mission13-55 此方と彼方を繋ぐ歌



 歌が響く。


 遠く、遠く、彼方まで。




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たゆたう泡沫うたかた 何処どこへゆき何処で消えるの

何度も運べと風に願えども

彼方かなたに届かぬこの想いのように

いつか朽ち果て 消えるのであろうか

それともかすかに海の底

くすぶりくすぶり また湧き出るのであろうか


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 コーラント王は歌声にいざなわれるようにして城のバルコニーに出た。宵闇の中、城下町の方で薄桃色の明かりがゆっくりと明滅している。国じゅうの桜水晶たちが反応しているのだ。まるで、娘が旅立ったあの夜のように。


「ユナ……」


 コーラント王は瞼を閉じ、どこからか聞こえて来る歌に合わせて自らも口ずさむ。


 不思議な感覚だった。歌が、風に溶けて運ばれていく。やがて聞こえてきた歌声と溶け合い一つになっていく。


 ——私も、歌わなくちゃ。


 歌声に乗って、遠くから懐かしい声が響いた。


 聞き間違えるはずはない、亡き妻の声だ。


 もしかしたらこれは一夜限りの夢なのかもしれない。それでもいい。夢でも現実でも、彼らがやるべきことは一つ。


「ああ、歌おう。私たちの娘のために」




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蒼海に響かせよ

我が魂を響かせよ

想いは龍となりて空を昇り

遥か彼方へ稲妻を降らせん


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 職人の街キッシュ。


 職人見習いの少年・ジョルジュは寝ぼけ眼をこすりながらベッドから這い出ると、隙間からランプの明かりが漏れているリビング兼工房の扉を開く。そこにはキッシュブランの大瓶をあおるファブロと、彼女の相手をしているフレッドがいた。


「おや、ジョルジュも起きたのかい」


 ファブロは赤らんだ顔をふにゃりと緩め、手招きをする。


「ファブロや、フレッド兄ちゃんにも聞こえる……?」


「ああ、あの子の歌だね」


 ファブロは歌に合わせて上機嫌に身体を揺らしながら、自らも歌い出した。酒やけした声で、おまけに音程はデタラメ。だが、不思議と違和感はなかった。どこからか聞こえてくる歌に、コーラスのように重なっていく。


「すごいや。ユナねえちゃん、初めて会った頃は神石の使い方なんて全然知らなかったのに」


 ジョルジュが感嘆を漏らしたその時だった。


 工房の扉が勢いよく開く。そこには息を切らしながら立ち尽くす大男。ガザだ。中にいた三人は全員目を丸くする。彼が夜に訪ねてくること自体は別に珍しいことじゃない。ただ、一切取り繕うことなくぼろぼろと涙を流しているのを見るのは初めてだったのだ。


「ど、どうしたんですか」


 心配したフレッドが駆け寄ってガザを工房の中へと迎え入れる。ガザはぐすぐすと鼻水をすすりながら、ファブロの隣の椅子にどさっと崩れ落ちるようにして座った。


「上手く言えねぇ……上手く言えねぇが……この歌が聞こえてきて、胸の中がすっと軽くなった気がしたんだ」


 そうしたら、急に涙が溢れ出してきた。自分では収拾がつかなくなって、ここを訪ねてきたというわけだ。


 経緯を聞いたファブロは呆れたようにため息を吐いた。


「ったく、あんたもようやく大人になったってことかい」


「なっ! どういう意味だよ、それ」


「あんたは感動しているのさ。自分が作った神器が、自分の予想をはるかに飛び越えて活かされていることにね」


 ファブロはそう言って、いつの間に取ってきたのかキッシュブランの新しい瓶をガザに勧めた。


「あんたが神器を託した子たちは、武器に呑まれやしなかった。神石と共に歩んで、強くなって、私らにゃ想像もつかない規模の戦いに挑もうとしている。その瞬間、あんたは救われたんだよ。そして大人になったのさ。わが子の成長を見届けるのが、大人にとっての何よりの喜びだからねぇ」


