mission1-19 約束と後悔



***



「うええええん。やだよう、キーノ、行ってしまってはいやだよう」


 早朝の浜辺に幼い少女の泣き声が響く。白木造りの小屋に向かい合うようにして、小型の帆船が停められている。すでに荷は積み終わっていて今すぐにでも出発できる状態であった。


「泣かないで、ユナ」


 すでに旅支度を整えた金髪の少年は、にっこりと微笑んで泣きじゃくるユナの頭を撫でる。


「これはとっても喜ばしいことなんだ。ユナのお父さんがアウフェン家の活動を認めてくれて、初めて一年以上の遠征の許可が下りた。一年もあれば世界の果てまで行けるかもしれないんだよ。きっと見たこともない景色や、動物に植物、そこで暮らす人たちの文化、たくさんの発見があるに違いない。もしかしたら僕たちが見つけた土地が、世界地図に新たに加わることにもなるかもしれないんだよ」


 ユナはただ嗚咽おえつを繰り返す。


 キーノは困り顔で船の方を見やった。先に準備を済ませて乗船した父は、ただ親指を立てて見せただけだった。見送りに来ていたコーラント王やミントも介入してくる様子はなく、二人のことを微笑ましく見ているだけである。


 アウフェン家は王の親戚でも身分が高いわけでもなかった。元は冒険家でもなく、漁業を営む家系である。


 そんな彼らが冒険家として認められるまでには、キーノの父親の地道な努力があった。彼は遠洋漁に繰り出すたびに他国が貿易によって栄えているのを目にして、コーラントの鎖国的な雰囲気に危機感を覚えるようになっていった。そうして漁から戻るとすぐに城に押し入っては王家に建議し、外界探索の必要性を訴えてきたのだ。


 コーラント王は最初こそ彼の主張をはね退け、異端として謹慎を命じたり牢に入れることもあったが、それでもキーノの父が懲りることはなく、次第にコーラント王は彼の話に耳を傾けるようになっていった。


 転機となったのはルーフェイ人によって王妃が襲われた時のことだ。すぐにでも報復をとはやるコーラント王をなだめ、王妃の提案通り同盟を継続するよう諭したのはキーノの父であった。それがコーラントにとっての最善の道であり、王家の傷をこれ以上増やさないために必要なことである、と。コーラント王はそれを受け入れた。互いに何度も衝突してきたことで、かえって絆が芽生えていたのだ。


 それからキーノの父はコーラント王の相談役として、王妃が亡くなった後も王を支え続けてきた。そんな積み重ねもあって、王はついにアウフェン家に外界探索の許可を出すようになったのだ。


 息子であるキーノもまた、ユナにとっては良き友であり頼りにしている兄のような存在であった。キーノはこの国の中で唯一、嫌われ者の姫君に対しても分け隔てなく話しかけ、冒険と言って彼女を島中あらゆるところに連れ回しては父親やミントに叱られる、そんな少年だったのだ。


「向こうで見たことは全部ユナに伝えるよ。だから、楽しみに待っていて欲しいんだ」


「でもっ……キーノがいなくなったら、私はまた一人ぼっちだよ……。私のことを認めてくれるのは、キーノしかいないのに」


「大丈夫。ユナにはお父さんもミントもいる。コーラントのすべての人と仲良くできなくたって、ちゃんとユナのことを大切に想っていてくれる人はいるよ。それに、僕だって旅先から手紙を出すから、寂しい思いはさせない」


 ユナはぎゅっと目を瞑り、ふるふると首を横に振った。


「それでもいやだよ……だって、今、外の世界は戦争の真っ最中なんでしょう? もし何かあったら……」


「はは、ユナは心配性だなぁ。僕たちは戦いに行くわけじゃないよ。大きい船ではないから警戒されることもないだろうし」


 それでもユナはぶつぶつと駄々をこねる。キーノはユナと同じ目線の高さまでかがむと、彼女の涙を拭い、小さな手を取って互いの小指同士を絡める。


「ユナ、約束するよ。僕は絶対コーラントに帰ってくる。だから待っていてよ。僕がちゃんと帰ってこられるように、歌を歌って待っていて。ユナの歌、大好きだからさ」


 ユナの顔がぼうっと赤く染まる。その様子を見てキーノはあははと笑い、また頭を撫でた。ユナは恥ずかしくなって首を横に振りその手を払う。


「そうじゃないの。私、本当はキーノとっ……」


 心臓が高鳴って、痛いくらいだ。緊張で唇が震えて、吐き出す息をうまく言葉にできない。


 手を振り払ったにも関わらず、キーノは優しい表情で見つめてくる。余計に胸の奥がキュッと縮まって、ユナはとうとう俯いてしまった。


「キーノ、そろそろ行くぞ」


 船に乗っているキーノの父が声をかけると、キーノはユナの元を離れて船に乗り込んだ。


 キーノの父が帆船の魔法機器に向かって手をかざし旋律を口ずさむと、帆をまとめていたロープが解けて一気に広がった。キーノはいかりの繋がったロープを手繰り寄せる。


 穏やかな風が吹いている。帆船はゆるりと沖に向かって漕ぎ出した。




「キーノ! ぜったい、ぜったい帰ってきてね! ずっと、待ってるから! 今度こそは、ちゃんと伝えるからっ……」




 ユナは浜辺から叫ぶ。喉が裂けそうになるくらい、精一杯の大きな声で。


 キーノが浜辺の方を振り返り、大きく手を振った。


 だんだんと船の姿が小さくなっていく。船が水平線の向こうに行ってしまうまで、ユナはじっと見守り続けた。




***



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