mission1-27 紫の光



——カンッ




 何が起きたのか、すぐには理解できなかった。


 目の前に向けられたキリの杖が弾き飛ばされる音が響く。


 キリとユナの間に一人の青年が立っていた。金色の髪に、額には朱のバンダナとベージュの紐を巻きつけている。ユナはその姿を見て全身の緊張が解けていくのを感じた。




「ルカ……」




 青年はくるりと振り返り、倒れているユナを起こして機械を背にする体勢で座らせる。


「ユナが呼んでくれたからどこにいるか分かったよ。ほら、言った通りだったろ。ユナにはちゃんと魔法が使えたんだ」


 ぽん、と頭の上に手を置かれ、ユナの視界はじわっとにじんだ。温かい手。滞っていた血が急に身体の中を巡るような感覚と共に、皮膚がちりちりと痛い。それまでは気づかなかったが、パイプで締め付けられていた部分に薄いアザができていた。


「ルカ……このままじゃ、コーラントが……」


「大丈夫。ユナが頑張ったおかげで少しずつ桜水晶の声が戻ってきてる。あとはこいつらをなんとかするだけだ。おれに任せて」


 そう言ってルカはキリの方へと向き直った。キリはすでに弾かれた杖を持ち直していた。


「今日こそ絶好の女装日和だったでしょう、ルカ・イージス」


「ははっ。やっぱりあの時に気づかれてたか。残念ながら今日は、あんたたちがめてくれたおかげで着替える暇すらなかったもんでね」


「メイドのくせにでしゃばったからですよ。それに、神石の光色を目の前で見て気づかないわけがない」


(神石の光色? もしかして、ルカも『契りの神石ジェム』を——)


「そりゃ、困ってるお姫様を放っておける男なんていないさ」


 ルカはネックレスをシャツの内側から取り出した。紫色の石がはめられた、黒の十字。




「行くぞ、クロノス」




 ネックレスを思い切り横に引きちぎる。黒の十字にぐっと力を込めて握ると、中央の石の部分からまばゆい紫色の光が放たれた。十字の形をしていた黒い金属は液体のように宙に拡散し、やがて元のネックレスとは違う形に集まり始める。


 それはルカの背丈ほどもある、黒い大きな鎌だった。


 柄の先にはネックレスにはめられていたのと同じ紫色の石がある。ルカは大鎌の切っ先をキリに向けた。


「ヴァルトロ四神将、参謀キリ。あんたはやりすぎた。平和に暮らすコーラントの人々を混乱させ、姫であるユナをここまで苦しめた。黒十字の名の下に、おれはあんたと戦う」


 キャハハハとキリは笑う。


「なるほど、あなたの神石は時の神クロノス——『終焉の時代ラグナロク』を終わらせるための最も近道と言われる力。すでにブラック・クロスの手に渡っていたのですね」


 時の神クロノス。ユナの頭には幼い頃によくミントが読んで聞かせてくれた創世神話の一節が浮かんだ。


 神話によると、神々が世界を築いている間、この世界の時空間は曖昧だった。いつでも自由に時間を進めたり戻したりできたのだという。しかしそんな世界では、神は存在できても、生物は生きられない。生と死、その長さを正しく測るための尺度として、クロノスがこの世界に不可逆な時間軸を作ったと言われている。


(もしかして、今までも……?)


 ユナは昨日の大広間でのことや、今さっきルカが現れた時のことを思い出した。彼が現れるのはいつも突然で、そして紫色の光が発せられる。


「面白い。ぜひともその力、拝見させていただきましょうかッ!」


 キリが杖を掲げる。


 杖の先の小豆色の石が一瞬光ったかと思うと、床にぞろぞろといくつもの黒い影が浮かび上がり、やがて湧き出るようにして地上に形を作り始めた。獣の頭骨、人の肋骨、虫のような羽、朽ちた木の皮。異形なものが次から次へと床の影から現れる。嫌な臭いが鼻をかすめる。永遠の眠りを誘うかのようにけだるく、錆び付いた臭い。やがて、髑髏の虚ろに空いた目の穴からぼんやりとした光が灯ると、異形なものたちは耳障りな雄叫びをあげた。


 ユナはがくがくと身を震わせる。唇が乾いて冷たい。


「これって……破壊の眷属……?」


 キリは「惜しい」と言って、ちっちっと指を振った。


「元・破壊の眷属であったもの、ですよ。ちゃんとヴァルトロの忠実なしもべとなるよう教育してあります。さ、行きなさい——」 


 キリが杖を掲げる。破壊の眷属たちは叫び声をあげてルカとユナの方へ一斉に向かってきた。破壊の眷属には人間の打撃や武器は一切通用しない。もしも出くわしてしまったらまず逃げろ。破壊の眷属が現れたことのないコーラントの人間にすら周知されている常識だ。


 ユナはなんとか立ち上がろうとする。しかし、未だ身体には力が入らず、人形になってしまったかのようだった。


 破壊の眷属たちはもうルカの目の前まで迫ってきている。


「私のことはいいから! 逃げて、ルカッ!」


 ユナの悲痛な叫びとは裏腹に、ルカは背を向けたまま余裕のある口調で言った。




「大丈夫、おれに任せてって言ったでしょ?」




 それは一瞬のことだった。ルカに飛びかかった破壊の眷属たちは、風を切る音と共に、バラバラになって床に落ちていた。


(!? 一体、何が……)


 ユナはハッとルカの方を見る。


 ルカは巨大な鎌を軽々と振り回すと、自ら回転しながら敵との間合いを詰め、遠心力をつけて刃にかけていく。四方を敵に囲まれたかと思うと、素早い身のこなしで紫色の発光と共にルカの姿が一瞬消え、包囲の外に再び姿を現した。頭上で大鎌を回して勢いをつけ、一気に振り下ろす。破壊の眷属たちは呻き声を上げて崩れ落ちていく。


 すかさずまた新たな破壊の眷属がルカの背後に回り込むが、ルカは長い柄を引いてその眷属の胴部を突き、後ろ足に蹴り飛ばす。ルカの攻撃を受けなかった一体がさらに向かって行ったが、ルカはひょいと後ろ向きに宙返りをしてそれを避け、空中から鎌を振り下ろした。


——ズシャッ!!


 ルカになぎ倒された破壊の眷属たちは黒煙を吐き、やがて塵となって消えていく。再びユナの前に立った青年は息さえ切らしていなかった。彼にとっては準備運動程度のものだったのだろうか。


「クク……やっぱり、神石の共鳴者を相手にするには力不足でしたか」


 自分の呼び出した破壊の眷属たちが蹴散らされても、少年の表情からは笑みが消えない。


「さ、次はあんただ、キリ」


「おお怖い。そう睨まないでくださいよ。ボクは肉体派じゃないんでね」


 キリがもう一度杖を振った。



「次の相手はこの子ですよ。目覚めなさい、ドリアード」




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