mission1-22 もう一つの朝


 その日コーラントの異変に最も早く気づいたのは、街の宿の二階に泊まっていた旅の青年であった。


 外は日が昇りきっておらず薄暗い。街の中心では朝市が開かれるようだが、今はまだ人が集まってきていないのか人の声よりも鳥のさえずりの方が大きく聞こえる。


 普段はこんなに早く起きる方ではない。むしろアイラの方が早起きで、ルカはいつもなら起こされる側だ。しかし、今日は目が覚めてしまった。


「アイラ、起きてる?」


 ルカはコンコンと自分が泊まっている部屋の隣室の戸を叩く。


 戸の内側でガチャリと音がして、黒のキャミソールにカーディガンをはおっただけの無防備な格好でアイラが出てきた。目をこすりながらあくびをする。さっきまで寝ていたのだろう。


「どうしたの? あなたがこんなに早く起きるなんて……」


 ぼさぼさに広がる髪の毛を手櫛でとくアイラに、ルカは声を潜めて耳打ちをする。


「おかしいんだ。急に国中の桜水晶の声が聞こえなくなった」


 そう言うと、眠気が吹き飛んだかのようにアイラはぱっと目を見開いた。


「それは変ね。この国に入ってからずっと微かに聞こえていたんでしょう」


「うん。たぶん……桜水晶の眷属たちに何かあったんだ」


 ルカは宿の廊下にある窓のカーテンを少し開き、外の方を指差す。コーラントにはあまり背の高い建物がないので、二階建ての宿からも街の様子はよく見える。街では起き出した人々が何やら不安そうな顔をしてざわついているようだ。朝の市場は一応開いてはいるが、買い物をする者はおらず、皆うろうろとあちこちを歩いては何か話している。


 アイラはじっと目を凝らし人々の様子を見つめた。アイラは視力が良く、長距離でも唇の動きで何を話しているのが分かるのだ。


「確かに、桜水晶に何か問題が起きているみたいね。家庭や店で使ってる触媒が動かないって騒ぎになってる」


「他には? 何かわかる?」


「そうね……数人が話題にしてるのは港でよそ者を見たってことかしら。何か調べてるみたいだったって。私たち以外のよそ者って言ったらヴァルトロの人間のことでしょうね」


「港で調べ物? 一体何を……」


 その時、宿の受付がある一階の方でチリンという音が響いた。玄関のところに鈴がつけてあり、客が来ると鳴るようになっている。だが普通はこんな時間に宿泊客はやってこない。アイラとルカは顔を見合わせ、話すのをやめて耳を澄ました。


 さっきまで静まり返っていた一階から、人の歩く物音や話し声がうっすら聞こえて来る。


「こんな時間に何の用だい」


 突然の来客に宿屋の主人は不機嫌そうな声で言った。


「私はヴァルトロ軍の者だ。この宿に宿泊している人間の名簿を見せて欲しい」


 足音が複数聞こえる。今話しているヴァルトロ軍の男は、他にも数人連れているらしい。


「はぁ? 何寝ぼけたこと言ってるんだ。よそ者のあんたにいきなりそんなこと言われても、うちのお客さんの情報流すわけないだろう。ただでさえ今は触媒の調子が悪くてそれどころじゃないんだ。このままじゃ朝食の時間までに準備が終わらないよ。さぁ帰った帰った」


「……この中に密航者がいると言ってもか」


「なんだって?」


 ルカはピクリと肩を震わせた。身に覚えのある話だった。この国に何か悪さをするために来たわけではないが、密航というのは事実なのだ。


 義賊ブラック・クロスはその性質上、各国の為政者には煙たがられることが多く、各地にメンバーの手配書が貼ってある。そのため潜入時には身元がばれないよう所属を偽るようにしているのだ。アイラもルカも、本来登録商人ギルドに籍はない。


「触媒の騒動については把握している。我が主ドーハ様も心を痛めておいでだ。我々ヴァルトロは貴国のため、この国に忍び込んだ不審な人物を全力で捜索している。触媒の件にも彼らが関係しているかもしれないのだ。ご協力願いたい」


 宿屋の主人が許可をする前に、ヴァルトロの兵士は部下を動かしたのだろう。階段を上ってくる音が聞こえる。


 アイラは深いため息を吐き、ハンガーにかけてある自分の服を手に取った。


「……はめられたわね。行くわよ、ルカ」


「ああ」


 ルカは自分のシャツの内側からネックレスを取り出す。黒の十字にチェーンを通したものだ。十字の中央には小さな紫色の石がはめられている。


 着替えたアイラがルカの背に手を触れると、ルカはネックレスを力を込めて握った。


 瞬間、石から紫色の光が放たれ、二人の姿は跡形もなく消えた。



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