mission13-60 破壊と創造




 ルカが目を覚ましたのは柔らかい砂の上だった。仲間たちの名前を一人ずつ呼んでみるが、返事はない。人影も見当たらない。辺り一面砂でできた地底の空洞。


 どれくらい落ちてきたのだろう。どこからか陽の光がわずかに射し込んでいるのは分かるが、見上げても地上の入り口がどこにあるかはさっぱり見えない。ただ、不思議と落下時の痛みはなかった。これだけの高さ、普通なら無傷では済まないはずだが。


「ルカ」


 背後から声が聞こえてきてばっと振り返る。そこにいたのはクロードの診療所で待機していたはずのアイラとユナだった。


「え、なんで二人が……? 幻影とかじゃ、ないよな?」


 思わず確かめようとして手を伸ばすと、アイラの灰色の三白眼が怪訝そうに睨んできて、ルカは慌てて手を引っ込めた。


「それはこっちのセリフよ。一体何があったの? 私もユナも気づいたらここにいたの。周りを探してもクロードは見つからないし、わけがわからなくて」


「おれにもよくわからないよ。ウルハリフィルとの戦いが終わったと思ったら、突然みんな砂に飲まれたんだ」


「まさか、新手の敵?」


 眉をひそめ、周囲を警戒するアイラ。だがルカのにはどことなく敵の仕業のようには思えなかった。落下して無事だったというのもそうだし、この空間のまとう雰囲気が、破壊神の持つ厭世の念のような嫌な空気とはまるで違う。これまで訪れた場所の中では、ナスカ=エラの高地やポイニクス霊山の火口付近のような、土地そのものに神通力が宿っているような感覚だ。


「ひとまず他のみんなと出口を探そう」


 ルカがその場から動こうとした時だった。急にアイラのコートのポケットからサンド二号が飛び出した。アイラが叩いていないのにもかかわらず、ぼふんと白煙を上げて人の顔の大きさまで膨らむ。


「シアンからの通信かしら」


 アイラが宙に浮かんだサンド二号を手に取ろうとすると、ふいと彼女の手を避けて、「ビーガガガ……」と奇妙な音を立て始めた。様子がおかしい。


「ア……あ…………あ…………!」


 高速でぐるぐると回転し始めたかと思うと、ぴたりと止まって垂れたウサギの耳をピンと立てた。


「……こちらへ。ついて、きなさい。あなたがたを、まっている」


 そう言って、ふよふよと不安定に浮遊しながら空洞の奥へと進んで行く。


「どうしたんだろう。何かに乗っ取られたのか?」


 不審ではあるが、出口が見つからない以上とどまっていてもどうしようもない。ルカたちはサンド二号の後をついていくことにした。


 しばらく進んで行くと、目の前に石造りの巨大な建造物が現れた。高い柱が等間隔に立ち並んで天井を支え、柱と柱の間からさらさらと砂がこぼれ落ちている。


 ユナがルカの肩を叩き、ぱくぱくと口を動かす。


 地底神殿。


 ルカも同じことを考えていた。ソニアの過去の記憶の中に出てきた、民族解放軍に強制労働させられていた子どもたち。彼らを働かせる口実として使われていた、なんでも願いが叶うと言われる世界最古の遺跡。アイラはあくまで言い伝えだと言っていたが……。


 ルカたちが神殿のすぐ目の前までくると、歓迎するかのように燭台に火が灯り、荘厳な建物を照らした。サンド二号は吸い込まれるようにして中へ入っていく。


「おれたちも行こう」


 神殿の中はシンプルな作りになっていた。まっすぐ長い通路が続いているだけで、他には何もない。歩くたび足音が反響して響き、ルカたちが進むのに合わせてぽつぽつと通路の両脇の柱の松明たいまつに火が灯った。呪術式によるものではなく、ひとりでに火が点いているのだ。妙ではあるが、この空間の神聖な雰囲気がそうさせるのか、不思議と気味が悪い感じはしない。


 次第に明かりが満ちていき、中の様子がよく見えるようになってきた。もう行き止まりが近い。奥には壁があり、その手前には祭壇がある。サンド二号は祭壇の上でくるりと回転し、ルカたちに向き合う形で動きを止めた。


