mission13-59 最終決戦



 見渡す限り、青い空と白い雲。それは頭上だけでなく、足元も同じだった。薄く張られた水面が鏡のように空を映し、まるで空の上に立っているかのように錯覚させられる。地平線は遥か彼方に遠く、無限の広がりを見せる空間。


 ウラノスが皆を転送させたのはそんな場所だった。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


「ウラノス、大丈夫か?」


「うん……平気……」


 ウラノスはぐったりと上半身を折りながら、途切れ途切れに答えた。初めて使う"神格化"の力に相当体力を消耗しているようだ。


「……アラン君、ごめんね。僕の代償……」


 かぷと自らの親指をくわえ、アランに見せる。薄く切れた皮膚から滲むのは青い血。アランは俯く彼女の頭の上にぽんと手を乗せた。


「気にすんな。腹が減ったら俺の身体でもくれてやる。……それよりよくやったよ、お前は」


 神石ウラノスの”神格化”の力。それはウルハリフィルが持っているのと同じ、新たな空間を作り出す力だ。ただその空間が巨大であればあるほど負担は大きい。ユナの第十の歌による力の増幅があったとはいえ、これほどの空間をウラノスが作り出してみせたのはアランの予想を上回る成果だった。


「なるほど、これなら十分に暴れられるというわけだ」


 同じく転送されてきたウルハリフィルと破壊の眷属の大群に対し、マティスは再び大刀を構える。


 ウルハリフィルの力は強大だ。彼女が技一つ放つたびに世界は蝕まれ、破壊されていく。戦いの決着がつく前に世界が滅びてしまっては元も子もない。だからこうして戦いの場を隔離することにしたのだ。


「あとはウルハリフィルに脱出の隙を与えないように、とにかく攻撃を続ける。それでいいんだよな、アラン」


 ルカもまた大鎌を構えながら確認する。アランは「ああ」と頷いた。


「俺の見立てじゃ、あの『プシュケーの匣』には相当ガタが来てる。激しい戦闘を続ければそのうち限界が来て動けなくなるはずだ」


 つまり、ここからは耐久戦。散り散りになった仲間たちがいかに早く合流できるかも勝負の行方を大きく左右する。


(そっちは頼んだぞ、ユナ……!)


 ルカはぐっと足に力をこめる。マティスもまたルカと背中合わせに立ち、臨戦態勢に入った。


「行け、ルカ・イージス。破壊の眷属どもは俺がやる」


「わかった!」


 ビュンッ!


 風を切り、ルカは瞬間移動でウルハリフィルの間合いに躍り出る。


「はっ!」


 出し惜しみはしない。初めから音速次元のスピードで斬りかかった。だが、翼が彼女の身を包むように護り、簡単には刃が通らない。


「くっ、堅いな……!」


 そうしているうちに、ルカの周りを取り囲むように青白い羅針盤がいくつも宙に浮かび上がった。深追いはまずい。ルカはすぐさま跳躍し羅針盤の包囲を抜け出した。


 ガキィン!


 金属同士がぶつかり合う音が響く。見てみると羅針盤から様々な武器が飛び出していた。剣・槍・サーベル・棍。意匠はばらばら、おそらく世界各地の武器庫から転送させてきたものなのだろう。あのままとどまっていたら串刺しになっていた。ルカの額に冷や汗が浮かぶ。


 そうしている間にも、頭上にまた青白い羅針盤が現れた。


「君さえ……君さえいなければ!!」


 土砂降りのように矢の雨が襲いかかる。


「”時喰亜者ア・バ・クロック”!」


 カッとほとばしる紫色の光。矢の動きが空中で止まる。ルカはその手前でぐるんと回転し、真下にいるウルハリフィルに向かって再び大鎌で斬りかかった。


「うおおおおおおおっ!」


 上からの攻撃は翼のガードでは防げない。ウルハリフィルはヒュンと瞬間移動で後退すると、自分の身体の正面に羅針盤を描く。そこから現れたのは人の身体の幅よりも太い木の杭だ。


「そーれェッ!」


 杭がルカに向かって勢いよく飛び出してくる。当たったらひとたまりもない。回避するも、その着地した場所を狙って新たな木の杭が現れる。


「くそっ、近づけない……!」


「あはははははっ! ぺちゃんこになっちゃえ!」


 このままでは避けるだけで体力を浪費する。体力だけじゃない、動けば動くほど胸が軋む思いがした。耐久戦なのはお互い様だ。


 こうなったらクロノスの力で一度ウルハリフィルの動きを止めるしかない。ルカが力を使おうとしたその時、目の前で青白い羅針盤が浮かんだ。


(不意打ち!? いや、この羅針盤は——)


 ウルハリフィルとウラノスが描く羅針盤の模様は全く同じようでわずかに針の位置が違う。今目の前にあるのは、味方のものの方だ。


 ザンッ!!


