mission1-17 忌み嫌われる理由



 入り江の洞窟には他に人が入ってくる気配はなかった。


 ユナ曰く、触媒が採掘されるのは月に一度と定められており、今日はその日ではないということだ。そのため地元の人々が普段ここにやってくることはほとんどない。


 洞窟の先は王家専用の飛行場につながっているらしい。今は賓客であるヴァルトロの飛空艇がそこに停まっていると言う。


 ヴァルトロの人間がここを通る可能性はあるのかと聞いてみると、ユナはわざわざここを通る利点はあまりないと答えた。飛行場へは城下町や城と直接繋がる街道があり、そちらの方が近くて道も分かりやすいからだ。この洞窟から飛行場へ行けることはコーラント人の間でもほとんど知られていないため、今ルカたちがいる広場から先は、行きに通ってきた道よりもさらに整備が行き届いていないらしい。


 ユナが石板に背をむけるようにして祭壇の石段に腰掛け、ルカはその隣に座った。祭壇はちょうど洞窟の天井の穴の下にあり、見上げると星いっぱいの夜空が目に入ってきた。


「ここは星がよく見えるの。街や城の方は明かりが多くて、星の光がかすんでしまうから……」


「うん、きれいだ。今まで色んなところを旅してきたけど、なかなかここまできれいに見える場所はなかったよ」


 ルカがそう答えると、ユナは少しはにかんで笑う。そしてもう一度空を見上げ、はるか遠くを見つめながら呟いた。


「私はこの小さな星空が好きで、見ているとなんだか落ち着くんだ。広くて星のない空よりも好き。だけど……これは王族としてはふさわしくない感情なのかもしれない」


「どういうこと?」


「私、会食のときにドーハさんの申し出を断ったでしょ。ルカはあれをどう思った?」


「どうって……おれがどう思おうが、あれはユナの本心だったんだろ」


「うん」


「だったらあれでいいじゃん。結婚って一生に関わることなんだからさ、自分の気持ちは大切にしなきゃ」


 ルカは彼女を肯定するつもりで言ったが、ユナは首を横に振った。


「でも、私はコーラントの姫だから、本当はあんなことしてはいけなかった。……ううん、ちょっと違うね。もしちゃんと自分が姫だって自覚があるならば、あんなことはそもそもしないはずだったんだ」


「どういうこと?」


「ルカは……コーラント人が嫌っているものの話、知ってる?」


 ユナは澄んだ青い海のような瞳でルカを見つめた。


 この瞳に対して、嘘はつけないと感じた。


「知ってるよ。街で聞いちゃったんだ。コーラント人はよそ者と不幸をもたらす姫様を嫌っている、って」


「その二つが嫌われているのには理由があるの。みんなに慕われていた先代の女王、つまり私のお母さんの死に繋がった二つだと言われているから」


「……ユナのお母さん、一体何があったんだ?」


 ユナは膝の上に手を組み、落ち着いた声音で話しだす。


「十八年前——ガルダストリアとルーフェイの二国間大戦が始まる前ではあったけど、両国の緊張はすでに高まっていて、小国に過ぎないコーラントもその勢力争いに加わらざるを得なくなったの。それが、ルーフェイとの旧同盟。条文上は対等な同盟のはずだった。でも、大国であるルーフェイからしたらそうではなかった」


 ルーフェイがよくやる手口だ。ルカは前にアイラに教えてもらった、『終焉の時代ラグナロク』以前の世界情勢について思い浮かべる。


 ルーフェイは対等な同盟と称しつつも、実際には経済面や軍事面で圧力をかけることで多くの国々を接収し、来たる二国間大戦に向けて力をつけていたという話だ。


「同盟を結びに来たルーフェイの使節団は、コーラント人が警戒を解いてしまうほど、物腰柔らかでうやうやしくしていたんだって。でも、会談が終わった途端、人が変わったように好き放題に振る舞った。桜水晶の採掘場を荒らし、農作物を荒らし、……そして、あろうことか女王である私のお母さんまで襲った」


