mission13-58 かけがえのないものだから



 渇いた砂嵐が吹き荒れるヤハンナム大砂漠の中心地。朝を迎えても空を覆う赤黒い雲は分厚く、陽の光は射してはこない。


 その場に一人、少女の人影。ウルハリフィルだ。時間軸を切り離され、右手を突き出した格好のまま石像のように静止している。


 だが、ルカの第三時限の技は強大な力を持つ相手には長くは保たない。


 ぴくり。少女の指先が動いたかと思うと、どさっと砂の上に倒れ込んだ。


「ふふ……ふふふふふふふふ…………」


 肩を震わせながら笑い、彼女はすっと起き上がる。あたりを見渡せば誰もいない。彼女が動けない隙に退却したのだろう。ただ、彼女の右手は真っ赤な血でべっとりと濡れたままだ。それを見て、少女は恍惚とした笑みを浮かべる。


「アラン君に褒めてもらわなくちゃ。これでもう、僕たちを邪魔する人たちはいないよ、って。あとは……二人で暮らす、新居のオソウジだけ」


 ぶんと腕を横に振る。すると、赤黒い稲妻が砂の大地に走り、地面がぱっくりと開いた。


「まだまだぁっ!」


 彼女が腕を振るたび、新たな亀裂が大地を横断する。砂嵐が耳をつんざくような音を立てて渦巻き、遠く離れた地に上がった人々の悲鳴を運んでくる。それを聞いてウルハリフィルは愉悦の笑みを浮かべた。


「あは、あははははは! もっと壊れろ! めちゃくちゃになっちゃえ! 僕たちの世界に君たちはいらない! ぜーーーーんぶオソウジして、新しくやり直すんだ!」


 腕を高く振り上げる。その方角はサマル遺構群が位置する北西。リフィルとアランの二人が出会い、そして死に別れる運命に縛り付けた場所。


「僕たちはもう自由だ……! どこでもない場所へ行って、一緒に暮らす……。だからもう、みじめな思い出なんていらない……!」


 彼女の胸から指先へ、赤黒い稲妻がほとばしる。彼女がその腕を振り下ろそうとした、その時——




「そこまでだ、ウルハリフィル!」




 少女の腕が、ぴたりと止まる。彼女の意思ではなく、そこだけ時間が止まったのだ。


 声の主は彼女の前に立ちはだかる、黒の大鎌を携えた金髪の青年。彼の姿を見て、ウルハリフィルはギリと唇を噛んだ。


「ルカ・イージス……!? そんな、確かに殺したはずじゃ……!」


 振り上げた腕に自由が戻り、反動でよろけながら少女は自らの手のひらを見つめる。まだ赤い。べっとりとした血に染まり、彼の心臓を握りつぶした感覚さえ残っていた。


「君と同じだ」


 ルカが大鎌の先をウルハリフィルに向ける。先端に取り付けられていた紫色の神石は今はそこにはない。ルカはぎゅっと左胸を押さえる。まだ傷口はずきずきと痛い。アランから聞いた説明によると、本来『プシュケーの匣』が身体に適合して安定稼働するまでに二ヶ月以上はかかるという。にも関わらず、たった一晩でルカがこうして動けているのは、ユナの第十の歌の力によるものだ。あらゆる場所へ響き、共鳴した歌の力が神石クロノスの力を増幅させているのである。


 ウルハリフィルは自らの手を見つめたまま、肩を震わせくすくすと笑った。


「そっか。そーゆーこと……。アラン君は、僕のこと裏切ったんだ……?」


 彼女を中心に円を描くように、赤黒い稲妻が地面から立ち昇る。ひりつく空気。一層の殺意と憎悪。同じ破壊神の力といえどライアンがまとっていたものとはまた違う。彼女の場合は「私怨」だ。長い年月をかけて膨らませてきた怨念が、破壊神の意志をも飲み込み彼女自身の力の一部として取り込んでいる。