「あなたがたの、なかまも、もうすぐそこに」


 そこで言葉が途絶えると、サンド二号は糸が切れたように落下して、祭壇の上で元の手のひら大の大きさに戻ってしまった。


「ここは一体なんなんだ……?」


 ルカはサンド二号を拾い、祭壇の向こう側にある壁を見上げる。そこには巨大な絵が描かれていた。


 壁いっぱいに大きく描かれているのは、足を組んで座り瞑想するようにまぶたを閉じて座る人の絵。すっと通る鼻筋だけでルカたちの身長くらいはありそうな大きさだ。


 その周りには小さな人の絵——といってもほとんどルカたちの頭身に近い大きさだ——がたくさん描かれており、その周囲には動物や自然を表す絵がちりばめられている。ある場所にはフリームスルス族が蠢く雪国が、ある場所には敬虔な信徒たちが集まる山が、ある場所には角の生えた民が暮らす火山が、ある場所には馬に乗った騎士たちの花の都が。


「まるで世界地図のようね……」


 アイラの隣でユナも頷く。ただ、この中央に描かれている巨大な人物については何者なのかさっぱり見当がつかない。優しげな顔立ちや膨らんだ胸元は女性のようだが、筋肉のついた身体つきはどう見ても男性のものだった。


 ほどなくして、足音がこちらへと近づいてきた。集まったのはライアンとウラノス、そしてウルハリフィルを除く、戦いの場にいた全員だ。


 アランはルカを見るなり駆け出して、左の義手でルカの襟首を掴んで詰め寄った。


「説明しろ。何がどうなってる。ウラノスはどこだ!」


「落ち着いてくれ、アラン。おれも状況がよくわかってない」


「落ち着いてなんていられるか! こうしている間にもウラノスは——」


 その時、目の前の壁画が淡く光をたたえ始めた。


「なんだ……!?」


 徐々に光の強さが増し、眩しさで何も見えなくなっていく。そこへ壁の方から聞き覚えのない中性的な声が響いた。


「ようこそ。この時がやってくるのをずっと心待ちにしていました」


 光が弱まるのを感じ、まばたきを繰り返すこと数回。目が慣れてくると、そこには信じがたい光景があった。


 壁があった場所に巨人が足を組んで座っていたのだ。壁画に描かれていた人物が壁からそのまま出てきたかのようである。


 肌は褐色で、腰まで長く伸びた白い髪とのコントラストが美しい。こうして立体で見ても男性か女性か判別しづらい姿をしているが、なぜかちぐはぐさを感じさせない。存在自体が人並み外れた均衡を保っているように感じるのだ。


 巨人はゆっくりとした動きで首を傾け、ルカたちを見下ろした。そして右手で自らの左胸に手を当て、柔和な笑みをたたえて言った。


「初めまして、愛しき人のたち。私は創造を司る神。名前は……そうですね、人にとってなじみ深い名であればガイア、イザナギ・イザナミ、ユミル、あるいは『運命さだめの星』。どれでも好きにお呼びください」






 原初、世界は無であった。


 そこへ大地をはぐくませ、生命を芽吹かせたのが創世の神々。ルカたちのよく知る創世神話ではそのように伝わっている。


 だが、その神々をも産み出したものが存在する。世界という括りすらなかった混沌に意味を与え、そこに創世の神々を送り込み、星を通じてずっと世界の発展を見守ってきたもの。


 それが創造神。


 ルカたちの目の前に佇む巨大な神は、おっとりとした口調でそう語った。


「ちょっと待ってよ。そんな話突然されたって信じられないんだけど」


「ターニャ・バレンタイン。あなたの気持ちは分かりますよ。人の仔ならば当然の反応でしょう。ただ、あなたの神石は理解しているはず」


「え?」


 ターニャの腰に差した剣が、彼女の意志と関係なく光を放ち始めた。


“お久しゅうございます。創造神ユミル”