 迫ってきていた木の杭がぱっくりと真っ二つに割れる。ルカの前に立つのは銀髪の女剣士。ターニャだ。


 連戦のせいで全身傷だらけだが、応急処置の跡がある。ウラノスの転送術式が繋がって、クロードの治療を受けた後でここにやってきたのだ。


「ごめん、遅くなったね。ここからはあたしも加勢するよ!」


 ターニャはすっと白銀の剣を構えると、次々と襲いかかってくる木の杭を斬り捨てる。


「行け、今のうちに!」


「わかった!」


 ルカはターニャが斬った木の影を縫うように移動しながら、ウルハリフィルへと一気に間合いを詰める。ターニャを攻めるのに集中していたのか、ウルハリフィルはルカの接近に気づいていなかったようだ。目の前にきてぎょっと目を見開く。


「いつの間に……!」


「観念しろ、ウルハリフィル!」


 大鎌を薙ぎ払う。反射的に翼のガードが入るも、ルカの方がわずかに早かった。切り裂かれた青白い羽根が血飛沫とともにぶわっと舞い上がる。それでも彼女はひるまない。近づいたルカに対し変化へんげして巨大化した右手でカウンターを繰り出してきた。長く伸びた鋭い爪がルカの左腕をかすめる。


「ぐっ……」


「ふふふ……危なかったね。また心臓、なくしちゃうとこだったよ?」


 怪しい笑みにぞっとする。


「ルカ、後ろ!」


 ターニャの声にはっとして振り返るとそこには青白い羅針盤。中心がきらりと光り、何か先の尖ったものがこちらに向かって飛び出してくる。


 ガキィンッ!


 金属同士がぶつかる音——いや、ぶつかったのは金属ではなく、硬質化した鬼人族の腕だ。


「リュウ!!」


「前見て集中しろ!」


 怒鳴るような声に突き動かされ、ルカは再びウルハリフィルに向き直る。リュウだけじゃない、ミハエルも、ノワールも、シアンも、ドーハも、グレンも、クレイジーも。戦える仲間たちが続々と集結していた。


「ああああああ……。なんで増えるの……!? 僕の邪魔をするひとばっかり……!」


 ウルハリフィルの指先がわなわなと震え、翼が青白い光を帯び出した。


「邪魔、邪魔、邪魔、邪魔……! もう一回消えちゃえーーーー!!」


 彼女が羽ばたくと同時、青白い羽根が全方位に飛び出した。前に食らったのと同じ、触れれば強制的にどこかに飛ばされてしまう。


 そうはさせるものか。


 ルカの瞳に紫色の光が灯る。


「第四時限解放——"喪失無機遡行ロスト・リジュヴェネーション”!」


 すると放たれた青白い羽根を紫色の光が包み、その場でぴたりと動きを止めた。そしてくるりと向きを変えたかと思うと一斉に元あった場所、ウルハリフィルの背中へと逆行しだした。


「え、なに、どういうこと!?」


 うろたえている間にも彼女自身の羽根が彼女の背中に突き刺さり、羅針盤が展開される。


「っ……!」


 このままでは、自らの転送術式により全身がばらばらになる。


「ぐっ……ああああああああああっ!!」


 どすどすと突き刺さる羽根にうめき声をあげながらも、ウルハリフィルはその場から瞬間移動で消え去った。行き場を失った羽根は力なくその場にひらひらと落ちる。


 ルカもまた、無事ではなかった。左胸に鈍痛が走り、思わずその場に膝をつく。今の技は神石クロノスに相当な負荷をかけただろう。もうこれ以上第四時限の力は使えない。それに、神石を壊すわけにもいかない。


 アランの作戦は、最後に神石クロノスの力が使えなければ成り立たないものだからだ。


「大丈夫か」


 リュウの手を借りて立ち上がる。息を整えながらあたりを見渡した。どこだ、どこにいる。まさかこの空間から逃げられてしまったのか? いや、それはない。ウラノスが”神格化”の力で生み出したこの空間を抜け出すには、ウラノス自身の意思か、あるいはそれを破るだけの強い力が必要だ。さっきの瞬間移動はただ逃げるだけで精一杯だったはず。


