mission1-20 ざわめくコーラント



(夢? あの日の……)



 ユナはベッドの上でゆっくりと身体を起こし、ちらと小屋の窓のカーテンをめくる。まだ外は暗い。いつもより早く起きてしまったようだ。


 昨夜は父親に言われたことやルカと話したことをずっと考えていたので、眠りが浅くなってしまったのだろう。


 キーノがこの地を発ったのはもう八年も前のことだ。


 だんだんちゃんと思い出せなくなってきた。あの日何を話して、キーノはどんな表情をしていたのか。思い浮かべる記憶はもしかしたらありのままのものではなく、自分の頭の中で勝手に脚色を加えてしまったものなのかもしれない。時間が経つごとに自信が薄らいでいき、今では思い出そうとすることさえ恐ろしい。


 アウフェン親子が旅立った後、一年間は頻繁に手紙が届いていた。毎回十枚以上の便箋にびっしりとその土地で見聞きしたことが綴られており、ユナは物語でも読むような気持ちで手紙が届くのを心待ちにしていた。


 しかし七年前——『終焉の時代ラグナロク』が始まったすぐ後くらいの頃を境に、手紙が一切届かなくなる。しばらくして届いたのは手紙ではなく、帆船に取り付けられていたはずの魔法機器の残骸だった。はるか遠い海で大時化おおしけがあり、その数日後に近隣の島の浜辺に打ち上げられていたのだという。


(いけない、昔のことを思い出していては……ルカにも言われたじゃん、過去を気にするな、って。今はくよくよしている場合じゃない。これからどうするか……お父さんにちゃんと答えを伝えないと)


 ユナはベッドから離れ、顔を洗った。冷たい水で思考が研ぎ澄まされていく感じがする。大きく深呼吸をして自分の頬を叩く。


 もう、答えは決まっていた。


 ユナが着替えていると、小屋の戸を強く叩く音がした。


「ユナ様! ユナ様! 大変ですわ! 起きてくださいまし!」


「ミント? もう起きてるよ。どうしたの?」


 ユナが戸を開けると、そこにはいつもきっちりとまとめている髪は乱れ、息を切らしているミントがいた。朝早くに城下町の市場で食材を買ってきて、この小屋で朝食を作るのが彼女の日課なのだが、今日は買い物袋も何も持っていない。


「先ほど街の方へ行ったら大騒ぎになっていて……! ああどうしましょう、これではコーラントは……!」


 ミントは頭を抱えてその場で膝をついた。ユナはしゃがんでミントの肩を支える。


「ねぇ、どうしたのミント。落ち着いて、何があったのか教えて」


 背中をさすってやると、ミントの呼吸は少しずついつもの調子を取り戻してきたようだ。ゆっくりと顔を上げ、震える声で途切れ途切れに言う。


「……町中の、触媒が……触媒が、全て、力を失ってしまっているのです……! 町だけではございません……! 城中でも、入り江の洞窟でも、至る所の触媒が黒ずんで反応しなくなっております……!」


「え!? それって、もしかして」




「国中の魔法が、使えないということです……」




 ミントは涙目でユナを見上げる。今まで触媒が暴走したりすることはあったが、それは一部だけの話であり、国全体の触媒が使えなくなることなど聞いたことがない。ユナはふと自分の腕輪を見た。九つの石は昨夜と変わらず薄桃色のままだ。


「まだ使える触媒もあるかもしれないよ。諦めるのは早いって」


 しかしミントは震える声で叫ぶ。


「無理ですわ……! 魔法工学がこの国を支えていたようなもの、我々は生きる糧を失ったも同然です……!」


「何を言ってるの。魔法がなくたって、生きてはいけるよ」


 ユナの言葉に、ミントはハッとして口を押さえた。


「も、申し訳ございません……とんだ失言を……」


 ユナは首を横に振る。彼女は別に気にしてはいなかった。それよりも、呆れていたのだ。触媒が使えなくなって国中が混乱しているだろうというのに、ミントほど動揺できない自分に。


「お父さんはどうしてる?」


「王様はお城にて情報を集め、対策を練られておりますわ。お城は街の住民が押しかけ、大変な騒ぎになっております。どうかユナ様はここで……」


「私たちも行こう。お父さんの手伝いをしないと」


「ユナ様!」


 ミントが止めるのも聞かず、ユナは小屋を出て城に繋がっている林道を駆ける。ミントはふらつきながらついてきた。


 ミントが止める理由は分かる。もし今城に出向きなどしたら、人々の怒りの矛先は真っ先に嫌われ者のユナに向けられるだろう。「不幸をもたらす姫様」とか「呪いの子」とか、また好き勝手なことを言われるに決まっている。


(でもそんなこと、今はどうだっていい。むしろそれでみんなの気持ちが和らぐのなら、何だって言われてもいい。お願い、お母さん。私に力を貸して……)


 ユナはぎゅっと腕輪に手をあてる。いつも通り、金属の冷たさが皮膚に伝わってきた。


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