 神石ヴァルキリーがそう言うと、他の者たちが持っている神石も呼応するように輝きだす。


 ルカもまた、胸元の『プシュケーの匣』にはめられた神石クロノスが輝くのを感じた。時の神クロノスの記憶の中には、目の前の神のことは一切残っていない。きっと他の神石もそうだ。だが、彼女あるいは彼が創造神だということに不思議と確信がある。ルカの身体に刻まれているキーノの感覚で言うなれば、母性を感じるのだ。視力が低くても己の母を認識する赤子のように、クロノスの神格もまた目の前の存在を母だと感じている。


「……それで、創造神とやらが今更何の用だ」


 マティスの低い声が轟いた。彼だけじゃない、内心この場にいる皆の想いも同じであった。


 世界を産み出すほどの力を持つ神が存在するというのなら、今までの自分たちの戦いとは何だったのだろうか。多くの代償を支払い、苦痛を乗り越え、大切な者と別れ……。創造神の力があればもっと早い段階で破壊神を倒すことができたかもしれない。いや、それ以前に破壊神を生み出さない世界を創ることだって。


「誤解しないでください。確かに私は星を通じてあなたがたの生き様を見守ってきた。ですが、できたのはそれだけ。私自身が創造を行えるのはたったひととき——あなたがたの力によって破壊神が役目を終えた今のこの瞬間だけなのです」


 創造神は白の長いまつげを伏せ、言葉を紡ぐ。


「破壊と創造は表裏一対。大地も生命も、永遠はありません。やがて朽ち果て、世界に膿を撒き散らす。そうして世界が膿にまみれて混沌にす前に、破壊しなければいけないのです。それが破壊神の役割。彼が役目を果たした時、私はようやく新たなものを産み出すことができる。破壊と創造、この二つを連綿と繰り返すことこそが、この世界の発展の真理なのですよ」


 例えば、と言って地面に手をつく。すると創造神の触れた場所が徐々に湿っていき、やがて石畳を割ってコポコポと泉が湧き出した。


「破壊神が引き起こした地殻変動はひなびた土地を励起させました。年月をかければ、いずれこのスヴェルト大陸も潤いに満ちた恵みの大地となるでしょう」


 泉から湧き出た水が、石段を流れ落ちてルカのサンダルを濡らす。ひんやりとして冷たい。息絶えた時のウラノスの身体よりも。ルカはぎゅっと拳を握り締める。


「世界を発展させるためには破壊神が必要だったってことなのか? ライアンも、ウルハリフィルも、望んで破壊神になったわけじゃないのに……!」


「その通りです。私が限られた機会で創るべきは『全』の発展であり、『個』の幸福ではありません」


「けど……!」


「ルカ・イージス、あなたはウルハヴィシュヌに言いましたよね。人も神も万能ではないと。……私も同じです。私に創れないものはありませんが、万物の母であるがゆえに壊せるものもない。だから、世界が発展の限界に達した時に破壊神が産まれるようにし、その破壊神の役目に終止符を与える物として神々に神石を創らせました。そしてその運命は果たされ、世界は新たな創造の時を迎えています。……ただ」


 創造神の表情が少しだけ曇る。自らの手のひらを眺め、小さくため息を吐いた。


「少々想定外のことが。本来交わるべきでない二つの世界が繋がり、破壊神が二度も顕現することになってしまいました」


「ウルハリフィルのことか?」


 創造神は頷き、ルカたちに視線を戻す。


「ですから、あなたがたをここへ呼んだのです。二人の破壊神を食い止めたあなたがたに、これから創るべき世界について選択を委ねようと」


 創造神が両手をルカたちに向かって差し出す。手のひらの上に光の球体が現れたかと思うと、それぞれに世界各地の様子が映し出された。二つは似ているようでよく見ると違う。


「選択肢は二つ。一つ目は、ウルハリフィルがこの世界に与えた痕跡をすべて消し去ること。二つ目は、ありのままの運命を受け入れて時を進めること」


「もし、一つ目を選んだら?」


「二国間大戦やライアンの破壊神化はすべて無かったことになります。もちろん、ウルハリフィルの元の世界で起きたようなアラン=スペリウスの破壊神化もありません。それにより、ここにいるあなたがたの多くが経験してきた苦痛の歴史も消え去るでしょう。神石とともに戦った記憶を失う代わりに、払った代償は元に戻ります。あなたがたはそれぞれあるべき場所へ帰り、平和な世で残りの人生を過ごすことになります」