 ルカは息を飲む。ユナは地面に視線を落とした。


 一見穏やかで平和そのものに見えていたコーラント。実際には、十年以上前の傷跡が未だに残っているのだ。決して消えない、人々の心をえぐる傷が。


「そのルーフェイの男は、街で歌っているお母さんを見かけて、相手が女王と知らずに罪を犯した。さすがにルーフェイでもそれは問題になったの。ルーフェイ軍の総帥そうすいが直々に謝罪に来て、開戦の際には兵を出さなくてもいいから名目上同盟関係だけ続けてくれと言われたんだって。お父さんはその条件を飲んだ。……正式にはお父さんではなく、お母さんの意志で。お父さんは今すぐにでもルーフェイに報復をしたかった。でも、コーラントという国を守るため、お母さんは自らの誇りを傷つけられたことを国民に知らせず、極秘事項として身内にとどめるようにしたんだって」


「ユナのお母さんは強い人だな。悔しかっただろうに……」


「うん。私もこの話を聞いてお母さんのことをもっと好きになったよ。今でも尊敬してる。でも……お母さんはそれから身体を壊し、トラウマもあって国民の前では歌わなくなっていってしまった。……そしてその頃お母さんは子どもを身籠った。本当に王の子なのか例のルーフェイの男の子なのか区別がつかない時期で、城内は大変な騒ぎになった。万が一のことも考えて、お父さんはお腹の子を殺すように言ったの。でもお母さんはそれを拒否した。生まれてくる命には何の罪もないと言って……。そうして生まれたのが、私——ユナ・コーラント」


 ユナは長い栗色の髪を後ろにかきあげる。ちらりと見えたユナの横顔は、コーラント王に似ていると言われればそのような気もするし、似ていないと言われればそうも思える。血のつながりというのは外見だけで簡単にわかるようなものではない。


「身体が弱っていたお母さんは、私を生んでからはずっと寝たきりになってしまって、物心つく頃にはバングルを託して亡くなっちゃったの。でもお母さんが亡くなった後はお父さんが私をちゃんと育ててくれて、私は幼いながらも自分がこの国の姫であるという自信を持っていた」


 ユナは一息つくと、また話を続ける。


「……でもそう思っていられたのはほんの一時だった。コーラントでは五歳になった子どもに大人が魔法の使い方を教える習慣があるの。私には国で一番優秀な家庭教師の先生がついて、とても丁寧に教えてもらった。だけど、私はいつまで経っても魔法が使えなかった。いくら先生を変えてもダメだった。姫には才能がない……小さい国だから、噂は瞬く間に広がってしまった。先代女王が突然体調を崩したことに元々疑問を持っていた人たちは、すぐに私が王の子でない可能性までたどり着いて、みんなにそれを言いふらした。先代女王の命はよそ者とその娘によって奪われたんだ、って」


 それまで煌々としていた月が雲に隠れ、洞窟の中も少しだけ陰る。


「それから私は自信が持てないんだ。だから、ドーハさんに対しても姫としての自分ではなく、自分自身の気持ちを優先してしまったんだと思う。このままじゃ……国のみんなに認めてもらうなんてきっとできっこないのにね」


 ユナの口から溜息が漏れる。


「かといって……姫という肩書きを捨ててここから逃げ出すことも今まで考えたことなかった。待っていればキーノがいつか帰ってくると、そうしたらきっと私は変われるんだと、心のどこかで期待し続けていたんだと思う……今日ルカに会って、それがよく分かった」


 いきなり自分の名前が出てルカはハッとした。そして、恐る恐る尋ねる。


「……もしかして、ユナがドーハを振った原因はおれってこと?」


 ユナはぷっと噴き出して笑った。決まりが悪くなってルカは頭を掻く。


「それは悪かったよ……どうしてもそういうのはよく分かんないっていうか」


「ううん、気にしないで。ルカを見てキーノのことを思い出したのは私の勝手だし。それよりもう一度ルカと話せる機会があってよかった。一つだけ、改めて聞かせて欲しかったの」


「なに?」





「ルカ。あなたは本当に、キーノ・アウフェンではないの?」





 ルカはすぐには答えなかった。沈黙が流れ、洞窟の外の波の音が遠くかすかに聞こえる。一瞬ではあったが、その間はとても長く感じた。





「おれは——……」




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