(ライアンと同じようにはいかない。やっぱりアランが言ったしかないのか……)


 ちょうどその時、ルカの隣に青白い光を帯びた羅針盤の模様が現れた。


「裏切ったとは心外だな。はじめっからお前と手を組んだつもりはねぇぞ」


 アラン、そしてウラノス。


 二人が並び立つ姿を見て、ウルハリフィルは眉間に深い皺を寄せる。


「アラン君、ひどいよ……。せっかく助けてあげたのに、どうしてあの隠れ家から出てきちゃったの? 確かに狭いし暗いしでちょっと居心地は悪かったかもしれないけどさぁ、これが終わったら世界がぜーんぶ僕たちのものになるんだよ? なのに、なんで……!」


「隠れ家、だと?」


 アランはふんと鼻で笑う。


「違うな、あれは牢獄だ。ったく、お前の世界の俺は一体どういう教育をしたのか知らねぇが……。作品が作者をペットにしようなんざ、百年千年一万年早いんだよ!!」


 義手兼神器である左腕を地面につく。すると柔らかい砂がボコボコと沸き立ち、そこから先の尖った水晶が勢い良く突き出した。アランの神石ロキによる合成の力。砂の中に含まれる成分同士を合成させ、水晶を作り出しているのだ。


 水晶は次々に砂の中から現れ、海の中から獲物を狙う鮫のようにウルハリフィルに迫っていく。


「いいもん……。逃げられたって、また捕まえればいいんだから」


 彼女が拗ねたように呟いたかと思うと、アランの足元に青白い羅針盤が現れた。


「させない!」


 ウラノスが叫ぶと同時、もう一つの羅針盤が重なり、反時計回りにぐるりと回ったかと思うとウルハリフィルの羅針盤とともにかき消えた。


「はぁ!? なんで! なんでだよ! この世界のこの時代の僕は、そんな力を持ってるはずないのに!!」


 わなわなと怒りに打ち震えるウルハリフィル。瞬間移動でウラノスの目の前に現れると、彼女の襟首を掴んで迫る。


「ねぇ、教えてよ……!! 一体どんな手を使った!? アラン君に強化してもらったの!? 君だけ!? 僕は殺されようとしているのに!!」


 ウラノスは息苦しさに表情を歪めながらも、落ち着きを保っていた。


「僕だけの力じゃないよ……。僕も、ユナちゃんの歌に力を貸してもらったんだ……!」


 そうしている間にもはるか頭上で青白い光がほとばしる。


 見上げれば、巨大な船影。そこから飛び降りてくる、暴風のような男。空中で大刀を鞘から放ち、血管のように赤い筋が入った刀身がきらめく。


「っ!」


 ザシュッ!!


 ウルハリフィルはとっさに瞬間移動で身を引いた。彼女がいた場所には深くえぐれた斬撃の痕。


「あぶなかっ……」


 安堵したのもつかの間、赤黒く染まった前髪がはらりと落ち、額からつうと血が流れてくる。


のがしたか」


 低い声が響き、ウルハリフィルははっと顔を上げた。ウラノスをかばうようにして彼女の前に立つのは、ヴァルトロの覇王マティス・エスカレードだ。


「さすが陛下。一番乗りっすよ」


 アランがひゅうと口笛を吹く。


「ふん……まさか貴様もここにいたとは」


「申し訳ございませんでした。ヴァルトロが一番大変な時に駆けつけられず」


「構わん。その代わり、これが片付いたら貴様にはやってもらうことが山ほどある」


 マティスはウルハリフィルに注意を向けたまま告げる。彼の言葉にアランは思わず返事を忘れた。覇王自ら他者に頼み事など、彼の下で働き続けて十数年、一度も聞いた試しがなかった。