 その時、破壊の眷属たちに異変が起こった。彼らはぴたりと動きを止め、一様に口をパクパクとしはじめたのだ。


 やがてそれは合唱のように響きあい、ただの呻き声に聞こえていたものが言葉へと変化していく。


「邪魔」


「邪魔」


「邪魔」


「邪魔」


「消エテ」


 次の瞬間、突き上げるような衝撃があったかと思うと、破壊の眷属たちが群がっている足場がぼこぼこと盛り上がり始めた。


「なんだ……!?」


 破壊の眷属たちが断末魔を上げながらに飲み込まれていく。ライアンが破壊神の巨体に変化へんげした時と同じだ。血の気のない白くぶよぶよとした肉が膨らみ上がり、徐々に形を成していく。それは、見上げてもてっぺんが見えないほど巨大な人の顔だった。ライアンの時とは違い、石膏で作られた彫像のように肌は白くなめらかで髪の毛一本一本まで精緻に見て取れる。ただ、その皮膚の内側には蜘蛛の巣のように張り巡らされた赤黒い血管が浮き出て見え、時折明滅しているのが気味が悪い。


「デカブツめ。その方が狙いやすいが」


 リュウは全身を鬼人化させると、神石トールの雷を帯びて巨大化したウルハリフィルに接近。気づいていないのか、相手は微動だにしない——かに見えた。


 突如、白い巨体のまぶたが開く。その中に眼球はなく、不気味な赤黒いもやのようなものが満ちていた。


「オオ……オオオオオオオオオ……!」


 頭の中に直接響いてくるかのようなおぞましい叫び声。それに呼応するかのように巨大な顔の左側の地面がぶくぶくと泡立ち始める。


「何をする気か知らんが、その前に叩き潰してやる!」


 跳躍するリュウ。雷を帯びた拳は敵の鼻先にしっかりと狙いが定まっていた、はずだった。


 パン!


 まるで虫を払いのけるがごとく、突如現れた右手がリュウを弾き飛ばす。助けに行く余裕はなかった。間髪入れずに今度は左手が現れ、両手が顔の前で合掌する。すると空中に無数の羅針盤の模様が浮かび上がった。


「ぜンぶ、イラない、ぜンぶ、コワす」


 羅針盤を描く光が、赤黒い色に変わり、稲光のようにカッと光った。何か巨大な岩のようなものが羅針盤上に現れる。


「オちロ、クだけ、死んダ星」


 巨体がそう唱えた瞬間、空中に浮かぶ岩は赤黒い炎を纏って一斉に落下しはじめた。逃げ場なんてない。この空間全体が攻撃範囲内。クレイジーとミハエルが呪術で防護壁を作るも、あっけなく破られていく。


 ドドドドドドドドド!!!!


 岩が轟音を立てて降り注いだ。途中で爆発して砕け散るものもあり、怒涛の打撃と灼熱が襲いかかる。これだけの大技、ウルハリフィルにとっても負担が大きいのか攻撃は長くは続かなかった。だが、それでも一瞬のうちに皆瀕死の状態に追い込まれてしまったようだ。ミハエル、グレン、シアンは意識を失って倒れ、ノワールやクレイジーはなんとか凌いだものの脚や腕の骨をやられたのかふらついている。


 ルカもまた、立っているだけで全身の痛みに意識が遠のきそうだった。


「しっかり、しろ……まだ、終わらない……!」


 自らを奮い立たせるかのように呟き、朦朧としながらポケットに入れていた丸薬を噛む。アランから受け取っていた、すべての傷を癒す万能薬。覇者の砦で彼の部屋から勝手に拝借したものも含め、ここまでの連戦で全て使い切っていた。これが最後。


