にならないと言った風だ。


 いや、本当にそうなのだ。ユナは薄々理解していた。触媒の力を意図的に止める……それがなされた時点で、コーラントは羽をもがれた蝶同然となった。戦うことすら、できない。


「ユナ姫。残念ながら、あなたがボクたちのやったことに気づいたのは不幸でしかない。嫌われ者のあなたが言うことを一体誰が信じてくれますか? 仮にもし説得できたとして、コーラントに報復する力などありますか? もしボクたちと戦うと言うのであれば、それなりに覚悟した方がいい。そうして世界地図から消えた国はいくつもあるのだから」


 ユナが持っていた剣が床に落ち、カランと音が響く。


(私は馬鹿だ……何も考えず、誰にも相談せずにここに来てしまった。キリの言う通り、私が原因を突き止めたとしても、それは何にもならなかったんだ)


 目頭が熱くなる。昔から力になりたいと思ってやることすべてが裏目に出てしまう。それはずっと自分が嫌われているから、誰も生まれのせいで相手にしてくれないからだと思っていた。


 だが本当は、そもそも人のためになるような力を持っていなかったのだ。姫という肩書きを取ってしまえば、無力な少女でしかない。


「それでいいんですよ。ボクたちだって争いが好きなわけじゃない。あなたが二つ条件を呑んでくれたら、すぐにでも触媒を元に戻しましょう」


「……条件?」


「ええ。まずユナ姫、あなたにヴァルトロへ加わっていただきたい。ああ、もちろんドーハ様との結婚を強制するつもりはありません。あれは部下のボクから見ても結婚には不向きです。やめておいたほうがいい。だけど、それとこれとは話が別だ。あなたは『契りの神石ジェム』の使い方を知らない。そのままでは、世界を動かせるほどの力を誤った方へ使ってしまうかもしれません。だから、ボクたちの元で力の使い方を覚えてもらいましょう。幸いヴァルトロには『契りの神石』を扱える者が他にもいる。訓練すればこの国の魔法以上の力を思いのままに扱えるようになるでしょう。これはあなたにとっても悪い話じゃないはずだ」


「どうして私にそこまで? 私はあなたたちが何をしたか知っているし、ドーハ様にも……」


「あなたが神石に選ばれているからですよ。普通の人間であれば、ウラノスに忍び込んだ時点で始末しています。昨日も言いましたが、ボクたちの使命は『終焉の時代ラグナロク』を終わらせること。そのためには神石を持つ人間を一人でも多く仲間に組み入れたい。ユナ姫にも協力していただきたいんですよ」


 ぞっと背筋が凍る。もし自分が神石を持たない人間だったら、今頃はキリに息の根を止められていたかもしれないのだ。キリは協力してほしいなどと言っているが、これはほとんど脅迫だ。ユナに断る選択肢などそもそもないのだ。


「そして二つ目の条件は、第一の作戦の筋書き通りブラック・クロスの者たちを捕縛するのにご協力いただきたいということです」


「ちょっと待って。彼らは触媒に対しては何もしていないのでしょう。だったらわざわざ捕まえなくとも……」


「甘いですね。彼の者たちはヴァルトロにとっては危険因子。強硬手段であろうと、力を削いでおくに越したことはない。それとも、彼らをかばいたい理由でもあるのですか」


「それは……」




「一分だけ時間をあげましょう。それまでにあなたの答えを決めてください。まぁ、答えと言ってもあなたが選ぶべき道は一つしかないでしょうがね」




 キリがパチンと指を鳴らす。すると天井につながっていた巨大な装置のパイプが何本か外れ、まるで蛇のようにしなやかにうねったかと思うと、たちまちにユナの身体に巻きついて彼女を拘束した。ユナは身体をよじるが、少しも拘束は弱まらない。キリはキャハハハと笑い、声を大にして秒数を数え始めた。


(こんな、ことって……)


 ビクともしない金属の感触に、心が砕けてしまいそうだった。


(私がヴァルトロに味方をすれば、コーラントの触媒の力は戻る。だけど、元通りじゃない。いつまたヴァルトロに支配されるか分からない恐怖はずっと付きまとう……。それに、罪のないルカたちが彼らに捕まってしまう)


 ユナは顔を上げてキリの方を見る。キリは薄ら笑いを浮かべ、一本ずつ短い指を折り曲げていく。余裕のある素振りだ。しかし発せられる威圧感には微塵の隙もない。


 ドーハとは大違いだった。身動きの取れないユナに対しても、気を緩める様子はない。抵抗する様子を見せれば、すぐにでも止めにかかってくるだろう。


 そんなユナの思いを察してか、キリは言った。


「正しいことをしようなんて思わない方がいい。この『終焉の時代』を生き抜くための唯一の方法は、力を持つことです。力を持つ者が世界を導き、力を持たなければ蹂躙される、戦争の時代よりも厳しい弱肉強食の世界。想いだけではどうにもならないんですよ」