 信頼されている。


 ずっと、恩を返したいと思っていた男に。




「クク……ククク……ヒャッハーーーーーー!!」




 突然高笑いしはじめたアランにルカもマティスもウラノスも怪訝な表情を浮かべるが、本人は構わずビシッとウルハリフィルを指差した。


「どーーーーだ! 俺たちゃ今最ッッッッ高潮だぜ!? 陛下だけじゃない、お前が飛ばした義賊の奴らもじきに合流する!!」


「ど、どういうことだよ! あいつらみんな別々の遠くの場所に飛ばして……!」


「残念だったなぁ! ユナ姫の歌はお前が作った『どこでもない場所』にだって響くんだよ! んでもって、歌を口ずさめばユナ姫の元へ返ってくる! あとはその距離と音量から逆算して奴らの居場所の座標はぜーーーーんぶ残らず解析した! あとはウラノスが作った転送術式を経由してここに来るだけって寸法だ!」


「そん、な…………」


 絶句するウルハリフィル。止まらないのか、彼女を罵倒しながら高笑いし続けるアラン。


「あ、アラン君、その辺にしときなよ……。これじゃまるで僕たちが悪役みたいだよ」


「はんっ。何をいまさら。あいつにとっての俺は、初めっから悪役に決まってる」


 アランは急に冷めた口調に戻ると、額の傷をおさえて愕然と立ち尽くすウルハリフィルに歩み寄った。


「別世界のウラノス。お前に一つ質問だ」


「なに……」


「俺を捕まえて、誰も知らない場所に閉じ込めていた間、お前は満足したか?」


「え……?」


「お前がここへやってきた目的は、元の世界で俺を失った復讐だと言ったそうだな。確かにお前の計画は途中まで上手くいっていたじゃねぇか。二国間大戦を引き起こして、ライアン様を破壊神に仕立て上げて、どこでもない場所で俺と過ごして……。だがその過程で、お前の心は少しでも満たされていったのか?」


「それ、は……」


「満たされるはずがねぇ」


「っ!」


 図星だったのか、ウルハリフィルはハッと息を飲む。その彼女を、アランは眼鏡のレンズ越しに見つめ、呆れたように肩をすくめた。


「やれやれ……本当に、お前の世界の俺は一体どういう教育をしたんだか。作り手と同じ過ちを犯させるなんてな」


「何それ、どういうこと……?」


「大切な人を失った渇きは、代替品で埋められるようなものじゃねぇってことだよ」


 アランがそう言った瞬間、血に染まったままの少女の手が彼の首を掴んでいた。


「ひどい……! それって僕が出来損ないってことでしょ!? だから見放したの!? だから僕だけ置いて一人で死んじゃったの!? 僕が、リフィルになれなかったから……!」


「違う!」


 アランは左腕で力一杯彼女をはねのける。圧迫した痕が残った首をさすり、呼吸を整えると、砂の上に倒れ込んだ彼女に再び近づいた。


「確かに俺はリフィルを復活させるためにウラノスを作った。けどな、その考え方自体が間違ってたんだよ。ウラノスはウラノスで、リフィルじゃない。代わりになんざならないが、ウラノスはリフィルにはない物も持ってる。だからお前も、別世界で失ったものの代わりを求めるのはやめて——」


 ぞわ。


 悪寒がして、反射的に口を閉ざす。


 禍々しい殺気。鋭利な刃物を喉元につきつけられているような感覚が襲う。



「……なこと……でよ……」


 ウルハリフィルが何かを呟く。その瞬間、危険を察知したのかウラノスの羅針盤がアランの足元に光った。


 もし瞬間移動していなかったらどうなっていたか。自分が元いた場所を見てアランは言葉を失った。ウルハリフィルの周囲の地面が消えている。陥没して、深い穴ができていた。底は見えない真っ暗闇。


 ウルハリフィルの姿もまた変貌を遂げていた。赤と黒のドレス、青と白の丈の長いコート、そして青白い光を帯びた巨大な翼。そこまでならルカたちが対峙した時と同じ姿だった。だが、今の彼女の姿は一層凶悪さを増している。赤黒い稲妻を全身にまとい、手足の指先は猛禽類のごとく鋭い爪が伸び、髪はゆらゆらと逆立ち、憎悪に満ちて醜く歪んだ表情はウラノスの面影すら感じさせない。


「そんなこと言わないでよ……。僕、ここまでずっっっっっと一人で頑張ってきたんだよ……? 君と一緒にやりなおすためだけに……。それなのに、それなのにっ…………!」


 ドォン!!


