mission13-56 生と死の狭間で



「う……」


 じゃり、と指先に濡れた砂の感覚。鼻をかすめる潮の匂い。寄せては返す波の音。


 ルカははっとして飛び起きた。


 目の前にあるのはよく知っている風景。


 空は青く澄み渡り、浜辺には小さな小屋が一軒。生き生きと茂った草木の向こうには、白と紫で彩られた集落が見える。


 ただし、人の気配はない。


「時の島……」


「違う、ここは冥界だ」


 足元から声が聞こえてきてルカはぎょっとした。隻眼のカラスが一羽、ルカのサンダルのそばにちょこんと佇み彼を見上げている。カラスが喋るなんて、ということ以前に驚いたのはその声だ。


「ソニア、なのか……?」


 おそるおそる尋ねると、カラスは「ガァ」とくちばしを開いた。


「そうだ。お前たちとの戦いで神力をほとんど使い果たしてこのざまだ」


「でも、生きてたんだな」


 ほっと顔を綻ばせるルカに、カラスは怪訝そうに首をひねる。


「忘れたのか? ターニャ・バレンタインが裁くことのできるのは神の石だけだ。神格を奪われない限り神は死なない。まぁ、もし今の状態で俺より死神にふさわしいやつが現れたら、あっという間に神格を剥奪されるだろうがな」


 そう言ってカラスは自嘲気味に笑う。そしてばさばさと羽ばたくと、ルカの肩の上に乗った。


「……で、どうしてお前はここにいる?」


 漆黒の丸い瞳が問いただすようにじっと見つめてくる。


「それは……」


 ルカは言葉につまり、左胸を押さえた。穴は開いていない。無傷だ。肉をえぐられ、貫かれる痛みは頭の中に鮮明に残っているというのに。


 『屍者の王国』は亡者たちが思いのままに描いた姿を再現する。


 目の前に時の島があるのも、彼が無傷の状態なのも、ルカが死者となった何よりの証拠だ。今はまだ自分が死ぬ直前のことを覚えている。だが、ここで過ごすうちに死者であることすら忘れ、やがて自らの理想に溺れて悠久の時を過ごすことになるのだろう。


 その間、生き延びた仲間たちがどんな苦痛を味わっていようとも。


 身震いがして、ルカはわしゃわしゃと自分の髪をかきむしった。


 忘れるな、忘れるな、忘れるな!!


 自分が死者であることを、もう一人のウラノスに負けたことを、仲間たちがまだ戦っていることを——


「やめておけ」


 カラスがルカの手をつつく。


「罪の意識や後悔に苛まれるほど、冥界はそれを死者の苦痛とみなして奪っていく」


「けど……!」


「それに、自分のことで精一杯なうちは聞こえるものも聞こえなくなるぞ」


「え?」


 ルカはぴたりと手を止め、耳を澄ませてみる。


 だが、波の音以外は何も聞こえない。


「……そうか、まだ届かないか」


 カラスはぼそりと呟くと、ばさっと飛び立ち集落へと続く茂みの中へ入っていく。


(どういうことだ……?)


 ここに突っ立っていても仕方がない。ルカはカラスの後を追うことにした。






 穢れのない白い壁の家々が立ち並ぶ、かつて人の集落があった場所。今は誰もいない。しんと静まり返っている。


「なぁ。時の島の人たちは今、冥界にいるのか?」


 スタスタと前を歩くカラスに尋ねる。カラスは振り返らないまま頷いた。


「死者ならば等しく皆冥界にいる。だが、ここにはいない。来ることもできない。ここは冥界の中でも一番層が浅い場所だから」


「層が浅い?」


「お前は完全には死に切っていないということだ」


「……!」


 考えてみれば確かに妙なのだ。ルカ・イージスというは本来存在しない。本体は神石クロノス。その神石はぼろぼろではあるが破壊されたわけじゃない。


「そう。死んだのはお前が宿っていた肉体の方だ。だが、その肉体に馴染みすぎたが故に神格までもこちらへ引っ張られてきたのだろう。だから俺は訊いた。『どうしてお前はここにいる?』と」


 カラスは迷いなく集落を突っ切り、島の中心にある小高い丘の方を目指す。丘の上は、かつて神石クロノスが祀られていた場所だ。


「会わせたい奴がいる。ついてこい」


 相変わらず背を向けたままそう言うと、カラスはばさりと羽ばたいて一気に丘の上まで飛び上がった。


「あ、ずるい……!」


 一人置いて行かれたルカはため息一つ吐き、丘の上へとつながる石段を駆け上がった。


 徐々に鬱蒼と茂る樹林が開け、神石を祀る祭壇とそれを囲む十二本の石柱が見えてくる。


 そして、祭壇の手前には一人の青年が立っていた。金髪に、深緑の瞳。服装は時の追憶で見た時と同じ、冒険家らしい丈夫な生地で作られたカーキ色のジャケットとパンツに、長いブーツを履いている。ただ、背丈や顔つきはどこか大人びていた。……そう、失われた時間の分だけ。


 キーノ・アウフェン。


 神石クロノスの共鳴者が、そこに立っていた。



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