mission1-16 入り江の洞窟



 城の脇の林道をずっと歩いて行くと、再びあの小屋がある浜辺に出た。ミントに連れられて城へ入った時の道を逆方向に歩いてきたのだ。


 ルカは着ていたメイド服を林道に入る手前で脱いだ。林道では草が伸びていて汚してしまうかもしれなかったからだ。朱のバンダナを額に巻き、ブーツサンダルに履き替え、いつも通りの身動きしやすい軽装に戻る。


 どうやら城へ続く道は二通りあって、一つは正面から城下町を通って行く道、もう一つがこの海岸沿いの林道のようだ。ルカは辺りを見回した。人気ひとけはない。街へ行くには林道の方が迂回路になるのでほとんど使われていないらしく、途中で誰ともすれ違わなかった。


 暗がりの中、目をこらして浜辺の先の小屋の方を見る。明かりはついていない。ユナはここには来ていないのだろうか。だとしたらまだ城にいるのかもしれない。そう思って来た道を引き返そうとした時、微かな音が聞こえた。


(これは歌? それとも……)


 風がそよぐ音だと言われればそう思えるし、波が寄せる音だと言われればそんな風にも思える。はっきりとは聞こえない。曖昧でぼやけた……それでもどこかしっとりとした旋律だ。音は小屋の方ではなく、入り江の洞窟の方から聞こえて来る。ルカは洞窟の方へ歩き始めた。


 洞窟の入り口には木の看板が立っていて、「不必要な採掘を禁ず——コーラント王」と書いてある。やはりユナに聞いた通り桜水晶が採れる場所なのだ。


 そっと洞窟の中を覗き込んでみる。道が整備されているわけではなく、荒削りな空洞が奥へと続いている。松明たいまつはないが、足元が見えなくなる心配はなさそうだ。なぜなら洞窟の中は薄桃色のおぼろげな光で満たされていた。岩壁から顔を出している桜水晶がまるで呼吸するかのように、聞こえてくる音に合わせてゆっくりと明滅を繰り返しているのだ。


 ルカは壁に手をつき足元を確認しながら慎重に進んでいく。洞窟の横幅は人が二人ギリギリ通れるか通れないかくらいの狭さだ。ところどころ海水が入ってきていて、潮の香りが漂う。


 しばらく歩き続けると、前方が明るくなっているのが見えた。もう出口だろうか。奥に行くにつれて音はだんだんと大きく響いていった。




「ルカ?」




 声と同時に音が止んだ。


 そこはまだ洞窟の中ではあったが、開けた空間になっていた。広場のようになっており、洞窟の上部に穴が空いている。そこから月の光が入り込んで明るくなっていたのだ。


 ユナは広場の真ん中にいた。ユナがいる場所には石で組まれた祭壇のようなものがしつらえてある。かなり古いもののようだったが、遠目でも丁寧に手入れされているのがわかった。


「これは……」


 ルカはユナの隣まで来て、祭壇を眺める。祭壇には石板が祀られていた。そこにはそれぞれに異なる姿をしている九人の女神が描かれている。きっちりと背筋を伸ばして正面を向いているのは中央の女神だけで、その横にはだらっと寝そべっている女神もいれば、しゃがんで縮こまり悲壮な顔をしている女神もいる。唯一共通と言えば心臓にあたる、左胸の部分に小さな穴が空いていることだった。


「コーラントに古くから伝わる石板だよ。どういう女神様なのかは分からないけれど、私たちは勝手に歌の女神様だと思ってる。ここはコーラント人の歌に反応する触媒が採れる場所だし、石板の裏に詩が書いてあるから」


 そう言ってユナは石板の後ろに回り込んで指差す。古い言葉なのかルカには解読できなかったが、九種類の短い詩のようなものがあるのは分かった。


「もしかしてこの心臓の部分の穴って、ユナのそのバングルの石なのか」


 そう尋ねるとユナは驚いたような顔をしてから、バングルを外しルカに見せた。そこには薄桃色の石が九つはまっている。大きさも石板の穴とぴったり合うようだ。


「よくわかったね。このバングルの石は元々石板にはめられていたの。でも、ある時この石が普通の桜水晶よりも強い力を持っていることが分かって、こうして王家の人間が肌身離さず管理するようにしたらしいんだ」