「それで……もし、二つ目を選んだら?」


「ウラノスとウルハリフィルは運命を共にして死に、戦いの中であなたがたが支払った代償も戻ることはありません。ただし、共に戦った仲間や神石の記憶は残り続けます。そして世界の真実も正しく後世に伝えることができる。痛みは伴いますが、あなたがたには運命をありのまま受け入れ乗り越える強さがあります。その先に新たな世界の発展の可能性を信じるならば、こちらの選択も間違いにはならないでしょう」


 詳しいことは覗いてみれば分かります、と創造神は言う。試しにユナが光の球体の前に立って中を覗いてみると、確かに左右で違う自分の姿が映った。


 右側では、ユナはコーラント城のバルコニーで歌を歌っていた。隣にはミントがいて、父がいて、そしてキーノが温かな眼差しでユナを見つめている。


 左側では、ユナはブラック・クロスの一員として旅を続けていた。ノワールのカゴシャチに乗ってとある島にたどりつき、丘の上にある墓の前に花を添える。墓標には……「ルカ・イージス、そしてキーノ・アウフェン、ここに眠る」と書かれていた。


 ユナははっとして球体から離れ、創造神を見上げる。ユナの頭に浮かんだ疑問を察してか、創造神は包み隠さず答えた。


「いずれにせよ、神石はすべて永い眠りへとつきます。何百年、何千年後か分からない、次の破壊の時代まで。それがさだめられた運命だからです。神石のエネルギーを動力としている『プシュケーの匣』もこれまでのように機能することはできません」


 無傷な神石であればまだ良かったが、神石クロノスは破壊神との戦いで相当消耗してしまっている。ゆえにルカの『プシュケーの匣』は『終焉の時代ラグナロク』には機能停止する可能性が高いということらしい。


「人によっては酷な選択となるかもしれません。ですが私が創ることができるのはどちらか一つだだけ。その後は次の破壊神が役目を果たすまでの間、眠りにつくことになります。皆でよく話し合い、どちらを選ぶか決めてください」


 そう言って創造神はまぶたを閉じてしまった。






 ルカたちの間にしばらく会話はなかった。


 一人ずつ創造神の手のひらの上にある球体を覗いては、みな黙って考え込んでしまう。創造神の言った通り、一つ目の選択をとった方が確かに失われた幸せを取り戻すことができるのかもしれない。ただ一方で、もう二度とこの面々で顔を合わせることはなくなってしまうだろう。失ったものがあったからこそ、めぐり会うことができたのだから。


 それに、いずれの選択をとっても「ルカ」は消えてしまう。


 神石が眠りにつくことは分かっていたこととはいえ、いざその時になってみると心苦しかった。こうして黙り込んでいることで彼との別れを引き延ばせるわけではないのは分かっていたとしても。


 ユナはちらりとルカの表情を窺う。


 眉間に深くしわを寄せて、うーんうーんと唸っていた。ユナはふと不思議に思う。創造神から与えられた選択肢に、ルカは悩みようがないはずだった。それでも彼がここまで悩んでいる理由は、きっと……。


 ユナはルカの隣に寄り添うと、懐からメモ帳を取り出してペンを素早く走らせた。


 ——ルカの答えはもう出ているんでしょう?