 ファブロがジョルジュとフレッドの肩に腕を回して頭をわしゃわしゃと撫でる。ジョルジュは「ファブロ、酒くさい!」と文句を言いながらもどこか嬉しそうだ。ファブロが再び下手くそな歌を歌い出すと、ジョルジュとフレッドもそれに続く。


「そうか、俺は救われたのか……」


 ガザの瞳にはまた大粒の涙が浮かんだ。彼はごしごしと顔を拭うと、三人に合わせて自らも歌い始めた。


(頑張れユナちゃん。君ならきっとやれる……!)




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薄衣うすぎぬの天女 光はらはら散りて舞い

白銀の馬 あま駆けていななき笑う

は 母なる大地の息吹なり

清き風をその身にまと


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「歌が、聞こえるのう……」


 ヤオ村の村長・ジジが夜空を見上げながら呟く。


 彼だけでなく、他の村人たちもぞろぞろと家の外に出てきていた。


 どこからともなく聞こえてくる歌。みな不思議そうにしつつも、表情は穏やかだった。かつて、ユナの歌が疫病に侵されていた村を守ってくれたこと。破壊の眷属と化した時の記憶は曖昧だが、それでもこの優しい響きを身体が覚えているのだ。


 ジジはまぶたを閉じ、聞こえてくる旋律に合わせて口を開く。


(グレン……約束したじゃろう。村を酷い目に合わせた者たちをぶん殴って帰ってくると。生きて戻れよ……!)




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晴れて 曇るか 雨降るか

咲きて 枯れるか 種子たねなるか

うれうも笑うも一時ぞ

らばわずらうべきことか


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 銀髪女シルヴィア脱獄幇助ほうじょの罪で投獄されていた鬼人族の男・グエン。本来なら一生牢獄塔から出られない大罪だが、ゼネアから駆け付けた息子ヨギの嘆願と大巫女イスラの温情のおかげで仮釈放が決まっていた。


 釈放前に大巫女イスラに礼を言いたい、そんな申し出が聞き入れられて大聖堂の“謁見の間”へと向かう途中。


 歌が聞こえ、グエンと彼を護送する師団長ジューダス、そして同行するヨギの三人はふと足を止めた。


「この歌は……」


「ええ、聞き覚えのある……」


「ユナの歌!!」


 ヨギが急に声をはりあげ、大聖堂じゅうに声が響く。ジューダスは慌てて彼の口を押さえた。


「静かにしてください……! もう眠っている者もいるんですから……!」


「うるせぇ、黙ってなんかいられるかよ! 愛しの彼女が助けを求めて歌ってるんだぜ!」


「ははーん、ヨギ、お前あの子に惚れたな? なかなかいいセンスしてるじゃねぇか。もう一人の女は冷たい砂ぶっかけてくる鬼のような女だったがよ、あの子は俺がブルってるところにブランケット持ってきてくれる気が利く子だったぜ」