 同じく万能薬を飲んで回復したクレイジーがいつの間にか隣に立っていた。


「あの攻撃、二度はキツい。ボクとノワールで右手と左手をやる。その間に君は」


「本体を狙う。大丈夫、任せて」


 普段のクレイジーならその応答を合図に攻撃を始めるだろう。だが、彼はどこか不思議そうにルカをじっと見ていた。


「な、なに?」


 戸惑うルカを、クレイジーは突然力強く抱きしめた。


「!? 何してんだよこんな時に!?」


 クレイジーはルカよりも一回り身長が高い。もがいても簡単には抜け出せなかった。


「ボクもよくわからないよ。なぜか急にこうしたくなって」


 あまり聞いたことのない声音。言葉通り、クレイジー自身も戸惑っているようだった。


「だ、だったら離してよ。今ならウルハリフィルもさっきの攻撃の反動で動きが鈍ってる。チャンスなんだから」


「うん、確かにそうだ……」


 どこか名残惜しそうに呟いて、クレイジーはぱっとルカを解放する。そしてはっと息を飲んだ。


「そうか、君がルカだからだ」


「は?」


 何を言っているのだろう。怪訝な表情を浮かべるルカに、クレイジーはいつも通り意味ありげにくすと笑った。


「君は面白いものを冥界から持って帰ってきたようだね」


 クレイジーはそう言い残して右手への攻撃を開始した。左手側もノワールが引きつけている。


(冥界からって、そういえば……)


 ルカはふと気になって上着の胸ポケットを探る。確かソニアがここに羽を一枚入れたはずだ。だが今は何も入ってはいない。まさか、落としたなんてことは……。


「ルカ! 何ぼーっとしてるんだ!」


 ノワールに促され、ルカは考えを中断する。右手と左手が塞がれている今、本体である顔の部分は無防備だ。


「うおおおおおおおおっ!!」


 “光速時限”の力で勢いをつけ、全身の力を込めて斬りかかる。


 だが、斬れない。柔らかそうな見た目だが、人間の皮膚とは異なる物質なのか刃が全く通らない。


 反撃をしようと、ぱかりと開いた口がルカに喰らいついてきた。とっさに大鎌をつかえに防ぐも、巨大ゆえに顎を閉じようとする力も強いらしい、黒流石でできた大鎌の柄がみしみしと嫌な音を立てる。そのうえ足元でジュワと何かが焼けるような音がして、ルカは反射的に飛び上がった。唾液でサンダルが溶けようとしていたのだ。


 この状態のままは危険だ。大鎌をネックレスの状態に戻せば口の外に脱出できる。


 だが、何かが引っかかってルカは口の奥の方へと視線を凝らした。気配を感じる。口の中は真っ暗で底なしの沼のようにも見えるが、徐々に目が慣れてくると青白い光と人影が見えてきた。


(ウルハリフィルの本体!)


 彼女を直接攻撃できれば、外側の分厚い皮膚を突破できなくともダメージを与えることができるはずだ。ただ、ここからでは遠い。サンダルをも溶かす唾液と、破壊の眷属と同じ毒性の腐臭が満ちている口内。進んでいく途中で力つきる可能性だってある。


 遠隔攻撃ができるミハエルやグレンの力を借りられればいいが、二人とも今は気を失っている。


(おれにも呪術が使えれば……)


 そう思った瞬間だった。


 急に右手に力が集まってきて、手のひらが熱い。そのうえ、どこからか歌が聞こえる。聞いたことのない歌。だが、なぜだか知っているような気もする。


 やってみなくちゃ、分からない。


 誰かに背中を押されたような気がして、ルカは頭の中に響く歌をなぞるように口ずさんだ。




 火の精よ、踊れ

 風の精よ、歌え

 我ルカ・イージスの魂を糧に

 汝の力を示したまえ!




 ドォンッ!


 信じられないことが起きた。歌い終えた途端、ルカの右手から火の玉が飛び出て、ウルハリフィルの口の奥でぜたのだ。


 爆風に押し出され、口の外に飛び出すルカ。


「ギャァアアアァアァァアアァッ」


 巨大な顔が、瞳と口から爆炎を吐きながらぶるぶると震えている。涙のようにどろっと皮膚が溶け、徐々に形が崩れていく。クレイジーとノワールが抑えていた両手も連動しているのか、動きを失い溶け始めた。


