mission1-13 心に響く歌


「今度は私から質問させていただいても?」


「ええ、もちろん」


 ドーハの問いに快く答えたのは、ユナではなくコーラント王だった。ユナは食事に伸ばしかけていた手を止める。


 腹が減ったわけではないが、食事に集中すれば時間が過ぎるのも早まるだろうと思ったのだ。もう主菜まで出揃っているので会食の時間は終わりに近い。


「その……ユナ姫は好きなものとか、ご趣味はあるのですか?」


 ユナはちらりと食卓を見る。彼女の好物なら、すぐ手前の皿の上にある。先ほどドーハが塩辛いと言って途中で食べるのをやめてしまった、コーラントイワシの塩漬けだ。


「えっと、趣味とかは別に……」


 ユナが小さい声でそう言うと、王はすかさず口を挟んだ。


「何を言っている。そうだ、歌はどうだ」


「やめてよ、お父さん。お聞かせできるようなものじゃないから」


 歌うのは好きだが、人前で歌ったことはほとんどない。ましてや誰かのために歌ったことなど。


 いや、本当は歌いたいのだ。だが、恐れがその思いに打ち勝ってしまう。


 ユナの母親、つまりコーラント王妃も歌うのが好きだった。彼女は国内で触媒が不安定になったと聞くとすぐに飛んで行って、歌を捧げることで桜水晶の暴走を鎮めていたと聞いたことがある。そんな母から王家に伝わる腕輪を託されたのだ、自分にも同じことができると思っていた時期も確かにあった。


 ところが、ユナが歌うと触媒は安定するどころかますます不安定さを増して暴走してしまう。それで街の魔法機器を爆発させてしまったこともある。その時の人々の罵声や呆れたようなため息がずっと耳に残って離れない。


 以来、極力人前で歌わないようにしてきたのだ。


「ほう、歌ですか……」


 キリが呟くのが聞こえ、ユナはどきりとする。キリはそれまでニコニコとしながら黙って座っていただけだったが、笑みが一瞬消え、細い目をさらにぎゅっと絞りながら唇を舐めた。


「いいじゃないですか。ぜひお聞かせいただけませんか? コーラントの歌はただの歌ではない……魔法に通じる祈りのようなものだと聞きましたので、興味がありますね」


 この少年には、底なし沼のようなものを感じる。風貌は自分よりも年下であるようなのに、常にたたえられた笑顔と見透かすような視線が不気味だ。この年齢で四神将という地位を獲得しているというのも、初めは嘘かと疑ったが納得できる気がしてきた。


 ユナの頭に、ここで歌うのを拒めばどうなるかわからない、という不安がよぎる。ドーハにいくら頼み込まれようが断るつもりだったのに。


 ユナは仕方なく席を立つ。少しテーブルから距離を取り、目を閉じて大きく息を吸った。






揺れる 揺れる

木の葉が風と戯れる

空のを聞け

星がゆっくり 零れていく

ねむれ ねむれ

温もりがある 恐ることはない

まぶたを閉じて身を任せ

静かな安らぎへ いざなわれてゆけ






 空気が変わったような気がした。


 ゆっくりと目を開けて父とミントの方を見やる。二人とも目にうっすら涙を溜めている。この歌はユナが一番初めに覚えた歌であり、母がよく歌ってくれた子守唄だったのだ。


 ガタン、と音がした。


 ドーハが雑に椅子を引いて立ち上がり、無言でつかつかとこちらに歩み寄ってきたのだ。歌が気に入らなかったのだろうか。ユナが肩を縮めると、ドーハはスッと腕を伸ばしユナの手を取った。顔を上げたドーハの目からはぽろぽろと涙がこぼれ落ちていた。驚いて手を引こうとしたが、思ったより強く握り締められていて逃れられない。


「素晴らしい……! こんなに胸に響く歌を聞いたのは初めてです」


「あ、ありがとうございます」


 戸惑うユナにはお構い無しに、ドーハは少しずつ距離を縮める。まだ酔いが残っているのか、息が荒い。


「実は初めてお姿を見たときから、素敵な女性だと思っていました……! ユナ姫、私の妻になってくれませんか。必ず幸せにします。もちろんあなただけではなく、このコーラントの国も、すべて」


「えっと、そ、そんなこと急に言われても、まだ……」


 ユナは近づいてくるドーハから離れるように後ずさりをする。数歩下がったところで、足元に何かが引っかかったような感覚があった。


 ぐらっと重心が後ろに持って行かれる。


 そうだ、今日は裾の長いドレスと、ハイヒールを履いていたのだ。


 普段履きなれていないせいで、歩幅をうまく調整できなかった。


 ドーハが叫ぶ。


 ミントが悲鳴をあげる。




 ひっくり返っていく視界の端に、一瞬紫色の光が見えたような気がした。







「……大丈夫ですか、ユナ姫」






 小さな声だったが、聞き覚えがあった。


 後ろ向きに転んで床に頭を打つかと思ったのに、どこも痛くない。背中を誰かに支えられている。ハッとして見上げると、そこには金髪のメイドの顔があった。いや、メイドなんかじゃない。近くで見ればすぐにわかる。なぜか女装をしているようだが、この顔を見違えるはずはなかった。


 名前を呼ぼうとすると、メイドは微笑んで口元に人差し指を立てた。ユナは声に出しかけた名前を口の中で飲み込む。


「ああ、よかった! その方が駆けつけてくれなければどうなるかと……」


 ドーハが再び歩み寄る。彼の安堵したような顔を見て、ユナの中で何かが切れる音がした。


 本当なら手を握っていたドーハも一緒に倒れるはずだったのだ。でもそうならなかった。体勢を崩したその瞬間、ドーハの手が離れたのを覚えている。悪意はなかったかもしれない。しかし反射的に行われた動作の中に見えるものだってある。


 ユナはメイドの力を借りて立ち上がり、ドーハに向かって頭を下げた。




「ごめんなさい……ドーハ様とは結婚を考えられません。今は、そういう気にはなれないんです」




 カシャン、と食器の音が大広間に響いた。コーラント王が手に持っていたフォークを落とした音だった。


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