mission1-24 飛空艇ウラノス



「すごい……! これが飛空艇……!」


 飛行場に停められたヴァルトロの飛空艇を間近で見上げ、ユナは思わず感嘆の声を上げた。


 銀色の機体は中心が欠けた扇のような形をしている。装甲はなめらかな曲線を描いており、傷一つなく美しい。狭い飛行場に悠々と翼を広げている空駆ける船は、下手したらコーラント城の敷地面積よりも大きいかもしれなかった。


「ヴァルトロが誇る、飛空艇ウラノスです。二日もあれば世界を一周できますよ」


「たった二日で?」


 驚くユナの顔を見て、ドーハは満足げに背筋を反らした。


(キーノが一年かけて行った場所へ、この人たちはたった二日で行けてしまうんだ……)


 そう思うと、無機質な巨大な金属の塊に見下ろされていることが空恐ろしくなった。まさに世界の王者はヴァルトロだと言わんばかりの佇まいである。


 ウラノスには前後に巨大な砲身が取り付けられている。やろうと思えばコーラントのような小さな島国一つ、簡単に吹き飛ばせるのかもしれない。ユナは自分の無謀さを呪った。しかし、ここまで来てはもう後に退く気にもなれなかった。


「それにしても驚いた。まさかユナ姫からもう一度話をしようなんて言ってもらえるとはね。昨日はあんな風に言われて、結構ショックだったんですよ」


「ごめんなさい。私、ああいう場に慣れてなくて。それに……あの時は、キリさんも、お父さんもいたから」


 ユナはちらとドーハの顔を覗き見る。満面にこにことしていて嬉しげである。ユナの気が突然変わったことを疑う様子はなかった。


「大丈夫、飛空艇の俺の部屋なら誰にも邪魔されずに二人っきりで話せます。今兵士のほとんどは密航者の捜索に出ているし、キリも調べ物があって部屋に閉じこもっているからね」


 ドーハが機体の側面にあるハッチを開けて、ユナを中へと導く。ウラノスの内部は質素な造りになっていた。壁面には青白い光を放つ一本の線が通っている。各部屋や機械のようなものにつながっていることから、この飛空艇の動力供給を担っているもののようだ。


 ユナはドーハに続いて飾り気のない通路を歩く。同じような景色が続くので一人だと迷ってしまいそうだ。ユナは入り口から何番目の部屋を通過したのか頭の中で数えながら進んだ。


 ヴァルトロの人間は元が傭兵団だからか、派手な装飾を好まず機能性の方を重視するらしい。ドーハも王子と言えど、じゃらじゃらとした金品を身につけているわけではなく、一般の兵士よりは刺繍とボタンに凝った軍服を着ているだけである。彼の場合はそれが余計に体つきの薄さを強調して、頼りなく見せているような気もしたが。


 ドーハが言った通り、今はほとんどの兵士が外に出払っていて、飛空艇の中にはドーハの衛兵と操縦士ぐらいしか残っていないようだった。


 ドーハとすれ違うと、皆もの珍しそうにユナの方を見てくる。中には王子であるドーハをからかう者もいた。その度にドーハは顔を真っ赤にして彼らを追い払った。


「うるさい奴らですみません。あいつら、父上の前では水揚げされたばかりの貝みたいに縮こまってるくせに」


「ドーハ様のお父様は、そんなに怖い人なんですか?」


「それはもう。俺にとっては、『終焉の時代ラグナロク』なんかよりよっぽど恐ろしいですよ。二国間大戦の折には、たった一人でルーフェイ軍の一個師団を潰したなんて話も聞いたことありますし。俺は母上似だとよく言われますがつくづくそれでよかったと思います。父上はいつも険しい顔つきをしているから新米兵士なんかは目の当たりにするだけで気絶することがあるんですよ。そんな血を濃く継いでいたら、ユナ姫も俺のこと怖がって話なんかしてくれなかったでしょう」


 ユナは平坦な声であははと笑う。確かにドーハに対して恐怖心を抱いたことはなかった。どちらかといえば彼よりもドーハの部下たちや、この飛空艇の威圧感の方が恐ろしい。こうしてヴァルトロの内部を知っていけばいくほど、その思いは強くなるばかりだった。




——キィィィン




 階段で二階部分に上がる時、一瞬耳がぼうっとしてまたあの音が聞こえた。城にいた時よりも大きく聞こえた気がする。


 階段の先は正面に大きな扉があって、通路は左右に分かれている。音はこの通路の左の方からしたのだ。ユナが左側へ進もうとするとドーハに腕を掴まれた。


「そっちには倉庫しかないですよ。正面はコクピット。俺の部屋は右側です」


 ドーハはそう言ってずいずいとユナの腕を引っ張った。いくら細身とはいえ相手は男だ。ユナは振りほどこうとしたが、しっかりと手首を押さえられてしまっていて逃れられない。


「あの、えっと……ちょっと、お手洗いに……」


 ドーハは無言である部屋の戸を開く。ドーハの部屋らしい。やはり余計な装飾品はなかったが、質の良い木机やふかふかのベッドが置かれている。


 部屋に入るとユナは肩をがっとつかまれ、壁を背にドーハと向かい合うような体勢になった。ドーハがじっと見つめてくる。さっきよりも息が荒い。ユナは思わず目をそらす。


「……今度は逃がさない。今さら気が変わったなんて言わないでくださいよ。誘ったのはユナ姫の方でしょう」


「えっ! ちょ、ちょっと待って……!」


 有無を言わさずドーハの顔が近づいてくる。上気した吐息が首のあたりに吹きかけられる。それがかえってユナの思考を研ぎ澄ませた。ユナはさっと手を彼の口元に当てる。


「ドーハ様。その前に私に言うことがあるんじゃないですか? 一つ、嘘をついているって」


 ドーハは遮るユナの手をどかし、ふっと笑った。自信に満ちた笑みだ。


「嘘? 何を言っているんですか。俺がいつそんなことを——うっ!!!」


 その瞬間、ドーハが呻き声を上げて膝から崩れ落ちる。ふるふると震えながら股の間を押さえていた。


 ユナは深呼吸をしながら乱れた息を整えた。自覚していたよりも緊張していたのかもしれない。少し落ち着いたユナは、うずくまるドーハの手を指差して言った。


「桜水晶には意志があるの。あなたのその手にある桃色のあざ……それは、桜水晶に拒絶された証」


「うっ……ぐぐ……」


「私は嘘をつきません。だから……あなたとの結婚は、やっぱり考えられない」


 そう言ってユナはドーハの部屋の扉を開け、周囲の様子を伺う。幸い通路には誰もいない。


 念には念をと思い、ドーハの部屋に立てかけてあった剣を手に取った。護身用の武術くらいしか習ったことはないが何も持っていないよりはましだろう。なるべく音を立てないよう、そっと通路に出て階段の左手の方へと向かう。


 背後、ドーハの部屋の方からは鼻をすするような音と、小さな呻き声が聞こえてきた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る