 それを見たルカは、困ったようにくすと笑った。


「ユナにはお見通し、か」


 ルカはそう言って、仲間たちに声を掛ける。


「今から話すことに、異論があったらすぐ言ってほしい」


 前置きしたうえで、ルカは声を張り上げた。




「おれは、やっぱり破壊神が誕生しなきゃいけない世界なんて間違ってると思う。だから……選ぶのはの選択肢だ」




 それまで決断を急かすことなく黙っていた創造神だったが、さすがに聞き逃せなかったのかぱちりと眼を開ける。


「ルカ・イージス。何を言っているのですか。与える選択肢は二つだと——」


「そっちこそ何言ってるんだ。創造神のくせに選択肢が二つしかないなんて。おれは、もっと広い眼で世界を創ってほしいよ」


「それは、どういう意味ですか?」


 創造神は穏やかな表情を崩さない。それでも巨大であるがゆえに、見下ろされるだけで威圧感がある。気を抜いたら存在感に気圧されそうだ。


 そんな不安がよぎったところで、ルカの手を握るものがあった。


 ユナだ。


 言葉にしなくとも、「大丈夫だよ」と支えようとしてくれているのが伝わってくる。ルカは気を取り戻し、大きく息を吸った。


「三つ目の選択肢は、人と神の関係性を変えること。これまでの神は、石に宿って共鳴者を通じて間接的に力を貸すことしかできなかった。でもそこに限界があったから破壊神が生まれたんだ。神がもっと人間に寄り添って協力し合うことができるなら、あんたの目指す世界の発展っていうのも実現しやすくなるんじゃないか? 破壊神がいなくたってさ」


「それは創世神たちを再び顕現させるということですか? 彼らは創世期に力を使い尽くしてしまっています。人でいうところの死者を蘇らせるのと同じ、世界のことわりを大きく揺るがすことになりますよ」


「いや、そんな大それたことをするつもりはないよ」


 ルカは首を横に振り、まっすぐに創造神の顔を見上げて言った。


「“永久神格化リインカーネーション”。創世神たちができないなら、人が新しい神になってこの世界を守ればいい」


 創造神の巨大な瞳が見開かれる。ずっと見ていると吸い込まれてしまいそうだ。一人だったら身がすくむところだが、隣にユナがいることでルカはなんとか勇気を奮い立たせる。


 しばらくして、創造神は口を開いた。


「確かに、あなたなら“永久神格化”の資格があります。クロノスとはまた異なる、ルカ・イージスという人格ならば。ただ、あなたは神として転生して何をするつもりなのですか」


「まずは少しだけ時間を戻させてもらう。ウルハリフィルが自分で命を絶つ直前までだ。そこでおれは第五時限の力を解放して、ウルハリフィルを元の世界に連れていく。そうすればこの世界のウラノスは死ななくて済む」


「確かに新たな時の神として転生すればあなたの神力しんりきは回復し、言った通りのことは実現できるでしょう。ただし、別世界へ渡るには相当な神力を必要とします。次に世界を渡れるのは十分な神力が溜まるまで……いつ戻ってこられるかわかりませんよ」


「それは——」


 ルカが言いかけたところで、ユナがぎゅっと彼の手を強く握った。ユナの言葉をミューズ神の一柱、カリオペが代弁する。


“ルカ・イージスが不在の間、ユナが……そしてこの場にいる皆が力を合わせて世界を守るのです。もしかしたらルカの他に“永久神格化”の資格を得る者もいるかもしれませんし、それに”


 カリオペは一度言葉を切る。ユナの腕輪の薄桃色の九つの石が、一斉に強く輝きだした。九柱の女神の声が合わさり、ユナ本人の声のように響く。


“ルカのこと、ずっと待っていますから。あまりに遅くなるようなら迎えに行くかもしれないけど”


「ユナ……」


 ルカが隣に立つユナの顔を見やると、ユナはにっこり微笑んで返した。もう、ただ待っているだけのお姫様じゃない。自分の足でも会いに行ける。それが、彼女がこの旅で身につけた強さなのだ。


 創造神は視線をめぐらせる。ルカとユナの他の皆の意志を確かめたのだろう。そして彼らが意志を共にしていることがわかったのか、肩をすくめて呟いた。


「あなたがたの覚悟は伝わりました。やってみましょう……人と神とが共生できる世界の創造を」


 開かれていた両手を胸の前で合わせる。二つの光の球体は一つに溶け合い一つになっていく。創造神はそれを大切そうに両手で包み込み、ルカの前に差し出した。球体から小さな光の球体が飛び出すと、ルカの左胸の中へと入っていく。身体がぽかぽかと温まり、全身に力がみなぎるような不思議な感覚がした。


