mission1-18 ルカが背負うもの



「おれは、ルカ・イージス。……だけど、キーノではないと言ったら本当は嘘になるかもしれない」


 声が静かな洞窟の中でこだまする。


「どういうこと……?」




「おれには、昔の記憶が全然ないんだ」




 ルカの言葉に、ユナは息を飲む。


「それってもしかして、記憶喪失……?」


 ルカは黙って頷く。


「自分の本当の名前も、生まれた場所も知らない。三年前、突然知らない土地で目が覚めた。今はこうして普通にしているけど、目覚めた当初は歩き方や言葉すら忘れてしまっていたんだ。だから、自分が何者かなんて自信を持って言うことができないんだ」


「そうだったんだ……」


「だけどこうもキーノに似ていると言われていると、この島のこともなんとなく見覚えがあるような気がしてきた。ユナの歌も、初めて聞いた時になぜか懐かしい感じがしたんだ。今まで色んなところを旅してきたけどそういう風に思ったのは初めてだよ。もしかしたらコーラントはおれの故郷なのかもしれないね」


 ユナはそれを聞いてバッと姿勢をルカの方へ向ける。


「だったらここに住んでみない? 何か思い出すかもしれないし」


 しかし、ルカはすぐに首を横に振った。


「残念だけど、それはできない」


 ルカはスッと立ち上がって、ユナに向かい合った。


「おれはここに留まるわけにはいかないよ。自分の記憶には確かに興味がある。でも、それ以上にやらなきゃいけないことがあるからね」


「やらなきゃいけないこと?」




「『終焉の時代ラグナロク』を、終わらせるんだよ」




「……!」


「ドーハが言ってたろ。予言は本当なんだ。あと数年で世界が終わってしまう……その前に、なんとかする方法を見つけなきゃいけない。ヴァルトロとは違うやり方でね」


 そっか、と言ってユナは目を伏せる。


 自分で問うておきながら、ルカが言う前から答えは分かっていた気がする。キーノもルカも、自分とは見ているものが違う。世界を旅して周っているような人が一つの場所に落ち着けるはずがない。だからこそ羨ましくて、憧れで、眩しいのだ。


「今度こそ本当にお別れだね。もう発ってしまうんでしょう」


「そうだね。ここへ来た目的はもう達成できたから、明日には出発すると思う」


 ユナは顔を上げ、立ち上がった。ルカに向かって手を差し出す。


 雲が晴れて再び月が顔を出した。月明かりに照らされてバングルの石がかすかに光る。


「わざわざここまで来てくれてありがとう。話を聞いてくれて嬉しかった」


 ユナがにっこりと微笑む。ルカもふっと笑ってその手を取る。


「ユナ、あんまり生まれや過去のことは気にするなよ。そんなの関係なく、ユナは人に認められる素質があると思うんだ。歌はちゃんと届いてる。あとはユナにとって相応ふさわしい道を選ぶだけだよ。人は自分が本当にしたいことにしか力を発揮できないからね」


「私にとって、相応しい道?」


「そう。ユナが本当はどうしたいか、ってこと」


 ルカはにっと歯を見せた。手を離すと、ユナに背を向けて洞窟の入り口の方へと歩き出す。広場から狭い通路へ入る手前でルカは一瞬立ち止まり、くるりと振り返った。


「……ああそうだ。一番大事なことを言い忘れてた」


「何?」


「ユナはきっと魔法が使えるよ。あとは君の中の迷いさえなくなれば。桜水晶の眷属たちがそう言ってる」


「え……?」


 広場の中で声が反響する。ルカはそれだけ言うと、再び向きを変えて洞窟の入り口の方へと歩いて行った。






「なるほど、あれがこの国の『契りの神石ジェム』ね」


 入り江の洞窟を出ると、入口の看板のあたりにアイラが立っていた。彼女の手の平の上には砂でできたツチブタが乗っている。ルカに気づくと、ツチブタはパッと黄色い閃光を放つとともに砂となって消えた。


「なんだよ見てたのか。趣味悪いなぁ」


「こうでもしないと、あなたは何をしでかすか分からないから」


 ルカはムスッとしてアイラの前を通り過ぎ、林道の方へと向かう。アイラはその後ろを追った。


「どうしてはっきり言ってあげなかったのよ。君が持っているのは『契りの神石』だ、って。その方がヴァルトロに奪われる心配は減ったでしょう」


「あの神石は共鳴はしてるけどまだ覚醒段階までは行ってない。だから、無理に自覚させない方がいいと思ったんだ。神石を持っているということが必ずしも幸せだとは限らないから」


「ふうん、優しいのね。あの子に関しては力を使えるようになることを望んでいるような気もしたけど」


 ルカは答えない。


 本当は迷っていたのだ。ちゃんと伝えていれば、ユナの悩みを解決できたのかもしれない。だが神石の力は眷属とは比べ物にならないほど強大だ。扱う者の価値観や人生を簡単にねじ曲げてしまうこともある。ルカはそのことを痛いほど理解していた。


 だからこそ、ユナには伝えなかったのだ。


「それにしてもようやく掴んだ記憶の手がかりでしょう? 気になるならここに残ってもいいのよ。ノワールには上手く言っといてあげる」


「妙に優しいね、アイラ姐さん。おれにそのつもりがないのは分かってるくせに。それに、ユナがおれに似てるって言ってる奴は年齢がだいぶ違うらしいんだ。もしおれがそいつなら、アイラ姐さんと多分同い年くらいだよ」


 そう言うと、アイラは苦い顔をした。


「……それはないわね。発見された時に何一つあなたのことが分かるものはなかったけど、年齢だけは確かだった。ちゃんと記録があったもの、間違いないわ」


 ルカは少しだけ歩みを緩める。


「今でも目を覚ました時のあの景色は忘れられない。いつでも鮮明に思い出せる。……キーノを慕っているユナにはとても言えないよ。おれがとんでもない罪を犯した人間だなんて」


 ルカは声を落として呟く。


 普段は飄々としていて明るいが、この話になるといつも深刻なトーンになるのだ。それもそうだろうとアイラは思う。何もあの景色が忘れられないのはルカだけではない。倒れていたルカを発見したノワールも、ノワールについていったアイラも、目を疑うような光景がそこには広がっていた。


「そうね。ああいう純粋な子にはちょっときつい話かもしれないわね」


「……だからおれはのんびりしてられないんだ。罪を償うためにも、何としてでもやらなきゃいけない。『終焉の時代ラグナロク』をこの手で止めるんだ」


 呼応するようにルカの胸元のネックレスが鈍く紫色に光った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る