mission1-21 密航者を捜せ


 まだ早朝だというのに、かなりの人数が城門の前に集まってきているらしい。近づくにつれ、人々のどよめきが聞こえてきた。


「一体どういうことなんだ」


「こんなの初めてよ」


「ああ、コーラントはもう終わりだ」


「王よ、お導きを!」


「こんな時に先代女王がいれば……」


 ユナは林道を抜けたところで息を整えた。走ってきたのもあるが、非常事態への緊張で普段よりも脈が早くなっているのだ。林道を抜け、城壁沿いに進めば城門の脇に出る。


 ユナが城門の方に向かって歩き出すと、ぜえぜえと息を切らしたミントが後ろからユナの腕を引っ張った。


「止めないで、ミント! 私行かなきゃ」


「はぁはぁ……さすがに、正面から行くのは無謀ですわ。こんな時だからこそ冷静になられませ。どうぞこちらへ」


 ミントはユナの腕を引っ張ったまま、門とは反対側へ城壁沿いに歩いていく。やがて城壁に背の低い木戸が現れた。


「使用人口です。本来ならばユナ様をこのような場所にお通ししたくはありませんが、今はそうも言ってられません」


 ミントは制服のスカートのポケットから鍵を取り出し、木戸を開いた。中は薄暗い通路となっており、ひんやりと冷たい空気が肌に触れる。酒樽や果物が入った木箱があちこちに積んである。どうやらここは貯蔵庫のようだ。




——キィィィン




 突如、金属をひっ掻くような音がして、ユナはばっと後ろを振り返った。


「今、何か聞こえた?」


 木戸の鍵を再び締めてきたミントは首を横に振る。


「いいえ。ネズミじゃないですか? ここにはよく出ますから。さ、王様がいらっしゃる大広間への近道はこちらです。暗いので足元にはお気をつけて」


(あの音はネズミなんかじゃない。ミントには聞こえなかったのかな……)


 ミントの後について大広間へ出る。そこではコーラント王が衛兵に囲まれながら、街の代表者を集めて話し合いをしていた。外のざわめきは城の中にまで響き渡っている。コーラント王の顔には疲れからか皺が色濃く刻まれ、昨日と今日では随分老けてしまったように感じた。


「お父さん」


「……ユナ」


 コーラント王は駆け寄ってくる娘の姿を見て、眉間に更にしわを寄せる。


「なぜ来た。ミントを寄越したのはお前がここに来ないようにするためだったはずだが。悪いがお前の話は後だ。今はそれどころではない」


「そのために来たんじゃないよ。私も手伝いに来たの」


「手伝いだと? お前に何ができる。これは国が始まって以来の大事件だ。大人しくしていなさい」


 そう言ってコーラント王は手をひらひらと縦に振る。子どもでもあしらうかのような扱いに、ユナはムッとして王に背を向ける。


「私にだってできることはあるよ」


 そう言ってユナは大広間の階段を駆け上った。大広間の二階のバルコニーは城の正面に面しており、城門の様子もよく見える。よく王が演説をしたりする際に使われる場所だ。ユナが何をしようとしているか理解した王は慌てて席を立つ。


「待ちなさい、ユナ!」


 しかしユナは止まらない。王は呆れて溜息を吐いた。


「……全く、こういうところは本当に母親そっくりだな」


 ユナは二階へ上がるとバルコニーのカーテンを引き、ガラス戸を開け放った。外のざわめきがわっと大きくなって城の中に入ってくる。


 バルコニーの人影に気づき、城門の前に集まっている人々の視線が期待するように一点に集中する。しかし出てきたのがユナだと分かると、皆の表情はあからさまに曇り、一瞬静かになった空気も再びざわつきだした。


(私は国をまとめる王族の一人……。こんなことで逃げていてはいけない)


 ユナはすっと大きく息を吸った。


「皆さん、どうか落ち着いてください。今、父は早急に状況を整理し、対策を練っております。どうかもうしばらくお待ち下さい。必ず何とかしますから」


 人々は互いに顔を見合わせ、口々に何か言っている。はっきりは聞こえないが、それがよくないことであるのは、淀んだ空気ですぐに分かった。


「急に魔法が使えなくなって不安なのはわかります。でもそれは皆同じです。こういう時こそ国中で協力して——」


「不幸をもたらす姫様に何が分かる!」


 一人の男がバルコニーに向かって叫んだ。怒りと不安に歪んだ顔。その男の周りにいた人々は、そうだそうだと声を合わせた。


 ユナは両手を固く握り締める。幼い頃、自分には魔法が使えないと知った時の絶望が、足元からぞわぞわと這い上がってきて手が震えだす。それでもユナはまた息を吸って、声を張る。


「まだ諦めてはいけません! 原因が分かればきっとなんとかできるはずです。だから」


「先代女王を奪った張本人のくせに!」


 今度は別のところから声が上がった。


「そうだ、先代女王ならすぐになんとかしてくれた」


「先代女王を返せ!」


「魔法が使えない異端は引っ込んでいろ!」


 人々の罵声が飛び交う。ユナは目を閉じ、ぎゅっと腕輪に手を当てる。


 カン、とバルコニーに何かが当たる音がした。小石を投げつけられたのだ。ミントが慌ててバルコニーまで上がってきて、ユナを城内へ引っ張ろうとする。ユナは抵抗しつつも、もう収拾がつかないことを理解していた。