「な! なんだよそれ、ずるいぞ父ちゃん! けどな、オレ様だってユナと一緒に馬を駆けたり——」


「二人とも静かに!!」


 ジューダスの指先から神石による炎が飛び出てようやくヤンハ親子は押し黙る。


「いいですか、“謁見の間”はもう目の前です。くれぐれも大巫女の前では粗相をしないように。じゃないと再び牢獄塔に戻ることになりますよ」


 きつく言い聞かせ、ジューダスは“謁見の間”の扉の前に立つ侍女に声をかけた。だが、侍女は首を横に振るだけで彼らを通してはくれない。


「申し訳ございません、ジューダス様。イスラ様はただいまお取込み中でして……」


「取込み中? 事前に確認したが予定はなかったはずだ」


「その、それが……」


 侍女はもじもじとしながら背後の扉とジューダスを交互に見やり、やがて小さな声で言った。


「踊られているのです。この、聞こえてくる歌に合わせて」


「なんだよそれ、最高じゃねぇか!」


 そうだ、鬼人族たちは知覚に優れている。小さな声でもしっかり聞き取れてしまうのだ。


 大巫女が踊っているならと、二人の鬼人族は愉しげにその場で踊り始めた。


 ジューダスは苦笑いして肩をすくめるも、彼もまたつられて歌を口ずさむのであった。




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慈しみたまえ ゆらゆら煌めく命の

消し去りたまえ 憂い悲しむ罪咎つみとが

我一心に祈らん 御心みこころの慰みに任せて


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 ガルダストリアのエリア・”ロイヤル”に佇む高級ホテル。普段は予約でいっぱいだが、今夜はたった二人の客で貸切だ。宿泊客はジョーヌとエドワーズ。ならず者の街ゼネアの今後について相談したいと、エドワーズから持ちかけたのがきっかけだった。


「エドワーズ君、聞こえるかね?」


「ええ、聞こえます。義賊のあの子の歌です」


 話し合いが終わり、ホテルのバーカウンターで飲み交わしていた二人はまぶたを閉じて耳を澄ませる。メイヤー夫妻にも聞こえていたのだろう、いつの間にかバーの音響を止めていたようだ。


「彼女たちはまだ戦いの中にいる。それならば、我々も我々なりの戦いに挑まなくては」


「……ええ、まったく同感です」


 二人は互いのグラスを打ち鳴らし、ぐいと酒を飲み干す。


 この晩の会合をきっかけに、長年途絶していた旧エルロンド領とガルダストリアの交易が再開するのだが、それはまた別のお話……。




——————


法螺貝ほらがいを吹け 勝ちどきを上げろ

銅鑼どらを叩いて

大地震撼のごとく足音を踏み鳴らせ


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 鬼人族の里では大合唱が響いていた。彼らは皆お祭り好きなのだ。どこからか美しい歌声が聞こえて来るならば、迷わず共に歌う。中にはこの歌を「不死鳥様の歌」と言ってあがめている者もいるらしい。


「まったく勝手なものだねぇ。これはあの子の歌だろ。私にはわかる」


「そうだね、ファーリン。でも、彼らの言い分もあながち間違っていないかもしれない」


 リュウの父・テオはこの現象について羊皮紙に素早くメモを取りながら言った。


「こんなことができるのは神の御業みわざと言っても過言じゃない。一体何が起きているのか……あの子たちがまたこの里へやってくることがあるなら、聞きたいことが山ほどあるよ」


 するとファーリンは高らかに笑った。


「研究熱心なのもいいけどねぇ、あの子たちにはまず腹いっぱい食べさせてやらなくちゃ。質問攻めはそれからにしな」


 そう言うと、ファーリンもまた里の大合唱に参加する。テオは「そうだね」と笑って夜空を見上げた。


(リュウ……どんなことがあっても、必ず帰って来るんだよ……!)




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前へ進めば 小石につまづき

声をかければ 人違い

さらばと殻にこもってみるも

気にかける者無き空しさたるや


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 ルーフェイの女王エルメはしばらく自室にこもる日々が続いてた。神石アマテラスの”神格化”による代償が、着実に彼女の身体を蝕んでいたのだ。太陽の光を浴びて焦げ付いた腕は自由に動かず、足も杖の支えなしでは前に進めない。