 あと三十秒、と言ってキリはまたパチンと指を鳴らした。ユナを拘束するパイプが少しずつ熱を持ち始める。このままでは殺される。悔しいがキリの言うとおりだった。神石を持っていようが、それが使えなければ意味はない。


 ユナが口を開きかけた時、頭の中でふと言葉がよぎった。





——歌はちゃんと届いてる。あとはユナにとって相応しい道を選ぶだけだよ。人は自分が本当にしたいことにしか力を発揮できないからね——





(私にとって、相応しい道……私が本当にしたいこと……)




 じりじりと熱せられた金属が肌に張り付いてくる。あと十五秒、とキリが声高々に言う。


 ユナはぎゅっと目を閉じた。そうだ、昨夜のうちに答えは既に決まっていたのだ。キリへの恐怖でそれを忘れてしまうところだった。惑わされてはいけない。自分の中の答えを探り当てるように、意識を奥へと集中する。




(もう迷わないって決めたんだ。一歩前に踏み出すために)




 ふっと肌に触れているものが何もなくなって、身体が軽くなった気がした。頭の中に冷水が染み渡っていくように感覚が晴れていく。何かが聞こえる。少しずつはっきりと聞こえてくる。この音は元々聞こえていたような気もする。どこでだったか……。そう、歌を歌う時に、いつもそばにあった音だ。自然と浮かび上がる旋律。それが今は言葉のように聞こえるだけだ。




“姉さん、聞こえているみたいだよ!”


“あら……本当ねぇ”


“気のせいかもしれないし……”


“気のせいではないようです。だってこんなに見渡しがいいのは初めてですわ”


“ううーん、まだ眠たいよぉ”


“ようやくあなたに声を届かせることができた。ユナ、初めまして。私たちは--”


“ああもう、カリオペが話し出すと長いから後でな! ユナ、聞こえるか。いいから歌え! アタシたちが力を貸してやる”


“そうよー。歌っちゃえばどうにかなるわー”


“記念すべきデビュー曲、まずはこのエラトーが奏でてあげる。さぁ、思いのままに歌って!”




 ユナはすっと息を吸った。肌に熱の感触が戻ってくる。しかしもう巻きつくパイプには熱も痛みも感じなかった。熱くなっているのは、右腕のバングルだった。




蒼海に響かせよ

我が魂を響かせよ

想いは龍となりて空を昇り

遥か彼方へ稲妻を降らせん




 それまでニヤニヤとしていたキリは、ハッとして指を鳴らそうとする。しかしさすがの彼も想定しなかった事態だったのか、動きが遅れた。


 室内がぐわんと縦に振動した。キリは呻き声を上げ、耳を押さえてその場で崩れ落ちる。キリが気を緩めたせいか、金属のパイプの拘束が解かれた。


 ユナはすぐさま抜け出して、装置のコントロールパネルの所へ駆け寄り、コントロールパネルの横の赤いボタンを思い切り叩く。ブツンと何かが切れた音がした。それまで鳴り続けていた機械の稼働音が徐々に小さくなり、完全に沈黙する。


 コントロールパネルの方を見やると、「強制終了されました……再起動まで、あと三十分」と書かれている。


「良かった、これでコーラントは……!」


「ボクもまだまだ甘かったですね。まさか、こんな時に自力で神石を覚醒させてしまうとは」


 キリがよろよろと立ち上がる。部屋はまだ揺れていたが、キリはもう耳を押さえてはいなかった。いつの間にか杖を構えている。先端に小豆色の石がはめられた杖だ。こんな時でもキリは薄ら笑いを浮かべている。だが、先ほどまでとは雰囲気が変わった。殺意だ。もう後には戻れない。


 ユナは自分のバングルに手を当てる。するとまた微かに声が聞こえてきた。




“やったねユナ!”


“エラトーの歌は相手の感覚を狂わせるのです”


“さぁ、あいつも立ってはいるがそれだけで精一杯のはずだ。一気に畳み掛けるぞ。次はこのタレイアの歌を歌え! 大丈夫、頭ん中に浮かんだ旋律をそのまま歌えば——”




 急に声が途切れた。いや、声の方が途切れたのではない。ユナが倒れたのだ。


 ひんやりとした床の温度が伝わって来る。身体に力が全く入らなかった。そこまで疲れていたはずはないのに、神経がプツンと切れてしまったのだろうか。立ち上がることすらできない。キリを見上げるだけで必死だった。


 キリはキャハハハとまた耳障りな笑い声をあげた。


「だから言ったでしょう。あなたはまだ神石の使い方を知らない、と。神石を扱うには体力がいるんですよ。知らずに無茶な使い方をすれば、たちまちに自分を死に近づけることになる」


「う……ぐ……」


「憐れですね。同情にも値しない。あなたはここで死に、ブラック・クロスの者共を捕らえ次第、この国も滅びることになるでしょう。あなたの浅はかさが呼んだ結果です」


 そう言ってキリが杖の先をユナの顔に向ける。逃げられない——。そう思った時、ユナは無意識に叫んでいた。




「助けて——ルカッ!」




 瞬間、紫色の閃光が目の前で弾け飛んだ。



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