(私はなんて無力なんだろう……やっぱりお父さんが言った通り、私にできることなんてないのかな……)


 そう思った時、騒ぎが急におさまって静かになった。バルコニーへ向けられていた視線は、人々の背後へと向けられる。




「みなさん朝早くからご苦労様です。心配になって来てみれば、とんだ騒ぎになってますね。魔法が使えなくなった原因はユナ姫ではありませんよ」




 ユナも声がした方を見やる。人々は誰に言われるでもなく、背後からやってきた人物のために城までの道を空けた。余裕のあるそぶりでこちらへ向かってくるのは、ヴァルトロの王子・ドーハだった。


 ドーハはバルコニーの下までやってくると「お見せしたいものがあります」と言って手招きをした。ユナが大広間へ降りると、コーラント王は不思議そうな顔で言った。


「急に静かになったが、どうしたんだ」


「ヴァルトロのドーハさんが城門まで来たの。お父さんも一緒に来て」


 王はそれを聞くと慌てて会議を中断し、ユナと共に大広間を出て城の正門へと向かう。バルコニーの下あたりでドーハは何やら書類を手に持って待っていた。


「ドーハ殿。わざわざ来ていただいたところ申し訳ないが、今は緊急事態でとてもお構いできるような状態では」


「分かっています。しかし今この時に我々がここにいるのも何かの縁。我々にも何かできることはないかと、勝手ながら独自に調査させていただいたのです。これを」


 そう言ってドーハは二枚の紙をユナたちに見せる。人の顔の下に金額が記載されている。手配書のようだ。ユナはそのうちの一枚を見て、はっと息を飲んだ。


「昨日、登録商人ギルドの人間だと偽りこの国に密航した人間がいるようです。港の人々に聞き込みをした限り、それはこの二人に間違いないでしょう。……ブラック・クロスのアイラ・ローゼン、そしてルカ・イージス。我々の領内では重罪人として指名手配している者たちです」


「ブラック・クロスだと!? どうしてそのような者らがこの国に」


「昨日お伝えしました通り、彼らは義賊と称し世界各地の『契りの神石ジェム』をつけ狙っております。貴国の触媒も『契りの神石』に近い力を持っている。魔法が急に使えなくなってしまったのは、彼らが触媒の力を奪ったからかもしれません」


「なんということだ。彼らを急ぎ捕まえなくては」


「ええ。港での話だと、幸いまだコーラントを出ていないようなので、この国のどこかにはいるはずです」


 コーラント王は民衆の方へ向き直り、ドーハから受け取った手配書を掲げて叫んだ。


「触媒の力は密航者によって奪われた可能性がある! 国中を捜し彼らを捕らえよ! 今こそコーラントのために!」


 人々はワァッと声を上げ、街の方へ散って行く。


 先ほどまでユナの悪口を言っていた者たちも、何事もなかったかのように王の指示に従い動き始めていた。小さな島国であるコーラントの領土はそう広くはない。一日もあれば島中くまなく探し回れるだろう。この一瞬で人々は希望を取り戻したのだ。


 たった一人、ユナだけを除いて。




(そんな……まさか、ルカが……)




「どうかしましたか?」


 肩に手を置かれて、ユナは反射的にそれを振り払った。ドーハが心配そうにユナの表情を覗き込んでいる。


「あ、ごめんなさい……ちょっと、動揺してて」


「それはそうでしょう、こんな事態ですから。でも大丈夫。ヴァルトロの中でもかなりの腕利きの者を捜索に当たらせております。ブラック・クロスの者たちが逃げ回れるのも時間の問題でしょう」


 ドーハは気にしていないら様子だったが、ユナは申し訳なくなって振り払ってしまった彼の手を取る。ドーハの手は綺麗な手をしていた。ユナより大きい手だが皮膚には切り傷一つなく、骨ばっている感じでもない。育ちの良さが表れてはいるが、やはり肩書きのような軍人らしさは感じなかった。


(そういえば昨日も急に触れられたのに驚いて、後ろにひっくり返りそうになったんだっけ。……あれ?)


 ユナはふと、彼の手をよく見る。指先に違和感があるのだ。ドーハの右手の先には、桃色の染みのような痕がついている。昨日はなかったはず。


 ユナはこの痕の意味をよく知っていた。さっと辺りを見回す。街の人々は密航者を捜しに行ってしまったし、王も城に戻っていて、周りに人気ひとけはない。


(思い違いかもしれない。だけど、これこそきっと、私にしかできないことなんだ)


 ユナは意を決して口を開いた。


「ドーハさん。あの、おかげで触媒のことはなんとかなりそうですし、今は周りに人もおりません。……こんな時になんですが、私のお願いを聞いてもらえませんか?」


「えっ!? あ、あああ、はい!」


 ユナがドーハの耳元に口を寄せると、彼はまた食前酒を飲んだ時のように顔を真っ赤に染めた。


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