 赤黒い雷が落ち、大地が揺れる。ぱっくりと開いた大穴からはぞろぞろと破壊の眷属たちが這い上がってきた。


「……やっぱり説得はできねぇ、か」


 アランはぼそりと呟くと、ルカの肩を叩く。


「待たせたな。ここからは作戦通りに行く」


「アラン、他に方法は」


「無い。あいつは長いこと放置されすぎた。あの中にはもう、リフィルと破壊神の怨念しか残っちゃいないんだ」


 おぞましい叫び声をあげ、さらに怪物へと姿を変えていくウルハリフィルに向ける眼差しには、憐れみがこもっている。


 そんなアランの白衣の裾を、小さな手が引っ張った。ウラノスだ。


「それでも僕には伝わったよ。アラン君の気持ち」


 透けていた彼女の手はいつの間にか元に戻っていた。アランの言葉を聞いて、ウルハリフィルに圧されかかっていた彼女の存在が、再び輝きを取り戻したのだ。


「だから……やるね」


 ウラノスは腕を大きく回し、自分の背丈の大きさに匹敵する巨大な羅針盤を描く。


「これ以上、僕たちの世界を傷つけさせない……!」


 彼女の瞳に青白い光が灯る。羅針盤から強い光が発せられ、その場にいる者たちすべてを飲み込んだ。






 その頃、オアシスの側の診療所では、ユナとクロードが二つの転送術式の前で待機していた。


 一つは散り散りになった仲間たちの居場所に繋がっていて、一つはルカたちの戦いの場に繋がっている。


 仲間たちが飛ばされた場所はここから離れたものがほとんどで、術式が繋がるのに時間がかかっているが、つい先ほどアイラの場所へとつながり彼女を救出した。他の仲間たちともいずれ繋がるだろう。戦える力が残っている者はここで傷を癒した後、ルカの元へと合流させる。それが、アランが考えた作戦のうちの一つだった。


「いよいよも始まったようだ」


 クロードが窓の外を眺めながら言った。先ほどまで鳴り響いていた雷の轟音がぴたりと止み、ずいぶんと静かになっている。


「ユナ、今のうちに休んでおきなさい。第十の歌の疲労がまだ残っているはずだ。あまり無理をしていると倒れてしまうぞ」


 だが、ユナは首を横に振ってクロードが用意したメモ帳に何やら書き込んだ。覗き込んでみると、そこには「私も戦いたい」と書かれていた。


 クロードはやれやれと肩をすくめ、じっと転送術式を見張るユナの頭を撫でる。


「君は十分戦っている。今ルカたちが戦えるのは君の力があってこそなのだから」


 それでも、一緒に戦いの場に立てないことは不安なのだろう。たとえ戦えない身だとしても、本当はルカたちについて行きたかったはずだ。だが、そうしなかったのはルカが約束したから。彼は出発する前、ユナに言ったのだ。


 必ず生きて帰って来る、と。


 休もうとする気配のないユナに、クロードは観念したように言った。


「……わかった、止めはしない。ただ、頼むから無茶はしないこと。でないとルカに合わせる顔がなくなってしまう」


 クロードの言葉に、ユナはこくりと頷いた。


 転送術式が青白く光る。どこかと繋がった証。ユナはそっと術式に足を踏み入れ、その場から姿を消した。



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