「ルカ。今の、お前がやったのか?」


 唖然とした様子で尋ねるノワール。ルカもただ首をかしげることしかできない。自分でもなぜあんなことができたのかよくわからなかった。


 そんな中、クレイジーは一人うんうんと納得したように腕を組んで言った。


「興味深いねェ。あの詠唱、まるでコーラントの魔法の歌とルーフェイの呪術の二つが合わさったものみたいだった」


「それって……」


 まさか、冥界でルカに力を貸した人物というのは。


「しっ。ゆっくり話すのは後にしたほうが良さそうだ」


 目の前の巨体はすっかり溶けて消え、再びウルハリフィル本人が姿を現した。羽はほとんど失われ、身体を覆っていたコートも爆撃を受けてかぼろぼろに焦げている。


 ガコン。


 金属のパーツのようなものが、彼女の足元に落ちた。次いでぼとぼとと大小様々なネジやパーツが落ち、彼女は糸が切れたようにがくりとその場に座り込む。


「そろそろ、限界か?」


 マティスに肩を借りながらアランが歩み寄る。彼は岩が落ちてきた時にウラノスをかばって全身ひどい怪我を負っていた。眼鏡は割れ、白衣は元の白さをすっかり失い汚れている。


 返事をしないウルハリフィルの目の前にしゃがみ込むと、彼女のワンピースを裂く。胸元にあるプシュケーの匣は無残な姿になっていた。配線のあちこちが切れ、パーツは修復不可能なレベルに破損。主要の動力である神石も美しい青白い色を失い、赤黒くくすんでいる。それももう光は弱く、見るからに彼女の限界が近いことを示していた。


 ウルハリフィルはゆっくりと首を持ち上げ、虚ろな瞳でアランを見上げる。


「僕を、ころすの……?」


「いや」


 アランは首を横に振った。


「お前は元の世界へ送り返す」


「え……」


 少女は愕然とした表情で、アランの白衣の裾を握った。


「なに、言ってるんだよ……そんなこと、できるわけが」


「できるよ。条件さえ揃えばね」


 ルカが代わりに答える。


 アランの作戦とは、ウルハリフィルをぎりぎりまで弱らせた後で、彼女を元いた世界へ連れ戻すことだった。


 別次元への移動は確かに簡単にできることではない。だが、いつかこういうことがあった時のために伝承は残されていたのだ。


 時の島の、”天寿の占”。


 年に一度、世界と星が最も近づくその日。神石クロノスの最後の力——第五時限の力を解放すれば、星を通じて別次元への移動を可能にする。


 ルカがそう説明すると、ウルハリフィルはくっくと肩を震わせた。


「甘い、なぁ……。そんなにめんどくさいことしなくたって、今ここで僕を殺せば、ぜーんぶおしまいなのに」


「それは——」


「あははははは! 知ってるよ! 僕を殺したら、そこにいるウラノスも一緒に死んじゃうからだよね!!」


 赤黒い光の羅針盤が彼女の足元に光る。


 逃がさない、クレイジーが束縛の呪術を使おうとしたその時。


 ズシャッ!!


 足元から突き出た槍が、彼女自身の身体を貫いた。


「ごふっ……」


 口から血を吐き、瞳から光が消える。


 力なくだらりと空を仰ぎ、彼女はかすれた声で呟いた。


「元の世界なんて、いやだぁ……。ひとりぼっちも……マザーの実験も、もう…………」


 彼女はそれを最後にもう何も言わなくなった。『プシュケーの匣』にはめられた神石はただの灰色の石ころに変わり、身体はぴくりとも動かなくなった。……瞳の端からこぼれ落ちていく一粒の涙を除いて。






 青空に包まれた空間はいつの間にか消えていた。


 元いた場所、あたり一面荒涼とした砂漠の景色に戻る。


 見上げれば、空を厚く覆っていた赤黒い雲が薄れ、消え始めていた。


 そして、本当の青空が帰ってくる。


 『終焉の時代ラグナロク』の終わり。


 それは同時に、一人の少女の命の終わり。


 星と星で運命を繋がれた者同士、同じ世界にいる限りはその命も共にする。


「ウラノス? おい、しっかりしろ……! 目を開けやがれ……!」


 この場所へ戻ってきた時、ウラノスはアランの腕の中で眠るように静かに息絶えた。


「ふざけんな……こんな、こんなことって……!」


 慟哭するアランにかける言葉を見つけられる者はいない。


 とてもじゃないが、破壊神討伐を喜べる状況ではない。


 皆呆然とその場に立ち尽くしたまま、どれだけの時が経っただろうか。


 ゴゴゴゴゴゴ……。


 急に地面が大きく揺れだした。『終焉の時代』の幕開けの時と同じように、大地がさらにひび割れていく。力を使い尽くしたルカたちに、抵抗するすべはなかった。彼らは砂の波に飲まれ、地の淵へと真っ逆さまに落ちていった……。



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