「私からの餞別です。ユナの歌によって集結していた力を神力に組み替えました。あなたの力の足しになさい。……それから」


 ばさばさと羽ばたきの音が聞こえ、一羽の黒いカラスが祭壇の上にとまる。よく見ると隻眼。ソニアだ。本来冥界でしか存在できない彼がここにいるということは、新たな世界が創造されて神格が現世に顕現できるようになった証でもある。ただ、アイラやマティスたちがいる手前、正体を明かしたくないのか言葉を発しようとはしなかった。カラスは翼から二枚の羽根を抜き、祭壇の下へと放つ。羽根は二人の少女の姿に変わった。ウラノスとウルハリフィルの二人だ。


「『運命の星』の情報を少しだけ書き換えておきました。今晩日が変わるまでは彼女たちの命を現世にとどめておきましょう。それまでにやるべきことは分かりますね?」


 創造神に問われ、ルカは頷いた。


 つまり、一晩仲間と別れを告げる猶予を与えてもらったということだ。


「ありがとう。きっとあなたが思う以上に良い世界にしてみせるよ」


 ルカがそう言うと、創造神は微笑んだ。球体が一層強く輝き、空間中に光が満たされていく。


「期待していますよ、ルカ・イージス……」






 その晩、義賊ブラック・クロスの本部では宴が開かれた。義賊のメンバーだけでなく、各地のゆかりある人々が招かれ、立場も国境もなく豪勢な食事と酒を愉しんだ。


 ステージではコーラントの人々が歌い、それにあわせて大巫女イスラとアイラが踊る。美しい二人の踊り子にガザをはじめとして男たちがステージを囲んで熱狂したのは言うまでもない。


 宴席の隅では酒の飲み比べ大会が行われ、圧勝したのはまさかの女王エルメであった。珍しく酔い潰れたクレイジーは、同じく酔ったエルメに罵倒されていたが機嫌良さそうにへらへらと笑っていたという。


 一方、食堂に隣接する訓練場ではマティスに組手を挑みあっけなくやられた敗者たちの山が積み上がっていた。もっとも善戦したのはリュウの母ファーリンであったが、書庫から出てきた夫テオに気を取られてあっけなく散った。


 皆が好きなだけ騒いでいる中、ルカとユナは二人でルカの部屋の中にいた。狭くて何もない部屋で、二人並んでベッドの上に座っている。


「ごめんな、ユナ。一つ目の選択肢を選んでいれば、少なくともキーノは……」


 ユナは首を横に振り、ルカの唇に人差し指を当てる。人格としてのルカが“永久神格化”するということは、クロノスとキーノが分離することはなくなる。人間としてのキーノが戻ってくることはもうない。


 それでもユナは確信していた。


 きっとキーノも同じ道を選ぶ。誰かが破壊神にならなければいけない世界を創り変えて、そのうえでユナの元へ生きて帰ることのできる選択をとるだろう。自分が人になるか神になるかなんて些細なことだ。彼は根っからの冒険家なのだから。


 それに、ユナはどうしても失いたくなかった。


 コーラントを飛び出してから今までの旅の記憶を、ずっと持ち続けていたかった。辛いことはたくさんあったが、それを経たからこそ今の自分がいる。そして、この想いが在る。


 ルカは唇に当てられたユナの手を優しく取り、もう片方の手で包み込んだ。


「……正直、ユナが背中を押してくれなきゃ決断できなかったよ」


 しゅんと肩を落とすルカを見て、ユナはくすりと笑う。ルカがそんなことを言うなんて珍しい。いつも一人で決めて進んでしまうのに。


 ユナはつんつんとルカの手をつついて手のひらを開かせると、そこに指で文字を書いた。




「お」




「か」




「え」




「り」




 ユナが、ずっと伝えたかった言葉だった。


 キーノと、そしてルカに向けて。


 ルカの深緑の瞳にじわりと涙が浮かぶ。


 記憶のない自分に帰る場所なんてないと思っていた。


 でも、今はもう違う。


 ぎゅっとユナの身体を抱きしめる。


 強く、強く。


 限られた時間を永遠に刻むように。




「ユナ、ただいま。……そして、いってきます」




 




*mission13 Complete!!*


The epilogue is coming on the next Saturday.


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