 そんな状況でも、彼女は歌にいざなわれるようにして城の屋上へと出ていた。


「エルメ様、お戻りください……。お身体にさわりますよっ……」


 ついてきたハリブルは気が気でない様子。だが、エルメ本人はというとむしろ普段よりも気分が良かった。きっとこの歌の優しい音色がそうさせるのだろう。


「案ずるな、ハリブル。妾はそうヤワではないぞ」


 エルメは不敵な笑みを浮かべると、足元に巨大な呪術式を展開した。


「これは……『玖首蛇くずへびの式』!?」


「否。よう見てみよ」


 そう言われてハリブルはじっと目を凝らす。だがあまり呪術が得意でない彼女には何が違うのかわからなかった。


「これはな、『玖首蛇の式』をもとに独自に編み出した呪術式。……なに、寝込んでばかりで体力を有り余らせておった妾からの餞別のようなものじゃ」


 エルメはしゃがみ込み、呪術式に手を両手をつく。すると呪術式と彼女の輪郭を包むように淡い光が溢れ出し、やがて球のように一箇所に集まっていく。


「ブラック・クロス。そなたたちはまだまだやれる」


 彼女がつぶやくと同時、光の球は呪術式から離れて頭上に浮き上がり、ギュンと勢いよく空を駆けて行った。方角は北。スヴェルト大陸の決戦の地だ。




——————


目にはまぶたを 歯には唇

よりどりみどり 癒しのいろど

穢れぬひとこそ なにより美し


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 その晩は、北の大地・ニヴルヘイム大陸にとっては何日かぶりに訪れた安寧のひとときだった。


 ソニアの裏切りによって現れた屍兵しかばねへいたちは、無限に湧き出るものかと思いきやこの日を最後に勢力を失い、残った者たちはマティスと麒麟と化したフロワの手で殲滅。ようやく戦いから解放された兵士たちは、疲れたきった身体をおして街に繰り出し勝利の祝杯に酔っている。ヴァルトロの強靭さとはまさにここにありといった感じだ。


 スーネ村もヴァルトロ兵団拠点も、敵兵にそこまで侵攻されることはなく被害は小さい。だが、覇者の砦の被害は甚大だった。ルカたちとマティスの戦いに加え、屍兵やキリによる襲撃、そしてフロワの”神格化”。四神将の拠点であった中層階から上は倒壊し、無残な姿となっている。


 ヒルダがすぐに修繕の手配をすると進言してきたが、マティスはそれを跳ね除けた。


 ヴァルトロは元は何もない場所から始まった。だから失われたものに未練はない、と。


(それに……次代の覇者とはどうあるべきかを考え直す時が来たのだ)


 マティスは一人、昇降機で覇者の砦の中層階へと登り、唯一損壊を免れた飛空艇のドックに降り立った。


 歌がかすかに聞こえてくる。


 立ち向かってきた義賊たち、それに息子ドーハ。彼らは確かに強くなった。だが、それだけでは足りない。もっと強大な敵が立ちはだかっている。この歌はその証だろう。


 ……ならば。


 ドックには一台だけ飛空艇が残っていた。


「フロワ。少し借りるぞ」


 覇王はそう言って、飛空艇の中へと乗り込んだ。




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逢い 愛 い 哀 山谷ありて

乞う 煌 う 幸 果てもなく

今吹く風をればこそ

足どり軽くなるものを


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 その歌はどこへでも届く。


 たとえ、そこが「どこでもない場所」だとしても。




——————


漂う草舟 何処どこへゆき何処で眠るの

何度も止まれと風がはばめど

彼方かなたに寄せるこの想いのように

荒波かき分け 突き進む

たとえ おのが帆 破れようとも


——————




「ねぇ、僕にも聞こえるよ……! ドーハ君の声が、ブラック・クロスのみんなの声が……! それに、世界中のいろんな場所からもたくさん……! 歌に乗って、ここに集まってくる……!」


 ウラノスは興奮を帯びた声で言った。


 あとはもう一人だけ。


 歌が届いていない人物がいる。


 ユナは息切れしかかっていたが、それでも歌うのをやめなかった。


 ユナとウラノス、二人の身体を中心に薄桃色の光の柱が立ち昇る。ユナはぎゅっとまぶたを閉じて祈りを込めた。


(お願い、届いて……!)











 とある小さな島の波打ち際。


 漂流したのか、浜辺に倒れている青年が一人。


 そこへ隻眼の黒いカラスが近づいて、青年の金髪の頭をくちばしでつつく。


「……起きろ、ルカ・イージス」


 カラスの言葉に促されるように、青年の指先がぴくりと動いた。



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