「なるほどな……そういうことか」


 ルカは真面目な顔つきでユナの腕輪と石板を見比べていた。やがてうんうんと何か納得した風に呟くと、ユナにバングルを返す。


「見せてくれてありがとう。これは大事に持っていた方がいいよ。誰もがちゃんと返してくれる奴とは限らないからね」


 するとユナはにっこりと微笑んだ。


「ルカは特別。これはお礼ね。あの時私を助けてくれたお礼」


 ああ、と言ってルカは口元を手で覆う。少しだけ顔が赤くなる。


 あの時は、メイドの格好をしていたことも忘れてユナを助けに行ってしまった。本人は王子様気分で彼女を支えていたのに、ユナの目の前には化粧をした男の顔があったのだから、今思えばかなり格好悪い。


「そういえば、ルカはどうして私がここにいるって分かったの」


「ああ、そうだよな、いきなり来たから驚いたよな」


 ユナはこくりと頷く。


「歌もそんなに大きな声で歌っていたわけじゃないから、よく分かったなって思って」


「えーっと、何から説明しようかな。その、おれの耳はちょっと変わっててね。人ではないものの声が聞こえるんだ」


「……人ではないもの?」


 ユナは少しだけたじろぐ。


 だがルカは平然と続けた。そういう反応をされるのには慣れているのだ。


「うん。目には見えないけど、彼らは人間のすぐそばにいるんだよ。おれが聞き取れるのは、眷属けんぞくたちの声とか、『契りの神石ジェム』に宿る神様の声とか。まぁ声って言ってもはっきりは分からないよ? 特に力の弱い眷属の場合は声というよりも音に近いんだ。それも、聞き取れるか聞き取れないかぐらいの、曖昧な感じで」


 ルカが洞窟のいたるところにある桜水晶を指しながら、「この石にも眷属が宿っているんだよ」と話す。だがユナは突然の現実離れした話についていけていないようだった。


「ごめん、何を言っているのか、その、よく分からないんだけど……眷属とか『契りの神石』の神様とか、本気で言ってる? 創世神話の中だけの話ではなくて? 『契りの神石』のことはドーハさんも言っていたけど、未だに信じられない……」


「嘘なんかついたってしょうがないだろ。だって、実在するんだから。その何よりの証拠がコーラントの魔法じゃんか」


 そう言ってルカは壁の近くまで行って、桜水晶が顔を出している部分に手をかざした。その手に反応するように桜水晶がぼんやり光って、ルカが手を離すとまた元に戻った。ユナはその様子に目を見張った。


「うそ……桜水晶はコーラントで生まれ育った人間の歌でしか魔法を起こさないはずなのに」


「コーラントの人は無意識のうちにこの桜水晶の中にいる眷属と通じ合う方法を知っていて、それで眷属の力を引き出せる。それが魔法の仕組みだ。おれは今、魔法を使ったわけじゃなくて眷属に挨拶してみただけだよ。まぁ、彼らに嫌われたらどうしようもなかったけど、気さくなのか挨拶を返してくれたみたいだ」


「どうしてそんなことができるの? 私はずっとこの土地にいても魔法が使えないのに。ルカ、あなたは一体……」


「何者か、って? さぁ、おれは落ち込んでる女の子を放っておけない、ただの通りすがりの旅人だよ」


 今度はユナの方が顔を赤くする。泣いていたせいで、まぶたが少し腫れているのだ。急に気恥ずかしくなって、ユナは瞼のあたりを手で隠しながらそっぽを向く。


「ル、ルカには関係ないことだよ。気にしないで」


「まぁまぁそう言うなよー。ほら、話してみなよ。なんならキーノって奴のふりして聞いてやるから」


「……意地悪」


 ユナはムッとしてルカを睨む。姫様らしく綺麗なドレスに身を包んでしとやかにしているよりも、こうして普通のワンピースを着て喜怒哀楽を見せる方が似合っていると、ルカは思った。


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